二度目の死


 調査隊の成果はほとんど皆無だった。

 創命龍の死体を中心に仮面の男が魔法陣を組んだが、何も起こらなかったのが大きい。『禁忌種図鑑』に記されていた魔法陣がそもそも間違っていたのかもしれない。

 一大国家プロジェクトとして臨んだ『創命龍の宝玉の奪取』は失敗に終わった。

「僕の永遠の命が……」

 仮面の男はそう呟き、王の位を退いた。第一、創命龍の宝玉は『魂一つ分のストック』なのであって、永遠の命を与えるものではない。

 しかし何も得なかったかというとそうではない。凍土の極寒のおかげで腐らずに保たれていた創命龍の死体はそれから数ヶ月かけて王都の大学に運ばれ、研究対象となった。わたしもその研究プロジェクトに誘われたが丁重にお断りした。まだほとんど何もわかっていないようだけど、彼らには頑張って欲しい。

 わたしはというとイースリィの町に戻って、図書館司書として働いていた。結局、資格は取らなくて、前みたいに食堂で料理を作るだけだけど。

 シルビアさんはわたしの帰りにまた泣いて喜んで、すっごいまずいケーキを作ってプレゼントしてくれた。なんとか飲み込んで『おいしいです……』と言うと、泣いて喜んだ。

 生物学の博士号を取るために奮闘していた日々とは違って、とてもゆっくりと時間が進んだ。午後の昼下がりの司書室でのコーヒータイムは幸せで、シルビアさんとの談笑も心を和ませてくれた。

 思い出したように生物学の博士号の式典があって、それに出席した。変な帽子を被らされて大学の門でシルビアさんと抱き合った。シルビアさんはまた泣いた。

 色々なことがわたしの意志を介さずに進んでいった。時は残酷なほど停滞しながら、緩慢に進んでいった。でも戻ることはなかった。確実に、進んでいった。

 うららかな春の日だった。






 いつもはシルビアさんに起こされるはずのわたしは、自分自身の力で起きた。

 そして、逆にシルビアさんを起こしに行った。

「あら、リリィ早いのね……」

 目を擦りながら、シルビアさんはこちらを見上げる。

 わたしは言った。

「今までありがとうございました、シルビアさん」

「――え?」

 目が覚めたようで、シルビアさんは慌てて起き上がる。

「どういうこと? 何かの冗談?」

「いいえ、わたし、ずっと前から旅に出ようって決めてたんです。具体的には、五年前から」

「……初めて聞いたわよ」

「ええ、誰にも言ってませんでしたから。――でも、ずっと前から決めていたんです」

 シルビアさんは、また泣いた。






 陽光に歓迎されながら、わたしは川沿いの道を歩いた。

 鳥たちはわたしをもてなすように歌を唄い、木々はわたしを見送るように腕を振った。わたしは一度小屋に寄ることにした。

 久しぶりの小屋は、やっぱり時が止まっていて、けれど五年前に「いってきます」してからと変わらず、優しくわたしを迎えてくれた。全てを終えた今になって、小屋はあの頃の日々と同じような、温かな懐かしい匂いを発していた。もういいんだよ、と言っているような気がした。

 ミアの部屋に行って、ミアのベッドに飛び込んでみた。もちろんミアの匂いはしなくて、でもやっぱり少しするような気もする。わたしは少しだらだらした後、思い出してミアの論文をベッドの下から取り出した。

 ミアの字を、一字一字指で追っていった。ざらざらとした感触がミアの生きていた証に思えてきて、わたしの心は少し温まった。凍土に行ってから冷え切っていた心に少し熱が差した。裏返してから、そこに綴ってあるミアの気持ちを抱いて、そっと口付けした。唇を離すと、ミアの、


○おむらいす

 リリィが作るものの中で、一番好きな料理。


と書いてある部分が目に飛び込んできた。

 もう一度、ミアにオムライスを作ってあげたかった。機械のように淡々と、けれどものすごい勢いでオムライスを口に運ぶミアの食べっぷりを、もう一度見たかった。

 オムライスの具材を買ってくればよかったかな。

 そんなことを思いながら、再びミアの字を辿り始める。

 それも終わると、わたしは家を出た。ここからは少し歩く。もう一度川沿いに出て、今度はちょっと険しい道を上り始める。ミアと二人でここを上ったことを思い出して、まるまるとなっている木の実をもいでかじった。おいしい。ミアの匂いがしたような気がした。

 岩を登ると、木々が大きくざわめいた。ゴォゴォという音が頭に降ってきて、懐かしい気持ちになる。見上げた。虹がかかる滝が落ちてきている。空の向こうには虹色の鳥たちが群れて飛んでいるのが見える。

 滝壺に目を移すと、そこには予想通りこちらをじっと見つめているそれがいた。


「――ッァァァァァァアアアアアアアアアア!!」


 一角龍だ。五年もあればずいぶん成長するようで、母親よりも大きくなっていた。もう滝壺に収まりきらない勢いだ。

 あれくらい身体が大きくなってしまうと、いつも飢餓感に苛まれているだろう。そこに『保存食料』のわたしが来たらどうなるか。

 答えは簡単だ。

 一角龍は翼を羽ばたかせ、ゆっくりと水面上に浮き上がる。風圧で周りの大樹を圧倒しながら、わたしの前にゆっくりと降り立った。わたしは少し身体に痺れるような感覚を感じて、ああ、これが感知されている感覚かぁ、と思った。

 口からとてつもない勢いで涎を垂らしながら、一角龍はゆっくりと鉤爪を地面に食い込ませてこちらに近づいてくる。

 わたしは自分から一歩前に踏み出した。一角龍が大口を開く。

 この一角龍が、わたしに五年間生きる許しを与えた。その間にわたしは生きて良いという価値をもらい、そして生きる意味を失った。

 でも満足だった。未練は何も残らなかった。

 いい人生とは言えないけれど。

 後悔のない人生とは言えないけれど。

 それでもわたしは、やるだけのことは出来た。全力を尽くせた。最後には、愛おしい人の隣にも立つことが出来た。

 満足だ。これ以上ないくらいいい気分だ。

 ゆっくりと口が閉じられる。頭蓋に、牙が食い込む感触がある。痛みと共に心地の良い快感と充足感がわたしを包み込んだ。

 なんだか微睡んでくる。視界が暗くなってくる。

「……ミア」

 呟きと共に、わたしの意識は消える。



 きっとわたしは、最期に笑うことが出来た。





〈リリィの章・終〉




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