ぼくとキリンに託された使命
第2章
2-1 ログアウト不能? そして…
「ありえねえ、スウーネがニカ
抱えた両膝の間に顔をねじ込みながら、キリンは独り言のようにつぶやき続けている。もちろん、ショッキング・ピンクの獣人のままだ。
ぼくたちが降り立ったのは、南国のような雰囲気の海岸だった。サンゴの欠片でできた真っ白い砂浜と、魚が見えるまでに透き通った青い海と、ヤシの木をはじめとした濃い緑色の植物群が、まるで輝度を上げ切ったディスプレーのようにぴかぴかと輝いている。
何気に一度も訪れたことのない珍しい仮想時空間だったけれど、イマジンのゲームプレイが久しぶりだったぼくには、状況を正確に把握することができなかった。それに、撃墜されたあとのパラシュートによる脱出以降のアクションは、いつもカットしていたからということもある。
でもキリンの反応からすると、場所については特に問題はないようだ。おそらくは近くに
キリンはまた一度、ありえねえ……と言ったかと思いきや、ふいにがばっと顔を上げ、ぐにっと首をねじ曲げると、隣で膝を抱えているぼくを見た。
「稀よ、お前視力いくつだ?」
「2.0だけど?」
数瞬の間を置いたあと、キリンは巻き戻しでもするように、ぐにっ、がばっ、とまたすぐに両膝の間に顔を埋めた。
「ありえねえ、ぜってーにありえねえ……」
「……。きっとさ、他人の空似だと思うよ。それに、あの身体も多分アバターだろうし」
「じゃあ目の下の痣はどう説明するんだよ」
顔を埋めたままキリンは言った。ショッキング・ピンクのうなじをそよ風になびかせながら。
「涙形とかただでさえ珍しいのに、顔までそっくりなんてそんなこと、ありえると思うか? だいたいイマジンのアバターはな、実在の人物とそっくりなもんを作ることは、固く禁止されてるんだぞ?」
そう、ぼくが見たスウーネ——ユニカ先輩かもしれない人の右目の下には、水滴の形をしている、まるで黒い涙のように見える小さな痣があったのだ。そしてそれは実際のユニカ先輩の、大きな特徴となっていることなのだ。
ありえねえ……とまた言い始めたキリンにいい加減じれてきたぼくは言った。
「だから他人の空似だって言ってるでしょ。それでいいじゃない。だってそんなこと、ありえないんでしょ?」
「いや、待てよ。禁止されてるだけで、できないことではねえんだよな……」
「もう、どっちなの。先輩であってほしいの。ほしくないの」
「お前はどっちがいい?」
「なんでぼくが決めるの! キリンのことでしょ!」
顔を伏せたままでキリンは答える。「なんだかよくわかんなくなってきたんだ。だから一回お前の考えを聞かせてくれ」
もう、と言ってからぼくは自分の考えを話し始める。
「まずは、もしもスウーネさんがユニカ先輩じゃなかったら、おおまかにはなんの問題もないわけでしょ? もちろん、ユニカ先輩をわざと真似てればあるけど、でも取り急ぎの実害はないよね。それで、もし本当にスウーネさんがユニカ先輩だったとしたら、それでも、現時点での問題はない。ないんだけど、今現在の現実のユニカ先輩は、ちょっと普通とは言えない状態だから、もしかしたらここの先輩、つまりスウーネさんから事情を訊けば、何かがわかるかもしれない。大げさに言うと、スウーネさんが、現実の先輩を普通に戻す秘密を握っているかもしれないってなる。そうすると、ぼくが見たスウーネさんが本物のユニカ先輩だったって考えた方が、どっちかって言うと、よくなるんじゃないのかな。ただのそっくりさんだったら、特に何が変わるわけでもないんだしさ。ってそうぼくは思うけど?」
ぼくが言い終わるが否や、がばっ、ぐにっ、とキリンがぼくを見た。
「稀よ、改めて尋ねよう。涙形の痣は、本当にスウーネの目の下にあったんだな? 星や丸なんかじゃねえな? 嘘だったらゴスロリ服を着て、おれとアキバを歩く刑だからな?」
これまでとは打って変って活き活きしながらキリンが尋ねる。さっきまであんなに落ち込んでたくせに。まあ元気になったからよかったんだけど。
「うん、あったよ」ぼくは言った。「間違いなく先輩と
かふっとキリンは鼻を鳴らした。「じゃあスウーネは、ニカ姉で間違いねえな?」
もー、何その変わりよー、とぼくは言った。「って言うかさ、本人に確かめてみればいいんじゃないの? フレンド登録してあるんでしょ? それか一回帰って確かめるか」
ザンッ、と音を立てながらキリンが立ち上がった。「おい
「とっくに気付いてるかと思ってたけど」
階級が地味に上がっていることには触れずにぼくは言った。ちょっと嬉しかったけど。
キリンはくわっと見開いた獣人の目でぼくを見たあと、すっと視線を逸らした。「……いや、実は気付いてたんだがな?」
「遅いから」
「遅かったか」
がははっと笑ってキリンはそう言うと、コマンドディスプレーを立ち上げて、まずはスウーネ本人に尋ねてみようとしたようだ。けれど何かがうまくいかないようで、あら? あら? と繰り返すだけだ。
「応答ないの?」
「その前によ、コマディスそのものが起動できねえんだ」
「そんなはずないでしょ」
「あるんだなこれがまた。ちょっくらお前も確かめてみてくれよ」
「わかった」
ぼくは体育座りからあぐらになると、右手の人差し指の第二関節の腹を、ピスッと親指の先端で弾いてみた。けれどコマンドディスプレーは表出してこなかった。
何度か同じ動作を試みたあと、今度は逆に親指の第一関節の腹を、人差し指、中指、薬指の各先端で弾いてみる。
イマジンではこうやって、利き手のどの指の腹をどの指の先端で弾くかによって呼び出せるコマンドディスプレーが違っていて、メイン、サブ、アイテム、記憶と、合計で四つのディスプレーが用意されているのだけど、結果的に、いずれも表出させることができなかった。
「な? できねえだろ?」
「……うん」
「これじゃあ仮想時空間じゃなくて現実そのままだな。いや、おれのこの格好じゃ現実よりもひでえってな、だはは」
ぼくはキリンを見上げた。「まさか、ログアウト不能とかじゃないよね……?」
「は? んなことありえねえだろ。どっかの古いラノベじゃねえんだから」
「こういうことってよくあったりするの?」
「まあ聞いたことはあるが、実際には一度もねえな。でその聞いたことあるやつも、ソース不明のオカルトレベルばっかりだしな。ま、都市伝説みたいなもんだ」
「でもさ、もしも本当にそんなことになったりしたら、その人は現実に戻れないわけだから、誰にも言うことなんてできなくない? だからもしかしたら、人知れずにさ……」
キリンがすっと真顔になった。真顔と言ってもその顔は、
「おいおいやめろって、そんな不吉すぎること言うの」
「ごめん、ふっと思っただけだから」
「つーかお前の話こそオカルトレベルだな。だいたいあれじゃねえか、もしもそういうやつが実際にいたとしたら、必然的にちゃんとしたニュースになるはずだ。現実では眠ったままになるんだからな。誰かが気付かないわけがない。だがそんな正式な報道はただの一度さえも見聞きしたことがない。ないよな?」
「まあないけど」
ニヤッとキリンは笑った。
「だろ? だから単純に見聞きしたことがないってのは、起こったことがないからって考えてもいいわけだ。それによ、心配すんなって。こういうときのためにイマジン内には、門がそこら中に設置してあるんだからな。一つの門から半径100mごとに、必ず一つは作らなきゃならないって法律で決められてるんだなこれがまた」
「へー、そうなんだ。初めて聞いたよ」
「ま、お前はイマジンを持ってないからしょうがねえか。ってことでついてこいや貧乏人」
「うっさいボンボン」
立ち上がったぼくが肩パンを決めると、キリンは例によって気持ちよさげな顔をした。獣人アバターだから怖かったけど。
とそんな感じですっかりいつも通りに戻ったぼくたちは、砂浜をきしきしと歩き歩き、やがて胸の高さの位置で薄っすらと半透明になって浮かんでいる、
「おお、これだこれだ」
キリンが逆円錐の平面部分に手のひらを添えると、円錐が急速に濁り始め、むわり、と瞬く間に広がりながら形を変えて、例の亀裂を思わせる、黒線のみのゲートが目前に出現する。
無言のドヤ顔でぼくの方を振り返りながら、キリンが先にゲートをくぐった。るぷん、とゲート内の景色が揺れる。
しかしキリンはどこにも行かず、ゲートの向こう側に出ただけだった。
「れ? どういうこった?」
そう言ってキリンはゲートの外周を回ってこっちに戻ってきたあと、再度ゲート内をくぐったけれど、やはりどこにも行くことはできなかった。向こう側へ突き抜けただけだ。
キリンはその場で回れ右後、ゲート内をくぐってこっち側に戻ってきたのだけど、単に戻ってきただけで、やっぱりどこにも行くことはない。
そうこうしているうちに、今度はゲート自体が薄っすらとし始めて、まもなくすると、なんと跡形もなく消え失せてしまった。
「ちょっ、マジかよ!」
キリンの声は、虚しく響いただけだった。寄せる波音が強調でもするかのように、さあっと周囲に広がってゆく。
「これってやっぱり、ログアウト、不能……?」
思わずぼくが言った言葉を、いや、いやいやいやいやいや、とキリンは語気を強めて打ち消した。
「だからそれはねえってさっきから言ってんだろ。しょうがない、他の門に行くか」
「……うん」
キリンとぼくは、次のゲートのある場所をきしきしと歩いて目指し始める。
歩行中に
とそこまで説明し終えた直後、キリンはふっと押し黙りながら立ち止まった。なぜなら肝心なその東西南北が、わからないからだ。
本来ならサブのコマンドディスプレーによって正確な方角がわかるのだけど、そのコマンドディスプレー自体が使えないのだから仕方がない。
そこで考えた結果、さっきのゲートまで一旦戻ってその位置をしっかりと記憶し、太陽を頼りにある程度の方角を見定めたあと、一歩の歩幅をだいたい20㎝になるように統一後、その方向に五百歩以上まっすぐに進んで、逆円錐を探すという方法を取ることにした。
そうしてなかった場合は一旦スタート地点まで戻り、はじめの方角から二、三十度角度をずらしたのちに、また一方向に五百歩以上まっすぐに進むということを繰り返すことにした。正確さには欠けるものの、その行為を五回も繰り返せば、次の逆円錐を発見できるに違いないからだ。
けれど何度その方法を繰り返しても、次の逆円錐を見つけることはできなかった。
無理に明るさを装っているような声でキリンが言った。
「ま、よくわからないが大丈夫だろう。最悪メディカルシステムが自動ログアウトしてくれるだろうし」
言われてみると、その通りだった。
イマジンことCVTSでは、現実におけるプレイヤーの空腹感や尿意をはじめとしたメディカル反応が随時測定されていて、そのいずれかに異常が認められた際は、再三の警告と自動ログアウトが行われるシステムが実装されているのだ。でも……。
「でもさ、コマンドディスプレーが起ち上がらないんだよ? だから現実でイマジンがちゃんと作動してる保証ってなくないかな」
「まーたお前はそういうネガなことを言う。つか、おれらが今ここに存在してるこのことこそが、イマジンが作動してる証拠だろうが、はん?」
「けど、もしかしたらさ……」
キリンの頬の毛がほんの微かにだけど、ぶわっと確かに逆立った。
「てめえ稀、まさかおれたちがもう実は死んでて、意識だけがここに閉じ込められてるとかって言いたいわけじゃねえだろうな?」
「可能性だけで言えば、ないこともないよね……?」
「いや、ないね」キリンは言い切った。「ぜってーねーし」
「どうして? どうしてそこまで言い切れるの?」
気のせいかキリンは少しうろたえた。
「どうしてって、今のおれたちを見ろよ。おれは獣人で、お前はデフォのアバターじゃねえか。それがイマジンがまだ機能してるれっきとした証拠だ。だろ?」
「でもさ、イマジンは人間の無意識を利用してシステムを組んでるから、たとえ意識だけしか残ってなくても、そのまま機能が利き続けるのかもしれないじゃん。それに、そうしたらユニカ先輩のことも説明がつけられるし……」
ここでスウーネ/ニカ姉問題をぶり返すときたか、とキリンは言った。
「だが、だったら電源はどっから引っ張ってくるんだよ、電源は。『大本営』にメインマシンがあるクラウド式ならともかく、イマジンは据え置き型の端末なんだぞ? だから動かすためには『分営』からも電源が必要なんだ。別個でエネルギーがいるってこった。だからおれらがこうしてイマジン用のアバターを使えてるってこと自体が、まだ生きてるっつー立派な証拠になるんだ。生きて電源に繋がれたイマジンに接続されてるって証拠にな。それにそもそもの話、イマジンは松果体を持ってる『生きた』生命体にしか反応しねえんだ。つかなんだよ稀、どうしてお前はそう死にたがるんだよ」
「可能性の話をしてるだけでしょ。じゃないとちゃんとした対策を立てられないじゃん。それに知らないの? 心臓が止まっても、細胞はしばらく生き続けるんだよ? そうすると——」
「ほれ見ろまたそうやって死にたがる——ってマジかよっ!」「——嘘、キリンッ!」
ぼくたちは、同時に大声を上げていた。互いに互いの顔を指さしながら。
アバターが薄っすらと解除されてゆき、ぼくたち自身の身体に戻ってしまったからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます