11R 国境防衛戦

 正統グランフォール王国の南側に位置する、ここガイアード砦。

 すぐ目と鼻の先には神聖グランフォール帝国との国境が存在し、有事の際は最前線ともなりえる。


 その場所は現在、かつてない程の騒乱に見舞われていた。

 神聖帝国の軍の大部隊が、この砦近くへと集結しているとの情報が入った為だ。


 晴天の霹靂たる事態に、砦内を王国軍の兵士たちが、慌ただしく駆け回っている。

 そんな騒乱の渦中にあって、正統王国軍のカール・ブランシュ中佐は、ただ流れに身を任せることしか出来ないでいた。


「おいっ!補給物資はまだか!」


「援軍はいつ来るんだ!」


 焦り・不安・恐怖、負の感情が綯交ぜになった声が、あちこちで飛び交っている。

 ガイアード砦に、現在駐留している正統王国軍の常備兵は、僅か千名弱。

 対して、国境を越えて現在こちらへと進軍している神聖帝国軍は、偵察隊の報告によると、5万を超えているそうだ。


 戦力差50倍以上。あまりにも絶望的な数字である。

 目下最大の仮想敵国であるはずの神聖帝国との国境に、何故こんな僅かな軍勢しか配備されていないのか。


 その理由は簡単なのか、あるいは複雑なのかカール中佐からすれば、判断に困るところである。


 本来この砦には、5千の常備兵に加え、周辺の村々からの徴兵などを合わせて、2万程の兵数は速やかに確保できるよう、日頃から準備されていた。


 だが王都が、大部隊によって襲撃を受けたという報がもたらされると、国境防衛の責任者であるミルコ・アウトーリ少将は、とんでもない指示を下す。

 

 常日頃から部下たちより"無能"や"鈍間"などと揶揄されているような愚か者と、同一人物だとは思えない程に、迅速な指揮をもって、万を超える大部隊を編成。

 強硬に反対する部下たちを押し切り、それらを援軍の名目にて、王都へと派兵したのだった。


 だが、下された指揮は明らかに早合点であり、そして大きな過ちであった。


 第一報より遅れてきたより正確な報告により、王都の状況の詳細が判明する。

 王都を襲撃したのは、少数のテロリストたちであり、こんな国境からの、大部隊の援軍など不要であった。

 そもそも、南方にあるこのガイアード砦と王都の間には、いくつも領地とその領軍が存在するのだ。

 わざわざ遠く離れたこの地から、王都へ援軍を派遣する意味は薄い。

 しかも、その援軍は歩兵を主体とした編成である為、その速度は鈍重と言えるものであり、王都に到着するまでかなりの時を要するはずだ。

 

 もはや結果を語るまでもなく、完全に悪手だと言える指示だった。


 当然、誤報だと分かった段階で、王都へと向かっていた援軍に対し、即時撤収の指示は下されていた。

 だが、その指示は届かず、援軍は王都へと向け今もなお行軍中である。

 果たして、通信の魔法具の故障か、あるいはなんらかの妨害工作を受けているのかは分からないが、結果としてこの国境から多数の兵力が失われる結果となった。


 そこに来て、狙ったような神聖帝国の進軍である。

 ほとんどの者が、ミルコ少将が"無能"であるが故の失態だと思っているようだが、カール中佐からすれば、ミルコ少将が帝国の回し者であったとしか考えられない。

 あの見るに堪えない無能ぶりも、恐らく擬態だったのだろう。

 今思い返せば、そう考えると辻褄が合うことが多い。


「でなければ、こんな偶然あってたまるかっ」


 支給の軍帽を地面へと投げつけ、思わず地団駄を踏んでしまう。

 そんな彼の突然の奇行に、近くにいた部下が、訝し気な目でこちらを見ているが、もはや知ったことではない。


 今すぐ、ミルコ少将を軍議の場へと引き摺り出し、糾弾してやりたい所だが、相手は上官で、しかもここ国境軍内では、最も高い地位を有している。

 残念な事に、たかが一士官であるカール中佐に、今すぐどうこう出来る相手ではないのだ。

 彼は、どうすることも出来ず、ただ己の無力さを嘆くしか出来ないでいた。


「ああ、もういっそのこと逃げ出すか」


 だが、軍に所属している以上、正統王国側へは逃げられない。

 見つかれば脱走兵として処刑されるからだ。

 となると、ここから近い外国は当然、神聖帝国になる訳だが、あの国には余り行きたくはない。

 軍人として向かえば、良くて敵国からの亡命者。悪ければそのまま捕まり、ただ処刑されるだけだ。

 かと言って、一般人を装い、逃げる事など、あの国の庶民に対する有り様を思えば、ありえない。

 あの国は、正統王国の貴族など可愛く見える程に、貴族達の特権意識が強く、その分、平民以下の身分のモノにとって生き辛い国だと言える。

 

