第16話 浄化
うつろな状態の真壁を公園まで連れていくのは、思った以上に手間のかかる作業だった。それは裏を返せば、それだけ真壁の状態が良くない――危ないということだろう。いろいろと聞きたいこともあったが後藤は黙って下駄の男についていくことにした。「真壁、大丈夫か、しっかりしろ」後藤の呼びかけに全く反応しないわけではないが、気力というもの目に見えて消失していた。憔悴しきるまで、さほど時間はかからないだろう。
「なーに、ここまでくれば心配はいらん。よい依代が手に入ったおかげで、スムーズに事が運んだ。お主の部下……鳴門刑事じゃったかのぉ。いい仕事をしてくれたわい」
「よりしろ……ですか?」
「そうじゃ依代、これはこれでな、なかなかに深いものがあるのじゃが、まぁ、いろんな呼び方もあるが、たとえばじゃ、ありがたい仏像にはありがたい仏の御心が宿るように、邪悪な像には邪心が宿る。奴らの魂はまぁ、具現化するとこんな醜い姿に似ているということじゃ」
だったら本当は専用の道具があるに違いない、と後藤は思ったが、この老人、下駄の男はそういった型にはまった事よりも、より実践的な方法を選ぶのだろうと、直感的に理解した。そして同時に、下駄の男なら『普通のやり方ではつまらない』というくらいの考えはあるのだろうと。
「しかも、今回はあの場所――真壁の部屋から追い出すだけでなく、払わないといかん。短期間にできる方法など、そうはない。これは自慢でもなんでもないぞ。わしレベルでなければできんことよ。最近の術者はどうも型にはまっていかん。世間もそうじゃが、こっちの世界でもマニュアル至上主義が浸透して来ておってのぉ……まぁ、なにも今に始まった事ではないのじゃが、なんというか、つまらんことよ」
後藤は思わず苦笑した。
「なんじゃい、そういうお主も、わしの見たところ、同じ穴の狢じゃよ」
再び後藤は苦笑した。
「しかし、拝み家のオッサンや俺みたいな者ばかりじゃまずいでしょう」
「おー、だから鳴門くんのような素直な若者が大事なんじゃ。王道行くべきものは王道を行けばよい。なにもわざわざ邪の道に誘い込むこともあるまい。その辺、お主はちゃんとわきまえておるか?わしゃ、心配でしかたがない」
先を急ぐ下駄の男は、一連の会話の中で始めて後藤の方を振り向いた。その顔はしわくちゃの満面の笑み、しかしその肌艶はどこか神々しく、もし仙人というものがこの世に存在するのなら、こういう人物なのだろうと思った自分を、後藤は笑うしかなかった。
「おー、おー、おるわい、おるわい、めんこいわっぱがたくさんおるわい。子供はいいのぉ。それに……」後藤は目の前に広がる光景に正直、悪寒が走った。どんなに恐ろしい目にあっても、例えそれがこの世のものとは思えないようなものでも、まだましに思えた。後藤は子供とその母親が大の苦手であった。
「やはり若い人妻はええのぉ、女性が美しく見えるのは、やはり母としての強さとやさしさを身につけてからじゃ。そして、その過程にある女子は可愛らしさも兼ね備えておる」この件に関しては、後藤は下駄の男に同調はできなかった。
「後藤君、君にはまだ、わからんかのぉ。ものの美しさと愛しいさは完成形にではなく変化の過程にあるんじゃよ。蛹から蝶々になる姿やガニからセミになる瞬間を見た事があるかね。あれは本当に美しいぞい」
後藤は頭の中で理解はした。しかし物事の道理と自分の生理的な感情は必ずしも一致する必要性も感じなかった。そこが自分の長所でもあり、また短所でもある。自分のような人間には、つまりはそういう役割があり、鳴門刑事のように道理と生理が一致している人間には、進むべき道がはっきりとしている。そしてできることであれば、多くの人間がそうあるべきで、『そうでない側の人間』が、他の誰かが王道に行こうとすることを妨げたり、違う道に誘い込むようなことはしてはならないし、後藤はそれを許してはいけないと思った。それはもしかしたら自分が今、刑事であることの理由のひとつかもしれなかった。
そういうことを考えたことはなかったが、下駄の男との出会いは、後藤に少なからず影響を与えているようだった。それを不愉快には思わなかったが、手放しで喜べる後藤ではなかった。
「拝み家のオッサンには、どうりでかなわないわけか。手出し無用、口出し無用を今は貫きますよ」
下駄の男はニコニコと笑いながら後藤の申し出を聞き入れ、鳴門刑事がこちらを見つけると手招きで呼びつけた。「ご苦労じゃのぉ、では、これからワシが言うことを、うまいこと伝えてくれんかのぉ」そう言うと下駄の男は後藤に目で合図をしてまわりに話が聞こえないような距離に呼び寄せ、これから何をするのかを簡単に説明を始めた。真壁は相変わらずうつろな目をして、回りの風景を眺めている。おそらくここがどこかもわからないような状態なのだろうが、心配しても始まらない。全てはこの男、拝み屋、下駄の男に任せるしかないのだから……。
それはいささか異様な光景であった。閑静な住宅街にある公園の砂遊び場に、4人の若い母親の姿と、6人の子供(後藤にははっきりと男女の区別がつかなかった)、そこにスーツ姿の男が3人と、作務衣を着た老人と思しき男がひとり。真壁は砂場の近くになるベンチに後藤と一緒に座り、鳴門刑事が母親と会話ができる位置に立ち、下駄を履いた老人と思しき人物が近所の量販店のレジ袋を腕に下げ、子供たちと砂場で遊んでいる。
最初、後藤は下駄の男のことを子供たちが怖がってしまうのではないかと思ってみていたが、ものの数分ですっかり打ち解けている。後藤にはとてもマネはできない。
「坊主、これ知っているか?ほら、怪獣の人形だ。なんだかわかるかな?」
「あー、僕知ってるよ、それベムスターって言うんでしょ」
「おー、おー、よく知ってるのぉ、坊主」
「うん、だってパパがDVD持ってるもん」
小学校1年か2年くらいだろうか。どうやらここにいる子供の中で最年長のようだ。その子の横で黙々と砂の山を作っているのが妹のようである。
「コウキ君のパパってウルトラマンとか大好きなの?」
「そうなのよ。もう、子供が喜ぶとか何とか言って、結局自分が見たいだけなのよ」
「男の人って、そういうの好きよね。うちのダンナも、なんていうのガンプラ?あんなの掃除の邪魔になるだけよ」
どういう人間関係なのだろうか。後藤の興味は一瞬そちらのほうに傾いた。どの子とどの母親が家族で、母親同士の中でリーダー的存在は誰で、旦那はどんな職業なのか……という思考を瞬時に行ったもののすぐに後藤はそれを吐き捨てた。今やるべきことはそれじゃない。
鳴門刑事が後藤のところに歩み寄る。「後藤さん、ボクが買ってきた人形、なんか感じが違うというか、妙に迫力が増したというか、なんか別物みたいな気がするんですけど」
後藤は一瞬正直に答えそうになってそれをやめた。
「そうか、俺には全然わからんがな」
鳴門刑事はいぶかしげに後藤の顔を覗き込む。
「いいかい、坊主、このベムスターを倒したのはどのウルトラマンか知っとるか?」
「えーとね、えーとね、こっちかなぁ」
コウキ君はウルトラマンとウルトラマンジャックとで悩んでいた。後藤にはよくわからなかった。
「ミィ知ってる。こっちだよ」
それまで砂の山を作るのに夢中になっていたコウキ君の妹がジャックを指差した。
「でも、この怪獣強いから、ウルトラマンやられちゃったんだよ」
「おー、おー、よく知っておるのぉ、そのとおりじゃ」
「よし、じゃぁ、おじちゃんが怪獣をやるから、坊主がウルトラマンジャック、お嬢ちゃんがセブンをやってくれるかのぉ」
「うん、いいよ、わかった」
「そこの2人もほれ、こっちに来んか、そっちのわっぱもほれ」
下駄の男に促されて、後藤と真壁、それに他の子供たちもユウキ君とミィちゃんを囲んで輪になった。「これから怪獣ショーの始まりじゃ」
下駄の男はベムスターのソフビ人形にふっと息を吹きかけ、なにやら口元で呟いている。すると怪獣の人形はいっそうリアリさを増し、子供のオモチャとは思えないような迫力を放ち始めた。
「怖い」集まってきた子供のうち、一人の女の子が砂だらけの手で顔を覆う。子供が怖がるほど、この人形には異様な雰囲気、まるで獣のような獰猛さで子供たちを睨んでいる。その目はまさに猛禽類―-鷹や鷲のような機械的で無慈悲な狩人の目である。
