戦いの朝
用意するものと言えばバトルアックスくらいしかないのだけれど、一応早起きなんてしてみた。日が昇るのを窓から見て、私はベッドの上で軽くストレッチを始める。
『了解。詳細を求む』と送ったあと、私のクライアント……つまりこの国の王からはすぐに返信が来た。その北部の村の正確な場所、森の中には村民を立ち入らせない法令を発布したこと、宿泊場などは無償で村が提供してくれること……色々なことが書いてあった。
私にからすれば村の正確な場所の情報だけ知れれば他の情報は特に何もいらないので、その紙は目を通したあとすぐに燃やしておいた。リリィに見つかっても何かと心配をかけるだろうし、早く処分しておいたほうがいいだろうと思ったからだった。
リリィには昨日のうちに、明日は早く出るけど気にせず眠っていてくれ、という旨を伝えておいた。だから今頃はすっかり夢の中だろう。
「…………」
唐突にリリィの寝顔が見たくなってきた。気付けば、忍び足でリリィの部屋の前まで来てしまっている。
「…………」
音を立てないように全神経を右手に集中させながら、扉を開ける。中はカーテンのおかげでまだほの暗く、リリィの寝息がすぅすぅと聞こえる。私はつま先立ちになって、ゆっくりとリリィのベッドに近づいていく。
呼吸で胸が微かに上下し、お腹のあたりのタオルケットが少しずれて寒そうだった。それを直してあげると短く呻き、満足したようにまた寝息を立て始める。首の下に敷かれたように広がっている小麦色の髪とあどけない寝顔の対比が何とも言い表せないほどに愛おしい。仕事がんばろう、という気持ちが自然とわき出てくる。
すると、リリィは何かを感じ取ったのか、目をパチリと開ける。私はリリィをのぞき込んでいたので至近距離でばっちり目が合う。
「うわぁっ」
がちん、とおでこに激痛が走り、私は尻餅を打って呻いた。リリィが驚いて飛び上がった拍子に額同士がぶつかった……みたいだ。
「ご、ごめん……」
「いや大丈夫」
リリィは慌てて謝ってくるけど、別に謝ることでもない。というかどちらかというと私のほうが悪い気がしなくもない。
「ふわぁ……ミア早起きだね」
「うん、今日からお仕事」
「あ……ああっ! そっか、そうだった! 今何時!?」
あくびをして目を擦っていたかと思うと、いきなり慌て始める。本当にリリィは感情豊かで見ていて飽きない。
「まだ夜明けくらい」
「そ、そっか……朝早いってそんなに早かったんだ……」
リリィは髪を後ろに流し、ベッドから起きあがる。それからカーテンをさーっと開いて、朝日を部屋に取り込んだ。
「起きようと思ってたんだけど、寝坊しちゃったみたい」
「……起きなくていいのに」
「そんなのダメだよ、ミアの朝ご飯作らなきゃだもの」
言うと、リリィは部屋から出て行く。私もそれについて行き、リビングのテーブルにぽつんと座る。いつも仕事に出るときは一人で、特に感傷もなく出ていたものだけど、リリィがいると色々忙しいらしい。
「いただきます」
リリィがすくらんぶるえっぐというものを作ってきて、それとパンを食べる。すくらんぶるえっぐは甘くて、それでいてリリィ特製のトマトソースの酸っぱさがいいアクセントとなってほっぺたが落ちるほどおいしい。
すぐに皿に盛られた分は空っぽになって、おかわりはないのだろうか、とリリィのほうをチラチラと見ると、彼女は苦笑して自分の分のすくらんぶるえっぐを分けてくれる。申し訳ないと思いつつも、フォークは止まらなかった。
「フォーク使うの上手くなったね。ミアは元々器用だからなぁ……」
「うん、すくらんぶるえっぐおいしい」
リリィが何か言ったようだけど適当に流して、ただただすくらんぶるえっぐを平らげていく。しばらくの間、皿とフォークがぶつかり合う甲高い音だけがリビングに流れていた。
「そんなに早く食べたら身体に悪いよ?」
食べ終わって満足すると、リリィがこらえきれないといった風に吹き出しながら言う。別に私も早く食べたいわけではないのだが、気付いたら早く食べてしまっているからしょうがない。こればっかりは、直すことは出来ないのだ。
リリィが皿を片づけ、それを横目に私はバトルアックスを部屋から持ってくる。私の背ほどもある重量感溢れる見た目の割に、実際の重さは手にとってもほとんど何も感じないほどに軽い。
「……仕事に、それ使うの?」
皿洗いを終えてリビングに帰ってきたリリィが訝しげに訊いてくる。
「うん」
と答えると、リリィはますます眉間に皺を寄せて、
「ミアのお仕事って、なに?」
この質問にはどう答えたものだろうか。
リリィの顔は真剣そのもので適当にはぐらかせるような雰囲気ではない。それに、隠していたとしても一緒に暮らしていれば自然とばれてしまうだろう。
それ以前に、私は彼女に最低限のことは知っていて欲しかった。
「戦いだよ」
私は答える。私の仕事の説明で、これ以上に的確な表現はない気がした。
「…………危なくないの?」
私の答えを聞いたリリィは途端に心配そうな顔をする。私に向けられているその表情に、私は胸のあたりがなんだかぽかぽかと温かくなった。
今までに、こんな仕事をしている私をこんな表情で心配してくれる人がいただろうか。
「大丈夫」
私は安心させるように大きく首肯した。彼女はそれに安堵したように頷きを返し、微笑んだ。
「じゃあそろそろ行く」
「あ、ちょっと待って」
リリィは何を思いついたのか、私の部屋へと駆け込んで、何かを持ってきた。すると私の頭を手で寄せ、何かを耳にかける。
赤いカチューシャだった。
「はい、いってらっしゃい」
胸元で小さく手を振るリリィ。その姿を目に焼き付けて、私は深く誓った。必ず、帰ってくる、と。
「いってきます」
その呟きがリリィの耳に伝わる時には、すでに私は北方の森に転移していた。
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