10 お声かけが雑すぎる相澤さん

 翌日、晴夏は学校から一度自宅に戻ってバイト用の服に着替えてから出勤した。


 「おっす、晴夏ちゃん」


 店長さんはいつも通りの満面の笑みで迎えてくれる。ロゴ入りジャンパーを着てレジで『出勤』をスキャンして戻ると祐希が見計らったように事務所にいて、すぐに指示を出した。


 「おはよ、じゃ、前回と同じだから。今日は7時までに終わらせて」


 前回と同じとはつまり、また掃除をやるということだ。掃除が嫌なわけではないが、晴夏は渡されたテキストをやるのだと意気込んでいたので少し力が抜けた気がした。と言っても、前回と同じ掃除とゴミ出しを2時間でやらなければならない。かなり急がなければ到底無理だ。思い直して晴夏は急いだ。

 晴夏は何とか指示された掃除を終わらせて事務所に駆け込んだ。


 「晴夏ちゃん。時間ぴったしだね。優秀、優秀~」


 店長さんが大げさに褒めてくれたが、祐希は何も言わず用紙にチェックを入れた。


 「それで? テキストちゃんと読んできた?」


 祐希が淡々とした口調で尋ねた。晴夏は大きな返事をした。


 「はい!」


 昨晩帰宅した後と、学校でも休み時間ずっと晴夏は渡されたテキストを読み込んできた。内容自体はそれほど難しいと思わなかった。自信はあった。


 「そ、じゃあ早速だけど、袋詰めの説明をするから一緒にレジに来て」


 祐希と一緒にレジカウンターに入った。カウンターにはレジが3台あって、一番事務所側にあるレジにはすでに相澤が立っていた。


 「おはようございます」

 「はざーっす」


 晴夏が型通りの挨拶をすると相澤はカウンターに片手をついたまま振り返ってぞんざいに挨拶を返した。

 祐希は真ん中にあるレジに立ち、その左に晴夏が並んだ。もう一台、一番出入口側にあるレジには誰もいない。


 「私がお会計をします。麻白さんは、登録した商品を袋に入れてお客様に渡します」

 「はい」


 やはりレジに立つと祐希は礼儀正しく凛と映えて見えた。晴夏はにわかに緊張してきた。しかし実際はすぐにお客様に相対するわけではなかった。今店内にお客様は疎らだったし、時折お会計をするお客様がいてもみんな相澤が立っているレジのほうに向かうので、こちらには来なかった。


 「作業中も入店するお客様を見て、お声かけをすること」

 「はい」


 祐希はカウンターの端にある什器から暖かい紅茶を2本取り出して、カウンターの上に置いた。


 「商品を袋に入れる動作を教えます。私がやる通りにしてください」

 「はい」

 「まず、指を軽く濡らす……麻白さんもやって」

 「はい」


 晴夏は祐希と同じようにレジに置いてあるスポンジが入った小さなケースに指先を当てて濡らした。


 「いらっしゃいませ」

 「いらっしゃいませ」


 説明を受けている間にもお客様が入店してくる。晴夏もそれを意識しているつもりだが祐希より遅れてしまう。


 「適当な大きさの袋を1枚引っ張って取る」


 晴夏は祐希が選んだのと同じ大きさの袋を1枚つまんで取った。


 「袋を開く。違う。逆。いらっしゃいませ」

 「はい。いらっしゃいませ~」

 「語尾伸ばさない」

 「はい……すいません」


 「見て。こうやって左手に持ち替えて、右手で開くの」

 「はい」


 晴夏は祐希が言う通りにやり直した。


 「そう。そしたら左手で取手を持って、商品を入れる」


 晴夏は祐希と同じように紅茶を袋に入れようとした。袋がまとわりつくようにくっついて上手く入らなかった。


 「もっと素早く入れます。この時、商品を使って袋の底を安定させるようにするの」


 晴夏はもう一度袋の口を開き直して、祐希に言われたように紅茶をすとんと半ば落とすように入れてから、少し左右に滑らせるようにして袋の底でそれが安定する感触を確かめた。


 「まあいいわ。で、全部入れ終わったら取手を揃えてこのままお客様のほうへ置きます」


 祐希は素早く袋に入れた商品をお客様側へ滑り出させるようにして手を放した。晴夏も同じようにしたつもりだが袋の取っ手がよれよれと折れてしまう。


 「押し出すときに取手を少しだけひねるようにして引っ張って」

 「はい」


 左手の指先で引っ張り上げるようにすると確かに取手はぴんと揃って立った。


 「そう。そんな感じ。よく取手をぐるぐるねじる人がいるけど、あれは禁止。分かった?」

 「はい、分かりました」

 「その手順を忘れないで。勝手に変えちゃダメよ」

 「はい」

 「じゃあもう一度。今度は一人でやってみて」


 この動作自体の説明は渡されたテキストには書いてなかった。晴夏は全く同じようにやっているつもりだが、途中で違うところを指摘されて3回やり直した。


 「それでいいわ。あとは用度品忘れないように注意してください」

 「はい!」


 4回目でやっとOKが出た。用度品のことはテキストに書いてあったので晴夏は自信を持って返事した。


 「相澤さん。麻白さんをサッキングに付けるから」

 「あ~い」


 晴夏は相澤の横に移動するように言われた。今度は本当のお客様の相手をするのだ。


 「よろしくお願いします」

 「あいよ」


 祐希がいなくなると相澤は気安く話し始めた。


 「祐希さんってああ見えてけっこう怖いよね。私もさあ、いまいち掴めてないんだよねー」

 「いらっしゃいませ!」


 晴夏はお声かけを忘れないように入口のほうに意識を向けている。


 「しゃいせ~。だけどさ、祐希さん店長と仲いいからさあ。変なこと言われても困るし、ハルも気を付けたほうが良くね?」


 晴夏が入店者にお声かけしても、相澤は投げやりな声を晴夏の後に続けるだけ。まったく言わない時もある。そしてお客様の相手をしている時以外はひっきりなしにしゃべりまくる。晴夏は半ば聞き流すように、曖昧に相槌を打っていた。


 20分ほど敬子の横で練習した。客はまばらでまだ10人も相手していないと思う。そこで祐希に呼ばれたので晴夏はいったん事務所に戻った。


 「テキスト持ってる?」

 「あ、あります」


 晴夏は鞄の中に入れてあったテキストを出してきた。


 「じゃあ、そこに書いてある物とか、販売の仕方を順次確認していってください。ただし、途中でレジにお客様が来た場合はすぐに袋詰めに入る。いい?」

 「はい……」


 晴夏は力ない返事をしたが祐希はそんな様子にまったく構わずさっさと説明を切り上げた。店長もデスクに向かっていて何も言わない。晴夏は仕方なくテキストを持ってカウンターに戻った。


 晴夏はお客様の袋詰めをしながら、テキストに書いてある内容を順番に確かめて言った。まず商品を入れるレジ袋は大きさを12号とか20号とか、番号で区別する。次に用度品……お客様に差し上げるお箸やスプーンなどのことだ。これはさっき何となく見たので分かりやすかったが一応書いてあるものを改めて逐一確認した。

 次に『電子レンジ』と書いてあるので晴夏はカウンターの後ろ側に並んでいるレンジを見た。3台あって、全部同じ型。お店の電子レンジは1600Wで一般の家庭用のものより出力が高く、温まるのが早い。これはテキストに書いてあったので覚えている。ただその後に書いてあった細かいボタン操作は実際にやってみる必要があった。


 「……相澤さん、これ、押してみてもいいですか?」


 晴夏は一応聞いてみた。


 「あ、いんじゃね?」


 晴夏は試しに並んでいる数字のボタンを押してみた。何も反応しない。同じボタンをもう少し強く押す。あれ? なんでか動かない。

 そこにお客様がお会計に来て、相澤がレジを打ち始めた。晴夏ははっとして慌てて相澤の横に戻って商品を袋に入れた。


 「~円のお返しですあざーした」

 「ありがとうございました」

 「……だけどハルさあ何で転校してきたん? てか前はどこにいたん」

 「え? いや、前は東京で……あの、でもここ地元なんですよ。私も小学校までここだったんで」

 「あ、マジ? じゃあ戻ってきたってこと? へえ」

 「あ、はい……あの、相澤さん。レンジってどうやるんですか?」


 晴夏は相澤のおしゃべりに辟易しながら、それでも分からないことは相澤に聞くしかなかった。晴夏はもう一度レンジのボタンを押して反応しないことを訴えると相澤がカウンターに寄り掛かったまま振り返って言った。


 「扉開けないと動くわけねえし」


 晴夏はレンジの扉を開けてみた。すると表示のランプが点灯した。扉を閉めても点灯したままだ。その状態でボタンを押すといきなりブオーンと音がして庫内が明るくなって回転皿が回った。

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