1-9 謎のパイロット“スウーネ”
「うし、早速おっぱじめっか」
部屋に入るなりキリンが言った。いつも以上に張り切った調子だったけど、そこはスルーしてぼくは尋ねる。
「練習する時間ってちゃんとあるよね」
キリンはふが、と鼻を鳴らした。
「稀よ、おれさまを誰だと心得るんだ。安心しろ、スウーネの出没時間に合わせてちゃんと予定は組んである」
そう、相手のニックネームはスウーネというらしい。公開されているプロフィールによると、ぼくたちよりも五つ歳上の男性ということだ。長髪で浅黒い肌からして、中東系の外国人ではないかとキリンは推理しているようだ。もちろん、それがアバターじゃなければの話なんだけど。
戦闘機の紙飛行機やらプラモデルやらで埋め尽くされている棚の一番下から、イマジン一式を取り出しながらキリンが尋ねてくる。本体の大きさは聖書ほどで、色もまた同じく黒色になっている。
「まずはCOM《コンピューター》との
「好きにすれば」
DF内の戦闘機は、現実のものと同じで全部一人乗りなのだけど、オプションとして、パイロットの他に『
ただしその場合、スペースがないということもあって、『意識と音声のみ』の搭乗になる。
そしてその際の決まりごととして、見者がパイロットと会話をすることや、アドバイス等を与える行為は特に禁止されてはいないのだけど、敵の位置を教えることだけは原則禁止とされている。だからもしもそれで勝ったとしても、勝利としてカウントされることはない。その辺は随時稼働している専用のシステムが審査してくれることになっている。
頭の中でイマジンとドッグ・ファイト! の記憶の発掘作業を続けながら準備に入る。
まずぼくたちは、縦長のツバの部分を稼働させて溶接マスクのように顔の前へ降ろすことができる、ヘッドギアとサンバイザーを組み合わせたような構造のガジェットを頭に装着した。これは通称『ステック』と呼ばれる、イマジン本体と人体とを接続するワイヤレスの端末だ。頭部を覆う放射状のシリコンゴムの内部に脳波を読み取るセンサーが内蔵されている。
その形状からして、ツバの内側一面にVRディスプレーがありそうな見た目ではあるのだけれど、その手のものは何もない。じゃあなんでこんな形なのかと言うと、それは主に、まぶた越しに入ってくる無用な光を遮るためだ。
そのためにヴァンタ・ブラックという99.65%もの光を吸収する超漆黒の吸光素材と、自然界には存在しない、負の屈折率を持っている物質のメタマテリアル、そして光波を吸収する反レーザーの技術を用いて、限りなく100%に近い安定した暗闇を眼前に精製しているということだ。
と言うのも、イマジンは人間の誰もが持っている個人的無意識を借りる形で個々の仮想時空間を構築するから、肉眼用のディスプレーは必要としない造りになっているのだ。
そうすると仮想時空間では一体どうやってものを認識するかという話になるのだけれど、それは脳の中の
これは『第三の目』と言われる未だ解明されきっていない部位になるのだけれど、ここをはじめとした脳の機能が正常ならば、原則的に、誰でもイマジンを使用できることになっている。よって原理的には、やろうと思えば、動物さえもイマジンに召喚することができる。
ステックを装着後、今度はその両端からコード伝いに一つずつ伸びている、二つの小さなプラグ状の端末を左右の耳の孔にくっとはめ込む。これも視界の方と同じで、何かを聴くというよりは、無音の精製を目的とする、最新式のデジタルノイズキャンセラー機能が搭載されているガジェットだ。そしてイマジン内での聴覚もまた、松果体が役目を果たすことになっている。
もっと言うならば、イマジン内では、第六感までをも含めた全感覚と、脳のコントロールの全てを松果体が担うことになっている。そう、このステックの主な機能と目的は、特定の電磁波によってイマジンと松果体とを接続することにあるというわけだ。
そのイメージを視覚的に表すと、超ミクロ化して松果体の中にすっぽりと入ってしまうという感じだろうか。いずれにせよイマジンは、生じる意識のことごとくを松果体の一点に集める構造であると同時に、松果体の本来の役割とされている『メラトニン』という睡眠ホルモンを過剰に分泌させるようにもなっているから、仮想空間内にいるときに、現実の手足が動いてしまうようなことは決してない。
耳に装着後、今度は頭頂部の一点から『アホ毛』のように同じくコード伝いに伸びている、先端がシート状になっている端末を胸に貼る。その場所はシャツをはだいた胸骨の中央部で、専用の使い捨てシリコンシールを使って素肌の上から直に貼る決まりになっている。ちなみにこれは、アバターと現実の心拍数を連動させるガジェットだ。これがあることによって、仮想空間の中でも『実感』を持つことができるのだ。
その後頭が動いてしまわないようにするための専用の枕を使って、キリンはベッドで横になった状態で、ぼくはめいっぱいまでリクライニングさせたデスクチェアーに腰かけた体勢で、現実と仮想世界との間に位置する『
そうしてだだっ広くて何にもない真っ白いリンボ空間に無事ジャンプしたぼくたちは、今度はその場所で、国籍や使用言語を決める等の、各ソフトの精製する仮想時空間へと進入するための準備行動を開始する。
「稀よ、アバターはどうするんだ?」
気が付けば隣に立っていたキリンがぼくに尋ねてくる。今のぼくたちは、ここリンボ空間のユニフォームである、ちょうど病衣のような白い
「とりあえずデフォルトのでやるつもりだけど」
「なんだよ、そのままでやれよ」
「嫌だから」
「じゃあせめて男の
「もっと嫌だから」
ぼくは曲げた人差し指の内側を、親指の先端で擦るようにしながらピスッと弾いた。そのジェスチャーを行なって、ぼくにしか見えない緑色の光線によって目の前へと表出させたコマンドディスプレーを、すっ、すっ、と視線で操作する。そうしてイマジン内に元々用意されている、自分と同じ年齢と身長と性別のデフォルトアバターを選択後に決定し、ポムッと忍術のように姿を変えた。
イマジンではこの手順をカットすると、その時点での自分のそれとまったく同じ外見のアバターが自動精製されることになっているのだけど、自分の姿のままでプレイする人間は少数派で、各々が好きなアバターをカスタマイズして使用するのが一般的だ。
ただ、免許証やパスポートを用いての事前登録が義務付けられている、個人情報内の年齢はもちろんのこと、性別も偽れないことになっている。登録時に厳正なる審査をされることになっているから、個人での改ざんはほぼ不可能と言っていい。
とは言え女性に限っては、仮の男性性を選択してもOKだ。はじめは何でもありだったのだけど、様々なトラブルを経たのちに、そういうルールに落ち着いたらしい。
と見ると、キリンは着ぐるみのような獣人タイプのアバターを選択していて、それは別にいいのだけれど、その色がどういうわけか、ショッキング・ピンクなのだからよくわからない。でもまあ変態だということだけは確実にわかるけど。
「なんだか狂ったムックみたい」
「るせーって。おれさまから言わすと、イマジン内でまでちまちまもじもじしてる方がよっぽどキモいんだがな?」
「だからってなんでその色になっちゃうの」
——と、目の前に『
そうしてゲートをくぐり抜け終える頃には、それまでに着ていた白い貫頭衣が、行き先の仮想時空間専用の標準服に自動変換されているというわけだ。
つまり今回の場合は、大日本帝国海軍の戦闘機用ユニフォーム一式ということになる。
飛行服と言われる焦げ茶色のつなぎに、ワントーン明るいベスト型の救命胴衣をはおり、足元は半長靴という黒革のショートブーツ、頭部には垂れ耳うさぎのような耳当て付きの航空帽にゴーグル、そして首元には戦闘機乗りのシンボルでもある、絹製で純白のマフラーという格好だ。
キリンに言わせると、このマフラーは単なるお洒落アイテムなんかじゃなくて、緊急時のマスクや包帯代わりという立派な役割りがあるとのことだ。
そしてこのマフラーが白ではない『漆黒』というところが、スウーネが妙に謎めいて見えることの大本らしい。
ほどなく準備を終えたぼくたちは、深緑色に紅い日の丸が描かれている、
震電を選んだ理由は、キリンの大のお気に入りの戦闘機ということもあるのだけど、それとは別に、作戦に関係する理由がちゃんとあるということだ。
「レベル1からでいいな?」
意識と音声のみになったキリンが尋ねてくる。
ぼくはシートベルトを締めた。「5でいいよ」
「おいおい、いきなり最高レベルかよ」
「だってそのスウーネさんって人、それ以上に強いんでしょ?」
「そりゃあそうなんだがな?」
「あ、あと離着陸もオートじゃなくて、マニュアルモードで」
「おいおいなんだよ、今日はやけに強気じゃないか稀よ」
キリンが驚いたようにそう言ったのは、戦闘機を操縦する場合、通常の飛行よりも、離着陸の方が難しいとされているからだ。
陸上からの離着陸ならまだいいのだけど、狭い航空母艦からのそれに限ってはことに難しいらしく、そこで失敗して死んでしまったパイロットも当時は多く存在したということだ。特に着陸が難しいらしい。
「大丈夫だよ、今回は空母からじゃないんだし。いい練習になるよ」
震電は空母を所有する海軍の戦闘機ではあるけれど、空母からの発着が想定されていない変わった立ち位置の戦闘機のために、離着陸は地上から行われることになっているのだ。
当時の日本の海軍と陸軍はものすごく仲が悪かったから、こんな風に色々とあべこべになっていることが多かったようだ。陸軍にも専用のあきつ丸という空母が存在していたということがその象徴だったりする。むろんこれらはキリンからの情報による。
「とかかっこつけて、あっさり離陸失敗したりしてな」
憎らしげにがははっとキリンが笑った。
「別にいいでしょ、ゲームなんだし。じゃあぼちぼち飛ぶよ」
点滅する半透明の誘導アイコンに従って二本のレバーを操作し、コクピット内のメーターを確認しながらプロペラの角度と燃料の濃度を調節する。
この手順はすべてカットすることも可能なのだけど、久しぶりということもあったから、マニュアルで操作することにした。
まもなくしてNQC《ノンクオリアキャラクター》——いわゆる『中の人』が存在しないCOM製の、他のゲームで言うところのNPC《ノンプレイキャラクター》——である、国籍不詳の男性整備士の二人がどこからともなく機体の外に現れて、Zを直角にしたような脱着式のハンドルを、プロペラ付近にあるエナーシャという機器に差し込んでぐるぐると熱心に回し始める。目的はエンジン始動の準備運動というところだろうか。そのさまが申し訳程度についているバックミラー越しにちらちらとかいま見える。
この一連のイベントもカット可能なのだけど、勘を取り戻すためにも、一通り眺めておくことにした。
やがてエナーシャが甲高いサイレンのような音を立てながら高速回転を開始して、NQC整備士の一人がクラッチハンドルをぐいっと引っ張ったあとで腕を上げ、ぼくに向かってにっこりと合図を送る。
ぼくは回り始めたプロペラの推力で機体が動いてしまわないように、足元のブレーキペダルを力いっぱいに踏み込んだ。操作基盤の左側下方向にあるスイッチレバーを捻ってエンジンをかける。
すると、ヴォルン、ヴォッヴォッヴォッヴォッヴォッヴォッヴォッ……と振動と共にいよいよエンジンが始動したのをしっかりと確認後、ブレーキペダルの踏み込みを緩めると同時に、左手にあるスロットルレバーをグーッと前方へとスライドさせた。そうして震電を滑走路に沿ってブーンと走らせたまもなく後、ぶわり、と離陸させることに成功した。
途端に現実としか思えない青空が、現実としか思えない
ぼくはぶるっと一度わなないた。
その後雲一つない抜けるような青空の下を、急上昇、急降下、急旋回、とウオーミングアップ代りにびゅんびゅんと一通り飛び回ったあとで、キリンにテレパス機能を使って合図を送り、ドッグファイト開始のコマンドを意識カーソルを使って選択して決定する。
数秒後、
「アーユー・レディ?」
というNQCの低い人工音声に続いて、煽るようなドッグファイト開始のコールが機内に響き渡る——
「ドッグ・ファイト!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます