第17話 報復と復讐と

「なんで、ウルトラマンなんですか?」

 笠井稲荷に向かう道すがら、後藤、鳴門刑事、真壁、そして下駄の男の一行は、5分ほど無言で歩き続けた。


 カラン、コロン、カラン、コロン


 下駄の音が鳴り響く。どう見ても滑稽さだけが際立つ。しかし、この日鳴門刑事の身に起きたことは、例え警察という特殊な職場であることを差し引いても荒唐無稽なことばかりである。聞きたいことは山ほどあったが、結局鳴門刑事は、後藤が歩きタバコを吸うことを注意するのを忘れるくらいに頭の中が混乱していたし、いろいろ考えたが、一番自分に引き寄せた質問をぶつけるしかなかった。


「たとえば、ウルトラマン以外のヒーローじゃダメなんですか?いえ、そればかりか、なんでマン、セブン、ジャック指定なんです?」下駄の男は鳴門刑事の方を振り向かずに、レジ袋をぶら下げたまま両腕を胸の前で組むと「さーて、なんでじゃったかのぉ」と小首をかしげた。


「まさか、なんとなくとか、適当とか、好きだからとか、そんなんじゃないと思いますがね」後藤が鳴門刑事の問いかけに相乗りする。後藤にはウルトラマンだろうがセブンだろうがどうでもいいと思えたが、しかし、言われてみれば、指定するからには理由がありそうだと思った。


「おー、そうじゃった、そうじゃった。真壁よ、お主、エースまでは全部見たんじゃろ?」下駄の男は、真壁の方に振り向いた。その顔は老人というよりは、いたずら好きな少年のそれだった。

「はぁ、確かに……でもなんでそんなことわかるんです?ワタシがあの店であなたを見たのは、あの夜……あの一回だけだったはずですが……」真壁はすでに普通の受け答えが出来るようだ。

「ワシはなんでもお見通しじゃよ」今度は後藤に向かってニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて見せた。

「はー、そういうことか……おっさん、レンタルショップのデータを盗み見しやがったな」


「え、盗み見ってそんなこと……」

「できますよ。あの店、個人経営でこの沿線に4~5店舗、オンラインで結んでやってるみたいだから、セキュリティはかなりゆるいんじゃないんですかね。ちょっと腕がある技術者なら、それほど苦労しないで覗き見くらいは出来るでしょう」

「鳴門ー! このおっさんがどうやって真壁の情報や加藤、三河、山本の情報を得たのか、一切詮索無用だ。なんだったら、俺が教えたってことで納得しろ」

「後藤さん!そんなぁ!」

「鳴門勘違いするなよ。これは命令じゃない!お願いだよ」

「ご、後藤さん……命令ならともかく、お願いなら聞かないわけに行きませんね」


「かっ、かっ、かっ、お主ら、いいコンビじゃのー」

 後藤も鳴門刑事も何か文句を言おうと考えたが、何一つ言い返せないと気づくと、無性に腹が立った。

「で、真壁がエースまでは知っていたということと、どういう関係があるんですか?」

「鳴門刑事、警察学校では心理学とか教えたりするのかのぉ?」

「はぁ、まぁ基礎的なところから犯罪心理学が中心になりますが」

「基礎は大事じゃよ、基礎は……人に暗示をかけるためには、ステレオタイプ的なアイテムが有効だとワシは思うんじゃがのぉ」

「えぇ、確かに有効です。固定観念を利用するのは詐欺や霊感商法の常套手段です」

「だからじゃよ。今回の場合は、心理学の面からもワシの分野の面からも、誰でも悪役とわかるアイコンは有効なアイテムというわけじゃ」


「そちらの分野のことはわかりませんが、なるほど、真壁が回復した経緯には、自分に何かが取り付いたという思い込みを、こういう形で治療したというわけですか」

 鳴門刑事は、理屈を積み重ねて、事態の全体をつかもうと努力をしていた。一方後藤は、直感的な違和感や不自然さから来る疑問、そしてこの件に関わるそれぞれの人間の思惑を合わせて、多面的に事態を把握しようとしている。時にまったく違う結果が導き出されることがあるが、後藤には鳴門刑事の進言はとても貴重なものだった。後藤には正論を導き出しても、正論を正論と位置づける自信がない。後藤は自分が王道から外れた人間であることをよく知っていた。


 見た目にも滑稽な4人は、聞く耳を疑うような滑稽な話をしながら滑稽な目的地に向かって歩いてゆく。夕日は立ち並ぶビルの陰に隠れてしまっている。西の空が赤々として血に染まったように見えたのは、後藤の錯覚であり、真壁の憂鬱であったが、同じ頃、別の場所でこの事件に関わる血が流されたことを、後藤はまだ、知らなかった。



「な、なんで、こんなことを……」

 橘は死を覚悟していた。ほんの数分前までは、『明日』という日が来ることになんの疑いもなかった。自分は、この街、この笠井町でのし上がり、今まで自分をゴミのように扱ってきた連中をいつか見返してやりたかった。バイクが好きだった。ただひたすらにバイクが好きで、思いっきり街の中を、アクセル全開にしてぶっ飛ばしたい。そう思って、そうやっていたら、いつの間にか社会のあらゆるものが自分の敵となっていた。教師も、親も、仲間までも……それに抗う術を暴力に求めたことへの悔いは、何かの拍子にどこかへ捨ててしまっていた。


「良かったよ。キミには謝らなきゃいけないと思っていた。それもかなわないかと思ったが、これも神の思し召しだ。私は神に感謝する。そしてすまないね。キミ、キミはちっとも悪くない。どうかワタシを許して欲しい。キミへの償いに、ワタシからのプレゼントだよ。どうしてこんなことになったのか、キミがあの世で恨むべき人の名前を教えてあげようか?」


 サイレンサーを装着した銃を持った男は橘のそばを慎重に歩きながら、巨漢の男が確実に死んでいる確認をした。マツダは白目をむき、口を大きく開けたまま夕日に真っ赤に染まった空を睨んでいた。


「聞きたい?聞きたいかい?」

「武井さんか」

「ちがう、ちがう、武井は何も知らないよ。それにこんなことはね、上の許可なしにはできないことだよ」

「じゃ、じゃぁ、組長自らが?」

「いやいや、もっと上さ、あー、そうそう、時期にね、組長にも合えるからさぁ。組長もヘマやったね。クックックックッ……まぁ、組長のヘマの責任をキミが取る筋合いはないよね」

「だ、誰だよ、いったい何者なんだ」

「うーん、やっぱ教えない」


 シュッポ、シュッポ


 乾いた音が2回


 んがぁぁ


 嗚咽が1回


 コツ、コツ、コツ、コツ


 足音が遠のいていく。そして数人の足音、大きな2つの袋を担ぎ、車のトランクに押し込む。車は何事もなかったようにそこから立ち去り、大量の血痕と2台のバイクだけが残された。


 車の中。携帯のボタンを押す音数回……呼び出し音

「あー、どうも、ワタシです。はい、順次滞りなく。えー、指示通り痕跡は残しました。これから港のほうへ、はい、あそこに沈めれば、まず発見は難しいかと……えー、そっちのほうは夜になってから、えー、動きは掴んでおります。協力者も得てますので、はい、信用はできます。今回の件、ある程度予測していたようなので、今の組長よりは、頭の切れる男です。多少、切れすぎることもあるかもしれませんが……えー、監視は別途、はい、はい、では、後ほどまたご報告に上がります」


 ピッ 電子音。携帯切れる。

 パンッ 携帯を閉じる音。


「ふー、まったく、明日はわが身、開ける扉を間違えると、生きては外に出られない。組のトップといえでも、あの方にとっては単なる捨て駒。おっかねぇ、おっかねぇ」

 車は夕暮れていく街の中に溶け込み、闇の中へと向かって消えていった。街はいよいよ真っ赤に染まっていった。




「さて、ついたぞ。ここからのことは一切ワシに従ってもらうが、依存はないのぅ?」

 今更、何を、という言葉を飲み込みながら、後藤と鳴門刑事はうなずき、真壁もそれに従った。笠井稲荷――笠井駅から北へ徒歩で30分ほどのところにある神社は、古くからこの土地にあるが、その存在を知るものは意外に少ない。笠井町は、もともと新興住宅街として、昭和40年代終わりから50年代にかけて駅の南側……埋立地に巨大な団地が建設され、発展した町である。駅の南側には歴史ある神社などは当然似なく、また北側は、中小零細工場が立ち並ぶ町であったが、それも次々とマンションに変わっていった。古くからこの地に住むものは少なく、寺や神社というものはほとんどない。


「この神社はのぉ、これで結構なもんなんじゃよ。無礼があってはバチが当たるというものよ。人知れずこの笠井の町を治めているのじゃ。農業、漁業、商業の神様じゃ。そのおかげでこの町はこれだけ発展しておる」

「つまり商売の神様の力を借りるというわけですか……そんなんで大丈夫なんですか?」

「罰当たりなものいいをするでない!機嫌をそこねたら困るのはお主らぞい!」


 その佇まいは、どこにでもある普通の神社である。隣には大きな公園があり、子供たちの遊ぶ声が聞こえてくる。後藤たちは下駄の男に従い、鳥居で挨拶をしてから神社の中に入る。正しい作法で参拝したのは、いつのことだったか……カラスが不気味に騒ぎたて風に木々がざわめく。全く、絵に描いたような不気味な空気が流れ出す。


「やはり、あまり歓迎はされておらんな。招かれざる客を連れておるからのぉ」

 下駄の男は意地悪そうに他の3人の顔を眺めた。いつものいららしい笑みを浮かべながら……「冗談じゃよ。神様というのは、ワシら人間一人一人のことを気にするほど人間社会に関心は持っちょらんわい」

 

 三人は顔を見合わせたが、笑う気にも怒る気にもなれなかった。間違いなく、鳥居をくぐってから何か雰囲気が違う。後藤は初めてここに来たわけではないが、とてつもない違和感を感じていた。

「ご、後藤さん……」

「わかってる。なんてことはねぇ。いつものことさ。いつだって俺たちは招かれざる客さ」

「そ、そうですね」


「さて、こっちじゃ、こっち、とっとと済ませないと日が暮れてしまうわい」

 下駄の男は、手水舎で左手右手の順に清め、次に口をすすぎます。再び左手を清め、残った水で柄の部分を流した。3人がそれに従う。正中を避けて拝殿に向かう。しかし兵殿には入らずに、右に曲がった。煙が立っている。拝殿の横の細い道を通るとそこに巫女が立っており、火を焚いていた。


「おー、おー、すまんのぉ、待たせたかのぉ」

「お待ちしておりました。いえ、さきほど準備が整ったばかりでございます。どうぞお遣いください。お炊き上げが終わりましたら、声をかけてください。では、私はあちらで人払いをしておりますので」巫女は静かに頭を下げ、下駄の男に微笑みかけると拝殿の方へ姿を消した。


「人払い……ですか?」

「いやなに、ワシは別に構わんのだが、それこそ、おぬしら、こんなところでふらふらしてるところを誰かに見られたくはあるまい。さて、はじめるかのぉ」

 後藤の肩をポン!と叩くと下駄の男は焚き火の前にしゃがみ、レジ袋から三体の怪獣のソフビ人形、ベムスター、エレキング、ゴモラを取り出した。


「あ……ま、まだ、そこに、いるのか、あいつら」

 真壁が口を開く。少し震えているようだ。

「あー、そうとも、そう簡単には、こいつらは払えはせんわい。だから、ここできっちりとしておかんとなぁ、うん?なんじゃ?なんか納得いかんか?」

「それって、じゃあ、最初からここにくればよかったんじゃ……」

 鳴門刑事がかみつく。

「ふむ……なるほど、たしかにそれも一理あるがのぉ、しかし、こういうことはやはり、慎重に慎重をかさねないといかん。それにアレにはちゃんとした意味があるんじゃ」

「差し支えなければでいいんですが、できたら、そのあたりもお話いただけると、こちらも目覚めが悪くなくていいんですがね」

 後藤が鳴門刑事を援護する。

「そうじゃなぁ、まぁ、タネをばらしたところで、すぐにそれを真似できるものじゃないあらのぉ……手品と同じじゃ」

 下駄の男は、とても楽しそうに笑いながら三人の顔を見上げた。




「魂とは、幽霊とか霊魂とか、そういうイメージが強いがのぉ、もっと哲学的で科学的な存在なんじゃよ」

 下駄の男は、焚き火の中のまだ燃えていない破魔矢を手に取り、焼き残った御札や紙くずをかき回し、空気を入れて火の回りを強くした。パチッ、パチッと音がする。


「つまり、ボクらが見たものは全て現実の世界に存在すると……」

 鳴門刑事は一歩前に詰め寄る。「そんな馬鹿な事が……」と真壁が鳴門刑事の言葉をさえぎる。「……あるはずが、ない。あっても、ワタシは、信じない」


「ふん!それじゃよ、その『あっても信じない』というのがことの真理じゃ!」

 下駄の男が吐き捨てる。

「あるような、ないようなという、曖昧な解釈ならばそれは障らない。障ることはほとんどないんじゃ。だがのぉ、お主のように、客観と主観をはっきりと使い分けるような輩の前では、かえってその存在を際立たせるんじゃよ。拘りといってもいい。それも無用の」


「わかんないなぁ、どうにも、拝み屋のオッサンの言ってることは、矛盾してないか、そのぉ……無用の拘りは、霊魂とか、幽霊とか、そういうものを否定しているわけだから――」

「否定?ならばなぜ、この男は、傘を持って出かけたんじゃ?雨の急に降りそうな晴れた日に?」

「そ、それは、それは……」

 真壁が言葉を詰まらせる。


「魂など存在しない。幽霊など、呪いなど、そんなものは存在しないと思いながらも、そのくせ、その力による効果を観測し、考察し、利用した。そうであろう。お主はこうなるとわかって、あの傘をもって出かけたんじゃ」

 真壁はヒザから崩れ、両手を地面につけて、頭を垂れた。後藤と鳴門刑事はそれを見守るしかなかった。


「魂というのは、魂そのものだけでは存在できん。まず、最初は体が必要だ。おぬしらのようにな。しかし肉体はいつか滅びる。魂がそれを認識していれば、肉体と同時に魂も滅びる。しかしなぁ、魂が肉体が滅びたことを認識できない状態、そして、その魂の存在を客観的に観察するものの存在。その二つの条件がそろわなければ、今日見たような現象は何一つ起きやせん!」


「あー、それってつまり、アイデンティティの確立ってことですか、自己認識と社会的客観性での存在証明みたいな」

「鳴門刑事、お主はなかなか勉強しとるな。関心、関心」

 下駄の男は明らかに後藤に対するあてつけで鳴門刑事を褒めた。それがわかるだけに、後藤も、そして鳴門刑事も無関心を装った。


「じゃ、だとして――だとしてですよ、さっきの公園でのあれはいったいどういう意味が?」

 鳴門刑事にはもっと聞きたい事が山ほどあったが一つ一つ手順を追わなければ、この老人は話をはぐらかすだけだと考えた。そしてその判断は正しかった。


「うん、そうじゃな。悪いことをしている人間に、お前は悪人だ。悪いことはやめろといって、犯罪がなくなるなら、お主ら、職を失うことになるじゃろう?そういう輩には、子供の一言が一番効くんじゃよ。誰しも純粋な少年時代はある。悪者と言われて傷つかない子供はおらんじゃろう。わっぱに恐れられ、忌み嫌われれば、自分がどういう存在か認識するというものよ。そして、ヒーローに退治される」


「自分の中の凶悪な部分を純粋な子供の持つ客観性で認識させ、それをステレオタイプのヒーローに退治させることによって、邪悪な部分――凶悪なアイデンティティを崩壊させる。理屈ではわかりますが、そもそもが信じられないというか……」

 考え込む鳴門刑事を見ている下駄の男の顔は、さながら自分の生徒にいやらしい宿題を出すときの教師の顔そのものだった。


「なんだって、あいつら、なんだって、あんなやつらが……」

 真壁は再び困惑の中に彷徨っていた。




「最初は……最初は本当に偶然だった」

 真壁が語りだした。あの日のことを、あの夕立の日のことを……


「ラーメンを食べていたんだ。最初は気付かなかった。カウンターに座っているのがあの夜の男ってこと。ワタシは何度かあの傘を忘れそうになったが、決まって傘はワタシの手元に戻って来ていた。不思議だとは思ったが、理屈なんてどうでも良かった。その男が席を立って、外に出て、数分もしないうちに、ブレーキ音と悲鳴が聞こえてきた。ワタシは自分の傘がなくなっていること、そしてあの男が、あの日レンタルショップでみた、あんたと見たあの男が、懲りもせず、また傘を盗んだんだ。」


 鳴門刑事が手帳を取り出し、中から一枚の写真を真壁に見せた。

「そうだ。この男だよ。車に引かれて、見てすぐわかった。こりゃ助からないって……」

「山本 茂、22歳 無職、不良グループと暴力団の橋渡し的なことをしていたらしい事が、最近わかりましたが、詳細はつかめていません」


 後藤刑事がその写真を下駄の男に見せる。

「こいつが、つまり、あんたの傘を盗んだ男で、真壁の傘も盗み、それでおまけに左螺曼蛇(サラマンダ)の12代目というわけですか?」


 下駄の男は沈黙によって答えた。そして語った。


「自分がやったわけではない。悪いのは山本で、自分には責任はない。だが、原因と結果の過程に自分の傘があるのは明白。男の死に顔が目に焼きついて離れなかったのじゃろう。結果的にその強い思いが、魂を呼び寄せたんじゃ。不幸なことじゃ。山本にも、真壁にもそして……」

「そのあとの2人ですか?三河と加藤」

 鳴門刑事が更に2人の写真を取り出した。


「不幸?不幸ってなんですか?あんなヤツラが、こうして社会にのさばっている。傘を盗むのは小さな犯罪です。だけど、それだけじゃないでしょう!ワタシは調べた。自分がしてしまったことを悔いて、それで、最初の男のことをいろいろと調べたよ。新聞に名前載ったからね。そうしたらすぐに出てきたよ。あの男がどんな非道な人間なのか……だけどそれすら、あんな男をあがめるような輩がこの世の中にいるってことも知った。だからワタシは、だから、ワタシは……なのに、なんで、なんでワタシがこんなめに、あんな連中に取り付かれなきゃならないんです!逆恨みもいいところだ!」


「妄想じゃ!そんなもの!死んだ人間が化けて出てくるなど、そう簡単にできんわい!主の妄想が具現化しただけじゃ!主も気付いておるじゃろう!真壁直行よ!あれはお主自身の姿よ!」


 真壁の顔色が変わる。興奮して大声を上げていたときとは、全く別人のように、力なく、その場にへたれ込む。

「真壁自身って、拝み屋のおっさん、それじゃ、それこそ何のための儀式だか」


「真の姿は真壁自身の妄想よ!じゃが、もはやそれだけではない。妄想に人の命を奪うことなどできんよ。真壁の妄想を依代に、本物の魂が、そう邪心に汚れた魂が集まり、加藤、三河、山本の三人の形を形成したんじゃ。加藤であって、加藤ではない。巷に彷徨う邪心、邪念の塊よ」


「それって、結局どういうことなんですか?そんなものが、あるとして……人の命を奪うことなんかあるんですか?」

「命というよりは魂じゃよ。真壁のアイデンティティを崩壊させ、別の人格が形成される。悪魔憑きとかキツネ憑きといったほうがはやいかもしれん」

「つまり、真壁であって、真壁じゃないものになるところだったと?」

 後藤の問いに、下駄の男は再び沈黙によって答えた。


「で、その邪な魂を無邪気な子供の心で弱らせて、あとはここで火炙りにすれば、すべて解決というわけじゃよ」

 そういうと、下駄の男は無造作に怪獣のソフビ人形を火の中に放り投げた。


 ボー!


 一瞬大きな炎が上がる。青白く、不気味な炎は、まるで魂の断末魔のような音を立てながら揺らぎ、そして小さくなっていった。下駄の男は口もとに手を当ててなにやらブツブツと呪文のようなものを唱えているが聞き取れない。日本語ではないような気もする。


 ボー!


 再び炎が大きく立ち上り、下駄の男めがけてありえない方向に立ち上がる。後藤は一瞬身構えたが、それより早く……と言うよりは、炎が立ち上がるよりも先に下駄の男は、レジ袋の中から一体のソフビ人形を取り出し、構えていた。


「あ、アレはタイラント!」

 鳴門刑事の口から、そう聞こえたように後藤は思った。真壁は身を屈め、すっかり怯え切っていた。


「フン!」

 下駄の男は、大きな気合のこもった息を吐き、立ち上がる炎を迎え撃った。ありえないことだが、邪悪な炎は下駄の男が右手に構えるソフビ人形に吸い込まれていくように見えた。下駄の男の左手は、何か特殊な構えをしている。拳法なのか、印を切っているのか、後藤にはわからなかった。


「フー、やれやれ、これで終わりじゃ。さて、帰るとするかの」

 下駄の男はタイラントのソフビを乱暴にレジ袋にしまうと、渾身の笑顔で一同を見回した。3人はあまりのことに、しばらく声を出すことも、動くこともできなかった。日はすっかり傾き、夜になろうとしていた。





