11 練習が必要な晴夏ちゃん

 お客様がレジに来たら袋詰めをする。入店する人にいらっしゃいませと声をかける。そうしながらテキストの内容を確認していくのはなかなか大変だった。


 だが晴夏にとってより厄介なのは相澤の間断なく続くおしゃべりである。全く無視するわけにもいかず、かと言ってそれに付き合っていれば何もできない。正直言って、これなら冷たかろうが怖かろうが祐希がそばにいてくれたほうがマシだった。

 むしろ、お客様に対しているときの祐希は口調も姿勢も手本のように凛々しかった。それに比べると相澤は、確かに動きにそつはないかもしれないが投げやりで雑な感じだ。晴夏は内心相澤に仕事を教わるのは良くないと思った。

 次の『中華まんの販売』というところも、内容は理解できても実際にどうやってお客様に渡せばいいのか不安だったので晴夏は相澤に助けを求めた。


 「あの、中華まんって、この紙に入れて渡せばいいんですよね?」

 「ん? ああ」


 相澤は曖昧な返事をした。晴夏が仕方なく一人で中華まんの什器を不安そうに眺めていると相澤はすうっと近付いて手本を見せてくれた。


 「まずこうじゃん。紙広げておいて……で、テープで止めて。これでいいよ。ていうかさあ、まず種類どれか分かんないとダメじゃね?」

 「ああ……そうですよね」


 晴夏はいったんレジカウンターから出ると前から回って中華まん什器に貼ってある札を見ながら肉まんと、こしあんまんと、つぶあんまんと、ピザまん……と一つひとつ種類を確かめた。

 そうしているうちにお客様がレジにお会計に来た。晴夏は相澤が対応を始めたことに気が付いて慌ててカウンターに戻ったが、その前にお会計が終わってしまった。


 「すいません」

 「別に。今の客袋いらないし。てかさあ、たまにジュース1本で袋入れろとか言う客いるから。この前それで超キレられたんだけど。どんだけ袋大事なんだよみたいな。ははは」


 相澤は晴夏に注意や指摘をする代わりに、客に悪態をついてみせた。


 「あ、ちょいアタシ部屋行きたいんだけど」


 相澤は引き戸から事務所に入った代わりに祐希がレジに立った。もちろん余計な雑談などしない。晴夏は少し嬉しかった。


 「中華まん出来るようになったの?」

 「いえ、まだ注文するお客様がいないので」

 「そんなの待ってたらいつまでも出来ないでしょ? 練習しなさいよ」

 「あ……すいません」

 「スムーズに渡せるようになるまで何回でも練習して」

 「あ、はい」


  返事はしたが晴夏はそのまま動かなかった。


 「何やってんの? 早く練習しなさいよ」

 「あ、はい……」


 さっき相澤が見せてくれた通りに袋を広げて左手で持ってからトングで肉まんを挟んで包もうとするが紙の袋がうまく開かない。中華まんは湿り気があって紙にくっつくように思えた。自分が客として見ているときは何とも思わなかったが店員として実際やろうとすると、ただ中華まんを袋に入れてテープで止めるというだけの動作がとても複雑で難しいことに思えた。考え込んでは、また同じ動作を試す。その間にもお客様がお会計にきて練習は何度も中断された。


 相澤が10分ほどしてカウンターに戻ってきた。


 「祐希さん上がりっすよね。お疲れっす……なんか最近夜けっこう混みません? レジ大変なんすけど……変な客ばっか来るし」


 祐希は一方的にしゃべりまくる相澤をほとんど無視して晴夏に指示する。


 「実際にお客様に対応することを考えて、想像しながら練習しなさい。何回も」

 「はい。あの……袋を練習に使ってもいいですか?」

 「使わなきゃどうやって練習するのよ! 袋代よりあんたがぼうっとしてる時間のほうがもったいないのよ」


 晴夏は一人で何度も中華まんを取る練習をした。実際に肉まんとピザまんを注文してくれたお客様もいたのだが、晴夏がほかの商品を袋に入れている間に相澤がさっさと対応してしまった。まだ一つひとつの動作の要領が悪い。遅すぎる。晴夏は自分でもそう思った。

 なるべく相澤のおしゃべりを避けようとして、晴夏はお客様の対応が終わるとすぐにテキストを手に取って、カウンター内の切手とか備品とかの現物を確認した。だが物の場所は分かってもそれを実際にはどうやって販売するのか、テキストの解説を読んだだけでは自信が持てなかった。時間だけが過ぎていく気がした。


 「おっざーす」


 見知らぬ人がそう声をかけながらレジの前を通り過ぎたかと思うと勝手にカウンターの中に入ったので晴夏は思わず目で追った。明るめの茶色い髪をショートに切り上げた爽やかな男の人。一瞬遅れて晴夏はそれが今日勤務する夜勤のバイトさんだと気付いた。

 レジ画面の隅に表示されている時刻を見るともうすぐ22時。相澤はすでにうんざりした様子でカウンターに片手をついて姿勢を崩していた。


 「ヒカルさん~もう疲れたー。アイスおごって」

 「はーい、今度ね」

 「ええ? いいじゃんケチ~」


 相澤は甘ったるい声で食い下がった。だがヒカルさんという夜勤の人はそれを軽くかわして晴夏のほうに挨拶してくれた。


 「あれ? 新人さん? 俺、伊吹ヒカルでーす」

 「あ、麻白晴夏です。よろしくお願いします」

 「晴夏ちゃんか……もしかして高校?」

 「はい。高二です」

 「頑張ってねー」


 ヒカルはそう言うと事務所へ消えた。とても気さくで話しやすいと思った。昨日の、幹也君とは大違い。1分も経たないうちに着替えを済ませてヒカル君が出てきた。レジで名札の裏をピッとしたヒカル君に、晴夏は勇気を出して自分から話しかけてみた。


 「あの、ヒカルさんは……大学生ですか?」

 「うん。そうだよ。今3年」

 「そうなんですか。他県からですか?」

 「いや? 俺は地元。晴夏ちゃん高校どこ?」

 「押高の普通科です」

 「俺もだよ!」

 「本当ですか? でも私まだ、転入してきたばっかりで……」

 「へえ、転校生か~。そうなんだ」


 そこに一人お客様が来たのでヒカルが素早く対応に入った。流れで晴夏が袋詰めに入った。その様子を見ていた相澤は白けたように身を翻して先に事務所に消えた。


 「あ、晴夏ちゃんもう時間だよね? お疲れさん」

 「はい。お疲れ様でした」


 晴夏はヒカルと少しだけ気軽に話せたので嬉しかった。事務所に戻ると更衣室から出てきた相澤が


 「お疲れした~」


 と空中に挨拶してさっさと帰っていった。晴夏は一応相澤のほうに目を遣ったが、声はかけなかった。


 「お疲れ。晴夏ちゃん」

 「お疲れ様です」


 店長さんがまだ残っていて、晴夏を迎えてくれた。晴夏は今日も着替えを済ませたが、なかなか帰ろうとしない。


 「店長さん……」

 「うん?」


 晴夏はその場に立ったまま店長さんを見ている。


 「ちょっと座って」

 「はい」


 晴夏は面接の時と同じようにデスクの脇に置きっぱなしの椅子に座った。


 「どうした? 練習は進んだ?」

 「なかなか……大変です」

 「何が?」


 そう聞かれるとうまく答えられなかった。少し考えてから晴夏は言った。


 「……覚えなきゃいけないことが多くて」

 「そう」


 店長さんはそう言ったきり黙って晴夏を見守っている。晴夏が話し出すのを待っている。しかし晴夏自身、自分が何を言いたいのかはっきり分からなかった。


 「あの、祐希先輩、前は別の店にいたんですよね?」

 「ああ……そうだよ。昔ね、東京にいたんだよ。俺、前に東京で店長やってたの。その店にあいつがバイトに来たんだよね。まだ大学入ったばっかりで……あれ何年前だっけ」

 「……そうなんですか」


 晴夏は黙ってしまった。


 「晴夏ちゃん。学校はどう?」

 「え? ……ああ、まあ」


 曖昧な答え。


 「……じゃ、私、そろそろ帰ります」

 「うん。遅いから気を付けて」


 店長さんは目を細めて笑った。晴夏はとりあえず笑顔を返した。

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