2 拝み屋

第15話 不純な魂たち

 真壁の部屋は閑静な住宅街に建てられたマンションの3階の角部屋。真壁は右のズボンのポケットからカギを取り出した。一瞬の躊躇が見て取れる。後藤はそれを見逃さなかったし、鳴門刑事は後藤が何かに気付いたのを感じた。意外なほどに重苦しく扉が開く。それほど古いマンションでもないだろうに、扉の隙間から瘴気が漂う。


「こりゃまた、すごいことに……」

 下駄の男は、そうであろうと予測していたことに対して、予想を上回っていたことに反応しただけで、驚いたというよりかはあきれたという表情だった。後藤と鳴門刑事に緊張が走る。この感覚は『何かあるとき』のイヤな感覚。現場で遺体を発見するときのような、嫌な感覚が二人を襲った。思わず胸元のホルダーに手をかけたくなる。


「なんだ……いったい何がある?」

 部屋の中は当たり前に薄暗い。日は落ちきっていないが、この部屋はカーテンを閉め切っており、外から光が入らない。真壁はゆっくりと部屋の中に靴を脱いで上がる。壁の電気のスイッチを入れると、部屋の中に明かりが灯る、が、灯りは弱く照明をつけたのにも関わらず霧がかかったような薄暗さの中で、キッチンの冷蔵庫が唸りをあげる。


「真壁、何かいるのか?」

 後藤はどうしても聞かずにいられなかった。下駄の男にではなく、真壁に直接聞いたのは、意識的にである。どうせ下駄の男は、後藤や鳴門刑事がすぐに理解できる言葉で説明するような気はないとわかっていた。


「何も、居たりしませんよ。ただちょっと、鬱陶しいだけです」

「鬱陶しい?鬱陶しいだと?」

 後藤は声を押し殺しながら、しかたなしに下駄の男を見た。結局この男に説明を聞かざるを得ないようだ。真壁は壊れかけている。

「まぁ、お主らしい言い草じゃな。存在は認めない。しかし、何か居るという感覚にはうそはつけない。もし、それを否定したら、自分の感覚を疑うことになる。そういうことじゃな」


 下駄の男は下駄を脱いで部屋に上がりこみ、ずかずかと奥の部屋へと入って行く。

「おい、何を!」

 後藤はどういうわけか体が動かなかった。明らかにこの空間は異常だ。刑事としての感と言うよりは、人間として、生物としての感性が、ここは危険だと叫んでいる。

 およそ寝室であろうという奥の部屋の扉を下駄の男が開くと、瘴気はさらにその禍々しさを増した。異界の扉とは、きっとこういうものに違いない。

「気分が優れんようなら、この部屋には近づかんほうがいいぞ。命をとられることはないだろうが、流石にこれは身体にダメージが残るわい」


 後藤はそれでもその部屋を覗かないわけには行かなかった。同時に鳴門刑事に命じる。「俺が行く、お前は真壁を見ていてくれ。様子がおかしい」鳴門刑事は一瞬不満そうな顔をしたが、従わざるを得なかった。それに、正直あの部屋を覗くのは怖かった。鳴門刑事は真壁の右腕を掴み、後藤に言った。「無茶しないでくださいよ。何か様子が変です……普通じゃないですよ」


 後藤は鳴門刑事と真壁を玄関のところまで下げさせた。ふと、白いもやのようなものが視界に入る。後藤の吐く息が白く濁っている。「おい、おい、こりゃぁ、えらいことになってるなぁ」鳴門刑事はまだそのことに気付いていないようだ。「まぁ、いい、こんな経験はこれっきりだからな」


 奥の部屋――後藤は部屋の入り口に佇む下駄の男のすぐそばに立った。立って部屋の中を覗いた。何か居る。何かはわからないが、何かがゆらゆらとゆれている。人の気配、気配だけはわかる。殺気はない。それどころかこちらに気付いていないようだ。お互いにお互いが見えていない状態。


「ほー、さすが長いこと修羅場をくぐって来ただけのことはあるようじゃな。気配だけはわかるか?」後藤は苦虫を噛んだような表情で部屋の中を見つめていた。「ワシには、この部屋がどんな風に見えてるか教えようか?」下駄の男は、何か意地悪なことを思いついた少年のような表情で後藤を見上げる。


