街への期待と想定外な乗り物

 街まではミアナさんが一緒に行ってくれるそうだ。

 シンはやしろで留守番――というか、社に訪れる人の対応があるので基本外には出れないらしい。

『祭事の時以外はほとんど来ないが』と表情を変えずに言われたけど、それって大丈夫なんだろうか。社ってお寺や神社みたいなものだと思うけど、人が来ないとお賽銭とかも少ないから経営とか大変そうだ。いや、宗教に経営って言い方はまずいのかもしれないし、現状この世界の金銭を持っていない俺が心配するなんておこがましいけど。

 ちなみにミアナさんは意外な事に事務方らしく、今日も所用で街に行くから丁度いいと笑顔で言われた。巫女さんっぽい仕事はやっぱり祭事の時にしかやらないそうだ。

 祭事以外は基本暇、と言い切る二人に逆に一体どんな祭りが行われるのか非常に興味があったが、次の祭りはだいぶ先らしい。もう少し落ち着いたら、詳しい内容を聞きたいもんだ。

 そして、先輩の『街へ行く』宣言を聞いてからそんなやりとりを交わして体感で30分ほど経った後。

 身支度を整えた俺と先輩が、乗り物があると言われた社側の湖の畔に行くと、そこにはシンとミアナさんが待っていた。

 ――『乗り物』と共に。

「これに乗って、街まで行くんですか……?」

 何でわざわざ先輩が『食休みしてから』と言ったのか、目の前に用意された乗り物を見て理解する。


 そこには、青い幾何学模様入りの白いが湖面の揺れに合わせて揺蕩っていた。


 うっかり湖に落としてしまった洗濯物にしか見えないが、シーツ位の大きさの薄布は湖面から沈むことなく何かを待つ。何をかって? 俺達を、らしい。

「いやはや。『乗り物ってどんなのですか?』って聞いたら『お舟よ~』って言われたから船酔い防止のつもりだったんだけど。

 これはお腹が空っぽでも酔いそうだね」

 肩を竦める先輩だが、その声に布を舟と言われた事に対する否定の感情は含まれていない。

「先輩、よく『これ』を舟にカウントできますね。

 というか、そんなに乗り物に弱かったんですか?」

「バスとかは平気。でも舟はほとんど乗った事がないからさ、せっかく食べさせてもらったものをリバースするのは色々もったいないなぁって考えてた。

 依澄君は? 船酔い大丈夫?」

「多分大丈夫とは思いますけど……」

 俺も旅行で船に乗った事はあるけど、あれは何十人も乗せられる大きさだったし遊覧だったから比較対象にはならないだろう。

 というか、本当に『コレ』って乗っても大丈夫なのか? 布が広がってるだけだぞ。

 けど、

「さぁ、乗って乗って~。

 これなら街まですぐだから~」

 俺の疑問はミアナさんがひょいっと布の上に立ったことで無用だったと証明される。

 冗談ではなく、これがこの世界での舟らしい。ちなみにミアナさんは裸足だった。柔らかい草に覆われた岸辺に立つ俺も先輩もだ。土足厳禁らしい。ちなみに靴までは借りていない。交換した靴はそれぞれの荷物の中に入っている。

「えー……っと」

 とはいえ大丈夫なんだろうか、本当に。

 不安になりながら布とミアナさん、先輩へと視線を巡らせる。先輩の肩にはドラムバックの持ち手がかけられていて手には革鞄、俺も自分のリュックを背負っていた。

 これは俺の『駄目元で換金できるものがあるか街にある店に見てもらいましょう』という発言に先輩が同意してくれた結果だ。

 その際、『今までのお礼になるか分かりませんが、もし珍しい物とか欲しい物があったら差し上げます』とミアナさんとシンに自分達の持ち物を見せたのだが、『気にしなくていい』の一点張りで、『どうしてもカタチになる礼がしたいのなら、これからは敬語なしで話してほしい』と予想外の事を条件に出されてしまった。結果、先輩はあっさり承諾したが、俺は「ミアナさんに敬語を使わないのは無理だ」と泣きを入れて許してもらった。シンは同年代だから何とかなるけど、ミアナさんみたいに年上の人間にタメ口使うのは慣れていない。

 そんなやりとりを経て、俺と先輩は私物を全て抱えた状態で街へ向かおうとしていた。とはいえ、俺達の持ち物なんてカバンや財布、弁当箱に制服やジャージ、勉強道具といった一般高校生の持ち物の範疇に収まる物しかない。そう考えたらシン達に散々使い倒した服や道具を「あげる」と言ったのは失礼だったかもしれない。いや、演劇に使う『あの衣装』は例外だけど、それだってミアナさんの琴線には触れなかったようだし。

 異世界の物だからって問答無用で価値が上がるわけじゃないのか、二人が俺達を思って遠慮してくれているのか。何となく両方な気がするけど、それも街にある店に行けばわかるかもしれない。

 先輩だって『買ってもらえるといいね』と明るい声で言ってくれたけど、本当に売れるとは思っていないみたいだし。

 俺だって自分の持ち物で高価なものないのは百も承知だ。だけど、シン達が知らないだけでこの世界では珍しい扱いになるものがあるかもしれない。昔のヨーロッパでは日本のちり紙がものすごく珍しがられたというのをテレビで見たことがある。そんな事例が俺達にも発生してくれることを祈るしかない。

 兎に角先立つものを多少なりとも手に入れないと。何時までもミアナさん達の世話になるわけにもいかない。

「じゃあお先に」

 半ば現実逃避の様に自分と先輩の荷物への高額鑑定に祈りを捧げている間に、先輩もミアナさんを真似する様にひょいっと湖の上に広がる布の上に降り立った。

 すごいな先輩。泳ぐの苦手なのに、躊躇なく湖面に足を踏み出すなんて。それだけミアナさんとシンを信頼しているのかもしれない。

「おお? おお~」

 何に感動したのか軽く布の上でジャンプを繰り返す先輩。ちょっ、そんなことして布が沈んだらどうするんですか!

「あれだ。ウォーターベッドの上に立ったみたい。微妙に足場がふにょふにょしてる」

 そう言いつつ、先輩はバランスを崩すことなく綺麗に直立を保っている。

「ミアナさん。これ座っても平気?」

「むしろ座って乗ってね~」

「了解!」

 会話とほぼ同時に布の上の二人がその場に座り込む。そして同時に未だ地面の上にいる俺を見つめてきた。

「イズミちゃんも」

「早くおいでよ」

「は、はい」

 覚悟を決めるしかないようだ。

「よっ……と」

 接舷と言っていいのか分からないけど、布は岸のすぐ側で広がっているから先輩達の様に勢いをつけなくても一歩足を踏め出せばもう『舟』に乗った事になる。

 が、

「とっととととぉ!?」

 足の裏に伝わる何とも言えないぶにょぶにょ感に身体が強張り、思いっきりバランスを崩してしまう。

 結果、先輩に向かって思いっきり倒れ込んでしまった。

 ――先輩の顔に、俺の無駄に膨らんだ胸が思いっきり伸し掛かる様に。

「すすすすみません!」

 慌てて離れようとしたが、足場の不安定さから踏ん張りが効かず立って離れるどころかどんどん先輩の顔面に体重をかけてしまう。

 焦れば焦るほど胸に生まれた深い谷間で先輩の顔を挟む様な体勢になってしまい、ぱふぱふという擬音が幻聴となって脳内で響いた。

 かつては抱いた夢を逆の立場になって叶えてしまった現状に、頭と顔に熱が集まる。いや、違う。別に俺は巨乳に顔を挟みたい願望なんて抱いた事はない。

 誰に向かってか分からない弁明をしつつ、ようやく先輩の顔から胸を離して布の上にへたり込む。

 するとやたらと真剣な表情をした先輩が、考え込むように右手を顎にあてた。

「せ、先輩?」

 女子だった先輩が巨乳に顔を挟まれても興奮しないのは当然かもしれないが、何でそんなに深刻な表情をしているんだろう。

「すみません。どこか傷めましたか?」

「え? ううん、ないない。柔らかかったよ」

 そんな感想はいらない。

「いや、ちょっとね」

「?」

 笑って誤魔化されてしまうが、先輩が演技しているかは大体わかる。

 でも、今は話すつもりがないようなので諦めて先輩の隣にきちんと座り直した。

「じゃあシン、ちょっと行ってくるわね」

 それを確認したミアナさんが岸に残ったシンを見上げる。

「行ってきまーす」

「あっ、行ってきます」

 先輩のピシッと右腕を伸ばしての挨拶に、俺もぺこりと頭を下げた。

 相変わらず表情は変わらないまま、挨拶を受けたシンが「無事を祈る」と軽く右手を振りながら言葉を返した。

 って、無事を祈る?

 シンの言葉に疑問が浮かんだ。

 次の瞬間、

「じゃあ『水精ちゃん、テトスの街までお願いね~』」

 俺達の乗った布が滑る様に湖面の中央に向かって進みだした。

「うわっ!?」

「おおー、気持ちいいー」

 さすが異世界というべきか。

 ただの布が湖中に沈むことなく、それこそ舟みたいに徐々にスピードを上げて湖面を切る。

 水飛沫が上がっているけど、何故か俺達には一滴もかからない。

 先輩は早々に順応して嬉しそうに声を上げ、俺は膝に乗せたリュックを無言のまま抱き締めた。

 近くを飛んでいた水精が俺達を見つけたらしく、きゃいきゃい言いながら並走をはじめる。既に社は小さくなっていた。

 ……なんか、かなり速度が出てないか?

「ミ、ミアナさん」

「そう言えば二人とも高い所は平気かしら?」

 減速を頼もうとしたらその前にミアナさんが振り向いて笑顔で問いかけてくる。って、前見て下さい前!

「た、高いってどれくらいですか?」

「えっと~、湖の周辺にある樹の倍くらい?」

 やけに具体的な答えに思わず目安となる樹々に目をやれば、二、三十メートルはあるように見えた。

 あれの倍?

「大丈夫!」

「多分無理です!」

 先輩と俺が同時に可否を答える。

 先輩も俺も別に高所恐怖症ではない。でも俺は、ガタイがデカいだけで心は小さい。未知に対して好奇心を覚えるより恐怖が先に芽生えるタイプだ。

 そんなだから、昨日湖の底から脱出する時の水力エレベーター(?)も、最初はかなりびびった。ミアナさんの言う『高い所』に行く手段によっては、マジで無理かもしれない。

 というか何で今そんな事を聞くんだ?

 そう疑問に思っていたら、

「あら~、じゃあ今から徒歩に変えた方がいいかしら?」

 俺の返事にミアナさんがちょっと困った様に眉を下げたのを見て、言葉が詰まった。

 この状況からあの樹の倍の高さに行く、それが街への移動手段なのか。

 ……確か徒歩だと半日かかるって言ってたよ、な? 

 流石にそんな長時間、俺の所為で二人を歩かせるわけにはいかない。

「変える必要はないです。

 いざとなったらずっと目をつぶってますから」

 腹を括ってミアナさんに再度返答をすると、小さい子を褒めるような微笑みを浮かべてからミアナさんが正面を向いた。

 包容力のあるその笑顔に思わず見とれていたら、俺の肩がちょんちょんとつつかれる。

 それに反応して隣を向けば、先輩が自分を人差し指で指しながらまぶしいばかりの笑顔を浮かべていた。

「依澄君依澄君、怖いと思ったら私にしがみついていいよ」

 危うく咳き込みそうになった。

「ちょっ、何言ってんですか!?

