選択


 昨晩一睡もしていなかったのだから疲れているわけだ。

 ベッドに寝ている彼女は目を覚ます気配を見せず、陽ばかりが斜めに傾き、部屋をオレンジ色に染めた。彼女を放っておくとまた自傷行為をするかもしれないので、私は自分の部屋で作業を進めることにした。

 『召喚魔法』の論文執筆だった。研究費を少しばかり出してくれた王都に提出しなければならないものだった。かなり面倒な作業だし私の五年間を他人に見せるのも嫌だしで気分は乗らなかったが、王都は一応私の仕事のクライアントだ。むげには出来ない。

 私は最初に、『召喚魔法』のシステムを仮説として簡単に説明し、裏付けとなる実験結果を述べていった。そしてさらに詳しくシステムの理論を説明していく。

 私が万年筆を動かすのに合わせるように、目の前のベッドで寝ている彼女の胸は上下に動き、規則正しく寝息を立てている。ゆっくりとした時間だった。

 私は台所にコーヒーを淹れ直しにいき、そのときに思い立って水に濡らしたタオルも持ってきた。

「…………ごめん」

 彼女が寝ているうちに身体を拭いておいてあげようと思った。起きたらまた暴れたりしかねないから、静かな今のうちにさっさと済ませてしまいたい。

 彼女の身体を持ち上げて、着せていた服を脱がす。一枚だったので簡単に脱がすことが出来、彼女の裸体が露わになる。

 意識して見るとやはり痩せぎすな身体だった。あばら骨が浮かび上がり、乳房の膨らみはほとんどない。太ももですら骨と皮だけといった調子で、全体的に脂肪が足りていないようだった。

 『召喚魔法』では、魂がこちらの世界に定着しやすいように、生前の最期の瞬間の身体を用意する。つまり、彼女のこの身体は私の血液から出来ているとはいえ、生前の彼女の身体を忠実に再現出来ているはずだ。

 だから彼女は、生前、このような栄養失調気味な身体だったということだ。それは彼女が起きてすぐに自傷行為に走ったり、私に暴行を加えたりしたことと何か関係があるのだろう。私はその『何か』を想像しようとして、思い直してやめた。

 もし彼女と暮らしていくという選択をしたのなら、きっとのちのちわかることだ。……もちろん、彼女と暮らすなんてまだ決めたわけではないが。

 首のあたりから起こさないように優しく拭っていく。するとところどころで身じろぎやうめき声などの反応があり、「ああ、私以外の生きている人間が私の部屋にいるなぁ」なんて思ったりする。つい前までは魔法陣と向き合ってばかりいたのに、妙な話だ。

 私は彼女をどうするべきなのだろうと考える。

 彼女は目覚めた瞬間、自ら命を断とうとした。私は彼女の召喚を成功ととらえたが、彼女からしたらそれは失敗だったのかもしれない。もしかしたら目を開けて飛び込んでくる光を見たとき「生き延びてしまった」と思ったのではないだろうか。

 彼女がもし死を望んでいるのだとしたら――。

 彼女を生き返らせたのは私だし、彼女の自殺を止めたのも私だ。それが彼女にとって良いことなのか悪いことなのか……それは置いておくとしても、やはり責任は生じるだろう。彼女に生きることを強いたのならば、強い続けなければならない。そして、生きることを保証し続けなければならない。

 彼女が生き続ける、その援助を私はしなければならないだろう。だったらやはり、しばらくは一緒に暮らさないといけない。せめて彼女が落ち着くまでは……。

「……はぁ」

 そんなこと、私に出来るのだろうか。他人と関わったことのない私に。他人を拒み生きることを拒む少女と一緒に暮らしていくことなど。

 一通り拭き終わり、そっと自分の額を拭った。人一人の身体を拭くことは存外に疲れるものらしい。私は汗ばんだ身体をそのタオルで簡単に拭い、それから論文の執筆に戻った。

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