「あまり、楽しそうな話じゃなさそうですが、聞かせてもらいましょうか?ありゃぁ、いったい何です?あそこには何があるんです?」


「死霊、幽霊、自縛零、怨霊……まぁ、俗に言うところは、そんな言葉じゃがな。みなグシャグシャじゃ」

「グシャグシャ……ですか?」

「そうとも、死んだときの姿のままよ。車にはねられたときの姿かたちそのままじゃ。つまり真壁に関わった三人。加藤、三河、山本じゃよ」



「加藤、三河に山本って、そんな馬鹿なことが……あぁっ!」 

 後藤は下駄の男が言った事を信じられなかった――が、すぐに理解した。なぜなら下駄の男が三人の名前を言った瞬間、3体の気配から、こちらへの意識の集中……視線を感じたからである。結果、後藤は言葉を詰まらせた。それはなんとも不愉快な感覚、鳥肌が立ち、背筋からゾワゾワと沸いてくる、いや這い上がってくるような感覚、後藤ほどの男でも思わず身震いをしてしまうよな悪寒。


 緊迫する中にも、下駄の男は後藤に対して感心せざるを得なかった。「ほぉぉ、お主にもわかるか。『殺気を感じ取る』というやつか。どれだけの修羅場を潜り抜けてきたのか、物騒な世の中じゃのぉ……まぁ、これだけはっきりした形で現れることは、そうめったにあることではないがのぉ」


 後藤は頭に来ていた。わかったからといって何ができるわけではなし、それは見えようが聞こえようが同じことである。「こいつは全くもって、こっちの領分じゃないな。畜生、吐き気がする」後藤が刑事になってから、人間の魂の失われた姿――遺体――を普通の人間より、数多く見てきた。どんな酷い状態でも気持ちが悪くなったことはないが、怨恨がらみの被害者の遺体は、流石に気分が悪い。そういう場合、加害者の攻撃は相手の顔面に集中する。遺体の状態の悪さではなく、そういった人の負のエネルギーのようなものを感じて気分が悪くなることがある、これはまさにそれに似た感覚だった。


「一つ忠告しておく『これはいったいなんだ』とか、『いったい何が起きているンア』そういう無粋なことを聞くのはなしじゃ。お主には『何かいる』と感じられるかもしれんが、わからん奴にはわからんし、見えない奴にはみえない。つまり説明したところでそれが『こういうものだ』とか『どういうことだ』とか、誰にでもわかるように説明できるようなものじゃないということじゃ」

「そりゃぁ、まぁ、わかりますが、で、どうするんです?このまま放置しておいていいものではないのでしょう?なにか退治するような方法があったりするんですか?」

 後藤は少しだけ意地悪な言い方をした。そういうふうに少しでも体の中に湧き上がる毒を出しておかないと、腹の中に何かモヤモヤしたものがたまっていくような不快感を感じ、それは後藤が自然にとった行動であったが、下駄の男にはそれこそ感心せざるを得なかった。


「すまんがのぉ、少し手伝ってもらえんかのぉ。なぁに簡単なことじゃ、今から言うものを買ってきてくれんかのぉ。ジャストに行けば全部そろうと思うんじゃろう」そういって下駄の男は手帳に何かを書くしぐさをした。「ジャストってあの大型量販店の……ですか?」後藤はそう言いながら、すぐに胸のポケットから手帳を出し、一枚ちぎってボールペンと一緒に下駄の男に渡した。


 下駄の男は紙とボールペンをドアに当てて何かを書き出した。時々遠くを見るようなしぐさをしながら何かを思い出したように書き始める。「よし、たしか、これでよかったはずじゃ」そういうと得意げな顔で後藤にメモを渡す。


「な、なんですか?これは?」

「除霊の道具じゃよ」

「こ、これが……ですか?」

「そうじゃ。急がないと日が暮れてしまう。夜になる前に済ませないとまずいことになるやもしれん」

「は、はぁ、しかしこれは……私はどうも……あー、鳴門、ちょっといいか」


 鳴門刑事は、真壁に注意を傾けながら、腕を伸ばして後藤からメモを受け取った。

「どうだ?わかるか?」

「えー、わかるには、わかりますけど……なんですかこれ?こんなときに必要なものなんですか?」

「詳しいことは俺にもわからん。だが、暗くなるまでにそろえたいそうだ。すぐに行ってくれるか?真壁のほうは俺が面倒を見る」

「えー、大丈夫です。僕、こういうの好きなんですよ。子供の頃から好きですし、甥っ子の誕生プレゼントに買ってあげたこともありますから」

「そうか、俺はどうもこういうのはよくわからなくてなぁ」

「じゃぁ、すぐに買って戻ってきます」

「あー、頼んだぞ」

 そう言うと鳴門刑事は急いで玄関を出て行った。


「まったく……俺の領分じゃないことばっかりだな」

 後藤はぼそりと呟きながら、タバコに火をつけようとした。

「ここでタバコはやめてもらいますか?刑事さん」

「あー、すまない」そういうと後藤はライターをポケットにしまいこみ、火の付いていないタバコをくわえて、苦々しく玄関あたりから部屋の奥を眺めた。後藤の長い一日はまだ終わりそうになかった。




 鳴門刑事が下駄の男の使いに行っている間、真壁の面倒を見ることになったことを、後藤は少しだけ鬱陶しく感じていた。どうにも真壁は後藤の肌に合わない。直感的に後藤はそう思った。


「えーっと、拝み屋のおっさん、少々詳しく話を聞きたいんだが……真壁と、あんたに」

 後藤は下駄の男をどう呼んでいいのかをずっと考えていたが、結局『拝み屋のおっさん』ということにした。真壁はどこか表情がうつろでまともに会話ができる感じではなかった。下駄の男は真壁に近づき、顔を覗き込んだ。そして険しい表情をした。

「そんなに酷いのか?」


「いや、大丈夫じゃよ。ワシらがついていればどうということはないだろう」

「命に関わるとか言っていたのはアレの影響か?部屋の奥の――」

 後藤にはその後の言葉が思い当たらなかった。幽霊とか、魂とか、呪とか、そんなことだろうとは思ったが、何が適切なのか、後藤にはさっぱりわからなかった。


「アレはな、俗に言う幽霊とか悪霊とか、そういうものだと言ってしまえば簡単じゃが、それほど単純なものではないんじゃよ。言うなればこの男、真壁直行の『拘りと懺悔の念』のようなものが具現化した――影のようなものじゃよ」

「影……ですか?確かに影といわれれば、影のようですが」

「もちろん『影』というのにはいろんな側面がある。真壁という『ペルソナ』が強ければ強いほど、影すなわち『シャドウ』もまたより実体化しやすくなる」

「なんですか、その『ペルソナ』……とか『シャドウ』……とか」


「ふーむ、19世紀末から20世紀にかけて精神医学が急激に発達したんじゃが、『夢判断』とか聞いた事があるかのぉ?」

「えーと、確かフロイト……でしたっけ?」

「そうじゃ。その弟子というか、まぁ、途中でフロイトとは決別したんじゃが、ユングという学者がおってのぉ、そのユングの言うところの『ペルソナ』、つまり『人格の仮面』じゃ。表向きのな」

「人格の……仮面?」

「二重人格とか多重人格とか聞いたことあるじゃろう?犯罪の世界でもよく出てくる話だと思うがの?」


「あー、多重人格者、確かビリー・ミリガンとか」

「そうじゃ。その一つの人格をペルソナと考えて、まぁ遠くないのぉ。社会との摩擦に自分の内側の心を守るための仮面、それがペルソナじゃ。そして仮面の裏側を影=シャドウというんじゃが、まぁ、強烈なストレスの中で、その影が暴れだして社会的、道徳的規範を超えて行動する――つまり犯罪を犯すというのは良くあることじゃな。しかし、もちろんこれは、たとえ話じゃ。本来それで言えば真壁自身の内側の話。それがこうして外側で、お主にも感じられるほどのものになっているというのは、まぁ異常なケースということになる。そして、そのきっかけを与えたのは、このワシなんじゃよ」


