北方の森
北方の森は少し肌寒く、空は灰色の雲に覆われていた。
一角龍の住処は湖の近くだと相場が決まっているので、私はとりあえず湖の近くに転移していた。生えている木のほとんどが針葉樹で、やたらに背が高い。私はバトルアックスを黒蝶に変え、それを二つの大翼にして針葉樹の枝まで飛び上がった。
枝を渡り移るほうが地を行くより周りを見渡しやすい。全方位全てを警戒し、淡々と進んでいく。
背の高い針葉樹ばかりの地形だからだろうか、動物の姿がほとんど見当たらず、なるほどこれなら村落に餌を求め下ってもおかしくはない。もっと南を住処とすれば楽に生きることが出来るだろうに、と一角龍に同情してしまう。
「…………」
待て。今までに私が獲物に同情したことなんてあっただろうか。
私は特に感傷を抱かず、息を吸って吐くように殺していたはずだ。だというのに、たった今私は自然と一角龍に同情していた。
リリィを召喚してから、このような変化を感じることが多い。
「…………やめ」
仕事の時に色々なことを考えるのはやめよう。一角龍とは言えど、油断すれば簡単にこちらが殺られてしまうのがこの仕事だ。死と隣り合わせの環境だからこその膨大な報酬なんだ。
私は頭を振って余計な思考を追い出し、枝から枝へと飛び移っていく。このまま真っすぐ行けばそう時間はかからずに湖につくことは出来るが……念には念を入れて、辺りを偵察しながら円を描くように少しずつ湖に近づいていくことにする。
遠くから間延びした鳥の鳴き声が聞こえ、凍てつく風が針のように細い葉を揺らす。その擦れ合う声が幼子の泣く声のように聞こえて、面妖な雰囲気を醸しだし始める。空は依然晴れぬまま、雪が降り出しそうな感じだった。
わざわざ大回りしているにも関わらず一角龍の気配はなく、黙々と枝を飛び移るばかりで逆に心が疲弊してくるのを感じた。
北方の森に来てもう何時間が経っただろうか。あるいは何分も経っていないかもしれない。曇り空が時間感覚を奪い去り、ただ不安のみを煽り続ける。
埒が明かないのに苛立ち始めて、結局私はまっすぐ湖に向かうことにした。いるとすればどうせ湖なのだから、別に周囲を警戒する必要もないだろう。
タイムロスを防ぐために背中の翼をバトルアックスに戻し、私は湖を目指してより高い枝に飛び移る。下を見るとかなりの高さで地面の方には霧がかかっているのが確認出来た。
「…………ん」
唐突に視界が開ける。大きくジャンプして太い枝にしがみつくと、その先の遙か下には大きな湖があった。襲われたという村落の、優に五倍の広さはある。見た印象としては深さも相当ありそうだった。
水面近くに一角龍の姿はない。ということは潜っている可能性が高そうだ。一角龍は月に一度ほど大型動物を捕食する以外は基本的に水の外には出ない。翼に見える部分は実はひれが進化して出来た部位だったりする。
「……はっ」
木の枝から飛び、そのまま浮遊感に身を任せる。手足を大きく広げて風を受けると、服が徒に膨らみ変な感覚だ。そのまま空中で一回転し、地面に当たる直前で勢いを殺すためにほんの数センチ転移する。魔力の消費を最低限に押さえて着地する節約術だった。
湖面には霧が漂い、向こう岸まで見通すことは出来ない。改めてその広さを実感しながら、これからどうしたものかと考える。
湖の中に潜り、一角龍に戦いを挑むのもそれはそれでアリだ。しかし、酸素を連続的に肺の中に送りながらの戦闘となるため、短期決戦でないと酸素を転移させる魔力が切れたと共に即死に至る。それは少々リスクが大き過ぎる気がするので、あまり取りたくはない方法だ。
だとすると、何とかして一角龍をおびき出さなくてはいけないけれど……。
「…………」
特に良い方法は思いつかない。とりあえず湖の近くの木陰に身を潜めて、湖から出てくるのを待つくらいしか方法が――。
「――ッッ?!」
突然の出来事だった。
大地が震えたかと思った瞬間に、背中に衝撃を受け空中に吹き飛ばされる。一回転して振り向くと、そこら一帯の木々が全て根から倒れていた。その上空に、全てをなぎ倒した強風を生じさせた――一角龍がいた。
……本当に後ろから来るとは。
やはり警戒を怠るのはいけなかったと反省する。と同時に距離を取ろうと、バトルアックスを翼に変えた。背中から生えた大翼を一角龍が起こした強風に耐えるために羽ばたかせる。
頭から伸びる長い角は電撃を纏っていて、一角龍が興奮状態にあることがわかる。とりあえず空中戦は魔力消費が激しいので、相手の翼を斬り伏せないといけない。
風を起こすのが効かないと悟ると、一角龍は翼を羽ばたかせるのを止め、こちらをその透き通った眼球で見据えてくる。大樹ほどもある巨体に睨まれるとさすがに恐怖を感じるが、尻尾を巻いて逃げるわけにもいかない。背を見せた瞬間に命を取られるのは目に見えているから。
風が弱まったので翼を小さくすると、背から余った黒蝶たちが私の身体の周りを自由に飛んでいる。それらは私の指示で集まり、黒光りする一太刀の剣となった。
一角龍の懐に転移し、片方の翼を斬り落とす。そうしなければ勝機はないだろう。
「……はッ」
魔力を身体に行き渡らせ、一角龍の懐の座標に同じだけの魔力を注ぎ、私は転移しようとした。
「……ッぐッ」
が、その身体は一角龍の懐ではなく、唐突な痛みと共に遙か上空に突き上げられていた。
水しぶきが私の肋骨を破壊し、口から血流が吐き出される。息が吸えないところを見ると肺に穴が開いたか――?
