創命龍討伐計画
何が起きたのかわからなかった。
永遠のような、けれど一瞬のような、夢の中のような、けれど現実のような……そんな時間が過ぎ去り、我に返れば私は背もたれに全体重をかけ、身体中の筋肉という筋肉を脱力させていた。しばらくの間、放心していたようだった。
台所からはリリィがお皿を洗っている音が聞こえてくる。でも、リリィと一緒におむらいすを食べていた記憶がない。確かリビングには私とおむらいすしかいなかったはずだ。いや、そもそも私はリビングにいたのか……。
幻術の類だ。記憶を錯乱させ、筋肉を弛緩させる。おむらいすは魔法だ。
「おむらいす、こわい……」
「あ、ミア起きたの?」
茫然と呟いていると、台所からリリィがやってくる。
「リリィ……私、もう戦えない……」
「えっ?」
「おむらいすのせいで……身体が動かない……」
「ミアは大げさだなぁ……」
くすくす、とリリィが口元に手をやって笑う。リリィは身体は大きいくせに、こういう仕草は小動物みたいでちぐはぐだ。
私はリリィに手を伸ばす。
「リリィ、だっこ」
「ええっ!? ……しょうがないなぁ……」
「へっへっへ」
リリィはしぶしぶといった調子で私の手を取り、背中に手を回す。私もリリィの背に手を回し、あってないような胸に顔を埋める。やっぱり、リリィの匂いは好きだ。
「ミアの部屋まで運んでいけばいい?」
「うん」
よいしょ、と呟きつつリリィは私を椅子から持ち上げる。リリィが力持ちなのか私が軽すぎるのか……とにかく、リリィは軽々と私を持ち上げた。
いつまでもリリィに鼻を押しつけていても息が吸えないので、私は頭を起こした。私はまだ仄かに残っているおむらいすの匂いを大きく吸い……そして、それに気付いた。
伝達用の紙が置いてある小机。王府からの依頼が来る場所。
その紙に、長々とした文章が転移されてきていることに私は気付いてしまった。
「リリィ?」
「ん……どうしたの?」
「ちょっと、下ろして」
自分で言ったくせに、と口を尖らせるリリィを置いておいて私は小机の前に行く。紙を拾い上げる。
「創命龍討伐計画、及びそれに伴う北方制圧についての要請」
現在物議を醸している『遠征』はあなた方も知っているだろうが、その実態は各新聞が報じているような他国の戦争への介入ではなく、北方制圧、つまり創命龍の生息地である凍土への経路の確保である。
すでに国が抱える兵士の半分ほどが遠征隊としてこの作戦に参加しているが、少々当初の予定よりも遅れが出ている。
そこで、我々は今月と来月に集中的に北方制圧に兵力を投入し、一挙に凍土への経路を確保しようと考えた。
そして、あなた方にもこのプロジェクトに参加していただきたい。報酬は未定だが、小国の国家予算ほどだと考えていただいて相違ない。
足の裏から何かが身体に入り、縦横無尽に這い回っているような感覚に襲われた。今まで感じたことのない嫌な予感、日常を揺るがされるような危機感を感じた。
創命龍。
禁忌種と呼ばれる、世界にいる生物で最も危険な生物だ。
『禁忌種』と称されるだけにその身体には文字通り、『禁忌』を宿している。
創命龍の心臓から特殊な魔法陣で抽出することが出来る『宝玉』は、魂を具現したもの……つまり、抽出した者の魂を一つ増やすことが出来る。理屈の上では『宝玉』を抽出した者は、例えば運命で八十年とその人生が決められていたならばもう一回分の人生、すなわちもう八十年生きながらえることが出来る、ということになる。
だが、今まで創命龍の宝玉の抽出に成功した者はいない。だから、あくまでも仮定の話ではある。
ここで大事なのはそれほどまでの『禁忌』を身に宿しているものと戦わなければならないということ。創命龍を打ち倒し、リリィの元に帰ってこれるかということ。
だが、この依頼を断ることは国家に反旗を翻すことと同義だ。国家に追われてリリィを守るのと、創命龍を討伐すること、どちらが成功する可能性が高いか……。
「……ミア?」
振り返ると、心配そうな表情をしているリリィがいた。
その手を取り、「大丈夫」と言いたかった。
「リリィ」
名前を呼んだ。すると、リリィは小さく頷く。その瞳からは今にもこぼれ落ちそうに涙が浮かんでいる。その涙に、こんなときでも無表情な私が映っている。
私は手を取らなかった。
「リリィ、明日から……忙しくなる」
「……そっか」
「………………ごめん」
湿った吐息を口の端から音もなく吐き出す。それはひどく粘り気のあるため息で霧散することなく床に残留する。
窓の外に目をやる。
もうすっかり陽は暮れて、夜の闇が忍び寄ってきていた。
〈ミアの章・終〉
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