8 異変
アーデルハイトとの試合から、かれこれもう2週間が過ぎようとしていました。
そんなある日、研究室内の訓練場で、魔法の修行をしていた私に、後ろから声が掛かります。
「エステル。申し訳ありませんが、ユーディットを起こしてきてくれませんか?」
どうやら、もう朝食の時間のようです。
つい夢中になって、時が経つのも忘れていました。
アーデルハイトに頼まれた私は、ユーディットの寝室へと向かいます。
なぜ研究室にアーデルハイトがいるかって?
そう、そうなんですよ。聞いてください!
先週、なぜかアーデルハイトがうちの研究室に移籍してきたんです。びっくりですよね。
大体アーデルハイトが元いた研究室は、あの名門マクスウェル研究室です。
よくうちみたいな無名の研究室に移籍する気になったなぁと思います。
「まあ、メイナード君がこの件で文句を言ってくることはまずないから、安心するといいよ」
メイナード先生は、確か40代くらいのナイスミドルだったはずです。
見た目、レイン先生の方が明らかに年下にも関わらず、その言い様。
何か、メイナード先生の弱みでも握っているんでしょうか?
「といいますかレイン先生。いつからそこに?」
「さあ、いつからだろうね」
相変わらず神出鬼没な方ですね。もう慣れてしまいましたが。
......気にするだけ無駄ですし、とっととユーディットを起こしに行くことにしましょう。
「ユーディット、もう朝なので起きて下さい」
「ぅうん。ボクもうちょっと寝たい......」
「その、もうちょっと、がいつも長くなるでしょう?いいから早く起きて下さい。朝ごはんが片付きません」
いつの間にか私もユーディットに対して、随分と遠慮が無くなってきたように感じます。
彼女との間に親密な関係を築けた感じがして、少し嬉しいですね。
暫くの押し問答の末、ユーディットを無事ベッドから引き摺り出すに成功し、連れ立って研究室内の食堂へと向かいます。
もう慣れましたが、研究室内に食堂やら、リビングやら、畑やらがあるのは明らかに変ですよね?
個室にしてもいくつあるのか把握出来ないくらいに沢山ありますし。
もう3ヶ月以上ここで生活していますが、今だにこの研究室の全貌が掴めません。
本当にどうなっているんでしょうか。
「ようやく皆さん集まりましたわね。さあ召し上がれ」
食堂には4人分の朝食が並べられていました。
サンドイッチに目玉焼き、焼いたベーコン、新鮮な野菜のサラダといった朝食の定番メニュー。
どれもシンプルながら、美味しそうな見た目をしており、食欲が掻き立てられます。
「どれも美味しそうですね......そういえば、お肉とか使ってもいいんですか?」
たしか、ナーミア教国では、お肉を食べるのを禁止しているとか聞いたことがあったような。
「ええ。別に問題ありませんわ。そもそも肉食の禁止は、お歳を召した方々が自主的にやってることで、別に教義でもなんでもないんですわよ」
そうなんですか。知りませんでした。
私も一応は、ナーミア教の信者に分類されるはずなんですが、教会などまだ小さい頃に何度か訪れたきりで、信者としての自覚はほとんどないんですよね。
これは私見ですが、多分、正統王国内の信者の半数以上は、そんな感じの緩い方々だと思います。
「ナーミア様は、あまり厳格な規律を嫌っていたと伝わっていますので、ナーミア教の教義そのものは割と緩いんですわよ」
アーデルハイトの言葉になぜか、レイン先生が苦笑している姿が視界に映ります。
ナーミア教は、神聖帝国を除くほとんどの国で国教として指定され、信者の数では大陸一を誇りますが、彼女が言ったように教義が緩い為か、私のような似非信者も数多く存在します。
「八神教のほうは、色々とうるさいって聞くけどね。家畜はいいけど魔物の肉の食用は禁止とか。ボクなんかドラゴン肉のステーキが大好物だから、絶対に入信は無理だね~」
ユーディットが言う八神教というのは、ナーミア教において、ナーミアの眷属神とされている"八大神"を、主神に戴く宗教です。
詳しくは私も良く知らないのですが、ナーミア教の元になったともされる歴史のある古い宗教だそうで、一部の地域などでは未だに根強く信仰されているそうです。
「......ドラゴン肉ですか?私は食べた事ありませんが、美味しいんですか?」
ドラゴンの素体といえば、魔力媒体への用途は良く耳しますが、食用にも出来るんですね。