何が起こったのかわからず、条件反射で攻撃がきた湖の方を見る。
そこにはもう一体、一角龍がいた。
「……二体?」
聞いていた情報と違う。一角龍は一体のはずだ。
……いや、落ち着け、ミア。こんな状況、よくあることだ。とにかく、酸素不足で思考停止する前にダメージを受けた部位を再生しないと……。違う、まずはここから安全なところに転移して……。
森の方から雷撃が飛んでくるのをかろうじて避ける。雷撃はそのまま向こう岸にそびえ立つ一際高い木に落ち、それは途端に炭と化す。
「――キィィィィァァァァァァアアアアアアアアア」
一角龍二体の雄叫びが森を揺らした。湖は飛沫を上げ、木々が倒れる音が空を切り裂く。
私は、真下の湖に雷撃の光を見た。
――避けられない!
私は目を瞑り、咄嗟に転移する。それはきっと、今まで使った転移魔法の中で一番早かったに違いない。
がたっという音が耳に響き、背中に軽い衝撃。温かな空気と、木の匂いを感じて私は転移魔法が成功したことを確信する。
「ミアっ!?」
目を開ける。そこには私の大事な人がいる。
咄嗟に転移した場所は、簡単に位置情報を手に入れられる、私の血液を使って身体を生成した――リリィの近くだった。ベッドと机だけの、よく整理された、彼女の部屋だった。
「……りりぃ」
私の呟きに、彼女は泣きながらどうすればいいのだろうとおろおろしている。そうだ……私は今、血だらけなのだった。いきなりこんな姿を見るのは、リリィには厳しいだろう。
そろそろ本格的に脳がまずい。薄らぐ意識に鞭打ち、自分の身体を感覚する。損傷した箇所は……肋骨の全てと肺……胃も破裂している。
体内から砕けた骨をとりあえず一端、体外に転移させる。どしゃっという音が耳元から聞こえ、骨が砂状になるほど砕けていることがわかる。次に肺に開いた穴の周りの細胞を少しずつ塞ぐように転移させていく。
「……ッひゅぅ」
全ての穴を塞いで、肺に酸素を転移させると少し意識がはっきりとしてきた。と共に、とんでもない激痛が私を襲う。
「み、ミア、だ、大丈夫!?」
リリィは立ち上がり、こちらを見下ろしている。その顔はまるで自殺願望があった頃のような悲痛を浮かべていて、これはリリィのためにも早く回復しないとな、と気合いを入れ直す。
体外の骨のクズをきちんとした肋骨の形に組み替え、転移させる。前にリリィが手首を切った時に比べれば、自分の身体なので簡単な手術だ。誤差を出すことなく元通りの位置に肋骨を転移させると、魔法に頼らずに自力で呼吸出来るようになる。
「……っはぁ、ハァ、ぁ……」
「ミア? 大丈夫? ねぇ、返事して……ねぇッ!」
リリィが涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、私の肩を抱いてくる。
「ミアが死んじゃったら……わたし、生きていられないよ……!」
悲痛な叫びだった。リリィにとっての私の価値は、自らの命と等しい価値にまで大きくなっていることに気付く。私は上半身を起こして返事をした。
「大丈夫」
「うわぁっ!?」
びっくりしてリリィは今度は尻餅をつく。忙しい子だ。
「い、いきなり大丈夫にならないでよ……」
「ご、ごめん……」
謝ると、リリィに抱きしめられる。腰に手を回され、その大きな身体を私に押しつけてくる。自分の服に私の血がつくことを気にせずに、深く温かく抱きしめてくる。
「危なくないって、言ったよね……?」
「うん……」
非難するような口調で涙混じりに、リリィは囁く。その必死さに、私はやっと気付く。私の身体は私だけのものではないのだ、と。
私は言った。
「この血は返り血……だから。私自身は怪我はしていないの」
「……そうなの?」
「うん。ほら、この通り」
リリィの腕の中から抜け出し、両腕を目一杯大きく広げる。目立った傷は全て治癒されているから、たぶん信じてもらえるはずだ。
「…………」
じぃっとリリィが這わせるように私の身体を隅々まで見ていく。その視線は私の頭の毛先から足の爪の先まで順々に移動されていって、最後に私の目を捉えた。
「……大丈夫、みたいだね」
「うん」
頷く。それに安心したかのように、リリィははぁとため息をついた。それに合わせて髪が散り揺れ、私の頬を撫でた。柔らかい感触とともにリリィの仄かに甘い匂いが香られ、私は安心する。
「よかった……」
リリィの呟きは本当に切実で、胸の奥がきゅぅと温かくなるのを感じた。だから、私はリリィの頬に伸ばしかけた手を途中で下ろした。
まだ仕事は終わっていない。それが終わって、真に安全と言えるまで、私には彼女に触れる権利がないのだと思う。
「そうだ、とりあえず服脱いで! いつまでも血だらけのままでいられないでしょう?」
そんな私の決意に気付くわけもなく、リリィはパンッと手を打って言った。それから、私の服に手をかけて、
「はい、ばんざーい」
「……自分で出来る」
「いいんだよー、ミア、疲れてそうだし」
リリィに後ろから抱え込まれるような体勢になり、無理矢理服をはぎ取られてしまう。地肌にリリィの部屋の空気が当たり、なんだか清々しい。
するとリリィが、わわっ、と声を上げる。
「なに?」
「ううん。ミアの身体って綺麗だなぁと思って……」
「そうかな……わかんない」
「へぇ」とか「ほぇ」とか言われながら全身を全角度から見られる。さすがにあまり気分の良いものでもない……ので、私はさっさと自分の部屋に引き上げることにした。
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