第21話 女殺蛇地獄(おんなごろしくちなわのじごく)

 語り尽くせぬ過去の話は、何も女の専売特許というわけではない。男にだって何かとあるのだ。

 クシナダヒメや卑弥呼だけでは、いささか男女不平等というもの。

 というわけで、かつて関東小芥子こけし組の次期若頭筆頭であった、若狭わかさマサの過去をここに紹介しておこう。

 話はさして昔のことでもない。場所は脚長町あしながまちの町長室。マサの眼前に立つは、新町長に就任間もない笑うヒゲの中年、歯牙直哉我しが なおやが


「ぬははは……! 君はよく働いてくれる、若狭君」

「マサ、で構いませんや。町長さん」

小芥子こけし組としてのあくどい役回りだけではなく、組内部の不穏分子を告発するための、スパイとしての汚れ役まで……! 実に助かっているよ、マサ君」

「……その代わりと言っちゃあ、なんでやすが……。例の件、頼みやすぜ」

「勿論だ、君の組抜けについては全力で協力をしようじゃあないか。にしてもだ、マサ君……おかしな話だ? 君が組を抜けるのは、惚れた女のためにカタギになりたいとかいう理由らしいが……?」

「……お恥ずかしい、こってす……」

「その惚れた女とやらは、カタギにならなくていいのかね? 君だけが組を抜けても、二人は結ばれはせんだろう? んん?」

「あっしには……何のことやらわかりやせんぜ、町長さん」


 眉間にしわ寄せ、流し目を伏し目がちにする若狭マサ。

 その視線の先にこの侠客おとこは一体、誰を見ているのであろうか。


「死んだ組長のおんなに惚れたままでは、同じ組にも居づらいのかもしれんがね……? 今や相手は、女だてらに組を支える大黒柱だ。袂を分かって、組の外から援助をしようと言うハラか?」

「……あっしには、関わりのねえ……こってす」

「まあいい、これ以上の詮索は止すとしよう。君は君の仕事をしてくれたまえ、マサ君。こちらはこちらで、『脚本』通りに事を進めるよ」

「へい」


 後日、若狭マサは戦慄する。

 官憲にまでその力を及ぼしていた一大勢力、関東小芥子こけし組。一夜にして壊滅。

 並み居る武装勢力をことごとくなぎ倒したのは、誰あろう歯牙町長その人と、彼の秘書であるガーターストッキングの剣脚だったのだ。

 燃え盛る組事務所の前で、呆然と立ち尽くすマサ。その背後から語りかける、血塗れ美脚の秘書を連れた、歯牙町長!


「ぐうーぬはははははぁ……!! どうだねマサ君、これで君は何の後腐れもなく、カタギの道を歩めるというものだよ!!」

「なっ、なんで……っ!! どうして、ここまで……??」

「なあに、小芥子こけし組は我が『脚本』での役目をとうに終えたのでね。町長の務めとして、暴力団を排除したというだけのことだ!」

「あんたらだけで……あんたら二人だけで、兄貴も、オジキたちも、全員……やっちまったってんですかい……!?」

「安心したまえ、マサ君。組長を継いだ例の極妻だけは、ちゃあんと生き残らせているよ。彼女の力は利用価値が高い。いつかまた脚を貸してもらう日が来るかもしれないなァ? それまで二人で、カタギの生活を満喫したまえ」

「町長、あんたって人は……! なんて……なんてぇ人だ……っ! いや……血肉の通った“人”なんですかい……っ? こんな人並み外れたことを……っっ!」

「ぬふははははは……! この歯牙直哉我、人である前に町長であれ! 君たち町民がカタギとして平穏無事に過ごせるよう、町の平和は町長自らが、実力で守りぬいてみせるよ。気兼ねなく脚長町で暮らすがいい! ぐうーぬはははははぁ!!」


 この凄惨な事件で生き残った未亡人こそ、鬼龍院唐紅きりゅういん からくれない

 只今現在、市庁舎内の六階から七階をつなぐ階段にて仁王立ち、最強最後の『刺脚しきゃく』として門番として、立ち塞がっている女だ。

 着込んだ和服の裾は破られ、腰まで届くスリットとなって、腿の付け根から爪先まで、彼女の右脚を露わにしている。履いているのはタトゥータイツだ。

 賢明な諸氏には既に周知のことであろうが、タトゥータイツとは、無地のタイツに画像を転写し、彩りを添えた小粋な履物である。彫師が心を込めて織り込んだその文様は、絵柄に応じた各種の力を発揮しうる。

 鬼龍院唐紅のタトゥータイツの柄は、今まさに噛みつかんと口を開き、牙を剥き毒を放った大蛇であった。ところどころに散りばめられた緋牡丹が、犠牲者の血を想起させるほどに毒々しくも麗しい。


「三千世界の女を殺した、あたいの脚の毒気はどうだい? さあさあ、そこで朝寝をしていなよ!」


 着崩した和装から片脚晒し、啖呵を切る鬼龍院唐紅。都々逸から引用した独特のフレーズに、俠気と狂気が見て取れる。

 そんな元極妻が立つ十三階段の直下には、黒のシアータイツで覆った脚をぴくりぴくりと痙攣させる、ショートパンツの女がいた。

 お馴染みのモノトーンのコーディネートに身を包むは、月脚礼賛つきあし らいさん

 我々が着流し男の過去を振り返っている間に、既にその身に幾度も毒の牙を受け、へろっへろのクッタクタのだっるだるになっていた。

 先ほど果轟丸はて ごうまるがド根性かまして見せ場を作り、着物の剣脚・鬼龍院の美脚のカラクリを解いてから、まだ十分程度も経っていないのにだ。

 では何故、礼賛がこれほどまでに毒気にやられてしまったのか。それを説明する事態が今から起きるので、これをつぶさに見てみよう。


「ゴーマルの解毒を急がなきゃいけないんでな……。元女組長、一発でケリを付けさせてもらうぞ。老師のもとで学んだ、必殺技で!」

「懲りないねえ、あンた。そんなもん、億兆京垓繰り返したって、あたしゃ喰らいやしないンだよ!」


 薄黒ストの脚をひらめかし、階段を走って登る月脚礼賛。これに対して飛び道具持ちの鬼龍院は、一歩も動かず階段上から、階下に向けて脚を振るう。

 タトゥータイツに描かれた蛇の口からは、衝撃波を伴って毒の波動がほとばしり、月脚礼賛はジャンプで避けた。そのまま飛び蹴りにて着物女の胴に一撃、帯ごと腹を刺し貫いてやろうという算段だ。

 ところがである。礼賛の脚が届く頃にはこの鬼龍院唐紅、毒を放った右脚を仕舞い、未だ着物の裾に包まれた左の脚を振るうのだ。

 切り裂かれてスリットが入ったのは、着物の右側だけである。ネタバレをしたとはいえ、チラリズム居合抜刀術の威力をまだ、左脚は幾分保っている。

 こちらに彫られたタトゥーは、右の大蛇のデザインから連なる尻尾であった。

 あらわになった唐紅の右腿から垣間見える絵柄から察するに、この蛇は彼女の股ぐらに“ぐうるり”とトグロを一度巻いて、左の脚に尾を伸ばしている。右脚同様、蛇の鱗の周囲に散った花の姿も実に美しい。

 こうした意匠を施した左脚は、殺傷力こそ右脚に劣るが、迎撃の安定感は抜群であった。

 飛び道具を越えて意気揚々とやってくる月脚礼賛に対し、初夏の季語である牡丹をあしらった左の脚にて塩対応。翻っての夏塩蹴!

 飛ばせて落とされ、月脚礼賛は階段の下に転げていく。かわしたはずの毒の波動まで落下中についでに食らって、空中コンボ待ったなしであった。


「はっ……はっは……! 短時間でだいぶ毒を……食らったものだな、わたしも……」

「あたいの毒には、即効致死のものはないとは言ってもねぇ。麻痺毒、神経毒、腐食毒、血液毒……これだけフルコースで食らっておきながら、それでもしつこく飛んでくるのは、あンたぐらいのもんだよ、礼賛」

「それは褒められているのか……な? まあ、しかし……これぐらい食らってみれば……ゴーマルの辛さも身にしみてわかったと言うものだ……!」

「そうかい、だったら二人仲良くあの世でつがいな。あたいもあンたに同じくねぇ、体裁の悪い商売女だけれど。せめて身につけたこの悦びで、あンたを昇天させてあげようじゃあないか!」


 鬼龍院唐紅は着物の片肌脱ぎ捨てて、肩と背中を晒しての、本番開始に突入した。

 地肌に彫られた緋牡丹の刺青は、タトゥータイツのように転写されたものではない。一生涯忘れられない、女の覚悟を刻んだものである。

 実写と複写のふたつのタトゥー、これを魅せつけ鬼龍院が矢継ぎ早に放った毒は、蛇の如きいやらしさで月脚礼賛を追い詰めていく。

 跳んでかわせば踏みつけて、転がって逃げれば浴びせかかる。とはいえ動かなければ狙い撃ちだ。


「やれやれ……。姐さんを怒らせちまったのが、運の尽きだぜ。よしんば姐さんをくぐり抜けたとして、たった二人でうちの組を壊滅させた町長が、この後待ってんだ。全身タイツのバケモノだっている……。よしゃあいいのによ、礼賛の嬢ちゃん……」


 毒の乱射に一方的にやられる礼賛を見ていられないという風の、若狭マサ。

 しかしパートナーの戦いぶりを見ていない訳にはいかない。この着流し男は着物女の背後にて、戦況を流し目に見つめていた。


「……よう、オッサン……よ」


 そんな着流し男に話しかけたのは、先ほど見せ場を作ってそのまま気絶し、マサのそばに横たえられていた、果轟丸であった。

 二人の女の戦いを間近で見つめ続ける、男と男。


「……なんでぇ、目を覚ましたのか。買った女が心配かい?」

「ああ……お互い様だよな、オッサン……」

「毒で辛いでやしょう……ぼっちゃん。安心してくだせぇ、あの嬢ちゃんはじきに身動きが取れなくなる。そうしたらぼっちゃんと二人、ちゃあんと解毒してやりまさぁ。戦いに復帰できない程度に、毒を残してねぇ……」

「んなことは、どうでも良いからよ……。こっからじゃあよく見えねぇ……。礼賛が勝つところ……オレに見せてくれ……!」

「……ぼっちゃん? 何を……言ってるんでさぁ……?」


 若狭マサ、ぞっと悪寒が走った。

 「礼賛が勝つところオレに見せてくれ」。毒にやられて気を失っていた少年のたわごとと、普段のマサであれば、さらりと受け流したであろう。

 しかしこの轟丸少年の、か細く力弱くも、信頼にあふれた声はどうだ。

 歯牙町長が小芥子こけし組を壊滅させたあの時と、同様の戦慄がマサの胸に駆け抜けていく。


「毒に毒を重ねての、バッドステータスだらけのこの体……。だが知ってるか、着物女。こういうのを……布石というのさ」

「ハッタリかい? 負け惜しみかい? それとも毒が脳にまで回ったかい? そのまま善がり狂い召しませ!」


 狂気の混じった邪毒の弾丸ベノムストライクを止めどなく撃ち続ける、鬼龍院唐紅。

 着崩した衣服を振り乱し、背中せなの牡丹に汗にじませて、今や花魁、いや毒婦、それとも賭場の壺振りか。

 ならば勝負を仕掛ける博徒は、月脚礼賛その人である。震える膝で立ちまわるこの剣脚が、放った布石とは一体何だ?

 次回、剣脚商売。

 対戦者、タトゥータイツ緋牡丹姐さん。堂々決着。

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