「ウルトラマンジャック!子供たちを守るのじゃ!」
ユウキ君がウルトラマンジャックのソフビ人形を右手に掴みベムスターに体当たりする。
「あ!」何か特別な力ではじかれてしまったかのように、ジャックの人形は子供の右手を離れて砂場に倒れてしまう。
「それ、セブン、ジャックを助けるんじゃ!」
ミイちゃんが倒れたジャックのそばにいってセブンとジャックを摺り寄せる。
「大丈夫?ウルトラマンジャック?」
「それじゃ、セブンはジャックにこのブレスレットを渡すんじゃ」
そういうと、下駄の男はオモチャの指輪のようなものを、ミイちゃんに手渡した。
「ウルトラマン、このブレスレットを使って、あの怪獣を倒すのよ」
「よーし、今度は負けないぞー」
再びユウキ君がウルトラマンジャックでベムスターにアタックする。今度はベムスターが一瞬怯んだように見えた。
「今じゃ!ウルトラブレスレットを使うんじゃ!」
「いけー、ウルトラブレスレット!」
次の瞬間、ベムスターのソフビ人形の接合部分、両手と首がまるで何かに切断されたかのようにボットっと取れた。
「うわー、すごい!すごい!」
子供たちから歓声が上がる。「消えた……あの男が消えた」真壁がボソリと呟く。「い、今のは、後藤さん、手品かなんかですか?」鳴門刑事が後藤と下駄の男を交互に見つめる。「俺にわかるか」後藤が吐き捨てる。「今、確かに光が……あっ、何か、さっきまでの凶悪な雰囲気がなくなって、ボクが買ってきたときの雰囲気に戻りましたよ。これって……」鳴門刑事は、後藤の耳元でささやく「何かの呪いとかそういうことですか?」
「よくやったぞ、坊主、次はこいつじゃ、エレキングの登場じゃ!」
「うわー、なんか今にも動きそう」
「今度は、ぼくにやらせて」
「この怪獣なんていうの」
子供たちは砂遊びを中断して一つの輪を作っていた。それはまるで昭和の風景のようだった。紙芝居を囲み、砂や泥で汚れた手をズボンにこすりながら駄菓子を食べていた幼い頃の思い出を重ね合わせるには、後藤も鳴門刑事も若かったが、下駄の男にはその姿がはっきりと見えていた。
「セブンはわたしがやるのぉ」
ひときわ大きな声でミイちゃんが叫んだ。さっきウルトラマンジャックにウルトラリングを渡したのはミイちゃんだった。よっぽどセブンが好きらしい。
「よし、セブンはお譲ちゃん、エレキングは宇宙怪獣じゃ。ピット星人の言うことを何でも聞く、わしがピット星人になって指示をだすから、誰にエレキングをやってもらおうかなぁ?」
「はい、はい、はい、ボクやる、ボクやる」
「じゃぁタクマくんやって」
目のくりくりした少年タクマくんは、おそらくミィちゃんと同じ幼稚園のようだ。
「タクマくん、ちゃんとやらないと、ダメなんだからね」
ミィちゃんとの上下関係は明白だ。後藤は思わず苦笑した。
「エレキングは電気攻撃が得意なんだ。弱点は角、あれを折られるとピット星人からの命令が届かなくなるんだ」不意に真壁が呟いた。後藤はそれを聞いてはっとした。内容にではない。真壁の意識がはっきりしてきている。目はうつろだが、目の前の光景が理解できている様子だ。
「効果が、現れているのか……」
「さぁ、ウルトラセブン対宇宙怪獣エレキングじゃ。エレキング、セブンに尻尾攻撃じゃ」
タクマ君は下駄の男の指示に従って、エレキングの尻尾をセブンに当てた。
「きゃぁ」
ミィちゃんが思わず手を放す。セブンが前のめりに倒れる。
「後藤さん、今の見ました、今一瞬、スパークしたような……どんな細工がしてあるんです、あのエレキングには?」
「さぁて、首やら尻尾やらはずして、なんかやってたからな、あのペテン師は」
「角だよ、エメリウム光線で角を狙うんだ」真壁が呟く。
「よーし、えめりむこーせん!」
ミィちゃんには、エメリム光線と聞こえたのか、あるいはエメリウム光線と言おうとして、いえなかったのか……真壁に促されて、ミィちゃんはセブンを起き上がらせてエレキングと対峙する。一瞬セブンの額が光ったように見えた。次の瞬間、エレキングの角が折れる。
「うわぁ」タクマ君が思わず怯んだ。「いまだ、アイスラッガーで止めだよ」真壁の声は少し興奮しているようだった。
「アイスラッガー!」ミィちゃんはセブンの足を砂に埋め込んで立たせると、自分の頭の上に両腕を構えて、アイスラッガーを投げるマネをする。するとまた、セブンの頭がスパークする。「ふーっ」下駄の男がエレキングに向かって息を吹きかける。
「あーっ!」またしてもタクマくんの悲鳴。エレキングの首と尻尾が胴体から外れ、砂場に横たわる。「すごーい、すごーい」まわりの子供たちは手を叩いて大喜びする。真壁の目から涙がこぼれる。
「消えた、消えていった。あの男も、消えていった……」
下駄の男は、すかさずバラバラになったエレキングをレジ袋にしまう。
「お譲ちゃん、よくできたねぇ。ご褒美にこれを上げよう」
「ありがとう。おじちゃん」
ミィちゃんはウルトラセブンのソフビ人形を大事そうに抱えて、お母さんの下に報告に行く。「いーなぁー」他の子供たちが羨ましそうに見ている。
「御兄ちゃんと仲良く遊ぶんじゃぞ」下駄の男は、満面の笑みでユウキ君の頭を撫でる。「妹と仲良くするんじゃぞ」そういって、ユウキ君にはウルトラマンジャックを渡した。
「さて、最後はこいつじゃ!古代怪獣ゴモラじゃ」
下駄の男がレジ袋から取りだしたゴモラを見て、それまでキャッキャ騒いでいた子供たちの表情が一変した。「怖い……」「なんか、こっちを睨んでる」
「後藤さん、あれは僕が買ってきたものとは全然違いますよ。なんですか、ベムスターといい、エレキングといい、いったいどんな魔法をかけたんです?」
「ふんっ!魔法?とんでもない。呪術だよ。それもとびきりの!」
後藤の吐き捨てた言葉に、鳴門刑事は思わず何かを反論しようと思ったのだが、すぐに諦めた。今ここで起きていることは尋常じゃない。
「真壁、少しずつですが、精神も身体も回復しているような……これっていったい、何なんです、後藤さん!」
「なんでも俺に聞くなて言ってるだろう。俺にもわからんことはわからんし、知らんことは知らん。そしてわかる必要も知る必要もないことが、世の中にはあるんだということだ……今俺がお前に教えられることは、それだけだ」
「そんな!」
鳴門刑事は珍しく向きになって後藤に食って掛かろうとした。が、後藤が厳しい顔で鳴門刑事を制した。
「いや、すまん。訂正する。『教え』ではなく、これは『忠告』だ、鳴門!」
納得はできない。そう思いながらも、鳴門刑事は後藤の言いたい事もわかるような気がした。思えばこの事件そのものが、そもそも関わるべきことではないし、『関わるな』と上層部からも後藤からも忠告を受けていたことだと、今更ながらに思い知らされた。が、しかし、そう思えば思うほど、鳴門刑事の胸には黒い、わだかまりのようなものが、どうしようもなくざわめくのであった。
「よし、今度は坊主がやってみるか?」下駄の男は、ゴモラに続いてウルトラマンをレジ袋から出してタクマくんに話しかけた。
「おや?」後藤はレジ袋の中にまだ、何か入っていることに気がついた。
「どうしました?」
「いや、あの中には、もう一体いるみたいだが」
「あー、怪獣は全部で4体買いました」
「予備……というわけか?」
「さぁ、タイラントという怪獣です。タイラントというのは……」
「その話は後だ。始まるぞ」
タクマ君は恐る恐るウルトラマンを受け取ると、ゴモラと対峙した。見た目に怖がっているのがわかる。ゴモラは下駄の男が操る。エレキングと同じでゴモラの武器は強烈な尻尾による攻撃である。エレキングは電撃と締め付けの攻撃であるのに対し、ゴモラの尻尾攻撃は、強烈な打撃技である。ゴモラの尻尾攻撃にタクマ君のウルトラマンは跳ね飛ばされる。
「尻尾だ。尻尾だよ」真壁が呟くが、タクマ君にはどうしていいかわからない。そのとき、下駄の男が気のこもった言葉で真壁を叱咤した。
「真壁よ。己の力で、ゴモラに立ち向かってみせい!」
一瞬真壁は気迫に押されて怯んだが、それでも体勢を立て直してゴモラに対峙した。
「これでも食らえ!スパイダーショットを御見舞いするぜ!」
それはまるで少年の日の真壁を見るような錯覚。真壁は右手を胸元に、左手を少し前を出し、握りこぶしを二つ作る。それは科学特捜隊の光線銃、スパイダーショットを持つ構えだった。
下駄の男が再び息を、ふっとソフビ人形に吹きかける。ゴモラの太い尻尾がもぎれて砂の上をのた打ち回るかのように転がった。
「うわー、すごいやー」子供たちから歓声が上がる。
「これはいかん」
下駄の男はゴモラを砂の中に埋め込んだ。ゴモラは逃げた。
「さぁー、いよいよ仕上げじゃぞい!」
下駄の男は砂の上に転がった尻尾をレジ袋にしまい、倒れたウルトラマンの人形をタクマ君に渡した。
「ゴモラが現れたら。止めを刺すんじゃ。スペシウム光線、どうやるかわかるか?」
そういいながら、下駄の男は右手と左手を体の前で交差させ十字を作った。
「この構えじゃ。いいか、今度は子供たちみんなでゴモラをやっつけるぞ」
さっきまで怖がっていた子供たちはすっかり気を取り直していた。その瞳はまさにヒーローの強く輝く瞳、そのものであった。
果たしてこれで、本当に終わるのかという疑問を抱きながらも、後藤は下駄の男のやることを見守るしかなかった。鳴門刑事はどう考えているだろうか。やはり、少しは説明をしたほうがいいのか。後藤は自問自答を繰り返していたが、真壁の様子が刻々と回復に向かっているようだし――まずはこの茶番ともいえる儀式を最後まで見届けるしかないか――と、そう腹をくくった。
「いいか、坊主、次にゴモラが現れたら、ゴモラの角めがけてチョップじゃ」
下駄の男の言葉に促されて、タクマ君はソフビのウルトラマン人形の腕を前に上げ、ゴモラの出現に備える。真壁も子供たちと同じように身構えている。下駄の男は砂の中に手を突っ込み、ゴモラが砂の中から頭を出す。
「グガァァァウオォォ!」
ゴモラが雄たけびを上げて砂の中から這い出てくる。下駄の男が操り、声を出しているとわかっていても、本物の怪獣が凶悪な牙をむき出しにして暴れだしているような錯覚に陥る。いや、錯覚ではないのかもしれない。この男ならそんなこともやってのける。後藤にはそう思えて仕方がなかった。
「ウルトラチョップじゃ!」
下駄の男の声に、タクマ君は我を取り戻す。ゴモラのあまりの迫力に目を奪われていたようだ。「エイ!ウルトラチョップ!」タクマ君の操るウルトラマンの右腕がゴモラの頭に数回当たる。ゴモラは苦しそうな様子で怯むとゴモラの鼻先の角と左の角がちぎれ落ちた。
「やったー!」子供たちの歓声が上がる。
「よし、止めじゃ。みんなでスペシウム光線じゃ!」下駄の男が叫ぶ。
「スペシウム光線!」タクマ君、ユウキ君、ミィちゃんそしてほかの子供たちが右の胸の前で十字を構えてゴモラめがけて叫んだ。
「パパッ!」閃光が走る。
「ひぁあぁ」少しはなれたところから様子を伺っていた母親の何人かも反応する。確かに何か光った。ゴモラはすっかり精気……いや、邪気を失い、右側に崩れるように横たわる。
「やったー、ゴモラを倒したぞー!」タクマ君が歓喜の勝どきを上げる。
「パチパチパチ」子供たちの拍手。
「坊主よくやったな」
ゴモラの屍骸――角と尻尾の取れたソフビ人形をレジ袋に入れると下駄の男は優しく、そして力強く子供たちの頭を撫でて回った。ふと、その不自然さに後藤が気付く。単に頭を撫でるというよりは、どうやら一人一人になにやら呪いをかけているような様子に見えた。
「消えた……やつら……みんな、どこかに行っちまいやがった」
「真壁……」後藤は確信した。世の中にはこういうものもあるのかもしれない。いや、あったほうが、良いのかもしれない。
「ご、後藤さん、これっていったい、何なんでしょうね。真壁は回復したみたいですし、あの怪獣のソフビもウルトラ兄弟にやられる前と後じゃ、なんだか全然違う感じがするし、僕等の目の前で、いったい何が起きたんでしょうか……」
「何も起きちゃいないさ!報告書に書けるようなことはな」
後藤は鳴門刑事の肩をぽんと叩くと真壁に歩み寄った。
「真壁、よかったら話してくれるか?お前さんが見たもの、お前さんが感じたものを、そして――」
「ワタシがやりました。全部ワタシのせいなんです。でも、ワタシはただ、雨の日に傘を持って出かけただけなんです。ただ、それだけなんです」
「さてと、ここに長居は無用じゃ。これから笠井稲荷にいくぞい。話は道々すればよいじゃろう」
