1-12 震電vs白塗りのゼロ

 灰色の雲の陰から現れたのは、機体に描かれた日の丸が鮮やかに映える、白塗りの零戦だった。


 ただし反射防止のためだろう、操縦室の前、プロペラの付け根に位置するエンジンをすっぽりと覆うカウル部分だけは真っ黒く塗られている。


 ぼくは持っている零戦の情報を、松果体越しに海馬から引き出した。


 キリンいわく、零戦は一時世界を席巻せっけんしたことがあるそうだ。少なくとも当時のアジアでは、最強の戦闘機と謳われていた。


 多重に分割設置されたキャブレターにより、どんな態勢でも安定してエンジンに燃料を供給することができる構造の『さかえ』という星型のエンジンと、フレームの至るところをくり抜いて徹底的に軽量化された軽い機体とが売りとされ、アメリカ軍からは『ゼロ』という呼称で恐れられていたらしい。遭遇しても、決してドッグファイトを行わないようにと命令されていたということだ。


 それらが由来となったに違いない、零戦は戦後百年経った今でも映画やアニメ、小説の題材にされるまでの人気を博し続けている。戦闘機にはさほど興味のないぼくでさえもが、その存在と名前を知っていることがれっきとした証拠だろう。


 ただ、そんな零戦にも弱点がある。それは機体があまりにも軽いために、急降下が大の苦手だということだ。そしてキリンの立てた今回の作戦は、どうやらそこを突くことにあるらしい。だから一撃離脱攻撃を得意とする、重い機体の震電を選んだということだった。


 つまりはじめに急降下で引き離したあとに、一気に急上昇し、背後を取ってロック・オンするという作戦だ。


「よしよし、今日もゼロで来やがったのが運の尽きだ」


 相手の零戦を確認した途端嬉しそうな声でキリンが言った。


「てかさ、そこまで作戦が整ってるんなら、キリンでもいけるんじゃないの?」


「タコ、『わかる』と『できる』は違うんだよ。覚えとけ」


 と、本来なら恥じ入るべきなはずのこんなときでさえも上から目線なキリンだったけれど、それがキリンという男なのだから仕方がない。特には気にせずにバトルに集中することにした。


 指示通り適当な距離までゼロに近づいたあと、まずは雲の隙間に沿って、ブォン、と一気に急降下する。——瞬間、解放された重力によってまるで吸われるかのごとく、逆さのシートにぶわっと上体の後ろ半分が押さえつけられる。


「よし、いいぞいいぞ。オタオタしてやがるわ、スウーネの野郎め」


 首を捻って見てみると、確かに敵のゼロはあえいでいるように見えた。浮き輪を付けたまま水中に潜ろうとしている子どものように見えなくもない。ぼくらの震電を追って来てはいるものの、その距離がみるみるうちに開いてゆく。


「よし、今だ稀、あの馬鹿でかい雲に隠れて一気に急上昇、そして急降下、で後ろからロック・オンだ!」


「了解!」


 応えながらぼくは操縦レバーをめいっぱい手前に引くと、Vの字の軌道を描くように上へと向けて、急カーブを切った。そしてそのまま雲の隙間を縫うように急上昇を開始する。——瞬間、今度はさっきとは反対に、集まってきた重力がムグッと上体の前半分を押さえつける。頬の肉がほんの少しだけ後ろになびく。


 そうして一度ゼロの上空に移動したあとに、大きな半円を描きながらぐるんと宙返りを決め終えると、そのままゼロの後ろをめがけ、一直線に、急降下。


 ——ロック・オン!


「早くも取ったぞ! 今だ、撃て!」


 ぼくは30㎜機関砲を発射した。——しかし、命中寸前でスウーネはゼロの機体を、ブヲン、と上昇させて回避した。


「くっそ、よけられたか!」


 そこからはスウーネの反撃だった。


 スウーネはそのままℓを描くかのように幅の狭い宙返りを華麗に決めると、ゼロをピッタリと震電の真後ろにつけ、同時に機関銃を連射してきた。


「速いっ!」「よけろっ!」


 ぼくはほとんど乗るようにしながらガゴッと操縦レバーを押し倒すと、機体を急降下させた。逆流するGが一瞬ふっと体重を奪う。


 判断が速かったおかげか、すんでのところで攻撃を回避することができたようだ。ゼロに追いつかれないようにそのまま急降下を継続する。


 ぼそりとキリンが言った。


「さすがにそう簡単に勝たしてはくれねえか。この分じゃ、さっき以上の長期戦になりそうだな……」

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