断髪と朝風呂と着替えと朝食 1

「諦めるなよ! 諦めなきゃ答えは必ず見つかるって!!

 なぞなぞには必ず答えがあるんだ!!

 その答えだって一つだけとは限らないんだよ!

『カラスが書き物机に似ているのは何故か』だって?

 自分が似ていると思う部分を考えろ! それが答えだ!!」

「う、うるさい」

 暑苦しい声に起こされたと思ったら、今度部活で発表する『不思議の国のアリス』の台詞が外から聞こえてきた。

 多分、先輩が演じているのだろう。

 三人一役で先輩が演じるのはノーマルアリスだけなのに、他の2バージョンのアリスのセリフも覚えていたのは知っていたけど、

「……何? 私の答えが聞きたい? 任せろ!!

 何故カラスが書き物机に似ているのか!!

 それは――っ」

 練習するにしても何故そのアリスをチョイスした、と問い詰めたくなる。

「朝っぱらテンション高っ」

 部屋の中が明るくなっているから、一夜明けたのは確かだろう。

 眠りが深かったのか、あっという間に朝を迎えた気がする。

 それか、昨日もなかなか暗くならなかったし、もしかすると太陽が二つあるから夜が短いのかもしれない。まだ寝足りないと頭が訴えてきて、あくびが出てきた。

 そうやってベッドの上で睡魔と戦っている間にも、先輩らしき男の声が外から響いてくる。

「それは、どちらも『か』ではじまる名前だから、だ!!」

「聞く度に思うけど、それ日本語限定だし答えになってない気がする」

 自分のとは思えない女子の声でツッコミを入れつつ窓に向かう。途中ずり落ちそうになったトランクスは左手で押さえた。

 相変わらず胸が重いし歩く度に揺れて、その慣れない感覚に顔が引き攣る。

 夢オチとか期待していたけど、女子になったことは現実のままだ。

 低くなった視界と高くなった声に落ち込みながら人が通れるくらい大きな窓の前に立つと、カーテンらしき青を基調とした幾何学模様が綺麗な布に右手を伸ばす。

 ガラスがはめ込まれていないから、その布をめくるとすぐに日の光と夏のような外気と触れ合った。

 身を乗り出して辺りを見回す。

「いたっ、先ぱ……いぃ!?」

「この答えが納得できないなら、納得できる答えを自分で考えるんだ!

 頑張れ! 必ず見つかるって信じてるから――っとと、起きた起きた」

 目の前に広がるのは芝生みたいな草が綺麗に刈り揃えられたやしろの敷地、遠くには俺達が飛び出した湖が見える避暑地のような美しい風景。そんな景色の中で先輩が水精に囲まれていた。

 数メートルと離れていなかったから、先輩はすぐに俺に気付くと演技を止めて近づいてくる。水精たちは演技が終わったからかそのまま湖の方に飛んで行った。

「依澄君おはよう。よく眠れた?」

「…………」

 さわやかな笑みを浮かべて先輩が挨拶してくれる。

 でも俺は先輩の姿に息を飲んでしまい、声が出なかった。

 白無地のシャツと黒無地のズボンはシンから借りたのだろう。

 シンプルな服装なのに顔もスタイルもいいからモデルみたいだ。

 だけど、そんなことは些細なことだ。

 俺の視線は先輩の首から上の部分に釘付けになる。

「……ない」


 昨日までは腰まであった先輩の髪が、耳が見える程まで短くなっていた。


 半分寝ぼけていた意識が一気に覚醒する。

「えっ、ちょっ、先輩、毛が、毛が消えてますよ!?」

「ああ、これ?

 大丈夫だよ、自分で切っただけだから」

「切った!?」

 驚きのあまり声が引っくり返ってしまう。

「だってこれからどうなるかわからないし、あれだけ長いと色々時間がかかるし。

 緊急事態だから髪に時間をかけてる場合じゃない、と判断した結果だよ」

「そりゃ理屈で考えたらそうですけど、だからって良かったんですかっ?

 あんなに長くて綺麗だったのに!」

「いやいや。褒めてくれてうれしいけど、さすがにあんなに髪長いまま男として過ごすのは恥ずかしいって。

 しっかし、いざ切ると頭が軽い軽い。すっごいさっぱりした」

 はっはっはっ、と朗らかに笑う先輩の声には悲壮感や喪失感が一切感じられない。

「え、えええええぇ……」

 普通、あんなに伸ばしていた髪をこんなに短くしたら、もっと未練が残ったり喪失感があったりしないか?

「また気が向いたら伸ばせばいいさ」

 しかし、先輩はそんな俺の心を読んだようにそう言い切ると、こちらをじっと見つめながら首を傾げた。

「依澄君、着替えずにそのまま寝たんだね」

 借りてきてくれた先輩と貸してくれたミアナさんの親切を無にした事がばれ、俺は慌てて弁明する。

「いや、あれハードルが高すぎて無理ですよ。

 その、ひらっひらしたワンピースみたいで」

「ああ、ミアナさんが貸してくれたのってネグリジェだったんだ」

 心の中では言えても実際に『ネグリジェ』という単語を口にするのは恥ずかしくて躊躇した俺と違い、先輩はさらりとその単語を口にする。

「ハードル高かった?」

「スカイタワーレベルに高いです」

 女子がズボンを履くのと男子がスカートを履くのを同列にされては困る。

「今は女子なんだから、あんまり気にせずに着ちゃえば?」

「頭で分かってても、どうしても恥ずかしさが勝ちます」

「いや、でもさ。身も蓋もないこと言うけど、今のその格好の方が恥ずかしいと思うよ」

「ぐっ」

 耳が痛い。

 確かに、現在の俺の装備は先輩の制服のスカートに自分のジャージの上。そして今にもずり落ちそうなトランクス。

 ちょっとどころではない変態具合だ。

「寝癖もすごいし」

「うわっ」

 先輩の手が伸ばされて、俺の髪を梳いていく。

「なにこれ。前の髪も針金みたいだったけど、別の意味で随分頑固な髪になっちゃったね。

 ふわっふわしてるのに全然治らないや」

「か、勘弁してください」

 先輩は親切心で髪を整えようとしてくれているのはわかるけど、これは非常に恥ずかしい。頭を撫でられるのは結構平気だけど、先輩の指が髪を通っていく感覚は未知のもので背筋がぞくっとする。 

 慌てて後ずさりして先輩の手から逃れた。

「うーん、手櫛じゃ無理か」

 先輩はそんな俺の挙動を特に気にした様子もなく、手を引っ込めるとそのまま自分の短くなった髪を掻いた。

 すると何かを思いついた様に「あ」と声を上げ、

「そうだ。

 依澄君も朝風呂に入ってくれば?」

 目を輝かせながら、俺にそんな提案を投げかけてきた。



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