旅の終わり


 創命龍の生息地は、『禁忌種図鑑』によると凍土と呼ばれる北の大陸らしい。

 調査隊は討伐担当の魔法使いと調査担当の学者たち半々で構成されていて、それが二つに分かれていた。

 わたしが所属していたのは先発隊で、仮面の男と一緒だった。

「はぁっ、はぁっ……転移魔法で行くのかと思ってました……」

 凍土までは船で行き、それからは上陸して徒歩だった。極寒の吹雪のなか、軽くない装備を抱えて、行進する。

「転移魔法なんて使えるわけないだろう。あれは僕でも失敗率五十パーセントの高等魔法だ」

 国一番の魔法使いの仮面の男と言えど、二回に一回は目標から数十キロ離れたところに転移してしまうらしい。その話を聞くと、いつも転移魔法を使って簡単に移動していたミアは、やっぱりすごい魔法使いだったんだろう。

 そのことを実感するとどうしても、もしかしたら、という気分になってくる。

 もしかしたら、ミアは死んでいないんじゃないだろうか。創命龍を倒して、今は何か理由があってわたしの元に帰ってこれないだけで、本当はどこかでひっそりと生きているんじゃないか。そう、思ってしまう。

 いつもどこかにある期待。ミアの死と同居している、淡いもの。それが、いざ凍土に来てみると色濃くなっていくのを感じる。その直感が、正しいのか正しくないのかわからないけれど。

「……でも」

 でも、この調査ではっきりする。ミアの消息――死んでいるのか生きているのか――否が応にもわかってしまう。創命龍が生きていれば、ミアは死に、創命龍が死んでいれば、ミアはどこかに生きている。

 正直言って、こわかった。白黒ついてしまうのが、恐ろしかった。

 わたしはミアの消息を、ミアのことを全部知るためにここまで来た。司書として働いた、勉強も死ぬほどした、調査隊に選ばれた。あの日、一角龍の雛の保存食になって以来、ミアのためだけに生きた、つもりだった。

 でも、それだけじゃなかった。やっぱりわたしはミアのためだけじゃなくて、自分のためにしていたんだ。自分のために生きていたんだ。それがだんだんとわかってきた。博士号を取って、最年少博士なんてみんなに褒められて、ようやく、わかってきた。

 全てはちゃんとに自分の生に意味を与えるためだった。もしあの時一角龍の雛に助けられていなかったら、わたしは本当に無価値な人間として一生を終えるところだった。ミアに相応しくない無価値な人間として。