 結局の所、どこに逃げようとも、どの道その先には、碌な未来は待ってはいないらしい。


「はぁ、残って戦うしかないか......」


 カール中佐に出来るのは、ただ部下に指示を出しながら、帝国軍の来襲に対し、少しでも備える事だけだった。


 そんな彼の葛藤など、一顧だにせず、状況は悪化の一途を辿っていく。


「帝国軍、来ました!」


 物見の兵から報告が上がる。

 ついに神聖帝国軍が、砦から視認できる位置までやって来たのだ。


「大槌を持った小隊が先頭に見えます!」


 その言葉を聞いたカール中佐は、報告しに来た兵を押しのけ、自らの目でそれを確認するべくやぐらへと登る。


 高い視点を得て、神聖帝国軍を一望すると、その先頭付近に、一際目立つ一団の存在を見つけた。

 重厚な鎧を纏い、揃いの意匠が施された魔力媒体と思しき大槌を、全員がその手に持っている。


「あ、あれはまさか"破壊小隊ルーインドフォース"......」 


 破壊小隊ルーインドフォースとは、神聖帝国軍が誇る精鋭部隊の一つである。

 全員が近接型の魔導師であり、その大槌を活かしての、攻城戦に特化した部隊だと言われている。


「となると、あれが、かの有名なあの"破壊雷帝エレクトロスマッシャー"なのか......」


 破壊雷帝エレクトロスマッシャーの異名を持つ、その男は、神聖帝国軍に僅か二人しかいない、八星神器アハトシュテルンの使い手のうちの一人だ。

 彼の名前は、ラルフ・ノイエンドルフ特佐。神聖帝国内でも5本の指に入る程、名の知れた人物だ。


 その手に持った大槌の銘は、"ミョルニル・ドンナー"。

 一振りで、一個小隊を壊滅させると言われる程、強力な力を秘めた雷光の大槌だ。


 破壊小隊ルーインドフォースはラルフ特佐子飼いの特殊部隊であり、その勇名は正統王国にまで轟いている。

 特に5年前の帝国侵攻の際には、最終的に"審判下す雷帝インクイジター"、メイナード・マクスウェルを前に撤退したものの、それまでにいくつもの拠点を破竹の勢いで制圧していった様は、現在も正統王国軍の間では恐怖の象徴として語り継がれている。


 ただでさえ、戦力差が大きい中、神聖帝国は最精鋭の部隊まで投入してきていた。

 これは今回の戦に賭ける、帝国の意気込みの大きさを物語っている。

 反面、奇襲を受けた正統王国側は、"無能"な指揮官の元、少ない兵力で士気も上がらずにいた。


 正統王国側に有利な点は、探しても精々、防衛側であること、地の利に長けていること。

 その程度しかなく、劣勢を覆す希望の光とするには、あまりにも儚い輝きだ。


「これは私の命運も尽きたか......」


 只でさえ危機たる状況に、更に絶望を上塗りされ、カール中佐の心は既に折れかけていた。

 だがそんなカール中佐であっても、他の兵士達と比べればまだマシな方だ。

 直属の部下を含む砦の兵士達は、皆一様に心をへし折られてしまったらしく、呆然とした様子を見せている。

 辛うじて逃げ出すことをしないのは、帝国の捕虜に対する扱いの苛烈さを知ること。

 それからミルコ少将が督戦隊を編成し、後方で睨みを効かせており、脱走者は容赦なく処刑されていること、これらの理由からであり、決して前向きな理由でこの場に残っている訳ではなかった。


 そして、ついに帝国の部隊の先陣が、こちらの魔法の射程内へと迫る。

 と、ここで隊列から突出する男がいた。


 破壊雷帝エレクトロスマッシャー、ラルフ特佐だ。


破壊雷帝エレクトロスマッシャーが来たぞ!奴を狙えぇ!」


 防衛部隊の射程圏内へと入り、いくつもの魔法がラルフ特佐へと集中する。


「はっはぁ!ぬるいなぁ。王国の狗ども、その程度かぁ!」


 だが、直撃コースを描いたはずの魔法は、全て雷槌によって撃ち落とされ、ラルフ特佐の勢いを止めるには至らない。

 そして遂にラルフ特佐が、砦壁の傍まで到達する。


「うぉおりゃぁ!雷槌爆砕トールハンマー!!」


 紫の雷光をバチバチとたぎらせながら、その一撃は振り下ろされる。


 ドガガァァァン、という物凄い破砕音が辺りへと衝撃を伴って響く。


 その威力は、凄まじいの一言に尽きた。

 槌の直撃を受けた石壁が、木っ端微塵と化し、その衝撃の余波で砦壁の一部分が脆くも崩れ去っていく。

 こうなると、もはやその部分は防壁としての用は成さない。


 たった一人の特攻に対し、正統王国軍は為す術も無く、防衛線に大きな穴を開けられてしまった。


 こうなると、後は脆いものだ。

 開けられた穴から、破壊小隊ルーインドフォースを中心とした後続の神聖帝国軍が雪崩込み、砦の兵士達は数の暴力によって為す術もなく蹂躙されるだろう。


 そんな暗澹あんたんたる未来予想図を、脳内で鮮明に描いてしまったカール中佐は、もはやこれまでと、覚悟を決める。

 どうせならせめて、一人でも多くの帝国兵を道連れにして、華々しく散ってやろうと。


 だが、そんな覚悟を決めることが出来た兵は、カール中佐を含めても、極僅かしか居ないようだった。


 突然の戦線の崩壊に多くの兵達は、混乱の渦中にあり、もはや継戦の余地など、どこにも見当たらない。

 逃げ惑い、押し合い圧し合いながら、混乱は益々極まっていく。


「くそっ、お前らっ!どけっ!」


 そんな中を必死に駆け抜け、死に場所を求めるが如く、一人帝国軍へと突撃しようとするカール中佐。


 ドオォォォン!!そんな彼の耳に、当然上空から、謎の爆発音が響いてくる。

 あまりの轟音に、戦場にいたものは皆、それを無視することが出来ず、一斉に何事かと、視線を音の発生源の方へと向ける。


「な、なんだっ!?」


 そこには、一人の男が、黒いマントを翻しながら、空に立つように浮かんでいた。


「兵士たちよ!括目せよ!」


 その男は、戦場の喧騒の中にあってなお良く通る澄み切った声でもって、そう宣言する。

 その言葉によって、戦場中のまなこが男を貫く。


 そんな中にあっても、男は何ら揺らぐことはなく、月光を孕んだような銀髪を風に靡かせながら、その蒼い瞳で戦場を睥睨へいげいしているだけだ。

 

 そんな雰囲気に呑まれてか、僅かではあるが、戦場に静寂が訪れた。

 その時を待っていたのか、その男は動き出す。


 左手で顔半分を覆い隠すような仕草を見せた後、そのまま真っ直ぐ前へと向ける。


「レイン・サウスパレスが命じる!貴様たちは、ここを動くな!」


 前に向けた左手を、横に振りながら、鋭い口調でそう命じる。

 心なしか、その表情はドヤ顔だ。


 男が果たして今、何をやったのか、それは皆目見当つかないが、その効果は劇的だった。


 辺りから聞こえていた騒音が、途端に静まっていく。

 カール中佐は、何事だと周囲を伺おうとするが、自分の首が回らないことに気が付く。

 これは一体何事だと、誰何の声を上げようとするが、それさえも出来ない。

 気が付けば、己が身の一切の自由が奪われていた。


 そしてそれは、カール中佐だけに限った話ではなかったらしい。

 辛うじて動く視線を、どうにか左右へと振ってみれば、誰も彼もが皆、一様に動きを止めて、固まっていた。

 ......救いは、今まさにこちらへと迫らんとしていた神聖帝国軍もまた、同様の状態であったことか。

 つい先ほどまで、先陣で猛威を振るっていたラルフ中佐ですら、その例外ではない。


 混乱の極致にあったはずその戦場は、一転、時の流れが停止したかのように、何もかもがその動きを止め、物音一つ聞こえない無音の領域と化していた。


 そうなった原因は、良く観察すれば一目瞭然である。

 視界に存在する人間全てが、地面より伸びてきた、透明な光の鎖によって絡め取られていた。

 無数ともいえる程の大量の鎖によって、全身を雁字搦めに縛られ、皆一切の自由を奪われていた。


 そんな中、カール中佐の視界の中で、ただ一人だけ一切の拘束を受けずに、自由気ままに戦場を眺めている男がいた。

 その視線に気づいたように男が、こちらへと振り返ると、満足げな笑みから一転、真剣な表情へと変わる。


「君は王国軍の人かな?」


 こちらへと近づいてきた男は、すぐに表情を緩め、柔らかい人好きのする笑みを浮かべながら、カール中佐にそう尋ねる。

 カール中佐は、いつの間にか開けるようになっていた口から、疑問の言葉を絞り出す。


「っはぁぁ。あ、あんたは一体......?」


「ああ、これは失礼。まだ名乗ってなかったね。僕の名前は、レイン・サウスパレス。それで、君は王国軍の人で間違いないかな?」


(......レイン・サウスパレス?聞いた事ない名前だ。......偽名か?)