私の実家は、割と裕福な方だと思いますが、それでも食べたことはありません。
まあ、ドラゴン自体が珍しい魔物ですから、そうそう出回るモノじゃないんでしょうけど。
「そうですわね。留学前のお祝いの席で食べましたけど、中々悪くはありませんでしたわ」
アーデルハイトは口にしたことがあるらしく、そう感想を述べます。
「うーん。なんて言えばいいかな、歯ごたえは中々硬いんだけど、噛む度、こうじわーっと肉汁が口の中に溢れてきて、それがまた後を引くんだよねぇ。......まあ人によって好みが分かれる味だとは思うけど」
「へぇ。どんな味なのか、ちょっと興味が湧きますね」
「ふむ。なら以前、君と約束したご褒美は、ドラゴン肉にしようか」
レイン先生の口から意外な言葉が発せられます。
「あら、ちゃんと覚えていてくれたんですね。てっきり忘れられているとばかり思っていましたよ」
随分前に約束してから、ずっと何の音沙汰もありませんでしたからね。
「いやだね。ちゃんと覚えてるよ。ただこっちも何がいいのか考えていただけだよ」
「......それ、本当ですか?」
「勿論」
私はレイン先生に対して疑いの眼差しをジィーっと向けますが、軽く流されてしまいます。
むぅ、怪しいですね。
「まあ、期待していいよ。最高級の品を用意するから」
「先生、勿論ボクたちもご相伴に預かれるんだよね?」
「そうだね。3人とも修行の方は頑張ってるし、ちゃんと全員分用意するよ」
「やったぁっ」
ユーディットが心底嬉しそうな表情でガッツポーズを決めます。
一方のアーデルハイトも、一見無表情を装っていますが、こっそり手を握り締めているのが隠せていません。
......なんだか二人とも微笑ましいですね。
こんな感じで、私たちは暫くの間、概ね平穏な日々を過ごしていました
それが崩れたのは、2年生になってから半年が過ぎた頃でした。
◆◆◆
「約束していた最高級のドラゴン肉をこれから調達しに行くので、2、3日程、研究室を留守にします。その間、全員、修行を怠らないようにね」
レイン先生がそう言い残して、何処かへと出掛けてしまいました。
しかし、最高級のドラゴン肉なんて、どこで調達するんでしょうか?
正統王国内にはドラゴンが出現するような場所なんて、私の知る限りでは迷宮都市ステラにある大迷宮、その深層くらいしか無いはず。
2、3日程留守にするとおっしゃっていましたが、確か大迷宮の深層までは、熟練のパーティでも片道1週間以上は掛かると聞いたことがあります。
いくらレイン先生が非常識な実力の持ち主だからと言っても、流石に其処まで常識破りではないでしょう。......多分。
となると何処か別に当てでもあるのでしょうか?......やはり謎ですね。
まあ先生が秘密主義なのはいつものことです。
今は、指示通りに魔法の修行あるのみ、ですね!
◆
レイン先生が研究室を留守にした、その翌日のことでした。その事件が起きたのは。
丁度その日、サウスパレス研究室所属の3人は、奇しくも同時刻において、それぞれが昇格戦の挑戦試合の為、別行動を取っていました。
私も事件が起きた時、Aクラスの生徒から挑戦を受け、闘技場で試合をしている最中でした。
ズドォォォンと体の芯に響くような音が、突然学園の何処かから聞こえてきます。
その重低音は一度では済まず、何度も何度も出所を変えながら、鳴り響きます。
「えっ!?な、なに!?」
突然の変事に対戦相手の女子は、動揺し杖を取り落とします。
その姿は見事に隙だらけで、私からすればまさに恰好の的といった所でしたので、一瞬そのまま攻撃して打ち倒そうか悩みます。
まあ、さすがにそれは色々と不味いかなと思い直し、実行に移すのは止めておきました。
審判や見学者の方々は異変に気を取られ、誰もこちらを見てなかったので、実行しても多分問題は無かったのでしょうが、私は空気が読める子なのです。
そうしている間にも、音の発生源は、徐々に近くなっていき、やがてその正体が姿を見せます。
「異教者たちに死を!」
「簒奪者を崇める愚か者どもに天罰を!」
黒いローブを全身に纏った10人程の集団がそう叫びながら、こちらへとやって来ます。
どうやら彼らが、音の発生源のようです。
全員が口元を布で隠しており、顔も良く分かりません。どちら様なのでしょうか?
ただ、彼らの体格は全員バラバラですが、その手には各々杖が握られている為、恐らく魔導師の集団であることは推測できます。
先程から鳴っていた轟音も、恐らく魔法による仕業でしょう。
「お、お前たち。一体何者だ!」
ここにいる生徒たち全員の気持ちを代弁するように、審判役の上級生が彼らの前へと進み出て、問いかけます。
「ふん。我らは偉大なる神の教えに従う正義の
ですが、返ってくる言葉は意味不明な妄言だけです。
上級生の方も、これには困り顔です。
「正義を汚す豚どもめ!滅びるがいい!
そればかりか、いきなり魔法による攻撃を仕掛けてきました。
燃え盛る炎の塊が、上級生の方を襲います。
「なっ!?ぐああぁ」
咄嗟の出来事に避けることも出来ず直撃を食らい、呻き声を上げながら吹き飛ばされていきます。
何ら魔法による防御も無い中での不意打ちでしたので、下手をすれば死んでいる所でしょう。
ただ彼は幸いにも闘技場内にいたので、保護結界の力で恐らく無事でしょう。
上級生を吹き飛ばした、その魔法の余波で周囲に土煙が巻き起こり、私の姿を覆い隠してくれました。
どうやらあの集団は、ちょっと頭がおかしい人達のようですね。
試合の邪魔になりますので、さっさと排除してしまいましょうか。
そう判断した私は、土煙が収まる前にこっそりと魔法を発動させます。
「
最近やっと会得した光と風の2属性複合魔法です。
光を歪めることで周囲から姿を隠し、同時に風の結界によって音漏れを防ぐことで気配を消します。
複合魔法なので、難易度が高く、使い道も限られる為、割と使い手の少ない魔法らしいです。
隠密行動にはうってつけの魔法ですし、こんなに便利なのに、なんだか勿体ない話です。
この魔法の力のおかげで、土煙が収まった頃には、既に私は黒ずくめの集団の背後を確保していました。
あとは彼らを始末するだけです。
「
以前、ユーディットが使っていた魔法が便利そうだったので、真似して覚えてみた魔法です。
属性を炎から雷に変えたのは、標的を狙い討ちにする為です。
炎属性の魔法は、威力は高いのですが、周囲を巻き込みやすいので、今の状況にはあまり向かないのです。
私の体から10cmも離れていない場所に雷球を作り出していきます。
生み出した場所が近すぎるせいで、雷球の余波を受けて小さな火傷をいくつも負いますが、あまり離れてしまうと
20個程作り終えた所で、準備は完了です。
「
雷球から、雷の矢が形成され、黒ずくめ達へと向けて一斉に発射されます。
それと同時に私は、愛剣"シュタイフェ・ブリーゼ"を構えて駆け出します。
幸い彼らの注意は他の見学者たちへと向いており、魔法発動に気付いた気配はありません。
「ぐぁぁ!」「ぎゃぁ!」
走る私を追い超し、無防備な彼らの背中へといくつもの雷の矢が突き刺さりました。
雷球による不意打ちを受けた彼らは、うめき声を上げながら次々と倒れていきます。
どうやらほぼ一掃出来たようですね。
辛うじて立っていた生き残りがいましたが、その残った一人も、起き上がろうとしていた背後にスッと近寄り、剣で首を刎ねて止めを刺しました。
これで制圧完了です。
「きゃあぁぁっ!」
終わったと思って安心していた所に、突然悲鳴が上がります。
声を上げた少女の視線の先を追うと、全身が黒焦げになった死体がそこにはありました。
......位置関係や死体の背丈などから察するに、どうも最初に吹き飛ばされた上級生の方のようです。
「......これはどうも嫌な感じがしますね」
どうやら闘技場の保護結界が、いつの間にかその機能を失ってしまったようです。
他の闘技場でも同様ならば、それはこの学園から明確な安全地帯が失われた事を意味します。
ユーディットたちは大丈夫でしょうか?そんな心配が私の胸をよぎります。
......二人とも私より強いので、きっと大丈夫。
そう信じつつも、消えない不安が私を急かします。
「早く助けに向かわないと......」
ですが、無情にも私の悪い予感は、見事に的中してしまいました。
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