第25話 職は気高し殉ぜよ乙女

 少年は寂しげに、エレベーターホールに佇んでいた。

 自分の望みを他人に素直に訴えかけるのが、あまり上手ではない子であった。

 たとえそれが、親であっても。友人であっても。


 一度自分の好意を表に出してしまうと、その勢いが止まらずに、周囲に引かれてしまうことも多々あった。それが彼の孤独に、拍車をかけた。

 帰りの遅い両親に、「早く帰ってきてね」と本心を伝えることも出来ず、ただただ待った。彼はいい子であったから。


 自ら友人を誘って遊ぶことも、何となく気恥ずかしくて、出来なかった。

 でも本当は、誰かに声をかけて欲しかった。だからこそ、一人で部屋に閉じこもらず、誰もいないエレベーターホールで、佇んでいたのだ。


 いつか誰かが、呼び止めてくれるかもしれない。

 自作の研究ノートを読みふけり、一人ぼっちの子供を守ってくれるスーパーヒーローを、夢見ながら。

 その日も少年は、静かに佇み続けたのである。


「一人……なのか」


 ふいに声をかけられ、顔を上げると。

 少年の眼鏡には、網タイツの長い永い脚が、映り込んだ。

 女性とは思えぬほどのおおきな体。しかしその目は優しげで、巨象を思い起こさせたという。

 少年と鉄人のこうした出会いの回想は、熱気渦巻く蒸気によって、瞬く間にかき消され――。

 いざ、話を戻そう。溶鉱炉の橋の上、まみえる三者は全身タイツサイボーグ、ベージュストッキング新米刑事、そしてハイヒール網タイツ巨女!


「あっ……、あなたは……? 先輩に買われた、剣脚の……? 真壁蹴人まかべ けるんどさん?」

「……病院で会ったな。まさか……共闘することになるとは」


 銀のタイツに包まれた丁阡号ていせんごうの腹を、一本脚で突き破り、そのままの状態で掴みかかって勝負を挑む、網タイツ巨女の真壁蹴人。

 同じく丁阡号の腕に組み付いて片腕を封じていたのは、『マグマ』こと溶岩幸子ようがん さちこである。

 目前の強敵を前に、想定外の二人がかりとなったこの剣脚たち。お互いに軽く会話を交わしながら、全身タイツサイボーグへ、全面攻撃全力全開だ。


「半人前ト、半死人ガ、手ヲ組モウト意味ナドナイ」


 腹と腕に余計なオプションが付いてしまった丁阡号の方は、そのまま飛んだり跳ねたり回ったりの、大太刀回りである。

 女二人、しかもそのうち一人は巨女という、大容量を同時に抱えながらも、倒れることも膝をつくことすらもないのだ。

 それだけではない。この改造人間、蹴人の蹴りが突き刺さって腹に穴が空いてすら、未だに余裕の有様であった。

 バチバチと電子部品のスパークを飛ばしてはいるが、意にも介さず、致命傷にもなってはいない。


「これを使え!!」


 叫びとともに熱気をかき分け、飛んできたのは一本の脚である。

 先の戦いで付け根から切り取られた、真壁蹴人の網タイツの左脚だ。

 崩れた赤いハイヒールは、『KEEP OUT』と書かれた規制線の黄色いテープで修繕されていた。警視庁御用達の逸品を拝借したものである。

 これを真壁は受け取って、両手に構えて振り下ろし、丁阡号の仮面の顔面に打ち据え続ける。

 かくしてようやく、真壁蹴人という大槍と、彼女の左脚という追加武装を戦場に投げ入れて、筋肉漢の水町みずまちゲロルシュタインはごろりと横になったのであった。


「刀を持たぬ俺に出来るのは、ここまでだ……! 後は任せたぞ、鉄人とやら……」

「お、お前ら、いつの間にここまで降りてきてたんだ……? いやそもそも、真壁蹴人は生きてたってのかよぉ……??」


 ロン毛片目の大男・水町に話しかけたのは、傍らの延山篤郎のべやま あつろうである。

 地下最下層へと階段で下ってきたこの男たちは、共に傷だらけ。ボロボロの体で寝転がって、一本橋の上の戦況を、見つめていたのだった。


「驚くのも無理はない。にわかに信じがたい話だが、生きていたのではなく、。歩けぬ身となったあの鉄人を、俺が背負って連れてきたというわけよ」

「不死身にも程があるな……。しかし水町、よく俺たちがここにいることがわかったな」

「あんたの血の跡を追ってな。地下にいることに最初に気づいたのは、告白の大声が聞こえたからだが……。声だけ聞いた感じ、フラれたか? 延山胃下垂」

「フラれてねぇよ! そいつはお前の勘違いだ……!」

「ではおめでとう」

「ちげーんだよ、告白自体が別に起きてねぇんだ!」


 掛け合いを続ける大男と痩男であったが、顔面は蒼白。息も絶え絶え。

 水町に至っては、真壁を投げた勢いで背中の古傷が開いたらしく、どうどうと血を流していた。

 苦笑いを浮かべつつ、『オイカド』印のチューインガムを背中に貼っている。


「まあ、いい……。動けぬ身でも生きている限り、俺らも出来る限りのことはしようではないか、延山よ……」

「へっ……。筋肉バカのお前と違って、俺はさっきから見てるだけだぜぇ……。水ばっか飲んでたらそんな体になれるのか? 俺だって少しは、いいところ見せてぇのによ……」

「なら、いいところを見せるのではない……。『見ろ』、延山。必死で戦う女の、勇姿をな……!」

「『見ろ』ってお前。だから、俺と『マグマ』はそんなんじゃねぇって――」


 言い返そうとした延山篤郎、思い直してその言葉を細身の腹中へ、グッと飲み込んだ。

 余計なことばかり言う自らの口に、あらためて煙草を咥え直す。

 火の付いていない煙草をギリリと噛み締めながら、延山は戦場を見据えた。

 口を動かすより、まずは刮目して見よ! そこで戦う後輩の姿を、男は真摯に目に焼き付ける。

 及ばぬ力で第一線に踏み込む、勇ましい脚。熱にやられ、錆で汚れ、傷つき、くたびれた、戦う女の脚の美しさ!


「せめてこの片腕一本でも、わたしが引き受けます! いい? ゼンタイ女! 気を抜いたら今すぐにでも一緒に溶鉱炉行き、あなたもわたしも纏めて『マグマ』になるからね!!」

