13 祐希先輩を見習って初めて蹴りを決めた晴夏ちゃん
ところが事務所に入ると祐希はいつもの席に座って……なんか、だらけている。晴夏は恐る恐る声をかけた。
「あ、あの、祐希先輩……」
祐希は返事もしない。両足を店長に向けて投げ出して、背もたれに思いっきり背中を預けて脱力している姿はついさっきまでの祐希と同一人物とは思えない。
「晴夏ちゃん、なんか買ってきて」
店長さんが自分の財布を晴夏に預けた。晴夏は一瞬戸惑って店長さんと祐希の顔を交互に見た。
「私ね~ミルクティー。あとデザート」
祐希が力の抜けた声で注文した。晴夏はやっと意味が分かった。たぶん休憩するからおやつを買って来いという指示なのだ。
「……店長さん何がいいですか」
晴夏が尋ねると祐希のほうが勝手に答えた。
「店長ねえ、コーヒーだけでいいの。ブラック」
「……はい」
晴夏は引き戸からカウンターに入ろうとした。すると店長さんが説明した。
「あ、晴夏ちゃん、勤務中に買い物するときはいったん制服を脱いでお客様と同じようにレジに並んで買ってね」
「あ、はい……」
晴夏は指示通りいったんジャンパーを脱いで自分の椅子の背に掛けた。引き戸から出て缶コーヒーとミルクティーと、自分はカフェオレを取った。
手に持っていると熱かったので慌てて辺りを見回して買い物かごに入れて、デザート売り場に回った。シュークリームやら、生クリームの乗ったティラミス風のカップやらが並んでいる。晴夏は少し迷ったが、苺ジャムとクリームをクッキーで挟んだようなのが一番たくさん並んでいたので祐希のためにそれを選んだ。
レジにはお客様は誰もいなくてカウンターにかごを置くとハクさんがすぐに会計してくれた。
「……すいません」
晴夏は何となく謝った。店長さんの財布から払って釣銭を戻す。かごに商品を入れたまま受け取ってすぐ脇から入って事務所に戻った。
「おう」
店長さんが財布を受け取って晴夏にも座るように促した。祐希がデスクの上に広げてあったパンフレットや書類を無造作にどかして自分のデザートとミルクティーをかごから取った。晴夏は椅子に座って缶コーヒーを店長さんの前に置いてから、自分のカフェオレを取ってかごは椅子の後ろに置いた。
「晴夏ちゃんそれだけ?」
遠慮してカフェオレだけにした晴夏にかまわず祐希はさっさとデザートに手を付けている。
「これさあ、美味しいんだけど食べにくいんだよね」
「あ、ごめんなさい……」
晴夏は自分のチョイスが悪かったのかと思って謝った。そう言いつつも祐希はもう食べ終わっている。店長さんが笑いながら意地悪を言う。
「なあ祐希~。晴夏ちゃんって偉いと思わない? ちゃんと気ぃ使ってさ、奥ゆかしいでしょ? ちょっとは見倣ってほし……痛っ!」
祐希が店長の脚に蹴りを入れた。店長さんは膝下辺りを大げさに撫でながらもわざとらしく続ける。
「晴夏ちゃん。こういうふうになっちゃダメだよ。周りの悪い先輩に影響されないように頑張ってね。いつまでもきれいな心を持ち続けて」
「うるさいよ!」
祐希が遮ってもう一発蹴りを入れようとしたが店長さんはそれを予測してかわした。祐希は舌打ちすると、晴夏に向かって言った。
「あのねえ……この中で一番心が汚れてるの店長だから」
晴夏はどう答えていいか迷った。店長さんは自分に同意を求めるように晴夏の顔を見て笑顔を作っている。だが祐希の言葉を否定するわけにもいかない。
「なんかすごく仲いいですよね。うらやましいです」
「いいよ~。晴夏ちゃんも仲良くしよ~ね~」
「は、はは……ありがとうございます」
晴夏は当たり障りない言葉を返して笑顔を作った。店長さんはなんかすごく嬉しそうに晴夏をじっと見つめている。祐希が蔑むように言った。
「何喜んでんの? 麻白さん気を付けたほうがいいよ、店長すぐ調子に乗るから。こういう男は甘やかしちゃダメなんだよ」
「はい!」
晴夏は元気よく返事した。店長さんはデスクに突っ伏した。
「はは、大丈夫、こいつすぐ立ち直るから。ははは」
店長さんは突っ伏したまま反応しない。
「さて……とりあえず、決めちゃいましょう。店長~いつまでしょげてんの? じゃまなんだけど」
祐希が仕切る。
「もうすぐクリスマスなんで、お店で販売するケーキを決めないといけないんだけど……」
祐希はパンフレットを1部晴夏に手渡した。キャンドルが瞬く背景に英文字が流れる華やかな表紙。
「麻白さんも、どれが売れそうか自分なりに考えてみて。店長みたいな独り者のおっさんじゃお客様の好みが分かんないからさ。こういうのは私たちみたいな若い感性が必要ってわけよね」
「若い……ぷぷ」
店長さんが突っ伏したまま茶々を入れた。
「麻白さん、蹴っていいよ」
「はい!」
晴夏が勢いよく返事したので、店長さんはガバっと起き上がって蹴りを避けた。
「店長、今予約何件入ってんの? やっぱ割と手ごろな値段のが中心よね」
祐希はパンフレットをめくりながら吟味している。店長さんは自分で選ぶ気は毛頭ないらしく、祐希と晴夏の顔を交互に見ていた。
「どしたの?」
店長さんは晴夏に尋ねた。晴夏はどのケーキがいいかと考えているというより、パンフレットにじっと見入って動かなかったからだ。
「いえ、何でもありません」
晴夏は店長さんに言われてふと顔を上げるとページをぱらぱらめくった。
「あ、これ美味しそう。私だったらこれが一番かな」
「うん。でもちょっと高いよね。自分で買うとなると、私だったらこっちかな」
晴夏と祐希は意見を交わしながら商品を確認した。。
「よし、じゃあ今年は曜日廻りもいいから……総数だけ俺が設定しといたんで、あと二人で相談して振り分けてよ」
一通り見終わったところで店長さんはパソコンの画面を二人のほうに向けた。日付ごとの合計数とケーキの種類が一覧になっている表がすでに作ってあった。祐希が一つひとつ晴夏にも確かめながら、どのケーキを何個と入力していく。
「あ、晴夏ちゃん。クリスマスはもちろん……バイト入るよね?」
店長さんは半ば決め付けるように言った。晴夏は少し考えてから答えた。
「今のところ別に予定はありませんけど。大丈夫と思います」
「うん。じゃ決まりね。そうなると、さっそく試着してみないとなあ」
「え?」
「いや、当日はミニスカサンタの衣装だからさ。サイズを合わせとかないと」
「え? 本当ですか?」
「そうだよ。だってクリスマスだもん。盛り上げないと。いいよね?」
晴夏はもしかするとそういう販売の仕方もあるかもしれないと想像してしぶしぶ答えた。
「はい、まあ……みんながやるんだったら」
「んなわけないじゃん……」
祐希がパソコンの画面を見たまま呆れたように言った。
「帽子被るだけよ」
「え? あ、ああ……そうですよね」
「おまっ! 何で言うんだよ」
店長さんは残念そうに祐希を睨む。晴夏はほっとした。だが店長さんは性懲りもなくねだる。
「違うんだよ晴夏ちゃん……おばさんは帽子だけ。でも晴夏ちゃんは別。そうしよ? ね、ね、ミニスカ」
「……祐希先輩、私も蹴ってもいいですか?」
「いいよ~」
店長さんは椅子を引いて距離を取りながらうなだれて見せた。晴夏は笑った。
「晴夏ちゃん、そのパターン使うのやめよ?」
「はははは。祐希先輩、これ便利ですね!」
「うん……ていうか、マジで一回蹴っといて」
「はい!」
まさか本当にやるとは思わず油断している店長さんの脛に晴夏の的確な蹴りがヒットした。
「!! 痛ってえ! ていうか、晴夏ちゃんのマジで痛い!」
「はははは。だって、店長さんが悪いんですよ~」
晴夏が店長さんと戯れている間に祐希は結局ほとんど一人でケーキの注文数を入力した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます