新しい日々


 下りた先にあったのはイースティというそこそこ規模の大きな町だった。

 中央の広場には旅の馬車がたくさん止めてあって、広場から十字に大通りが通っている。その大通りが流通の拠点のようで、大きなテントが通り沿いに設営されており、おびただしい数の人々が買い物するために練り歩いている。森の中とは大違いの活気だ。

 わたしはその町で、図書館司書の仕事を見つけた。もちろん、司書と言ってもわたしに特別な知識のいる仕事が出来るはずないので、その実はただの雑用だ。図書館の掃除をしたり、図書館と併設されている食堂で料理をしたりした。やっていることはミアに頼まれた家事程度のことだったけど、量が量なのでそれなりに疲れる仕事だった。

「リリィ、閉館の看板置いてきてくれる?」

「はいっ!」

 図書館での業務が終わると、夜は語学の勉強が始まる。図書館司書の(こちらは正真正銘の司書の)シルビアさんがいつも遅くまで熱心に教えてくれた。シルビアさんはわたしが職を探して図書館の戸を叩いたとき、わたしを歓迎してくれた女性だ。人を安心させるような笑顔を持っている素敵な女性で、シルビアさんがお母さんだったら、とわたしはよく夢想した。

 シルビアさんが教えてくれるのは主にわたしが魔法文字、と呼んでいた言語についてだった。図書館の蔵書のほとんどにその文字が使われており、シルビアさんは最初わたしがその文字を読めないことを知ったとき、驚いたものだ。でも、最近はシルビアさんのおかげでだんだんと意味を取れるようになってきている。

 わたしは図書館の空き部屋に住み込んで働いた。朝は仕込みのために早く起き、夜は勉強のために遅くまで起きていた。休日はシルビアさんに料理を教えたり(シルビアさんは壊滅的に料理ができない)、一緒に町で買い物をしたりした。そうこうしているうちに、わたしは町での生活に、新しい日常に慣れていった。

 それとともに、ミアの消息について――禁忌種、創命龍について――調べた。でも、得られた情報はほとんどない。そもそも、禁忌種という存在についてシルビアさんに聞いてみても、

「きんきしゅ……? 聞いたことないわね」

 と一般に、その存在は浸透していないのだった。だから、なにもわからないまま、わたしは時間と共に歩んでいくしかなかった。ミアと過ごした時間から、どんどん離れていく……。

 そうして冬が来て春が去り、また冬が来て春と再会した。

 二年の月日が流れていた。わたしに残された時間はあと三年。ミアについての情報は一つも得られていない。

 そんな、ある日のことだった。

 


「蔵書点検?」

 その日、司書室でわたしはシルビアさんに妙なことを聞かされた。

「そんなの、わたしが来てからやったことありましたっけ?」

 シルビアさんはわたしの当然の疑問に、眉間に皺を寄せる。

「そうなのよ……実はアタシが司書になってからも初めてで……いきなりどうしたのかしらねぇ」

「何が目的なんでしょうか……」

「わからないわ。でも最近、国が何か新しいプロジェクトを起こそうとしてるらしいのよね。もしかしたらその影響かも……」

 新しいプロジェクト。わたしもその噂は聞いたことがあった。何をするのか具体的には聞いたことがないが、なんでも、各国から腕よりの魔法使いたちがこの国に集められているらしい。どこかに戦争でも仕掛けるんじゃないか、っていうのがシルビアさんの見解だった。

「物騒ですね……」

「この町も最近栄えているし、もしかしたら疎開しなくてはならなくなるかもしれないわね……」

「疎開……ですか」

「あ、大丈夫よ。アタシの実家はド田舎だから! リリィも一緒に来るといいわ!」

 シルビアさんはわたしの手を取って笑う。

「いや、でも……悪いですし……」

「何言ってるの、リリィもアタシの家族みたいなもんでしょ!」

 その言葉に、わたしはコーヒーを飲んだときみたいに胸に温かさが広がるのを感じた。それと同時に、ずきん、と痛みも走る。

 たぶんわたしは、シルビアさんにこう言ってもらっても疎開はしないと思う。ミアと共に過ごした家が戦禍に晒されているなか、わたしだけのこのこと安全な場所に逃げるわけにはいかない。

 こほん、とシルビアさんが咳払いした。

「それで、今日は休館日にしようと思うの」

「あ、確かに人がいたら蔵書点検出来ないですもんね」

「そうそう」

 シルビアさんは机の上のこんもり積み上がった資料のなかから、一枚の紙を取り出す。そして、それを机の上に広げて、わたしにも見えるようにした。紙は魔法文字で書かれていたけど、わたしはもうすらすらと読めるようになっていた。

「なんかね、蔵書点検と言っても古い本を捨てたりするんじゃないみたいなの」

「どういうことですか?」

「ほら、ここ」

 そう言ってある一行を指さす。

「『火炎龍の革で装丁されし書物』……?」

「うん、その本を探すんだって。なんかすっごい貴重な本でね、元々国立の一番大きい図書館の奥底に禁帯出として保管されてたみたいなんだけど……気付いたらそれとそっくりな偽物に交換されてたらしいの」

「盗まれたってことですか?」

「みたいだね。でもそんな本がうちの図書館にあるはずないしなぁ……」

 はぁ、とシルビアさんはため息をつく。「今日は忙しくなるわね」と言って肩をすくめた。

 でもわたしには何かが引っかかっていた。

「あの、火炎龍ってどんな龍なんですか?」

「あ、そうそう、それがアタシも知らなくてちょっと調べたんだけど……これっ」

 資料の山から埋蔵金でも発掘するみたいに、シルビアさんは一冊の分厚い本を取り出して開いた。写真のように緻密で色彩豊かなイラストが広がる。

 そこには、見覚えのある紅の鱗を持つ龍がいた。

「この真っ赤なおっかないのが火炎龍で……」

 シルビアさんが何か説明してくれるが、その声はわたしの耳に入ってこない。わたしはミアと過ごした家の本棚を思い出していた。

「シルビアさん……、わたし、その本知ってるかもしれません……」

「え?」

 ミアが『戦い』に行ってから必死に創命龍の記述を探した本。

 『禁忌種図鑑』とわたしが呼んでいたその本が自然と思い浮かんできた。

 

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