 カール中佐は内心を押し隠しながら、努めて平静に答える。


「あ、ああ。私は正統王国軍所属のカール・ブランシュ中佐だ」


 その言葉に、一瞬何かを考える表情を見せたあと、再び笑顔に戻る。


「では、君に任せることにしよう。今から拘束を解くから、君が王国軍の指揮を執って、この戦争を終わらせて欲しい」


「あ、あんたは何を言っている!?この光の鎖は、あんたがやったものだとでも言うのか!」


「......そうだけど、それが?」


 驚嘆すべきはずの事実を、ごく当たり前の顔でレインと名乗る男は肯定した。

 その口調には、何の誇張も嘘も含まれているようには聞こえなかった。


「本当......なのか......?」


「はい」


 男は涼しげな表情を欠片も揺るがせることはなく、終始一貫した態度だ。

 あまりに揺るがぬその姿勢に、カール中佐は恐怖を感じ始めていた。

 ......関わってはいけない何かに、今まさに関わろうとしている真っ最中なのではないかと。


「......それで、私に何をやらせたいんだ?」


「言葉通りの意味だよ。指揮官っぽい人は、どうも帝国と内通してたみたいだったから、勝手ながら、こちらで処分させてもらったよ。だからその代わりが必要でね。それを君に任せようかと」


 (人を殺しておいて、処分したなどと、軽い言葉で流すのか!)


 カール中佐は内心で毒づくが、それを悟られれば碌な目には合わないだろうと、表情筋を一層、固く引き締める。


「......それで、なぜ私なんだ?」


 カール中佐より上の階級の人間など、この戦場だけでも、何人もいる。

 にも拘わらず、どうして自分に白羽の矢が立ったのか、合理的な理由が何一つ浮かばない。


「ふふっ、そうだね。分かりやすく言うと、カンという奴かな」


 キッパリとそう言い切るレインに、空いた口が塞がらない。


「む、人間のカンというものは、そう馬鹿にしたものじゃないんだよ。所謂、経験則とかいう脳がはじき出した不正確な予測とは、一味も二味も違い、魔法的処理によって、そういった不純物をそぎ落とした純粋な人間の本能というのは、非常に鋭いモノなんだよ。そもそも――」


「あー、良く分からないが、私が臨時に指揮官代理をやればいいのだろう?いいさ、やってやろうじゃないか」


 レインの言葉を遮り、カール中佐はそう宣言する。

 それは別に覚悟を決めたとか、そう大層なモノではない。

 単にこれ以上、目の前の男と、無駄な問答を続けるのが嫌になっただけなのだ。

 目の前の男がそう望む以上、どうせ最後には自分は首を縦に振らざるを得ない。どう考えても逆らえる立場ではないのだ。

 ならば、これ以上は時間の無駄であると、そう判断した故だ。


「では、この魔法具を使うといいよ」


 そういって渡されたのは、何ら装飾の施されていない簡素な杖だ。

 より端的に"棒切れ"と表現しても、そう間違いではないだろう。


「これは?」


「この杖を相手に向けて、"解放リリース"と唱えれば、光の鎖による拘束が解除されるよ」


「そんな粗末な代物で、そんな事が可能なのか?」


 疑わし気な表情をカール中佐が浮かべていると、


「ああ、安心していいよ。唱えた瞬間、ドーンと爆発、なんてことはないからね」


 などと、訳の分からないことを言い出すレイン。

 疑問符を浮かべながらも、レインの説明を聞くのに徹するカール中佐。


 どうやら話を要約すると、渡された杖を使って、冷静に動ける者だけを上手く選びだして、解放しろという事だろう。

 そして彼らの指揮を執り、帝国軍の捕縛を含む戦争の後始末をしなければならない。

 間違って裏切り者をうっかり解放しまうなど、下手を打てば、またここは地獄へと変わってしまうだろう。

 どうやら相当に厄介な仕事を押し付けられたらしい。


「はぁ......」


 その責任の重さに、カール中佐は思わず嘆息してしまう。


「では僕はまだ仕事が残ってるから、これで失礼するね。あとは任せたよ」


 それだけ告げると、どうやったのか不明だが、レインの姿が音もなく掻き消える。


「突然やってきたと思ったら、仕事を押し付けるだけ押し付けて、消えやがった。......全く嫌になるな」


 その後、残されたカール中佐の奮闘によって、ここ国境での戦いは、どうにか無事終戦を迎える事となった。

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