第12話 「二人三脚の要領ですわ」(前脚)

 夕間暮れの陽が若葉荘の窓を照りつけ、柔らかな光を、六畳間にもたらしていた。

 アルミ鍋はコトコトと音を立て、ほのかな香りを漂わせている。

 台所に立つ割烹着の女が、時代遅れの流行歌を鼻でなぞっている。

 落ち着いた旋律は、この空間に残されたわずかな隙間すら埋め尽くし、部屋を全て平穏で満たしていくかのようだ。

 そこにあったのは、家庭の姿だった。

 慎ましやかな家庭の姿――。

 木造の賃貸アパート若葉荘には、金属製の無骨な階段が備わっていた。

 これを昇る「カンカンカン」という音が、家庭を彩る生活音に、不協和音として入り込んでくる。

 安っぽくてもかけがえのない調和は、こうしていとも簡単に崩れるものなのだろう。

 階段を昇り、玄関の薄いドアを開いたのは、合皮の革ジャンを羽織った男だった。彼はこの六畳間の主だ。夕食を準備している女の、連れ合いでもある。


「あっ、お帰り」

「……」

「今日はね、パートが早く終わったものだから、牛すじ煮てるの。この後どうしようかしら、こんにゃくと煮込みにする? それともカレーにする?」

「……ダメだ。そんなに時間のかかるもんは食べられねえさ」

「どうしてよ」

「この町は……脚長町あしながまちは、もうじき美脚戦争の真っ只中になる」

「えっ。美脚戦争? あンた、誰から聞いたんだい、そんな話」

「延山さん……さ」

「延山さんって……あンたっ! サツじゃないかっ! まだ情報屋なんかやってたのかいっ? パチンコで勝ったとか言っときながら、そんな仕事で稼いでたんだね……!?」

「今はそれどころじゃない。早くこの町から逃げないと、俺らも巻き込まれるぜ」


 押し入れに潜ませた逃亡用の小荷物を、なれた手つきで男はぐいとつかみ出し、女にも即時退避を促す。

 と、そこに。一本の電話が。


「こんな時に誰かしら……チーフかしら?」

「早く済ませろよ。もうパートとかやってる場合じゃないんだ」


 パタパタとスリッパで駆け出し、受話器を取る女。


「ええ、はい。ええ。ええ……はい。……ええ」


 神妙な声で続く受け答え。

 話し終え、電話を切って。

 女は男に、相手先からの用件を、そっと伝えた。


「あンた……」

「何だ」

「電話。職場に戻れ……ってさ」

「だから言っただろ、パートなんかしてる場合じゃ」

「町長からよ」

「……えっ?」

「電話。脚長町の町長から。直々に……だったの。職場復帰をしろ、って……」

「そんな……? そんな、だって、姐さん……!」


 男は察した。空気を悟った。決して脚を洗うことなど、出来なかったのだということを。

 女は涙をついと流した。割烹着の結びを解き、男の傍らにその美脚をグッと差し伸ばす。

 押し入れの更に奥の奥、いざとなれば質に出そうと仕舞っておいた、もう着ることもないだろうと願っていた――風呂敷包みの服を、女はつかみ取る。


「これが……これが本当の、最後の仕事。そういうことにしようよ。それで見逃してくれるって、町長は言ってるんだ。ねえ、仕方ないだろう……? あンた……?」

「姐さん……っ!」


 男は抱いた。強く女を抱いた。着衣に皺が寄るのを恐れることはない。次にこの服を着て、家庭に戻れる日がいつ来るものか、見当もつかないのだから。

 夕陽と涙に濡れる、男と女。

 からくれないに染まった二人の姿は、脚長町百景に数えられたという。

 ――さて、一方その頃。

 市庁舎内のホールにて戦いを繰り広げていた、四者八本のあの美脚達は、果たして今や。

 如何なる美脚八景を描いているのであろうか。


「ですからほら、二人三脚の要領ですわ」

「要領ですわも何も、急に足を結んでも、そううまくいくものでもないような……」


 ショートパンツにデニール低めの黒のシアータイツを身につけた剣脚、我らが月脚礼賛つきあし らいさんは、戸惑いを隠せないでいた。

 何故かといえば、先程まで敵対していた相手が突如こちら側に寝返って、味方になると言い出したからである。

 問題の寝返り女、黒タイツ眼鏡女子高生の剣脚である負門常勝おいかど じょうしょうは、礼賛と自らの足首を160デニールの黒タイツでぎゅうと結び、「ですからほら、二人三脚の要領ですわ」の一点張りである。