「なんですか、その『きっかけ』ってヤツは?」

「ふーむ、それは……」

 下駄の男は真壁の部屋の周りを見渡し、玄関においてある、一本の傘に目が留まった。

「これじゃよ、この傘じゃ」

 下駄の男は玄関から一本の黒い傘、それはどこにでも売ってそうな、1000円から2000円くらいの傘である。後藤は本屋の防犯カメラに移っていた映像を思い出していた。


 傘……そうだ、傘だ。


 後藤は下駄の男を見つめた。下駄の男は後藤を無視するかのように傘を見つめ、そして語り始めた。下駄の男が始めて真壁直行に出会った日の事を。


「あれは5月、午後から急に雨が降り出してのぉ、ゲリラ豪雨というやつじゃな。天気予報をみてなければ雨が降るなどとは思えないような、そんな天気じゃった……。その夜は、いろいろと用事があってのぉ。そこに行く前についでに借りたDVDを返そうと雨の中、駆け足で北口にあるレンタルビデオ店に行ったんじゃがな。こともあろうにワシの傘をくすねた奴がおったんじゃ」

「突然の雨、傘の盗難、まぁどこにでもある話です。運がいいか悪いかみたいな……」

「ふん! そんなことじゃからお主等の仕事は減らんのじゃよ! たかが傘一本、しかしなぁ、盗んだ側の罪の意識よりも、盗まれた側の恨みの意識が強いから犯罪がなくならないと知るんじゃな!」


 下駄の男は珍しく語気を荒げて後藤を睨みつけた。後藤はそれを真正面から受け止める覚悟を見せた。


「まぁ、それは今話すことじゃないじゃろうが、結局のところすべては原因はそこにあるんじゃよ」

「そべての原因?なんですか、どういう……」

「つまり罪に見合った罰などというものは、人間が秩序ある社会を維持する為に作った方便であって、傘を盗んだことが死刑に値するという『人の思い』が世の中にあるということを無視するからそういう思いがどんどん淀み溜まっていくんじゃ。そしてそうした淀んだ思念が固まりになって、大きな事件を引き起こすと言っておるんじゃよ」


 後藤は火のついていないタバコをくわえたまま力なく首を横に振った。


「それは、確かに……確かに、そうかもしれませんね。最近の事件は、短絡的というか、唐突というか、『すぐに切れる』というか、こちらでも理解できないような動機で傷害事件がおきています。このごろじゃぁ、すっかり慣れてきましたが……でも、それじゃぁ、その傘を盗んだやつを拝み屋のおっさんはどうしたんです?まさか、それって今回の?」


 後藤はくわえていたタバコを右手の親指と人差し指でつまみ、前のめりになって下駄の男を見つめた。


「その傘にはのぉ、ちょっとした仕掛けがしてあってな。まぁ、置き忘れたりしないようにするまじないみたいなもので、場合によってはそれを持ち去ろうとする不貞な輩に罰が当たるような効果もあるんじゃがな」


 下駄の男はまるで嘘をついて悪戯を企んでいる子供のような目で後藤を見上げた。どことなくうれしそうにも見えた。


「で、じゃあ、たまたま、偶然、呪いの仕掛けたワシの傘が、不貞な輩に、盗まれるところを見てしまったのが、この真壁直行で、ワシの盗まれた傘を捜すのに協力してもらったんじゃよ」

「協力?」

「なに、たいしたことじゃないわ。真壁はワシが特殊な能力で傘がどこに持ち去られてかを知ることができたと思い込んでいるかもしれんがのぉ。真壁が傘を盗んだヤツがどの方向に逃げていったのか、直接きかなんでも、真壁の挙動をよく観察すればすぐにわかることじゃ。ワシの能力はそんなに便利なものじゃないし、ワシはエスパーでも仙人でもないからのぉ。まぁなってはみたいと思うがのぉ」


 下駄の男は両腕を組み、片目をつぶって見せた。

「なるほど『果たして本当のところはわからないのだ』ということですか?」

 後藤は少しだけわかった気がした。原因の予測としては当たらずも遠からず、だが、真実というのはそう簡単にはたどり着けるものではない。今は、事実から推測される『およその見当』だけで、十分だ。どうせ聞いてもわからない真実など、今解決しなければならない問題に影響がないのなら、知らなくても差し支えはない――今はまだ。


「まぁ、結局、店からさほど離れていない場所で、車に当て逃げされた男を捕まえて傘を取り戻すことができたわけじゃが、そのお礼に真壁の傘にも同じ種類のまじないをかけてやったんじゃよ。まったく、年寄りの戯れじゃ。反省はしとるがしかし、後悔はしとらんがのぉ」


 後藤は考えた。ここから先の話は大体察しがつく。世の中にそんな力が存在するのであれば、真壁のことだから理屈はともかく現象だけを認めてそれを実践した可能性がある。わざと、そう、たとえば、天気予報を調べてわざわざそういう異事が起こりやすい日に、『わざと』傘を無造作に置いておく。思わず手が出てしまいそうな取りやすいところに。その誘惑に勝てないような輩がここに3人集まっているわけか……後藤は脊髄反射的にこの結論に拒否反応を起した。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!あんたの話はわかる。いや、その……わかるつもりだ。だが、オレの知る限り、世の中っていうのはそんな単純なものじゃないだろう。第一、そんな力が実在するなら、世の中はもっと……」


 後藤は自分が何をその後言いたいのか、すっかり忘れてしまった。脊髄反射的に何かが無意識から浮上して、否定をしなければという感覚だけで、反論を話し始めたのか、或いはゆるぎない論拠が自分の中にあったのに、あまりに勢いよく吊り上げたものだから、その意識の釣り糸が切れてしまったのか。


「もちろんじゃよ。もちろん、世の中はそんな単純なものじゃないんじゃ。ワシの施したそれは、いわば暗示のようなものだと思ってくれていい。ワシは仙人でもエスパーでもないからのぉ。じゃが、いくつかの偶然が重なった。悪い偶然じゃ。本来、起こらないことが起きてしまうような偶然、負の連鎖じゃよ」


 そういい捨てて、下駄の男は後ろを振り返り、奥の部屋を見つめた。後藤は結局のところ、すべてを下駄の男に、この拝み屋のおっさんに任せるしかないのだと悟った。今は……


「ふー。ところで拝み屋のおっさん。いったいどんな用事で急いでたんだい? この手の……厄介ごとかい?」

 下駄の男はニヤニヤした顔で振り返ると左手の小指を上に立てて言った。

「これじゃよ、これ」

 後藤はもう一度、首を左右に振り、両手を挙げて言った。

「参りました。降参します。ここからはすべてお任せします」



 そこに鳴門刑事が戻ってきた。

「遅くなりました。でも完璧です。しかし、本当にこんなんで良かったんですか? いったい何に使うんですかねぇ、こんなもの……」

 鳴門刑事は少しだけ息を切らしながらレジ袋の中を覗きながら疑問と不安と期待の混ざり合ったなんとも言えない表情をしていた。


「ふむ、拝み屋のオッサン、これでいいのか?」

 後藤は鳴門刑事からレジ袋を受け取ると怪訝そうな顔で袋の中身を一つ取り出した。


「おー、それじゃそれ、やっぱ昭和の円谷の仕事は秀逸じゃのぉ」

 そういって下駄の男はレジ袋と後藤が手にしているソフトビニールのおもちゃを受け取った。

「ゴモラにエレキングにベムスターじゃな。そして我らがヒーローウルトラマン、セブン、ジャック」

「ジャックって、そんな名前のウルトラマンいましたっけ?」

「後藤さん、それ『帰ってきたウルトラマン』の本名ですよ。へぇ、それにしても、尾上さん、本当にお詳しいんですね。ボクも大好きなんですよ。DVDとか借りて全部見ちゃいましたよ」

 鳴門刑事は、後藤の視線を気にしながらも、これから起きる事が何なのかワクワクしている感情を抑えきれない様子だった。それを後藤が咳払いで一括した。

「え、えへん!で、拝み屋のオッサン、次は何をすればいい?」


 下駄の男は、イタズラを始めようとする子供のような表情で後藤を上目遣いで見ると、鳴門刑事に向かって次の指示を出した。

「すまんがのぉ、鳴門刑事、この近くに子供が一杯遊んでそうな公園にいって、そうだなぁ5歳くらいの子供で、ウルトラマンのオモチャで遊びたい子供を捜してきてくれんかのぉ。ちゃんとお母さんに許可をもらってくれ、ちょっとした雑誌の取材とか、大学の研究とかなんとか言ってうまく誤魔化すんじゃよ。段取りができたら連絡を、そこにすぐに向かうから」


