当たり前が当たり前じゃない世界 1

「げげっ! 依澄君聞いてたの!?」

「『げげっ!』とか言わない!」

「あれあれ? 何か美味しそうなもの持ってるね」

「誤魔化そうとしない!」

「ふっ。ばれちゃあしょうがない。

 実は今、この先生に私の下半身の異変について相談していたんだよ!」

「開き直るなあああぁ!!」

 焦り、誤魔化そうとした先輩が最終的には堂々と胸を張って椅子から立ち上がる。

 その一連の言動にツッコミを入れながら俺は診察室に入った。

 さりげなく差し出されたミアナさんの掌へ反射的にテルセラを置き、立ち上がった先輩の側に行き見上げる。

 開き直りが継続中の先輩も、悪びれる気配が微塵も感じられない状態で俺を見下ろしてきた。

「先輩っ。何考えてるんですか?」

「色々」

「もっと具体的に!」

「具体的……」

 俺の叫びに先輩が虚空を見つめる。

 かと思ったら俺に再び視線を合わせて口を開いた。

「あのさ、ここって私達にとって異世界なわけでしょ。

 だからこの世界の人の繁殖についてとか女体の神秘についてとか知りたくて。

 今の私がミアナさんに聞くのは絵面的にもミアナさんのメンタル的にもまずいし、シン君に聞いても『医学的な説明は無理』って言われたからここの先生を紹介してもらったんだよ。

 で、聞いた結果、私のモノが勃たないのにもきちんと理由があっ――」

「具体的過ぎる!」 

 自分で聞いたけどあまりにあまりな内容に思わず遮ってしまう。

「こらこら、ワガママが過ぎるぞ依澄君。

 聞かれた事に素直に答えて怒られるのは心外だなぁ」

 と言いながらも先輩の表情は楽し気に緩んでいる。

 何故か温かいまなざしで俺を見つめ、ぽんと大きな掌が俺の頭に乗せられた。

「? 何ですか?」

「いや、ちょっと安心しただけ」

 そのままポンポンと何度か俺の頭を柔らかく叩き、先輩は診察室から出てしまう。

 出る直前に振り返り「先生。どうもありがとうございました」と頭を下げてから暖簾をくぐる先輩。その後を「ナギサ、ちょっと待って~」と声をかけながらミアナさんが追いかけた。

「…………」

 なんなんだ。

 いきなり去ってしまった先輩の真意が分からず呆然としてしまう。

 そんな俺に向かって、咳払いの音がぶつけられた。

 音のした方に顔を向けると、椅子に座っている三十代くらいの男の人と目が合う。

「あ」

 忘れてた。この人が医者か。

 ものすごく目つきが悪いけど、怒ってるわけじゃないらしい。

 白衣とか着ていない、先輩を同じ黒のズボンと白のシャツ姿の医者は、俺の頭から爪先まで何度も視線を往復させると口を開いた。

「――察するに、お前さんも渡界人か」

 ……本当にポンポンと自分の素性を明かすなぁ、先輩は。まぁ、何となくさっきの台詞から察していたけど。

「違うのか?」

「あっ、いえ、違わないです」

「で、お前さんの場合は男から女になっちまったと。

 それで間違いないか?」

「……間違いないです」

 間違ってほしかったけど。

 現実を突きつけてくる言葉に凹む。そんな俺に医者の人は手招きをして、さっきまで先輩が座っていた椅子に座るように促してくる。

 それに従うと今度は「デコだせ」と言われた。

「は? おでこ?」

「ミアナが診たなら大丈夫だとは思うが、一応オレも診る」

「はぁ……」

 言われるままに右手で前髪を上げると意外と細い掌が俺の額にあてられた。ぼそぼそと何か呟かれたのは、多分何かの精に俺の身体を調べる様に頼んだんだろう。

 十を数える間もなく、俺の額を覆っていた手が離された。

「…………よし、問題はないな」

「いや、問題だらけなんですけど」

 性転換している状態をまるっと無視した医者の言葉に思わずツッコんでしまう。

「まぁお前さん達にとっちゃあそうだろうな」

 でも身体自体は健康そのものだからよかったじゃねえか、と続けて言われる。

 確かに昨日聞いた話だと普通の渡界人は長生きできないみたいだけど。

「あの、何で俺達の身体がこんなに変わってしまったんでしょうか?」

「それをオレに聞かれても困るぜ。

 お前さん達の世界の技術じゃないのか?」

 疑問に疑問を返され、慌てて首を左右に振る。

 そりゃ、俺達の世界には確かに性転換手術とかあるけどあれは相当の時間がかかるはずだ。

 目が覚めたら手術跡もなく外見も大幅に変えて、更にはこの世界に適応出来る身体構造に造り替えるだなんて、いくら俺達の世界の医学が発達していたとはいえ不可能だろう。

「まぁ何にせよ、お前さんとあの兄ちゃ――姉ちゃんって言った方がいいのか?

 とにかく二人とも元気で生きてんだから、その内何かわかるかもしれんだろ。

 あんまり落ち込んでてもしょうがねえと思うぞ」

「……そうですね」

 会ったばかりの相手にうじうじ言っても仕方がないので、とりあえず同意する。

 診察も終わったようだし、先輩達を追いかけるか。

「ってそうだ。診察代っていくらですか?」

 そう聞いておいて、持ち合わせは一切ない事を思い出す。

 つ、ツケとかきくのか? 最悪ミアナさんに借りるしかない。

 内心で焦っていると、医者の人が不思議そうに首を傾げた。

「いくらってお前さん……。

 そっか、渡界人ってことは今まで異世界に住んでたんだから知らないのか。

 いらねえよ。そんなもん」

 呆れた表情を浮かべた医者の人が手を左右に振る。

 医療費無料? 俺の住んでた市も中学生までは医療費が免除されてたけどそれと同じかそれ以上なのか。

 この世界って福利厚生がしっかりしてるんだな。

「わかりました。じゃあ俺もこれで。

 ありがとうございました」

「おうよ。

 今度時間がある時にまた来てくれや。異世界の話は興味深いからな」

 俺の挨拶に片手を上げた医者の人がニヤリと口角を上げる。

 それに会釈を返して立ち上がろうとしたら、聞き捨てならない言葉が続けて耳に入ってきた。

「しっかし、年中子作りが出来るなんてお前さん達の世界はすげえ世界だな」

 

 ……なんですと?


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