小麦色
目を覚まさない少女をとりあえず私のベッドに移動させた。
いつまでも裸のままでも困るので、私の服を着せようとしたが、サイズが合わない。少女は私より背丈があった。なんだか負けたような気がしたが、魔力で少し服を改造し、それを着せる。
彼女は、本当に呼吸しているのかと疑わしくなるほど微動だにせず、死んだように眠っている。その姿をじっと観察していると、彼女がとても美しいことに気がついた。
小麦色の髪は腰のあたりまで伸び、今は少女の身体をふんわりと受け止めている。少し垂れ目がちな目は、けれども優しそうな印象を人に与え、顔の真ん中には高すぎない鼻が可愛らしく鎮座している。まだあどけなさを残した寝顔は、私にとても愛おしく感じさせた。
外を見るとすでに夜になっていて、耳を澄ませば虫たちの鳴く声が聞こえる。私は台所から始祖鳥の肉を持ってきて、少女の前で食べた。
思えば、誰かと食事するのは十年ぶりぐらいだ。そう考えると、なぜだかとても居心地が悪く感じて、なかなか肉が喉を通らない。今までの私にとって食事とは一人でするものであって、誰かの前でするものではないからだ。
「…………」
というかよく考えればそもそも、食事以前に、私は他人と会うのが十年ぶりじゃないか。
あ、いけない。なんだかすごい恥ずかしくなってきた。
「…………っ」
私は立ち上がり、急いで自分の部屋を出た。後ろ手に閉めたドアがものすごい音を立てる。
今の音で少女が起きていないか心配になって……でも起きていたらどうすればいいのかわからないので、部屋の中を確認することもできない。
「…………なんで」
……なんで私は、『召喚魔法』なんて面倒臭い魔法を成功させてしまったのだろう!
後先考えずに行動してしまうのは私の悪い癖かもしれない。
召喚に成功したあの少女を、これからどうするべきだ?
当然のことながら、今までの動物たちみたいに山に逃がすわけにはいかない。あの子はいきなり召喚されて異世界から来た女の子だ。とても一人で生きていくことは出来ないだろう。
それに、勝手に召喚しといて放置するなんて、無責任過ぎる。
となると。
――一緒に暮らす?
「…………無理、それは絶対。無理」
考えただけで頬が熱くなってくるのを感じる。本や紙の切れ端などでゴミ屋敷と化しているリビングを、意味もなくグルグル回り、どうにか落ち着こうと頑張ってみる。足の裏に紙が張り付き、積み上がっていた書物の山が崩れ落ちた。
私は思い出したように手に持っていた肉を頬張り、心の安息を計る。
とりあえずあの女の子が目覚めてから考えよう。と思う。
女の子のことを頭から追いやり、意識的に仕事のことを考えようとする。
が、今は休暇をもらっているから、仕事は来週からなので特に考えることも準備することもなかった。
「…………どうしよ」
ああ、どっかいけ、どっかいけ、どっかいけ……。
どうあがいてもあの女の子の姿は頭から出て行ってくれない。
見た目から推測するに、たぶん私と同じくらいの年齢……だと思う。とすると、余計にむずかしい。同じ年代の子と話したことなんて、それこそ今までの人生で一回もない。
私はどこで生まれたのか誰の子供なのかわからない。物心ついた時には孤児たちが集められた家で育てられていた。自分に魔術の才があることに気付き、その家を出て、山の中に小屋を作って暮らし始めた。
だから、自分を育ててくれた年配のおばあさんくらいとしかまともに話したことがない。詠唱と独り言以外に、声帯を使ったことがほとんどない。
「…………無理」
どう考えても無理だった。
きっと、目が覚めた少女に「おはよう」という言葉を絞り出すだけでも、声が裏返り、視線があらぬ方向に飛んでしまうに違いないし、もしかしたら足がもつれて転んでしまうかもしれない。仮に「おはよう」と言えたとしても、それからどんなことを話せばいいのだろう。本日はお日柄もよく……とか、ご趣味はなんですか……とか言えばいいんだろうか。そんなこと聞いてどうするのだ。
私は彼女との会話を想像しただけで、心拍数が異常に上がり息が荒がり始めた。もしかして私死ぬんじゃなかろうか。自分以外の人間が家にいるストレスで発狂してしまうんじゃなかろうか。
その場をぐるぐる回りながら、ボサボサの黒髪をさらにワシャワシャと掻き乱す。そこで、自分の身なりが、とても人に見せられるものじゃないことに気がついた。そういえば、育ててくれたおばあさんも言っていた。『人様への礼儀のまず第一は、身だしなみですよ』、と。
慌てて洗面所に行って、自分の姿を映してみる。そこには、異常に悪い目つきが特徴の、肩のあたりで乱雑に切られた黒髪を持つ女の子が立っていた。
ひとまず、この黒髪を何とかしようと思い手櫛で撫でつけてみる。でもどれだけとかしても全然ストレートにならない。こんなボサボサした髪であの女の子の前に出たら、きっと嫌われてしまうのに!
そこで、ちゃんとした櫛でとかそうと思い立ち、でも櫛なんてこの家にあるのだろうかと考え直す。小さい頃はおばあさんによく髪をといてもらったものだけど、あの家を出るとき、櫛を持って出てきた覚えはない。だったら、私の家に櫛なんてものがあるはずはなく……。
魔法で作るしかない、と思った。
それでバトルアックスを持ってこようと思って、それが私の部屋――今女の子の寝ている部屋にあることを思い出した。櫛で髪をとかすにはバトルアックスを取ってこなければならず、そして取ってくるには女の子が寝る部屋へ行かなければならない。
もしその女の子が起きていたらどうしよう。まだ心の準備は出来ていないし、そもそも女の子と話す準備として身だしなみを整えようとしているのだ。万が一女の子が起きてしまっていたら、何もかもが水の泡だ。
「むむ……」
腕を組んで考える。これは難しい問題だ。どんな方法を使っても、可能性は二分の一。行くか行かないか。でも、女の子と話すためには櫛は必要だし、結局行くしかないのだ。でも……。
「…………ん」
ゴチャゴチャと色々なものが入っている洗面所の引き出しから、赤い何かが覗いているのが見えた。そういえば、と思い出して取り上げてみるとそれは赤いカチューシャだった。
おばあさんの家から出てくる時に、していたヤツだ。確か誕生日プレゼントか何かでもらったのが嬉しくて、子供の頃はいつもこれをつけていたような気がする。とりあえずこの赤いカチューシャをつけて、心を決めた。
ゴクリと唾を呑み、足音を立てずに部屋の前まで歩く。そこで一息ついたあと、おそるおそるドアノブに手を伸ばす。
「…………がんばれ、わたし」
小さく呟いて、ゆっくりとドアノブを回した。
あとは押し開けるだけだ。力を入れて、私はドアを開けようと――。
ガシャン、と、部屋の中から何かが倒れる音がした。
咄嗟に、そのような音を立てられるものが私の部屋にあったかを考える。私の部屋には家具はベッドしかない。ベッドがもし仮に倒れたら、こんな音じゃすまない。
だとすると、考えられる音の発生源は――。
私はドアを開けた。
そこには、質素なベッドがあって、その上に少女の姿はなかった。部屋の隅に視線を移すと、そこに、彼女はいた。
細い身体でバトルアックスを持ち上げて、その刃を、自分の首に押し当てようとしていた。
私はすかさず、バトルアックスに魔力を送った。
すると、少女の腕に抱えられた柄は崩れ、そこからは黒蝶らが溢れるようにこぼれだした。バトルアックスの刃は、少女の首の皮膚の表面を傷つけるだけに止め、次々と黒蝶になっていく。
黒蝶は私の周りに集まり、ただひらひらと舞っている。
「うぇっ……ひっぐ、うう……ひっぐ……」
少女は泣いていた。私よりも大きな身体を小さく縮めて、嗚咽を漏らしながら泣いていた。
彼女の首筋から一筋の血が垂れ、私の着せた服を赤く染める。
「…………」
なんて声をかければよいだろう。
「おはよう」だろうか。
「本日はお日柄もよく……」だろうか。
「ご趣味はなんですか?」だろうか。
目が覚めてすぐに自ら命を断とうとし、今なおただただ泣き続ける少女に。
かける言葉など、あるのだろうか。
私はしゃがみこんだ女の子の前まで近づいていった。女の子は私のほうを見ようともしない。自分の膝に顔を伏して、しゃくりあげている。
なんと話しかければいいのかわからないし、彼女が言葉を必要としているのかもわからない。彼女は何を求めているだろうか。私がどうしたら、その悲しそうな泣き声を止めてくれるだろうか。
私は気付けば、彼女の小麦色の頭に、手を伸ばしていた。
綿毛に触るように、くずさないように背伸びして撫でてみた。
少女は私の手にびくっと驚き、身体をひっこめる。そして、私がなお撫でようとすると、小さな手で、私の手を払った。
彼女は顔をあげて、こちらを見た。真っ赤に泣きはらした目は、私を殺さんばかりに、睨みつけている。
私は手をひっこめ、彼女から距離をとった。すると、彼女はまた顔を伏し、泣き始めた。
「…………」
――私の召喚魔法は、本当に成功したのだろうか。
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