禁忌種図鑑
久しぶりの家の匂いを堪能する暇もなく、わたしは本棚から『禁忌種図鑑』を抜き出し、リュックサックに突っ込む。家の中の様子を少し見て回るけど、わたしが出て行った二年前から何も変わっている様子はなかった。この家だけ、時から切り離されているようだった。
わたしは急いで森から出て、図書館に戻った。入り口で心配そうな顔をしたシルビアさんが迎えてくれる。
「あった?」
「ありましたっ」
とりあえず司書室に入って椅子に腰を落ち着ける。するとシルビアさんがコーヒーを淹れてくれた。
「で、これをどうするかが問題よね」
「……そうですよね」
シルビアさんはコーヒーカップを散らかった机に置いて、椅子に腰を下ろす。
「こんなこと言うのはなんだけど……リリィ、あなたが盗んだわけじゃないわよね?」
「ち、違いますよ……」
そう言ってわたしはコーヒーを啜る。走ったせいで上がっていた息が少し落ち着いてきた。
わたしがコーヒーカップから顔を上げると、それを待っていたかのようにシルビアさんが口を開く。シルビアさんの眼差しはいつになく真剣で、わたしは持っていたカップを落っことしそうになった。
「別にアタシはあなたを疑っているわけじゃないのよ」
そう前置きしてシルビアさんは続ける。
「でもね、リリィ。アタシはあなたのことを何も知らない」
目は、悲しそうに細められる。あるいは過去を振り返るように。
「……二年前にあなたが図書館にやってきた日、本当に必死そうなあなたを見て、アタシはまだあなたの素性を聞くべき時ではないな、って判断したの。あなたがもっと落ち着いた時、お互いがお互いのいることに慣れた時、その時に聞けばいいと思ってた」
「……はい」
「それでね、リリィ。アタシは、今がその時だと思うのよ」
シルビアさんは自分のコーヒーカップを手に取り、ゆっくりと口をつけた。その緩慢な所作はわたしに心の整理をさせる時間を与えているように感じられた。
ことん、と机にカップを置く音が響く。
「人と人が付き合っていく中で、その人のことをもっと知りたいという欲求を抑えることはできない。そうでしょう?」
「……ええ。わたしはその欲求を満たすためだけに生きている人間です」
「いいえ、リリィ。それはあなただけじゃなく、全ての人がそうなのよ」
シルビアさんは手を伸ばして、わたしの両手を握った。そして、しっかりと目を合わせてくる。目を反らすことは許されなかった。ううん、わたし自身が許さなかった。もう目を瞑って閉じこもることは、したくなかった。
「……少し、長くなります」
「構わないわ。リリィが急いで本を取ってきてくれたから、まだうんと時間があるもの」
それを聞いて、わたしはシルビアさんに自分のことを話し始めた。
シルビアさんはわたしが異世界から召喚されてやってきたことを聞いて、少なからず驚いていたように見えた。
彼女によると『召喚魔法』は研究により『不可能』と実証されているらしい。わたしのほうがその事実に驚いたが、実際わたしはミアに召喚されたので、その研究は間違っていると言わざるをえない。
わたしは自分のことの全てを語り尽くした後、今度はシルビアさんの話を聞いた。彼女に愛した夫がいたこと、彼との間に愛娘がいたこと、そしてその二人がどちらも病気で亡くなったことを聞いた。
「だからアタシは……迷惑だけど、本当に迷惑だろうけど、リリィのことを本当の娘だと思って……ごめんなさい」
「迷惑なんかじゃありません。……わたし自身、シルビアさんのことがお母さんだったらいいな、って思うことがよくあったんです」
それを聞いて、シルビアさんは少し泣いた。声は出さなかったが、綺麗な涙が頬を伝っていた。
その後昼ご飯を食べて、『禁忌種図鑑』を包装した。シルビアさんの機転で、なぜか図書館の蔵書に『禁忌種図鑑』があったこと、自分たちは何も知らない旨を記した手紙も同封した。わたしは郵便局の馬車に走り、それを投函した。ミアが本を盗むわけないという思いと、ミアならしかねないという思いがぐちゃぐちゃになったけど、ミアの代わりにごめんなさいという気持ちを込めて投函した。
それから、三日経ち、一週間が経ち、一ヶ月が経ち、三ヶ月が経った。
わたし達は『禁忌種図鑑』の件を忘れて、すっかり元通りの日常に戻っていった。魔法文字の勉強は終わり、わたしの勉強は正式な図書館司書になるための試験の勉強に移行していた。図書館司書の資格を取れば、読むことを許される書物がもっと増える。そうすれば、ミアについての情報も得られるかもしれないからだ。
歴史的な文学作品に触れ、シルビアさんなりの解釈の説明を受けたり、魔法学の教義書も平らげるように読んだ。あんなにも苦手だった『机に座る勉強』が好きになり、それが思ったよりも自分に向いていることに気付いた。前の世界でもちゃんとに中学校に通えていたらいい高校に受かったかもしれない。
わたしはシルビアさんさえ驚くスピードで教養を深めていった。シルビアさんはわたしを神童と茶化し、わたしも満更ではなかった。
全てが上手くいっていた。
順風満帆だった。
その日までは。
「リリィさん、ですね?」
厳めしいローブを纏った男たちが図書館に入ってきたのは、ある昼下がりのことだった。受付にいるわたしを見つけると、リーダーらしき男が寄ってきた。
「はぁ、そうですけど……」
わたしが戸惑いながらそう答えるとリーダーは、
「拘束しろ」
周りの男たちにそう指示を出した。
瞬間、ローブの男たちは一斉に受付の机をなぎ倒し、わたしに手を伸ばしてくる。何か抵抗する間もなく、わたしは床に組み伏せられた。
「何の騒ぎっ!?」
司書室から慌ててシルビアさんが飛び出してきて、わたしを見て悲鳴をあげた。
「どういうことですかっ!?」
男はそれを無視し、何かをぶつぶつと唱える。そうすると空中に手錠が現れ、男の手に落ちた。男はわたしに手錠をかける。
「『ミア』の関係者と思われる者一名を確保。連行しろ」
わたしは男たちに無理矢理立たされる。そして囲まれながら、わらわらと図書館の外に出た。
「リリィっ!」
背中にシルビアさんの声を聞いた。でも、わたしは振り返ることを許されなかった。
何が起こったのかわからなかった。わたしのわからないところで、何かが進行していた。
「……やっぱりこうなるんだ」
わたしの呟きに男の一人が反応してこちらを見たが、すぐに前に向き直った。
どうしても、こういうことになるんだ。
なんで何も、上手くいかないんだろう。
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