下駄の男は懐から何かを取り出し、砂場にまいた。白い粉……塩のようだ。
「わっぱどもの遊び場所に変なものがつかんようにしておかんとな。さてまいるぞい!」
鳴門刑事が母親に挨拶をし終わると、後藤、鳴門刑事、真壁、そして尾上弥太郎と名乗る自称拝み屋――下駄の男の4人は西港公園を後にし、そこから2キロほど北にある笠井稲荷神社に向かった。陽はすっかり傾き、街は赤く染まっていた。
「おい、大丈夫か?」
「あー、畜生、まだビリビリした感じがするぜ。なんなんだよ、あのジジィ」
そこは笠井町の中心地から車で15分ほど行ったところで、大きな工場や倉庫が並ぶ工業地域。誰も使っていないような空き倉庫や廃工場が少なからずある。そういう場所は都会の死角であり、闇に生きる者が暗躍する場所でもある。
「どうします?このままじゃ俺たち、ヤバイくありません?」
「知るかよ。大体話が全然違うじゃねぇーか。本来なら、畳み掛けるところなのに、一旦待機しろだなんて、上のほうでなんか手違いがあったんじゃねぇか?」
「まさか、そんで俺たちを口封じするためにここに呼んだとかないッスよねぇ」
「おいおい、そんなのテレビドラマの見すぎだ。アメリカとか中国とかならまだしも、ここは日本だぜ。そんなことできっこねぇって」
2台のバイクのうち1台はあちこち傷だらけになっている。真壁と下駄の男を襲った際に失敗し、転倒したのである。『40代くらいのサラリーマンとそれに付きまとう老人、これを襲撃し、引ったくり強盗を装って、場合によっては死亡事故になっても構わない』というのが指示内容であり、見返りとしての金銭の授受はその事が確認され次第と言うことだった。どうということはない。いつもの仕事である。
「あれー、おかしいですね。携帯、つながらないっすね」
「ジジィにスタンガンかまされたからな。携帯、いかれちまってんだろう」
リーダー格の男が自分の携帯を確認する。
「あれ、さっきまで繋がってなのになぁ、ここって電波悪いのか……」
「橘さん、マジ、これってヤバくないっすか?」
「ふん、ビビッてんじゃぁねぇよ。携帯がつながらんぇくらいで!」
嘘であった、明らかに虚勢であり、大丈夫だという態度をとりながらも、橘という男は、いざとなれば、どんくさい相棒を置き去りにして、その場を逃げるつもりでいた。
「一応、エンジンは入れて置けよ」
そう言って橘はエンジンをかけた。
「ブルルルン」
しかし、エンジン音は一つしか鳴り響かない。おかしいと思い、橘は声をかけた。
「おい、マツダ、エンジンかけておけって、おい、きいてんのか!」
マツダと呼ばれた大男は、微動だにしない。いや、できないのであった。
「あ、あああ!」
もし、橘がエンジンをかけるのがもう少し遅かったら、マツダの最後の声を聞けたかもしれない。橘がエンジンをかけた瞬間を見計らうようなタイミングで、一発の銃弾がマツダの分厚い胸を貫いていたのである。マツダは、「ヤベーじゃん、これ、マジかよ」と胸元の急激な熱さと痛みに溺れながら口を動かした。が、その言葉はマツダが思ったようには口からは出なかったのである。
「パスーン、パスーン」
マツダの額と喉元に弾丸が滑り込み、マツダの巨体は地面に崩れ落ちた。
「畜生ー!」
橘は、思い切りアクセルを吹かし、バイクを走らせた。が、走ったのはバイクだけだった。橘の肩口に弾丸が当たり、ハンドルから手が離れ、橘の身体は地面に引き倒された。
「いっ、痛てー、痛てーよー」
地面でのたうち回る橘。ほんの数メートルのところで橘のバイクが横転する。橘はなんとかバイクに乗ろうと、もがきながらバイクのところまで駆け寄ろうとする。
「俺の単車が、俺の単車が……」
橘にとって、バイクは唯一信頼できるものだったと、橘をよく知る人物は口をそろえてそう語る。だが、橘の身元を後藤が調べ、そのことを耳にするのは、随分、後のことである。
誰もいない工場跡に主をなくしたバイクのエンジン音が、むなしく響いていた。
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