2-8 ストーリーモードとAIの三春さん

 キリンによると、ドッグ・ファイト! のストーリーモードには、二つのコースが用意されているということだった。


 その一つは、第二次世界大戦に参加していた任意の一国の政治指導者となって、その国を大戦の覇者ならぬ覇国へと導く、世界制覇コース。


 もう一つは、同じく任意の一国の一兵卒のパイロットから始めて撃墜王を目指す、撃墜王コースというものらしい。


 ちなみに大日本帝国に限っては、ここから更に陸軍と海軍コースとに分かれていて、どちらを選ぶかにより、乗れる戦闘機が変わってくるということだ。


「葵さんが言ってた通り、ぼくらがいるのは日本でいいんだよね?」


「まあ落ち着けや稀上等飛行兵曹まれじょうとうひこうへいそうよ」


 そう言ってキリンはストーリーモードの説明を続行する。また密かに階級が上がっているっぽいことがちょっと嬉しかったけど、そこには触れないままに大人しく耳を傾けることにした。


 ゲームのスタート地点は、大日本帝国の場合で言うと、陸海のどちらのコースも沖縄ないし、当時日本の植民地下にあった南島のいずれか一国と決められていて、年月日ねんがっぴは大戦が勃発する1939年の夏から終戦の1945年の同じく夏まで、季節単位で選べるようになっているとのことだ。こうして年と季節毎の時代背景を玩味がんみできるようにすると共に、複数の仮想時空間を用意することにより、プレイヤーが一箇所に集中し過ぎないよう対策されているということだ。


 そうしてクエストやイベントをクリアして、決められた以上の階級への昇格と撃墜数を達成したのち、東京市ヶ谷とうきょういちがやにある大本営において叙勲じょくんを受けて、エンディングを迎えるという流れらしい。


 とそれはそうと、中にはあえてストーリーを進めることなく、第二次大戦中の『生活そのもの』を愉しむ遊び方もあるようだ。公式では謳われていないのだけど、様々な隠し要素やスキルが用意されているために、やろうと思えば、戦闘機の設計者になるような生き方も選べるようになっているということだ。


 そして今現在のぼくらがいるのは、大日本帝国における『撃墜王/海軍コース』で、スタート地点は沖縄県、年は1945年の春とのことだ。葵さんいわく、枢機をはじめとしたトゥハイロの連中は、潜伏先の仮想時空間を特定されないように、一定期間毎に違う年と季節とに移動していて、今はこの時空間にいるということだった。とまあそれはさておき、敵の潜伏先が外国じゃなかったのは運がよかったと言えるだろう。もしかしたらそうなるように葵さんが調整してくれたのかもしれないけれど。


 あとはそう、ぼくらはイマジン+のモード上にいるとは言っても、それはあくまでもベータ版のことで、DFには正式に対応してはいないから、使えるシステムは、原則音声チャットくらいしかないということだった。そして戦闘機操縦時におけるパワーサポート機能もないらしい。ちなみにパワーサポートというのは、古い車で言うところの『パワステ』と同じようなシステムだ。とそうなると高速時は特に問題はないらしいけれど、低速時や着陸時には本来以上の、現実通りの技術が必要になるということのようだ。これじゃあほとんど現実そのままになってしまうのだけど、ただしそれはトゥハイロのメンバーも似たような条件というのが救いだろうか。と言うのも、彼らは仮想時空間での訓練が現実でも反映されるように、イマジンとDFの身体的サポートシステムを、解除しているからということだった。


 キリンから知っていることを聞き出し、現状のあれこれを確認し終えたあとでぼくは尋ねる。


「おわり?」


「いやいや、あともう一つ、大目玉があるんだなこれがまた」


 『大』をつけるとお説教みたいに聞こえるけれど、まあそれはともかく。


 キリンいわく、ゲームドッグ・ファイト! には、個々によって異なる『隠れ必殺スキル』が用意されているということだった。これはイマジンが各プレイヤーの個人的無意識を自動解析して精製し、特定のアクションやワードをきっかけに、ファイト中限定で発動される、言わばボーナス的なプログラムということだ。どんなアクションがトリガーになるのかは、実際に発動されるまでわからないということらしい。


「でもさ、それが実装されてるとは限らないよね?」


「お、ナビゲーター発見だぞ稀二等飛行兵まれにとうひこうへいよ!」


 キリンはぼくの突っ込みが気に食わなかったのか、ぼくの疑問を完全に無視したどころか、階級を一気に最下位まで引き下げてきた始末だったけれど、そのあらびきウインナーのような指で差した先を見てみると、そこにはまるで、歴史の教科書から飛び出してきたかのような、古過ぎる青い瓦屋根の一軒家が確認できた。


 そしてその庭の一画では、所々ほころびている『もんぺ』を身につけた、ぼくらと同い歳くらいの三つ編みの少女が、古めかしい石組みの井戸から、確か釣瓶つるべという名前だったはずの、滑車付きの桶を使って水を汲んでいるところだった。


 赤い半透明の特殊カーソルが頭上に浮いているところからして、彼女はストーリーを進めるための、ナビゲートキャラクターのようだ。これは意思を持っているAIのことで、NQC《ノンクオリアキャラクター》と人間のちょうど中間的な立ち位置のキャラクターだ。その辺はぼくの好きなRPGのHGと同じ仕様らしいから、直感的に理解することができた。


 近づいて行くと、こちらに気付いた少女が手を止めて、九州地方を思わせる独特のイントネーションで言った。とするとここはやはり沖縄県になるようだ。


「もしかして、不時着した操縦士さんですか?」


「わかりますか!」


 普段は絶対に使わない爽やかな敬語でキリンが応える。


 少女は海辺の住人とは思えないほどの白い頬をぽっと赤らめた。


「前にもそういう方がおったですから……。どうぞ座ってください。今、何かお持ちします」


「いえいえ、おかまいなく!」


 とんでもねかです! キリンの声に元気よくそう応えながら、少女は縁側から家に上がると、部屋の奥へと消えていった。


 キリンは一切の遠慮なしにどかっと縁側に腰を下ろすと、飛空帽とゴーグル、そしてマフラーをしゅるりと外した。


「つか、間違いなくここはストーリーモードの撃墜王/海軍コースのようだな」


 ぼくも縁側にとっと腰を下ろして一緒の装備を外しにかかる。「わかるんだ?」


「ここまではプレイ済みだからな。あの子は確か、三春みはるさんて名だ」


「そうなんだ。てか、挫折するの早過ぎない?」


「切り替えが早いと認識してくれ」


 まもなくすると、少女がまん丸に膨らんだ真っ白い六つのおにぎりと四切れの黄色いたくあん、そして二杯のお茶を載せたお盆を手に戻ってきた。


「冷えとりますが、どうぞお召し上がりくだせいませ」


 では、と言って当然のように手を伸ばそうとしたキリンにすかさずぼくは肩パンを決めた。


 さすがのキリンも不意打ちはこたえたようだ。驚きと痛さの混ざった顔でぼくを振り返り、そのまま何かを言いたげに見つめ続ける。


 ぼくはキリンを無視して言った。「これって、大切な食料じゃないんですか?」


 キリンの、は? と言いたげな、おにぎりとリンクしている丸い顔が否応なく視界に入ってくる。でも、実際にはキリンの方が正しいのだろう。なぜならここはゲームの世界で、三春さんというこの少女は、AIキャラクターなのだから。よって遠慮をする理由なんて、かけらも存在はしないのだ。


 じゃあ一体なぜそんな風に考えてしまったのかと言うと、反射的にそう思わざるを得ないまでに、何もかもがリアルだからかもしれない。改めてそう思っているぼくに、正座をしている三春さんがすっと姿勢を正しながら言った。


「いんえ、だからこそです。兵隊さんには、命をかけてお国を守ってもらっとるんです。これくらい当然のことです」


「でも……」


 ——と、三春さんが哀しそうな顔になった。「食べてもらわないと、わたしが困ります……」


「いっただっきまーす!」


 キリンがこっちをちらちらと警戒しつつも一番大きめのおにぎりをひっ掴み、口に押し付けるようにして頬張った。そして当然のようにむぐっと喉に詰まらせた。


 三春さんが愉しげに笑いながらキリンにお茶を差し出した。


 キリンはごっくりと一口飲んだけど、慌ててしまったせいか、今度はお茶を喉に絡ませてしまったようだ。みるみるうちに真っ赤になりながらもせっかくのおにぎりを吐くまいと、懸命に咳を堪えている。


 また愉しげに笑った三春さんが、キリンの背中をたんたんとんとんと手を使って叩き始める。


 今回はキリンに分があったようだ。あきらめたぼくはつやつやと光っているまん丸いおにぎりを手に取ると、はぐっと小さくかじりついた。


 保存が利くようにしているせいだろう、強い塩っ気がきゅっと鼻にまわると共に、ふっくらでもっちりとしたお米の粒たちがゆるやかに口内でほどけてゆく。ごくんと飲み込むと、喉と食道が気持ちよくどよめいた。


 イマジンは人間の意識と同時に記憶を借りて世界を構築しているから、現実とまったく同じように食べ物を再現できるかつ味わえる仕様になっている。そして中枢の役割りを担っている松果体は、現実世界での機能と同様に体内時計の役割をも果たしてくれるから、食べれば食べただけの満足感が得られるようにもなっているし、現実と同じサイクルでお腹が空くようにもなっている。こうして実際に食事をしてみて、それらの点に改めて驚いたぼくだったけれど、それとは別の意味でのとある新鮮で不思議な驚きを覚えながら手に持ったおにぎりをじっと見つめる。


 三春さんが首を傾げた。「どうか、されもしたか……?」


「いえ、お米って、こんなにも美味しいものだったんだなあって思って……おいしいです」


 言ってぼくはまた一口、今度はがぶっとおにぎりにかぶりついた。「ほんと、すっごくおいしいです!」


 三春さんの顔がパッと輝いた。「わたしが作った米なんです!」


「そうなんですか!?」


 キリンは答える代わりにまたむぐっと喉を詰まらせた。


 沖縄と稲作のイメージがすぐには繋がらなかったものの、米は確か全国で作られている農作物だったからおかしいことではないはずだ。


 ぐむぐむと咳を堪えるキリンの背を再びたんたんとんとんと叩き叩き、三春さんは愉しそうに笑い続けている。


 こんなにも機嫌よさげに笑っている人間の顔を見るのは、ずい分久しぶりのことだった。つられてぼくもついつい笑顔になる。ようやく喉のつかえがとれたらしいキリンが米と一緒にたくあんをぎちぎちと噛み砕きながら、いよいよ舌好調ぜっこうちょうにまくし立て始めた。


「いやいや、にしてもマジでうまい、うますぎる! やっぱにっぽん人は米だな米! ラーメンなんて邪道すぎるわ! ぶははははっ!」


 ったく、キリンの調子のよさにはあきれてしまう。しかもマジだとかラーメンだとか、三春さんからしたらきっとよくわからない言葉の連続に違いなくて、実際彼女はきょとんとしていたのだけど、でも、内心ではぼくもおんなじ気持ちだった。ぬけるような青空の下、そうしてぼくらは笑いながら、真っ白くてまん丸としたおにぎりを口いっぱいに頬張り続けた。

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