「ですから、ほら! 二人三脚の要領ですわ!!」

「要領ですわも何も、わからないぞ、常勝? 急に味方になるなどと言われても。お前はもう少し理知的な女だと思っていたのだが、いろいろと説明不足だ」

「ですからわたくし、只今正気ではございませんので、そういう説明も苦手なのです、よしなに!!」

「逆ギレ気味じゃないか! だいたいだな、味方になるところまではまだいいとしよう。何故わたしと足を結ぶ?」

「息のあった二人組が対戦相手ですから、わたくし達も協力してツープラトンなどした方が、いいと思いまして。ですからほら、二人三脚の要領ですわ?」

「戦いにくいだけだぞこれは!」


 ステージ上で足首を結んだまま揉めている、濃淡二色の黒スト二人組。

 そんな二人を客席から見つめ続け、一言声を上げたのは、礼賛のパートナーであるところの果轟丸はて ごうまる少年である。


「二人とも、危ない!!」


 何が危険かといえば、そう、ステージ上には礼賛と常勝の敵となるべき二人組がいるのである。

 ニーソサークルクラッシャー夢藤狭軌むとう きょうき、ナマ脚黒ギャル光田こうだイクミの二人で結成される、地獄の蹴り足ヘル・レッグケルズだ。

 町長の『刺脚しきゃく』たる彼女たちは二手に別れ、その中心に礼賛と常勝を据えて、ステージの上手下手で向かい合った。

 剣脚に死を与える必殺の構えに、既に移行していたのである。


「なんかわかんないけどあの二人揉めてっし、このまま行くぞ夢藤! タイツ狩りだ! 女子ネットパワー、プラス!!」

「そうだね光田ぁ、やっちゃおっか~。女子ネットパワー、マイナス!!」

「いけませんわ月脚さん。せっかく手を組んだのに、このままでは共倒れですわよ。ですからほら、二人三脚の要領ですわ」

「ああもういい! わたしたちが手を組むにしても、足を組む必要はない。それぞれ別個に戦おう。頃合いもよく、先方が引っ張ってくれていることだしな!」


 月脚礼賛は縛り付けられている方とは逆の脚で、足首の結び目をストンと切り落とし、女子ネットパワーが放つ磁力を利用しつつ、敵方に一足飛びに近寄った。

 それを見て取った負門常勝も、「さん!」の声とともにもう一方へと飛び退る。

 かくして改めて、一対一の女同士の戦いが、ステージ上で二つ同時に始まったのである。


「せっかく女子ネットパワー溜めても、全然タイツ狩りさせてくんないし! てか、アタシの相手が礼賛? ぱねぇ!」

「お前たちのロスト・ボンバーは、剣脚にとってはある意味最強の必殺技だからな。食らう前に一人ずつ倒していくことにしよう。幸い、もう一人分の脚止め要員も出来たことだし」

「あの黒タイツ忍者のコに、夢藤の脚止めが出来るかわかんねーっしょ? てゆーか礼賛、アタシには楽勝で行けるつもりだよね? とっととアタシを倒しちゃうつもりでいるわけだよね? なっめんなし!」

「二度も倒した相手だ、見くびりもするさ!」


 言うが早いか先脚必勝せんきゃくひっしょう、礼賛は黒ギャルにダッシュで挑む。

 ナマ脚黒ギャル光田イクミの最大の強みは、脚に履物を付けないことによる、諸刃の剣とも言える破壊力にある。攻撃特化の代償である防御力不足に関しては、根性という不確定なファクターと、パートナーの夢藤の絶対領域ガードに頼っている状態だ。

 ということは、一人で戦う今のこの黒ギャル、盾を持たぬ剥き身の刀でしかない。やられる前にやることこそが、光田イクミに対する必勝法。

 女子ネットパワーの磁力を利用しつつ走り寄った礼賛は、イクミに脚が到達すると同時に、老師直伝のつかみ技に移行した。

 投げる、極める、絡める、いずれの脚技も剣脚をへし折るに足る攻めの数々である。

 勝負あった! かに思えたのだが。


「何っ……? この女の脚……。つかめない!」

「アタシ特製の女子力たっぷりオリーブオイルのおかげだし。プラスの女子ネットパワー、なめんな!」


 先ほどピアノ線からの拘束を抜けた光田イクミは、頭からオリーブオイルをかぶり、日焼けして露出した肌が全身テッカテカである。

 テッカテカ。


「この程度の油で、そんなはずは……? 老師の技がオリーブオイルごときで無効化されるなど、あり得ん話だ」

「へっへー。アンタとの再戦に向けて、トルコのオイルレスリング、ヤール・ギュレシュの資格取ったんだ。ヌルヌルでつかみどころないっしょ?」

「資格を取った!」


 理解の外の女子力に、礼賛は絶句した。

 しかも彼女の新たな力はそれだけではない。なんと光田イクミ、油で摩擦を減らした上で、関節まで外し、黒々としたウナギのように壇上を跳びはねる。


「あとね、インドのカラリパヤットの資格も取ったし。ヨーガの香油、いい匂いするっしょ?」

「ぱねえな……。黒ギャル!」


 不利を感じた月脚礼賛は投げを諦め、脚を数度打ち据えてから、一歩下がって様子見に移行する。

 しかしその両脚は、ステージの床に深々と突き刺さり、礼賛の薄黒ストの動きを封じてしまった。

 それを見るや、テッカテカの黒い指にゴテゴテのネイルを付加したダブルピースで、ピンチを嘲る光田イクミ。


「やり♪ ひっかかったし!」


 投げ技効かず身動き取れず、危うし、月脚礼賛!


「もしかしたらあのまま、光田が勝っちゃうかもしれませんね~。どう思いますぅ? 『刺脚しきゃく』にもなりそこねて、勝ちも拾えなくて、結局闇堕ちとかダッセー真似してる常勝ちゃ~ん?」

「うるさいですわ。まったく……貴方はあざとさの極みですわね。月脚さんの履物とはまたベクトルの違った、あざとさですわ」


 こちらはニーソサークルクラッシャーの夢藤狭軌と、黒タイツ女子高生の負門常勝との戦いの場である。

 礼賛らと二手に分かれて、同じステージ上で展開されている戦いではあったが、こちらは一層趣が違った。

 何せまず、闇堕ちを理由に礼賛に寝返った常勝と、町長側に与する夢藤という、立場上での事情の込み入りが彼女らにはある。

 また、見た目においてもこの戦いは異質であった。目に見えぬスピードで動き回る黒タイツ忍者の斬撃を、ニーソ女が絶対領域でことごとく跳ね返しているのだから。

 傍目には、様々なポージングで自撮りし媚びるニーソ女の周囲で、金属音が響き渡っているだけにしか見えない。

 だが時折、オイカド印の菓子袋が舞い落ちるところからして、おそらく激戦が繰り広げられていることは間違いないのだろう。


「そんな攻撃じゃ、防御力が上昇したわたしに、傷は負わせられないよ~常勝ちゃ~ん? 超ミニスカに履き替えたことで実質増大したフトモモ露出、より一層の絶対領域が攻撃を広域カバー! これって死角なしってやつじゃないですかぁ~?」

「……ミニスカ過ぎですわ。見えますわよ?」

「見えそうで見えないのが、女子ネットパワーマイナスに繋がるわけぇ! 縞ニーソから連想されるしましまパンツの幻想も、いい力になるんですよねぇ~」

「まったくもってあざとさが過ぎますわ……! しかも貴方、その縞ニーソには他にもまだ、仕掛けがあるようですわね」

「さすが戦い慣れしてる忍者ちゃん、そういうところも目ざといんだからぁ」


 ニーソサークルクラッシャーの夢藤狭軌が、その手の男ウケの良さを一旦捨ててまで黒ニーソから履き替えた、マリンボーダーの縞ニーソ。

 青白赤で形成されたこの縞ニーソ、賢明な諸氏には既に周知のことであろう。

 規則正しく並べられたこの縞模様に、美脚のラインと剣脚の足さばきが加わることにより、微妙な線の歪みがモアレを生じさせ、見るものの遠近感や平衡感覚を著しく狂わせしめ、攻撃の的を絞りにくくさせているのだ。

 更には、脚を軸にくるくると回転を始める夢藤狭軌。床屋のサインポールが如き縞の動きは目の錯覚を増大させ、上から下へ、下から上へ、無限回廊を思わせる脚の伸び縮みをあなたにも実感して欲しい、とんでもない脚長効果。

 プリクラもフォトショも真っ青である。


「これじゃあ、わたしの攻撃の距離感もわからないですよねぇ? 逃げるスピードがあってもかわせないですよねぇ? 忍者ちゃんの姿はわたしも見えないけど、女子ネットパワーの引力で、強引に心臓にブチ当てちゃうんでぇ。じゃあねぇ、死んで? ばいば~い」


 夢藤は絶対領域の防御一辺倒から攻撃に転じ、三里にも四里にも見える長々とした脚槍あしやりの一撃に、マイナスの磁力を乗せて標的を貫き通した。

 だが、しかして!

 その縞ニーソ、負門常勝の制服から垣間見える美しき影に、ごっそり飲み込まれてしまっているではないか。


「御託はそれまでのようですわね」


 制服から垣間見える美しい影? いいやそれは影でもない、暗黒。

 暗黒でもない、漆黒。

 漆黒でもない、辺獄。

 その全てではない、黒タイツに包まれた美しい脚だ。


 負門常勝。彼女の一族は、「負ける門には勝ち来たる」の精神のもと、敗北を全て勝利に繋いできた家柄であり、古来よりシノビの術を伝える名家でもあった。

 仕えるべき主君は数度に渡る戦の中で失ってしまったが、持ち前の兵糧術を現代によみがえらせることで、戦後財力をなし、負門フードインダストリーを築くに至った。

 その跡取りとして「常勝」の名を付けられ、異物混入騒動で傾いた屋台骨を支えることとなった娘は、負けることを許されず、こうして一人の剣脚となった!

 一族の秘蔵の黒装束である八百万やおよろずデニールのタイツを纏いて、闇の繊維で自らも、世界すらも、覆い尽くさんとする。

 夢藤の縞ニーソは深々と制服少女の脚に刺さったが、闇を貫くことなど誰にも出来はしないのだ。

 スポットライトに照らされていたはずのステージ上が、黒々と、くらさに染まっていく。


「ヨォシナニィィイ……!!」


 次回、剣脚商売。

 タッグマッチ後編! ショーパン薄黒スト&黒タイツ眼鏡女子高生VSニーソサークルクラッシャー&ナマ脚黒ギャル、堂々決着。

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