死
考え事をしていた私は身体に浮遊感を感じ、感じた瞬間、枝から空中に放り出されていた。
重力に身を任せたまま、釣り糸に魔力を送り、水中の状況を解析する。目を閉じると、釣り糸を中心としてその周りの地形、物体、魔力が感知された。
釣り糸の先……釣り針が魔力を有する大きな生物に接触している。つまり、一角龍がかかったということ。
それから遠く離れた場所に、もう一つ大きな魔力生物の存在を感じられる。たぶん、もう一体の一角龍だ。離れた場所にいる一角龍に動きはなく、ただ餌にかかっている一角龍を観察しているという感じだ。
……このまま引き上げて、各個撃破。
私は空中で一回転し、地表近くに転移し、勢いを殺して着地する。と同時にものすごい力が私の身体ごと湖に引っ張り混もうとしてくる。
釣り竿をしっかりと握り、腰を低く落とした。それから、魔力を釣り糸に送り、それを収縮させる。
切れないように……けれど確実に引っ張り上げていく。
釣り針はしっかりと一角龍の顎に突き刺さっていて離れることはない。刺さった釣り針は口内の組織として一角龍と完全に同化している。自らの力で釣り糸を外すことが出来ない一角龍は、とにかく私を湖に引きずり込んで殺すしかない。
一対一の勝負、というわけだ。
ググ……とより力が加わる。私は魔力で釣り糸を収縮して引っ張り上げる。だんだんと一角龍は湖面近くまで浮き上がってくる。
「はぁぁ……ぁぁぁぁあああああああッッ!」
釣り糸を大幅に収縮させる。そして、湖面から電撃を纏った一角が現れた瞬間、私は魔力を自身の身体に通した。
筋力を増大させて、竿を引く。
「――ァ、ァアアアァァァグァアアアアアアアアアアア!!!」
湖がひっくり返ったのかと思った。
そのくらいの水しぶきが上がった。
青空とは異質の蒼。湖面とは別の輝き。顎から垂れる釣り糸。
ズン、と地面が揺れた。ヤツが地面に着地する衝撃だった。私は釣り竿をバトルアックスに変えた。それをゆっくりと上段に構えた。鈍音が聞こえるかというくらい、重々しくヤツの瞳は私に合わせられた。
湖面から姿を現したソイツ――一角龍は長く息を吐き出した。
「…………はッ」
私は地面を蹴った。
「ッガァ、ァァァァアアアァァァァアアアッッ!!」
一角龍は咆哮を上げ、大翼に隠した鉤爪で空間を凪いだ。
それをスライディングで避け、私は一角龍の懐に潜り込む。それに気付いた一角龍が血走らせた目線をこちらに落とした。凪いだ鉤爪と共に身体を大きく捻ったその動きが、私相手には命取りになる。
ハッ、と短く息を吐く。両腕に魔力を通して、バトルアックスを斜め上に凪いだ。放物線を描いた軌道は大翼の付け根を通る。――血しぶきが上がった。
「ガァッ……ックッ!」
青空に大翼が舞う。常ならその大翼は羽ばたかされているはずだが……今は重力に任せるままだ。付け根から綺麗に切断された翼は、湖に水しぶきと共に沈んでいった。
残心を取りつつ、転移魔法で距離を取る。一角龍は痛みによがりながら、バランスを失って地に倒れ込む。力の込められた瞳と、稲妻を纏う一角から、一角龍が相当に興奮していることがわかった。
……一気に畳みかける!
一角から雷撃が放たれるのを網膜が捉える一瞬早く、私は一角龍の頭上に転移していた。雷撃はあらぬ方向に飛び、大樹を木炭に変えた。私はバトルアックスを振り上げる。
獲った。
脳裏にその三文字が浮かび、それと同時に身体中を駆け抜けた慢心によって、私の反応は遅らされた。湖から上がる水しぶきを感じ、咄嗟にバトルアックスで身を守ったが、遅かった。
遙か彼方にバトルアックスが弾き飛ばされる。
湖からは、もう一体の一角龍が顔を覗かせていた。一角から、放電したのだ。
私の目下の一角龍が、私の身体を角で突いてくる。それを手で払い、受け流しつつ、私はバトルアックスを手元に転移させた。
瞬間、二回目の雷撃が私の頭の数センチ先を掠めていく。私は一時距離を取るために転移する。
「…………はぁ、はぁっ」
……これじゃ昨日と一緒だ。一体に気を取られている隙に、もう一体が私を狙い撃ちしてくる。
昨日と違う点……それは一体の一角龍が片翼を失っていること。それを生かすには……。
私はバトルアックスを黒蝶に変え、それらを集めて背に翼を生やした。上下に動かし、空中に飛び上がる。
……あまり得意ではないのだが、そんなことも言っていられないだろう。
魔力を手のひらに集め、手が焼けているようなイメージを念じる。手のひらから発火し、くすぶっていると深く深く思いこむ。すると、本当に発火しているような感覚があった。その炎を、手のひらの組織から空中に転移させる。と同時に手のひらの上に火の玉が生じる。
「……はぁッ」
それを、翼を失った一角龍に投げつける。次々と火の玉を生じさせ、投げつけていく。火球は一角龍の蒼鱗に、ちょっとした火傷を与えていく。一角龍は短く呻いて、強い意志を感じさせる瞳で私を捉えた。私は火球を投げる手を止めない。
と、何を思ったのか、一角龍はバランスで妙な動きをしながらも、とてつもない勢いで私の方に近づいてきた。地鳴りにより湖面は揺らぎ、針葉樹は呻いた。その様子を、湖に浸かりながら、もう一体の一角龍はじっと見つめていた。
……あまりにも上手く行きすぎている、と不審に思うほどに作戦通りだった。私と湖の一角龍の間に、手負いの一角龍を挟めば援護は出来ない。そう思っての炎攻撃だったが……。
半ば転びこむように走ってくる一角龍は私から視線を反らすことはなく、私も火球を撃つことをやめない。蒼鱗が紅く燃え上がり、一角龍の身体からは数筋の黒煙が上がっている。
湖にいる龍からの援護攻撃はない。これで、今度こそ、決める。
翼を失くした一角龍は、もう空から堕ちた。空は私の領域で、一角龍はそれを侵すことは出来ない。土や草を蹴散らしながら向かってくる一角龍を仕止めるのは、たやすい。
はずだった。
「――ァアァアアァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアッッッ」
鼓膜を破壊するような咆哮に地を抉るような鈍音が重なった。と共に、一瞬の間に一角龍が眼前にいた。有利に思われた間が、ほんの数瞬で一息に詰められた。
……跳躍、した?
咄嗟に両腕に魔力を通し、筋力と骨格の強化をする。それとほぼ同時に、一角龍の鉤爪が私の腕を襲った。皮を剥いでいったその右の鉤爪は致命傷を与えこそしなかったものの、私の身体のバランスを崩すには十分だった。
踏ん張りの利かない空中での衝撃に逆らうことが出来ず、私は錐揉みしながら空を舞った。回転する視界の端に、黒い左の鉤爪が陽光を受けて光るのが見えた。
……来る! 右鉤爪が防御されることは計算のうちだったのか……!
「……ッ!」
咄嗟に距離を取るために転移をしよう、と思った。程良い距離の座標を感知しようと思った。だが、今までの勘が違和感を感じ取った。転移した瞬間に雷撃が飛んでくるのではないか。そのために今、一角龍の身体で見えないその向こうで、湖にいる一角龍がその一角に電撃を迸らせているのではないか。おそらく、その推測は正しかった。
私は、自分の勘を信じた。
「…………はッ」
逃げるための転移ではなく、獲るための転移。
私は背中の翼を感知して、バトルアックスに変えながら手元に転移させた。その一瞬の後、左鉤爪が私の間合いに入った。
「――ハァァァアアアアアアアッ!!」
凪いだ。無音だった。感触はなかった。
ただ、ゆっくりとした時間の中で、重力に逆らって一角龍の左腕が舞うのを、横目で見た。断面を見た。蒼色ではなく紅色だった。
「――ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
血が噴水の如く吹き出す。翼を持たない龍は、痛みに悶えながら地に落ち倒れ込んだ。それを盾とするように一角龍の懐に入り込み、湖からの援護の射線上に入らないようにする。半目でこちらを見る一角龍は呼気を荒げ、地面は血糊で濡れた。
けれどどうしてだろう、一角龍の身体は満身創痍であるはずなのに、その表情はどこか安堵を浮かべているように見えた。一角龍が表情というものを浮かべるとするならばの話ではあるが……。
下らないことを考えていないで、早くとどめを刺そうと思った。いつ湖の一角龍がこちらとの距離を詰めてくるかわからない。もうこの龍は何も出来ることはないと思うけれど、万が一のためだ。
バトルアックスを持つ手に力を込める。だらん、と差し出された頭に向かってバトルアックスを大きく振りかぶった。一角龍は諦めたようにこちらを見ていた。
その身体の向こうで、空に届きそうなほどの水柱が上がるのが見えた。
「……っ!?」
日を受けて輝く飛沫に送り出されて、水柱から飛び出したのは一体の蒼い龍。……一体? 違う。その口には小さなもう一体の一角龍がぶら下がっている。……雛だ。
驚いて、伏している一角龍の瞳を見る。龍は小さく、キュゥと鳴いた。
……自分を囮に……?
空高く上り、もうほとんど点にしか目視出来ない一角龍の親子。私は慌ててバトルアックスを槍に変え、投擲しようとする。しかし、腕は動かなかった。
こんなときに、私の脳裏にはリリィの姿が浮かんでいた。いや、こんなときだからこそ浮かんでいた。命を賭して家族を守ろうとした血だらけの一角龍の姿を見て、気付けばバトルアックスを地面に落としていた。鈍い音が響いた。
二体の龍はつがいだったのだ。そして、最初から雛を守ろうとしていたのだ。この龍は雛のための餌を探しに村を襲い、雛と相手を助けるために自ら囮になったのだ。
その行動は、私のそれとどれほどの違いがあるだろうか。この龍にとっての守るものが雛であって、私にとっての守るものがリリィであっただけの差だ。それなのにどうして、私は雛を狩れるだろう。
龍は安らかに目を閉じていた。一角龍の親子はすでに空の向こうに消えていた。きっともっと暖かい南の方に行ったのだろう。
私はゆっくりとバトルアックスを拾い上げ、痛みに苦しんでいる龍の頭を斬り落とした。
波打つような痙攣と共に、返り血が私の全身を濡らした。目元を拭って、落とした一角龍の頭を見ると、その表情は満たされているように感じられた。
きっと、それはこれから先のいつか、私が死ぬときの表情とそっくりであったと思う。守るべきものを守りきった、勝者の表情だ。
だが、もし私の最期がこんな表情なのだとしたら、リリィには見せたくないなぁと思う。だって、この表情は満たされすぎていて、残された人は否応にもその死を肯定してしまうだろう。そのとき、残された人は窒息してしまうほどの孤独を感じるに違いない。
死ぬのなら、リリィと一緒に死にたい。
リリィを守りたいという意志と矛盾する願望が私の中から湧き起こってくる。でもそれは、私のまぎれもない本心で、私という存在の根幹を成すものなのかもしれないとも思えてくる。
私がおばあさんの元を飛び出したのも、おばあさんの死期を感じたからだ。私はきっと、あのままあの場所にいたら、おばあさんが死ぬのに合わせて自殺をしていたはずだ。それほどまでにおばあさんを愛していたし、だからこそ私はあの家を出なければならなかった。おばあさんは、私が死ぬことを望んではいなかっただろうから。
バトルアックスで、頭部から一角を切断する。それを手に持って、私はリリィがいる場所――私たちの家の座標を感知する。
転移する瞬間に、虚空に問いかけた。
リリィは、私と一緒に死んでくれるだろうか。
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