 鳴門刑事は少しばかり残念そうな顔をした。きっとこれから何かをここで始めるに違いないけど、自分はそれを見ることはできない。でも、まぁ、後藤ではまず母親や子供に信用されないだろうことも十分に理解できたし、大体が、後藤はそういう事が苦手なタイプだ。


「わかりました。多分、西港公園なら、今の時間、遊んでいる子供がたくさんいると思います。段取りできたら連絡します。じゃぁ、あどで!」

 鳴門刑事が勢いよく玄関を飛び出すと、下駄の男は、厳しい表情で後藤に語り始めた。


「このようなことには、なるべく素人は巻き込みたくないんじゃ。もう十分懲りておる。その点お主は、なんというかこう、いい感じに鈍いところがある。それは欠点ではなく、すばらしい長所じゃよ」

「それはどうも、なんだかちっとも褒められた感じはしませんが、まぁ、いいでしょう。わたしもかわいい部下をあまり危険な目にはあわせたくない出すし、それに……」

「子供が苦手か?いや、違うな、母親の方じゃの」

「ちぃ、あんた本当に……まぁ、いいですよ。なんだかわかりませんが急がなきゃまずいんでしょう?で、こんなもんいったい何に使うんです。まさか、子供に遊ばせて終わりじゃないでしょう?」


「いやぁ、その通りじゃ……まぁ、その前にやらなきゃならんことはあるがのぉ」

 下駄の男はまた、意地悪い表情をしながら、それでも目の真剣さは、更に増しているようだった。どうやら、下駄の男の言っていることは嘘や冗談ではないようだが、後藤には皆目検討がつかなかった。


「これを預っておいてくれ、これはまだ使わん」

 そういうと下駄の男は、ウルトラマン、ウルトラセブン、ウルトラマンジャックこと帰ってきたウルトラマンのソフビ三体を後藤に預けた。下駄の男はゴモラ、エレキング、ベムスターの三体の怪獣を袋の中から取り出し、テーブルに並べると、袋に一緒に入っていた筆記具、筆ペンと半紙を取りだし、それを3つにおってきれいに破くとなにやら文字を書き出した。


「まじないのようなものですか、それ?」

「まぁ、間違ってはおらんがのぉ、まぁ、より作業を効率的に行うための儀式のようなものじゃ」

「儀式、ですか?」

「そうじゃ、人間は何か一つのことを始めるにも終えるにも儀式をやったほうが、スパッと頭の中を切り替えることができる。そういう意味じゃ儀式はとても重要なんじゃよ。とくにこっちの領分ではのぉ」


 かくして準備は整った。



 下駄の男は、ソフトビニールの怪獣の頭や尻尾を胴体からはずし始めた。後藤はその様子をただじっと、いぶかしげに眺めていた。下駄の男は懐から何かを取り出す。ハンカチのような布のようなものの中に何かが入っているようだった。下駄の男はテーブルの上にそれを広げた。中から小さな三つの透明なビニール袋。袋にはそれぞれ何か書いてある。『加藤』『三上』『山本』、中に入っているのは――後藤は思わず口にした。


「おい、拝み屋のオッサンそいつはまさか!」

「あー、そうじゃよ。あの3人の遺骨の一部じゃよ」

「あんたそれをどうやって!いや、そんなことはこの際どうでもいい。どうするんですかそんなもの?」

「手順をなるべく省略するために、ちょっと本物をな。」

「本物って、悪い冗談は――」


 後藤は下駄の男の表情を見て取った。これは嘘じゃない。どうやら、とんでもないことを始めるらしい。刑事の目の前で拝み屋が呪術をやろうとしている。

「怖いか?」

「こう見えても信心深いんですよ、俺は。罰が当たるのはあんただけなんでしょうね」

「その点は心配いらん、なんせワシはこの世界のプロじゃからのぉ」

「なんかその、塩とか酒とか身を清めるようなことしなくても大丈夫なんですか?」

「そんなに心配するのなら、ほれ、台所に行って酒でも探してこい。まぁ、真壁の部屋にはそんなもの、置いてあるとは思えんがのぉ。せいぜい食卓塩じゃろう」


 後藤はもう、口を出すのはやめようと思ったが、どうしても言わずに居られなかった。

「で、なにか、行事の前の注意事項とかないんですか?」

「ふん、簡単なことじゃよ。口出し、手出しをせんこと、それだけじゃ!」


 後藤と話しながらも下駄の男は手を休めずに小さなビニール袋の中身――遺骨をソフトビニールの怪獣の中に入れて頭や尻尾を元通りにしていった。

「まずはベムスター、加藤三治よ、ドラゴンスケールの12代目!お前の居場所はここじゃよ!」

 部屋の奥から冷たい視線が下駄の男に向けられた。それは歪んだ心、闇に沈み行く魂の、もがき苦しむ慟哭。後藤はなんとも不気味なうめき声が聞こえたような気がした。すると次の瞬間、下駄の男は手に持っていたベムスターのソフビ人形を闇に向かって投げつけた。後藤は息を呑む。闇の中に蠢く、何者か――影のようなものがベムスターのソフビ人形に絡みつき、人形の腹から中に吸い込まれるような錯覚を見た。いや、見たような気がしたのか?


 部屋の奥のどんよりした空気が、少しばかり軽くなった気がしたが、同時に何かザワザワと騒がしいような気もする。下駄の男はすでに右手にエレキングを握っていた。

「次はこれじゃい。三河剛よ!お前は組織の飼い犬だな。エレキングが御似合いじゃわい!」腹のそこから響くような唸り声。憎悪、非情、愚直……加藤のときとはまた違う負の感情の波紋が部屋中に広がる。その波紋の中心めがけて下駄の男はエレキングを投げ入れた。エレキングは一瞬空中で静止したかのような錯覚のあと、波紋が渦のようにエレキングの角めがけて集まるような幻影。


「最後はこれじゃ、山本茂よ!凶悪で攻撃的、しかも貪欲。ゴモラほどの威厳はこれっぽちもないが、貴様はゴモラのそれと同じ邪な魂を宿した目をしておるわい!」ドーン!と突然地響きがしたような波動が襲い掛かる。思わず後藤はよろけそうになる。幻覚ではない、はっきりとした輪郭で不純な魂を宿した邪ないやらしい視線を感じ、思わず身震いをした。下駄の男はゴモラのソフビ人形を右手に持ち、正面へ突き出した。その手が震える。ぶるぶると震える。まるで何かの圧力が下駄の男の正面にあるような……いや、きっとなにかあるに違いない。「ふん!」下駄の男が気のこもった息を吐き、その圧力を押しのけた。「己の姿に憤怒しおったか!たわけめ!これが貴様の姿じゃ!」ついに下駄の男はゴモラを闇に向かって投げつけた。


「なに?」後藤は目を疑った。投げられたゴモラの人形は奥の壁に当たる軌道を描くのを突然やめてしまったのだ。今度こそ、それは一瞬静止した。次の瞬間まるで何かが下から突き上げたように天井に向かって飛び上がり――いや、カチ上げられ、ぐるぐると回転しながら天井にぶつかると、今度は何かに叩きつけられたかのように勢いよく床に転がり落ちた。一瞬の静寂のあと、後藤は何が起きたかよりも、今実際に身の回りで起きている変化に驚いた。


「あの、いやな感じが……なくなっている」


 不意に後藤の携帯がけたたましく鳴る。後藤は慌てたが下駄の男は微動だにしなかった。


「もしもし、鳴門です。指示通り、準備できました。西港公園です」

「あー、あー、鳴門か、そうか、わかった……」

「後藤さん、どうかしましたか?」

「あー、いやー、なんでもない。こっちも片付いた。すぐにそちらに向かう」


 後藤は携帯を切ると。助けを求めるような目で下駄の男を眺めた。

「あー、すいません。勝手に準備できたとか、いっちゃいましたが……」

「いや、構わんよ。準備はできておる。さて、最後の仕上げじゃ。真壁も連れて行くぞい」


 下駄の男は、奥の部屋に転がった3体の怪獣のソフビ人形を拾い集めると、何も省みずに玄関までまっすぐに歩いて出て行った。後藤は真壁を抱きかかえ、その後を追うしかなかった。

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