要請
「おむらいす?」
「うん、わたしの得意料理なんだ」
リリィお手製のからあげを食べてから数日後のこと。私はずっと保留していた論文を自室にこもって書き続けていた。するとリリィが私の部屋の戸を叩いて、笑顔でおむらいすという料理を作りたいと言ったのだった。
「何が必要?」
「始祖鳥の卵と……あとお肉、それとトマト……コーンもあるといいかも……ちょっとメモに書き出してみるね!」
そう言うが早いか、リリィは走っていってしまう。
思えば、随分と元気になったものだと思う。最初の頃に比べたら本当に嘘みたいに……よく笑うようになった。たぶん、これが彼女の本来の性格なのだろう。私が魔法で見た前世の記憶の中の彼女と……全然違うけれど。
いや、少し違う。彼女はもう『百合』ではなくて、『リリィ』なのだから。
そう言えば、リリィの素晴らしい仕事のおかげでリビングは原型を留めないほどに綺麗になり、食事はそこで採ることに決まった。そして物置と化していた一室も整頓され、今はリリィの部屋として使われている。
なんだか、リリィが来る前に比べて家の中が明るくなった気がする。それは片づいたのだから物理的に陽光が差しやすくなったのもそうだが、やはりそれ以外にも理由があるんだと思う。
私は差し込んでくる光に目を移し、その中を飛ぶ森の鳥たちの姿を眺めた。ゆっくりとした時間の流れと、温かい空間と。
私は丸机に散らかる論文を整理して、立ち上がる。それと同時に、お腹がぐぅと鳴った。
「リリィ」
リリィの部屋を開けると、そこには机に向かってあれこれ考えている彼女がいた。私の呼び声に振り返る彼女の髪は陽光を受けて黄金に輝き、笑っているかのようにはらはらと揺れた。
「ミア、もう少し待っててね」
「あの……昼ご飯……」
「あ、そっちのご飯も作らないと!」
ガタッと立ち上がったので私が避けると、部屋から飛び出して台所に消えていった。あまり丈夫な木で作ったわけではないので、床が抜けないかが心配だ。
やることもないので、なんとなくリリィの部屋に入ってみる。リリィらしくきちんと整理された綺麗な部屋で、でも家具がベッドと机しかないのが少し寂しい。机には自分で書いた料理のレシピの紙が揃えて右上に置いてあり、真ん中には今書いていた『おむらいす』のレシピがある。
そういえば、と思って、レシピを書いた紙を覗いてみる。
そこには前世の記憶の中で使われていた文字ではなく、きちんとこちらに実在する文字が羅列されていた。
上手くいってはいるようだ。召喚するときに、こちらの世界で最も文法が易しい言語を彼女の言語と置き換えておいた。会話は正常に行えているので、文字はどうだろうと心配だったが、何も問題はないようだった。
紙を置いて、リリィのベッドに座る。これはリリィの部屋を作るにあたって、唯一後から買い足したものだ。結構値が張ったもので私のより寝心地が良かったりする。私のベッドは少し固すぎるんだ。
「…………ん」
寝転がってみると、やっぱりほわほわと柔らかい。しっかりとした弾力が私の身体を包み込んでくれる。枕に顔を埋めてみると、リリィの匂いがした。同じシャンプーを使っているのに、リリィの匂いは私と違って甘いような匂いだ。
すーっとリリィの匂いを吸って、肺に溜める。するとリリィを抱きしめたときのことを思い出して、なんだか温かい気持ちになった。少し骨張ったリリィの感触を感じて、私は自分の頬がにやけるのを感じる。私はリリィと抱き合うのが嫌いじゃない。
でもリリィは抱き合うのが嫌いみたいで、一昨日の夕食後に後ろから抱きしめたら真っ赤な顔で逃げ出して、十分くらい口を聞いてくれなかった。それから『次に抱きしめたら一週間ご飯抜き』というルールをリリィが決めてしまい、なかなか抱きつけない状況になってしまった。
少し残念ではあるけれど、リリィが嫌だったら無理強いしちゃいけないとは思う。人間、時には我慢も大切なのだ。
いつまでもゴロゴロしていると寝てしまいそうなので、そろそろやめておく。リリィがいる台所に行こうかと思ったけれど邪魔しても悪いので、リビングに戻る。
リビングには大きなテーブルと、本棚が置かれ、そこに前まで散らかっていた数々の本が収まっている。その隣には伝達用の紙が置いてある小机がある。
そこに何か書いてあるのを見つけて、私は小机の前に行き、紙を見てみた。
「北部の集落に現れた一角龍の討伐要請」
村人たちの情報によると、確認出来た一角龍は一頭のみ。すでに成熟した個体であり、数百人規模の部隊編成が必要とされるであろう。我々王府は現在、遠征作戦により人員を割くことが出来ない。
そこであなた方にこの個体の掃討を依頼したい。
報酬は五千万程度を予定している。交渉には応じる。
「…………五千」
ついにきたか、という感じだった。
リリィのお使いで王都に行くたびに、掲示板に貼ってあるこの災害についての新聞を目にした。その中での大体は王府の対応の遅れ、その理由となっている遠征の是非を論じていた。ほとんどの新聞が遠征を批判し、町民の負担を嘆く方向で書かれていた。
王府も早くこの災害を解決したいことだろう。そこで私にお鉢が回ってきたというわけだ。
私は相手先の受信用紙に向かって、『了解。詳細を求む』という形にしたインクを転移させた。
「ミア?」
声に振り返ると、リリィはお皿を持って立っていた。
「どうかしたの?」
「ううん、ちょっと仕事」
そうなんだ、と答えてリリィはテーブルにお皿を並べ始める。
仕事が始まったら家を朝から晩まで空けることになるだろうけど、今のリリィならもう大丈夫だと思う。私が帰ってくるまで、自傷行為になど走ることなく落ち着いて待っていられるだろう。
「な、なにかな、じろじろ見て……」
「ううん、なんでもない」
私が見ていることに気付いたリリィは若干恥ずかしそうにしながら、席に着く。それに向かい合って私も座り、手を合わせた。
「じゃあ……」
「うん、いただきます」
「いただきます」
気付けば、私は食事の前に自然と手を合わせられるようになっていた。
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