1-13 スウーネの正体

 キリンの言った通り、バトルは長期戦に突入した感を否めなかった。


 ぼくとスウーネは何回かずつお互いの背後を取ったものの、銃弾は一発たりとも命中させることができないまま現在に至っている。


 ぼくはさらなる長期戦を覚悟した——強く、強く。


 ここまで来たら、絶対に勝ちたいと思ったからだ。こんな風に燃えてきたのは、ずい分久しぶりのことだった。


 そんなぼくの執念が届いたのかもしれない、チャンスは唐突に訪れた。


 何枚にも重ねたパンケーキのように分厚い雲をスボッと突き抜け終えた、次の瞬間だった。ふっと目をやった4時の方向に、こちらに無防備な右の腹を見せている、ゼロを発見したのだ。


 しかもそれは、一撃離脱を仕掛けるのにまさにうってつけの位置と距離で、尚かつなんとスウーネは、まだぼくたちに気が付いていないようだった。


 きっと嬉しすぎたに違いない。キリンは雄弁だったこれまでとは打って変わって、うし、とつぶやいただけだった。ぼくは応えるように両足を軽く踏ん張り、ふうと息を吐き出しながら、操縦レバーを握る両手にきゅっと小さく力を込める。


 これは、最初で最後のチャンスなんだ……。


 ぼくは自分に鞭打つようにそう言い聞かせると、タイミングを見計らって、一息にスロットルレバーを全開にした。そしてえぐるような軌道の急降下でゼロに近づきながら、くっと30㎜砲の発射トリガーに指をかける——


 そのときだった。


 かつてないほどまでにゼロへと近づいたその瞬間、しまった、という表情でこっちを見上げたスウーネの顔を、はっきりとぼくは見た。


 トリガーを引く指が思わず止まった——驚愕きょうがくしたのだ。


 そしてその驚愕はぼくを通り抜けることなく、ぼくの中に留まり続けた。


 そ、そんな、まさか……。


 我に返ったのは、震電の後部にあるプロペラとエンジンがボッと爆発し、機体が大きく揺れたときだ。


 どうやら呆然としているものの数秒のうちに、まさに神風かみかぜのごとくぼくらの背後に回ったゼロが機関銃を連射して、震電の撃墜に至ったようだ。颯爽と弧を描きながら雲の中へ消えてゆく、ゼロの白い腹が小さく見えた。


 その後まもなく、機体がガクンと大きく仰け反り、ビューッという荒々しい風切り音を立てながら、ぼくらの乗る震電が斜め後ろに向かって墜落を開始する。


 とこんな状況にもかかわらず、未だにぼくは、さっき覚えた驚愕に心を奪われたままだった。NQCが言ったはずの「ユー・ルーズ」という言葉も耳に入らなかったほどだ。


「おいこら、稀!」とふいにキリンがぼくを怒鳴りつけた。


「……え?」


「えじゃねえだろ、脱出だ、脱出!」


「あそっか……」


 ぼくはシートベルトを外すと、シートの両脇にあった二つの金具を飛行服に装着し、風防キャノピーを開け、クッションとして使っていたパラシュートを抱えて飛び降りた。


 このアクションは怖いから苦手だったはずなのに、未だに続いている驚愕のせいで、ほぼ恐怖は感じなかった。バフッとパラシュートが自動で開き、数瞬の衝撃のあとにふわりふわりと落下を始める。


「つーかてめえなんで撃たなかったんだよ。さっき絶好のチャンスだったろうが、あん?」


 いつの間にか実体化していた獣人アバターのキリンが、斜め上空でパラシュートを開きながら、音声チャットで話しかけてきた。キリンはぼくよりもずっと体重が重いから、パラシュートの直径が狭まっているせいでぐんぐんと近づいてきているのだけど、それはともかく、ぼくもおんなじ音声チャットを使って応答する。


「てか逆に訊くけどさ、キリンはさっき、スウーネさんの顔を見なかったの?」


「見るかいなんなもん」


 にっとこっちを見下ろしているショッキング・ピンクにぼくは尋ねる。「どうして?」


「は? ゼロの機体を見てたからに決まってんだろ」


 口にこそ出さなかったけど、は? はこっちの台詞だった。ったく、これだからオタクは嫌になる。自分の見たいものしか見ないのだ。


「え、でもさ、マフラーが黒くて髪が長くて、肌が浅黒いってことは知ってたわけじゃん。てことはこれまでに、一回くらいは見たことあるんでしょ?」


 キリンはずしっと両腕を組んだ。


「ねえんだなそれがまた。マフラーを一瞬見ただけだ。髪型と肌の色だって、そんときの視野見しやみでわかっただけだからな」


 もう顔を上げずとも視界に入り始めた大きな半長靴に向かってまたぼくは尋ねる。


「……。あ、でもキリンもさっきさ、スウーネさんの正体気にしてたよね?」


「いや、おれが気にしだしたのは、こないだ最後にやつと戦ってログアウトしてからだから——」


 と、そこでようやくぼくの質問の意図を理解したらしいキリンが、バシンと下から弾かれたように両腕を解き、ほとんど怯えた声で尋ねてきた。


「つか稀、まさか本当にスウーネが枢機さんだったわけじゃねえだろうな……?」


 ぼくは、何も答えなかった。答えることができなかったのだ。


「おいどうなんだよ、はっきり言えよ!」


 ぼくは、ごくりと唾を飲んだ。


「あのね、キリン。ぼくらの予感はね、当たってたんだよ。半分だけだけど……」


「おいおい、それじゃあよっけいにわかんねえってえの!」


「ちょ、ちょっと待ってよ! 混乱、してるんだよ……」


 ついにぼくと対峙したキリンは遠慮なく舌打ちをした。「しょうがねえな、なるべく急げよ」


 ぼくは落ち着くために、深呼吸を一度した。それからまたごくりと唾を飲み込んだあと、スウーネの正体をキリンに告げた。


 途端に顔中の毛をボッと逆立てながら、キリンが怒りにも似た大声を上げ始める。


「おい稀、こんなときにふざけんなって!」


「ふ、ふざけてないから!」


「いーやふざけてる! ぜってーにふざけてる!」


「だってほんとだもん! ほんとの、ほんとなんだもん!」


「そんなかわいく言ってもダメだ! ありえねえ!」


 今やぼくよりも下にいるキリンがくにっと首を曲げてぼくを見上げながら、怒りと驚きと混乱が入り交じった表情で先を続ける。


「——だってそうだろ! 一体なんでスウーネが『ニカねえ』でなきゃならねえんだよ!」


【第1章〈了〉】

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