「シツコイ……女ダ……!!」

「……命を捨てる覚悟が、まだ、あるのか。……『マグマ』」

「え、わっ、わたしですか?」

「……ああ」


 戦いに乱入してきた真壁蹴人に話を振られ、溶岩幸子は戸惑った。

 病院で顔を合わせたとはいえ、あの時はまだ幸子も意識が朦朧であった。漠然と大女のビジュアルのインパクトが残っている程度である。

 だが今やこの巨女、丁阡号に取り付いて共に戦う、仲間なのだ。


「もちろん!! 死ぬ気でないと、わたしみたいな若輩者では勝てませんから!!」


 振り絞った声には迷いはなく、悲壮さすらも感じられない。

 幸子の言葉を受けて、真壁蹴人は応える。


「わたしも、同じ覚悟だ……!!」


 切り取られた自らの左脚を手に持ち、武器として使っていた真壁であったが、今度はその脚を頭上に掲げて、ぶうんぶうんと振り回し始めた。

 巨女の大脚が回転することで得られる遠心力が、この鉄人の体重を倍加し、丁阡号に更なる重みとなってのしかかってくる。

 さすがの全身タイツサイボーグも、腹に刺さった巨女が鉛の如き重さでのしかかってくるとなれば、艶めかしき銀の美脚もよろめこうというものである。


「真壁さん……! 行けます! これなら丁阡号を、『マグマ落とし』で道連れに出来ます!」

「規格外ノ女メ、真壁蹴人……! ……ナンタル重サダッ……!」

「……女に向かって……重たいなどと……。やはり……人の心を忘れた改造人間なのだな……」


 真壁蹴人に溶岩幸子、二人同時に同じ方向に体重を載せ、丁阡号を同一の方向に後ずさりさせる。

 丁阡号は一本橋の欄干に、全身タイツの銀の体を押し付けられた格好となった。

 当然直下に煮えたぎるのは、溶鉱炉のとろけた鉄と繊維の海だ。

 鉄人。マグマ。ニックネームも猛々しいこの両者、戦いに賭ける覚悟はどちらも、勇猛に過ぎるものであった。

 これが最期の戦いだと認識し、命を捨てて丁阡号を亡き者にしようと企んでいる。


「あいつらっ……! バカ女どもめ……! 二人とも死ぬ気なのかよ……っ?」

「鉄人には守らねばならん子もいる。ここに来るまでに、再三の意思確認はしたが……決死の覚悟は揺るがんらしい。せめて見守れ、延山……!」


 戦況を眺めることしか出来ない、正義の血潮の刑事の両目と、巨漢の片目。

 三つの瞳が見守る中、そこに加わる二つの鏡面。グラスをきらりと光らせて、ひときわ高い声が天井から響き渡ったではないか。


「やっちゃえ!! 鉄人!!」


 この戦闘の直前、丁阡号が全身で飛びかかることで産み出した、上階の床から繋がっている天井の穴。その穴から届いた声援は、少年の叫び。

 熱気に眼鏡を曇らせて、小木養蜂おぎ ようほうが顔を覗かせ、階下にエールを送っているのである。

 驚いたのは、水町ゲロルシュタインであった。


「まさか、そんなことが……? どうやってここまで来た、小木養蜂! 愛しの剣脚の最期を見届けさせるのは酷だからと、避難させたというのに……」

「鉄人が最期だって言うなら、僕だって見届けたいよぉっ!! 僕が買った、鉄人なんだ!!」


 傷つく相棒の姿を見て、泣きじゃくっていた子供はどこへやら。

 その場の全員に有無も言わさず、笑みすら浮かべさせる激励に、誰よりも後押しされたのは、当然。

 鉄人・真壁蹴人であった。

 丁阡号の顔から上半身から、巨女の慈しみでぎゅうと抱いて、溶鉱炉へと道連れに引きずり落とすのである。


「丁阡号……! お前は……小木博士の失敗作だ……。責任をもってわたしが倒す……!!」

「命ガ惜シク無イノカ!? アレホド慕ウ相手ガ、イルトイウノニ?」

「だからこそ……! だ……!」

「お願い!! 勝って!! 鉄人ー!!」

「任せろ……養蜂。わたしは……鉄人だ」


 丁阡号は、体中の動かせる部分を滑らかに這わせて、真壁蹴人の全身を切り刻む。

 右脚。左脚。右脚。左脚。交互に蹴り上げ、しがみついた巨女を振り落とそうとあがく。

 網タイツ巨女の高位治癒ハイヒールは、赤いヒールが割れてしまったことで効力を失ったらしい。受けた傷は回復すること無く、重傷の網の目となっていく。

 だが、決して、離れない。

 こうも決死の総力戦となると、溶岩幸子の存在も侮れなくなってくる。片腕を封じた上で、しつこくこちらも体重をかけてくるのだ。

 死ぬ気と死ぬ気が掛け合わさったこの勢いの前に、丁阡号は急遽作戦を変更することにした。

 腕や脚やその体を、欄干と足場に突き刺して、土俵際での持久戦に持ち込もうというのである。


「真壁蹴人。オ前ガ既ニ、傷ヲ回復スル事モ、出来ナイナラバ……。今度コソ絶命スルマデ、ワタシガ耐エレバ、良イダケダ」

「さっ……させるかあ!! 国家権力なめんなよお!」

「オ前モ限界ダロウ、素人女。虚勢ヲ張ルナ」

「丁阡号……。お前は……わたしが……倒す……」

「マタカ? マタソレカ? シツッケーーンダヨ、デカヲンナァーーーーー。クキカカカカカカカケカ。後ハ粘ッテレバ死ヌ。ワタシガジットシテイレバ、オ前ハ死ヌ。動カナイデイルダケデ死ヌ。シシシシシ死死ヌヌヌソウシタラ次ニ、ユックリ素人女モ死死シシシシ」


 この世のものともつかぬような、不愉快極まる機械音でまくし立て、ぐにゃりと口角を上げる丁阡号。

 この全身タイツサイボーグ、ここまでの窮地にあって、まるで根を張ったかのように足場を固定し、腕を差し込み。

 徐々に力を失う真壁の巨体を、押し返していくではないか。

 土壇場の劣勢から、実力拮抗、やがて丁阡号優勢につながり、絶望の笑いはより朗々と高らかに。

 とは言えよもや、脚を突き刺し踏ん張っていた、その床そのものに穴が空いてしまうなどとは、ゆめゆめ思っていなかったのだ。


「死シシシシシ死死、シ? シィィーーーーー」


 自らに降って湧いた状況を、丁阡号が理解するのには、数秒の時間を要した。

 そう、穴が空いたのである。足場に大きな穴が空き、踏ん張りが効かなくなったのである。

 切れ味鋭い脚を橋に刺したせいか? それとも三人分の体重負荷に足場が耐え切れなかったか?

 理由はそのいずれでもない。

 上階から一本橋にスタッと降り立ち、足場に穴を開けたものがいたからだ。

 爪先のフットネイルは針のように一点特化にて、美脚女子の体重に全女子力を上乗せする。

 その多大なる重みに耐えんと、解き放たれるペディキュアは、フットネイルを彩り良くコーティングし、シンナー臭にメロメロと有象無象の男たちは酩酊するのだ。

 その装い、実にガーリー!

 この者、名を、『雑魚場ざこばレギン』と言う!


「ケーケケケケケケケケ!! 貴様はどうせ、こう言うだろう! 雑魚が何人束になろうと、敵ではないとなッ!! なら、雑魚が束になって貴様の敵になる様を見せてやろうッッ!!」

「ナッ……!?? ドウシテココニイル……? イヤ、何故、裏切ル!!」

「『戦場に連れて行け』と煩いガキのお守りで、嫌々ついてきたんだがな? 存外においしいところだったから、混ざっただけだッ! と言うか千人隊を足蹴にした時からお前のことが嫌いだったんだよッッ!! 落ちろッッ!!」


 レギン、言うだけ言って穴開けて、震える脚でバック転にて即時撤退。

 足場を踏み抜いた丁阡号に、ここぞとばかりに再びのしかかる、真壁蹴人。

 溶岩幸子は苦痛と憔悴で、既に気を失っていた。だが、しがみつく手脚は決して離さなかった。

 丁阡号と真壁蹴人と溶岩幸子、三者もんどり打って、とうとう溶鉱炉に落下――。


「……お前は、戻れ……!」


 摂氏一千五百度の海に、その身を浸してジュウと焼く寸前、真壁蹴人は溶岩幸子を橋の上に放り投げた。

 とっさにレギンスの脚が伸びてこれを引っ掛け、犠牲者を一人減らすことに成功する。

 一方、溶鉱炉にて焼けただれて悶え死んでいく丁阡号。これを抱きかかえるようにして真壁蹴人は抑え込み、共に、この世を、去る。


「ハナセェッ!! クキキキキキカカカカカカケケケケケココ」


 断末魔とも歓喜ともつかぬ声を上げながら暴れる丁阡号は、燃え上がる真壁のワンピースの下に、刻まれた三文字を読み取った。

 『丙一号へいいちごう』。

 戦いで損傷した仮面が割れ落ち、生身の目で真壁の姿を、まじまじと見つめる。

 狂躁の笑い声は次第に収束し、丁阡号が今際の際に見せた、その瞳は。

 まるで巨象のような、優しくつぶらな瞳であった。


「もう……いい。戦う必要はない……」

「オ、オ……? オォ……!?」

「寂しくも……ない。わたしが一緒だ……から……」

「オ……ネ……? おね……? えちゃ……ん……」

「最期に正気に……戻れた……ね……」

「鉄人ーーー!!!」


 見送る小木少年の絶叫。

 真壁蹴人はその声に応えるように、切り離された自らの左脚を、高々と掲げる。

 ボロボロのハイヒールの踵を立てながら、ゆっくりと鉄人は、溶鉱炉に沈んでいった。

 ――『両者死亡』。勝負は決した。


「これは『脚本』に無いことだ!!」


 中年の野太い声が地下層に響き渡ったと思うと、次の瞬間。

 激戦を生き延びた雑魚場レギンと溶岩幸子が、一瞬にして切り裂かれ、声すら上げる暇もなく倒れこむ。

 熱で揺らぐ視界に陽炎のようにして浮かび上がったのは、町長・歯牙直哉我しが なおやがと、その秘書であるガーターストッキングの女であった。


「大した力もない連中が、俺の『脚本』を狂わせるのは、許さんッ!! お前たちまとめて全員、町長直々に粛清してやるため、最下層まで降りて来てやったぞ……! まったくふざけたことをしてくれたなァ、君たちィ……!!」

「スケジュールの調整はお任せください、町長。不穏分子はこの場で全て、滞り無く摘ませていただきます」

「へえ? やっと天辺てっぺんまでたどり着いたと思ったら、町長は出張でお留守か。つれない話もあったものだな」


 ガースト秘書のノンフレームの眼鏡越しの眼差しが、溶鉱炉に設けられたスピーカーの方を向く。

 突如地下層に現れた剛脚無双ごうきゃくむそうの町長らを呼び止めた、この声の主が誰かといえば。

 我らが主人公・月脚礼賛つきあし らいさん、その人であった。


「ようやく最上階の市長室にまで登ってきたんだが、なるほど。市庁舎各所をこの部屋のモニターで監視し、必要とあればマイクで呼びかけることも出来るということか。わたしが今、やっているように」

「月脚礼賛……ッ!! 俺の市長室に無断で侵入したこと、今すぐに後悔させてやろう!!」

「上等だ。だったら今度はあんたが登ってくる番だ。来い、町長!」


 次回、剣脚商売。

 対戦者、ガーターストッキング秘書。

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