 前の世界でも、この世界でも、誰からも必要としてくれない無価値な人間として。

 だって、ミアがわたしの前からいなくなった瞬間から、わたしに価値を与えてくれる人間はいなくなったんだから。

 だけど、今は違う。シルビアさんも仮面の男も、調査隊のみんなも、たくさんの人々がわたしの価値を認めてくれる。

 ――だから、この創命龍の調査を成し遂げたときにやっと、わたしは価値ある人間として死ねるんだ。

 そう、思った。

「見えてきた」

 前を歩いていた仮面の男が止まったので、わたしは空を見上げた。

 深い緑のような夜空は虹色に歪んでいた。オーロラ、だった。

 そして、オーロラが見えたということは、ここからが創命龍の生息地ということになる。

 わたしと別れたあの日、ミアもこの空を見上げたのだろうか。

 どんな気持ちで見上げたんだろう。

「…………ミア」

 わたし達は覚悟を決めて、オーロラの下を進んだ。






 しばらく進むと、唐突に吹雪が止んだ。風が一陣も吹かず、寒さもそれほどではなくなった。

 地面を見ると、水晶の如く透き通っていて、奥には遙か闇があるのみだった。氷で出来た大陸。まるで、空中に浮いているかのような錯覚を覚える。

 空は相変わらずオーロラが支配している。

「おい、あれ……」

 隊員のひとりが遠くを指さしたので、全員が一斉にそちらを向いた。障害物のない氷の地平線の先に、何か巨大なものが見える。

「……創命龍か?」

 仮面の男が呟くも、それは氷土に溶けていく。遠くの巨大な何かは、動く気配がない。でも、その周りで何かちらちらと動いているものが見えた。

 その動いているものはこちらに気付いてか気付かないでか、ゆっくりとわたし達の方へ接近してくる。

「……みんな、一応準備しておいてね」

 王のその声に、戦闘要員の魔法使いたちが陣形を組み、学者たちはその後ろに隠れる。

 だけどわたしは、こちらにやってくる黒い何かをずっと見ていた。

「ちょっと、リリィも後ろに下がって」

 仮面の男に肩を押されたが、わたしはそれを手で払った。

 もしかして、もしかして。あの黒いのは、まさか――。


「なんだあれ……蝶か?」


 魔法使いの一人がそう呟いたのを聞いて、わたしは走り出した。

「おい、リリィっ!」

 氷で滑りそうになるのもお構いなしに走る。

 キュッキュッと小気味良い音の中、わたしは背負っていた荷物をかなぐり捨てて、走る。

 オーロラを天に抱えて、底知れぬ闇を地に据えて、走る。

「はぁっ、はぁっ……!」

 ミアのことを思った。

 この瞬間をずっと待っていた。あの約束から、実に四年が経っていた。でも、許そうと思った。許して、オムライスを作ってあげて、一緒に寝たりして、ピクニックにも行って、あとどれだけわたしが頑張ったのかも聞いてもらって、それで、それで――。

 黒蝶がわたしを見つけて、寄ってきた。わたしは手を伸ばして黒蝶に触れようとした。でも、黒蝶はその手を避けて空へ上がっていく――。

 大きな何かの輪郭がはっきりとしてくる。それはまさに破れた『禁忌種図鑑』に描かれていた創命龍のイラストそっくりで――。

 走る。創命龍は微塵たりとも動かない。大翼が、胴体から遙かに離れた場所にちぎれて落ちている。走る。一角龍の翼を切断したバトルアックスを思う。走る。ずっと帰ってこなかった愛する人を思う。走る。走る。

 走って、走った。


 ――創命龍の死体の前に、一人の少女が立っているのが見えた。


「ミアぁぁぁぁぁぁああああああああッッ!!」

 滑って凍土の上を転がって、起きあがってまた走り、創命龍を右手に見ながらそれでも走って、一直線に、見えてきた、立ってこちらを見ているあの人に、家族に、まっすぐ、まっすぐ、足を動かして、手を振って、叫んで、そして、わたしは――。

 

 わたしは、立ち止まった。


 わたしの先にいる彼女は、指先一つ動かさなかった。両手であの黒光りするバトルアックスにもたれかかっていて、動かない。冬の夜空みたいな黒髪も、そこに浮かぶ真っ赤なカチューシャも、少し儚げな物腰も、全部が全部、彼女のままなのに。

 動かない。

 なんでだろう、なんで動かないんだろう、わたしの声聞こえてないのかなぁ、って思って、でもそんなわけなくて、じゃあなんで動かないの? なんで、なんで、なんで――?

「ミアぁ……なんでだよぉ……」

 遠いところまで来た。

 やっとミアに追いついた。

 いつもわたしは守られていて、見ているしかなくて、やっと隣に並ぶことが出来たのに。なのに、なのに……。

 手を伸ばして、顔にかかる黒髪を耳にかけてあげながら、ミアの頬に触れた。

 冷たかった。空気の温度と一緒だった。あんなに温かかったミアは、冷たくなっていた。

「……ミア、ずっと、寒かったよね……?」

 わたしは固まって動かないミアを後ろからそっと抱きしめた。カチューシャに指を這わせて、黒髪を撫でて、強く、強く、抱いた。

 どれだけ強く抱いても、ミアが目を覚ますことはなかった。でも、もしかしたら何かの間違いで目を覚ますんじゃないかって思って、ずっと抱いていた。

 ずっと、ずっと。

 だけど、ミアは目を覚まさなかった。息を吸うこともなかった。ただ眠るように死んでいた。

「リリィ、どうしたのいきなり……」

 調査隊の人たちが追いついてくる。彼らは呆然と創命龍の死体を見上げた。そして、バトルアックスにもたれかかって眠っているミアを見た。

「あっ、あぁぁああっ、ミアっ……ミアぁあぁあぁああああ……!」

 仮面の男がわたしの肩に手を置いてくる。それを振り払って、わたしはただミアを抱きしめた。

 すると、ミアの感触が手のひらから溢れ出ていく。

 ミアの身体は次々と黒蝶となり、それらは羽ばたき消えていく。全ての蝶が飛び立ったとき、残ったのはバトルアックスだけだった。

「旅の、終わりか……」

 誰かが呟いた。

 その言の葉は、黒蝶の群れと共にオーロラの空へ吸い込まれていく。

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