2-2 ハード『イマジン』のシステムと現れた謎の編隊

「おい稀、説明してくれ……一体こりゃあどういうことなんだよ……なぜ、アバターが解除された……?」


 さっき以上に沈んだ声でキリンが言った。ショックのあまり、思考停止に陥ってしまったようだ。


「わからない、けど……」


「死んだのか? おれたちは。だから戻ったんだな? そうだな? そうなんだな?」


「ちょ、ちょっと待ってよ。どうしたのさ急に」


「死んだんだ」


 キリンはざしゅっと砂浜に両膝をついた。


「絶対そうだ……おれたちは、やっぱりもう死んじまってるんだ……だからもう二度と二郎系じろうけいのラーメン食えねえんだ!」


 滅多にない落ち込みように一瞬焦ったものの、最後の台詞からして、まだまだ余力は充分そうだったから、とりあえず放置でいくことにした。


 キリンはついに、ざんっ、と仰向けになって寝転ぶと、目元をおばけヘチマのように膨らんでいる肘から先で、がばっと覆った。まだ二郎系がどうのこうのと言っている。ぼくは自分の身体を捻ったり触ったりしながら全身をチェックした。


 チェックし続けているうちに、不思議なことに気が付いた。着ている飛行服がそのままなのはいいとしても、そのサイズがぼくに合わせて、リサイズされているのだ。その点はキリンも同じのようだ。


 果たしてこれは、どういうことになるのだろうか?


 アバター機能が解除されたのならば、服は現実のものと同じになるか、全裸になるのが自然なんじゃないだろうか?


 にもかかわらずソフトが用意している服装のままで、おまけにリサイズまでもが行われているのは、明らかにおかしいのではないだろうか?


 ぼくは持ち合わせているイマジンについての情報をおさらいした。


 イマジンというシステムは、確かカール・グスタフ・ユングという十九世紀生まれの心理学者が提唱した、個人的無意識と集合的無意識という二つの意識をいしずえに構築されているはずだった。


 開発者は今は亡きYという日本人博士で、このY博士はイマジン開発の前段階として、それまでは概念がいねんとしか存在しなかった人間の個人的無意識と集合的無意識とが、Y博士自身が発見した『絶対疎外粒子ぜったいそがいりゅうし』という未知の粒子群によって形成されている、実在の世界だったということを科学的に証明して、翌年のノーベル物理学賞を史上最速で受賞したほどの、世紀の大天才と言われている人物だ。


 ちなみにその絶対疎外粒子ぜったいそがいりゅうしとは、意識と物質のちょうど中間にあたる、質量がなんとプラスとマイナスの間で揺らいでいるとされる、知的生命体の意識活動の大本となる、根源的な粒子という位置付けだ。


 博士はその他にも、脳の中の松果体が、その絶対疎外粒子ぜったいそがいりゅうしを原料にする形で各人の個人的無意識を精製し、それが更に大きな集合的無意識と交わることにより、人間の精神世界が成立しているという事実と構造とを突き止めて、その一連の仕組みを応用したものがイマジンということになる。


 つまりそう、精神的な地球とでも言うべき集合的無意識を絶対疎外粒子ぜったいそがいりゅうしによって人工的に発生させて、そこへ個人的無意識を精製する人間個々人の松果体を接続する装置がイマジンになるというわけだ。


 よってイマジンの端末内には、特殊加工された絶対疎外粒子ぜったいそがいりゅうしと、それに質量を持たせることを目的とした、ヒッグス粒子並びにヒッグス機構が封じ込めてある。だからこうして仮想時空間でも物質の硬さと重力を、現実とまったく同然に感じ取ることができるようになっている。


 そう、キリンもさっき言っていたけれど、イマジンは形而上的けいじじょうてきな側面の強いシステムだとは言え、結局は物質を基に成り立っている『機械』なのだ。


 そして機械は機械である限り、作動エネルギーとしての電源もとい、電力を必要とする。この点はもはや間違いはない。


 そしてイマジンは、生きている生命体にしか作動しない。このことも一度ネットの公式サイトできちんと確かめたことがあるから間違いはないはずだ。


 だからそう、大丈夫。こうしてイマジン側が用意した服が実装されていることが、ぼくたちがまだちゃんと生きている証拠になる。もしもぼくらが本当に死んでいて、細胞が完全に死に切ってしまうまでのフェードアウト中だとするのなら、こういう段階を踏むことなく、アバターのままで消滅してしまうに違いないからだ。


 キリンの隣に体育座りをしながらぼくは言った。


「大丈夫だよ、キリン」


「何がだよ」


「ぼくらはまだ、ちゃんと生きてるから」


 ぼくは今しがた考えたことをキリンに話した。


 キリンは話を聞き入れ、納得してくれたようだ。


「だからさ」とぼくは続ける。「そのうち誰かが、イマジンから引き戻してくれるんじゃないのかな。だって現実でのぼくらは眠ってるわけなんだし、そういう状態で一日以上もログインしてたらさ、そういうのって、さすがにちょっとおかしいじゃない。だからおかしがったその誰かがさ、なんとかしてくれるんじゃないのかな。——あ、それにさ、さっきキリンが言ったみたいに、最終的には、メディカルシステムが自動でログアウトしてくれるだろうし。何せイマジンはちゃんと作動してるんだからね。ぼくらがこの服を着てるってことが、紛れもないその証拠なんだから」


 キリンはぼくの話で俄然がぜん元気を取り戻したようだ。


「な? だから全部おれさまの言った通りだろうが」と自分の早合点はなかったことにして、瞬時にしていつものキリンに戻ってしまった。


 そうして戻るが否や、顔の両側で両手をつきながら両足をぐっと縮こめて、せやっ! と言ってアクション俳優のように腹筋を使って立ち上がった。失敗したんだけど。


 でも何気に今回の失敗の方が珍しくて、地面が砂ではない土とか床だったなら、きっと成功していたはずだ。なぜってキリンは人の倍の体重があるくせに、運動神経はやたらとよい男なのだから。


「安心したら腹が減ったな」


 ポケットに両手を突っ込み、なぜか堂々たる仁王立ちで凪いだ海面を見据えながらキリンが言った。


「よし、二郎系のラーメン作るぞ」


「作っちゃうんだ」不覚にもぼくは笑ってしまった。


「海さえありゃあなんでもできる」


「だね。動物がいないから、材料が揃うまでに数億年はかかるだろうけど」


 その後ぼくらは意味もなく、仮想とは思えないまでにリアルな海を眺め始め、眺め続ける。


 遠い空の向こう側から、編隊を組んで飛来してくる五機の飛行機が見え始めたのは、そのときのことだった。

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