 下駄の男は、拝殿に寄り、なにやらしばらく話し込んでいた。どうやらただの談笑のようだが、よほど親しいのか、或いはここの関係者なのか。若い宮司は、下駄の男に頭が上がらない様子だった。


「これで、すべて終わりなんでしょうか?後藤さん」

 鳴門刑事は、どこか不満げである。それは後藤も同じだ。

「どうかな。ここを出てからが、俺たちの本当の仕事だ。真実なんてもんはどうでもいい。一番大事なのは……」

「この町に住む人の生命と財産の安全」

「そういうことだ。どうやら真壁は命を狙われたようだ。俺たちがけん制したから、たぶんこれ以上手出しはしないと思うが、それにしてもどうにも気に入らない」

「『違和感』ってやつですね。それは僕も感じてます。なんか、こう、もっと裏にどす黒いものが……」

「待たせたのう。じゃあ帰るとするかの」

 下駄の男が鳴門刑事の言葉をさえぎった。


「余計な詮索は無用じゃよ。ここまではワシの仕事じゃが、ここから先はお主らに働いてもらわにゃならん。ワシらを襲った連中に心当たりがある。まずは真壁の安全を確保するために、どうすればいいかのぉ」

「それなら、もう、問題はないかと思います。あのタイミングであれば、連絡が間に合わなかったで済むでしょうが、ここから先は、そうはいきません。それに……」

「うん、なんじゃい?」

「いえねぇ、拝み屋のオッサンには、取って置きの手立てがあるんじゃないかなと、そう思えましてね」

「フン!」


 下駄の男は面白くないという表情をしながら、歩き出した。後藤、鳴門刑事、真壁がそれに続く。真壁は所在なさげというよりは申し訳なさそうに3人の後を追った。

「傘を貰い受けるぞい。真壁、異存はないな」

「あ、あんなもの、もう、持って行ってください。でないと、ワタシは……」

「言っておくが、それで全て元通りにはならん。覆水は盆には返らん。しかし、そのことを嘆くよりも、次にこぼさない手立てを考えることじゃ」

「めずらしく、いいこと言うじゃないですか、拝み屋のオッサン」


 下駄の男が何かを思い出したように、立ち止まり振り返った。

「おい、後藤、ところでワシは、いつから拝み屋のオッサンになったんじゃ?拝み屋はいいが、オッサンはやめんかい、この罰当たりが」

 思わず後藤と鳴門刑事は顔を見合わせた。そして今日、久しぶりに笑った。それに釣られるように真壁も笑った。下駄の男がだけが、不機嫌そうに三人を睨んでいた。


「フン!まぁ、いいわい。ワシもいろんな通り名があって、面倒に思っていたところじゃ。若い子に拝み屋のおじちゃまと、言われるのも悪くないのぉ」

 下駄の男は、再び歩き出した。

「そうか、どうも、おかしいと思ったんだが、そういうことですか」

 今度は後藤が立ち止まった。

「いや、なんでこんな回りくどいことをするのかと思ってたんですがね……」

「な、なんですか、後藤さん」

「オッサン、あんた、本当に何者なんですか?笠井町の防犯カメラの位置を完全に把握してるわけですか」

「え?ただ人目を避けていたというわけじゃないんですか」


 下駄の男はすっかり機嫌を直していた。

「細かいことを気にしすぎじゃ、たとえそうだとしても、お主らになんらデメリットがあるわけじゃないだろう?むしろ感謝して欲しいものじゃ」

「それに、さっきから聞こうと思ってたんだが、あと一体の人形にどんな意味があるんです?」

「そうそう、それを僕も聞きたかったんです。あれはタイラントといって、ウルトラマンタロウに出てきた怪獣で――確か、怪獣の霊を集めて作ったとかいう設定じゃ……」

「おー、よく知ってるのぉ。その通りじゃ。まぁ、こいつはほれ、ワシの報告書みたいなもんじゃ」

「報告書?」

「そうじゃ、こいつをクライアントに治めて、それでワシの仕事は終わりじゃ」


 一瞬後藤の脳裏におぞましい光景が浮かんだ。ついさっき、真壁の部屋で見たあの化物が、もしかしたらあの炎の中から抽出され、あのソフビ人形に納められている。そしてそれを受け取る輩とは、きっとまともな人間じゃないと、そして、そのような人間が、この町にいないことを願うしかなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る