 俺がしがみついたら先輩がつぶれちゃいますよっ」

 そもそも『女子が簡単に男子に引っ付くな』っていつも言ってるだろうが。この場合逆かもしれないが。いや、だからこそ余計に危ない。押し倒されたらどうするつもりなんだ先輩は。

「と言われても、今は私男子だし」

「え、あ、じゃあ、いいの……か?」

 同性なら多少ひっついてもおかしくないよな。

「ってあれ?」

 俺、今の身体、女子じゃないか。それにさっきみたいに無駄にデカくなった胸をまた先輩に押し付けるのは、互いの精神衛生上よくない気がする。

「先輩、やっぱり却――」

 却下、と言う前に水飛沫が大きく立ち、俺の言葉はその音に飲み込まれてしまう。

 何時の間にか、俺達を乗せたふねは湖の中心に着いていた。

 そのまま、更に速度を上げる。

「え、え、え――」

 上がる、上がる、速度が上がる。

 乗った事はないけど、もうこれ水上バイクとかモーターボートとかそんなレベルの速度が出てると思う。

 しかも、気のせいじゃなければ視界も上がってきていないか?

「あ、無理かも」

 早々に俺はギブアップを宣言し、キツク目を閉じた。

 浮遊感はないけど、まぶたを通して感じる光が少しずつ強くなっている気がした。

「うわあぁぁ……」

 耳が先輩の感嘆を拾い上げるが、どうにも恐ろしくて目を上げることが出来ない。

 そんな俺に、先輩が話しかけてきた。

「依澄君依澄君、これ多分今のうちに目を開けといた方がいいと思うよ」

 意味が分からず首を傾げると、昨日みたいに右手が先輩の手に包み込まれる。

「ね?」

「は、はい」

 促され、恐る恐る開ける。

「なっ……」

 まさかの展開に脳裏に浮かんだ言葉がそのまま口から零れた。

「魔法のじゅうたんかよ」


 湖面から離れたふねが、俺達を乗せたまま高々と宙を泳いでいた。

  

 周りにいた水精も高度を上げて俺達についてくる。結構な速度が出ているのに吹っ飛ばされるどころか微風すら感じない。

 当たり前の様に俺達三人を乗せたまま、ふねはついに先程ミアナさんが言っていた高度まで上がった。

「う、わ……わぁ~」

 一瞬心に生まれた恐怖は、けど視界に広がる光景により感嘆へと変わる。

 視界の端に小さくなったシンが社に入っていくのが見えたと思ったら湖の周囲に広がる樹々が眼下に映り、広大な森を形成しているのがわかった。顔を上げると、森は緩やかな斜面に沿って広がっていて、遠くには草原や小さな森や川、斜面の終わり近くには樹で見えにくいが無数の建物が見える。多分あれが、目的地であるテトスの街なんだろう。

 広大な風景は二つの太陽によって輝き、俺の心を打った。

「綺麗だね」

 隣で呟く先輩の言葉に無言で頷き同意した。

「そうそう、聞き忘れてたわ~」

 半ば茫然と目の前に広がる美しい風景を眺めている俺の耳に、ミアナさんのほんわかした声が入ってくる。

 なんだ? 背筋を冷たいものが走ったぞ。

「速度はどれくらいまでなら出しても大丈夫かしら?」

「可能な限りゆっくりでお願いします」

 直感で即答した。さっきシンが言っていた『無事を祈る』って多分これだ。

「わかったわ~」

 その言葉と共に、微妙に速度が落とされる。本当に微妙に。

 これ、『全速力でも大丈夫です』って言ってたらどうなってたんだ……?


 そんな疑問を抱きながら先輩に手を握られたままなのをすっかり忘れて、舟は舟でも『』だった乗り物で空から異世界の街へ向かう事になった。


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