断髪と朝風呂と着替えと朝食 2

「まじで風呂が沸いてるし……」

『朝風呂』という言葉に驚いた俺が案内されたのは社の側にある、これまた乳白色の石で建てられた小屋だった。

 中に入ると脱衣所の奥にある暖簾の隙間から風呂場が見える。覗いてみると大人が5、6人一度に入れるくらいの広さの風呂から湯気が漂っていた。

 ここを案内してくれた先輩の『銭湯か温泉みたいなお風呂だよ』という言葉がよみがえる。

「何か、すごいな異世界って」

 多分昨日お茶を淹れるくれた時と同じく水精の力を借りたんだろうけど、電気やガスを使わずに風呂の用意が出来るなんて。

 重ね置きされている籠を一つ手に取り、備え付けの棚に置く。

 ちなみに先輩は『依澄君の着替えを借りてくるね』とこちらが止める間もなく社に戻ってしまった。

 またミアナさんの服だったらどうしよう。

 もう開き直って女子の服を着るしかないのか。

 そんな事を考えて無駄に緊張しながら服を脱ぐ。

「……女子の胸見放題なのに微塵も嬉しくない」

 さっさと全裸になって視線を下ろすと、露わになった胸とご対面した。

 当たり前だが、例え形状が女子のものとなっていても自分の胸に対して全く興奮とかしない。

 肌が白くなった。でかい。重い。

 そんな感想しか浮かばない。

 逆に直接見たら、女子の身体になった自分に対する違和感がもっと襲い掛かってくると思っていたから、こんな感想しか出ないのが意外だった。これが今の身体だと自意識の根底では認証しているのかもしれない。

「ま、いいか。さっさと入ろう」

 ぺたぺたと浴場へ向かい暖簾をくぐる。

 流石にシャワーは設置されていないので、お湯が満たされた湯船の縁に置かれた手桶を使ってかけ湯をする。その過程で嫌でも下半身も女子になっていることを再確認してしまい二重の意味で「ないわ~」と呟いてしまった。凸がなくなって凹が出来てるからある意味質量保存の法則で消滅したわけじゃないけど、俺としては消失感を強く覚える。

 ただ何時までも「ないない」言ってても仕方がないので、備え付けの石鹸を泡立てて身体を洗った。

 タオルがないから手で身体を擦ると、形だけではなく肌質も男の時と違うのが分かる。薄くて柔らかくてすべすべになっていた。あまり嬉しくない。すぐ怪我しそうだ。

 若干落ち込みながら髪の毛も石鹸で洗うとざっとお湯で流し、湯船に浸かろうとして――自分の失敗に気付いた。

「しまった」

 ボタン一つで足し湯が出来る自宅の風呂のつもりでお湯を使ってしまったので、湯船のお湯が最初に見た時から三割くらい減っている。

「やばいよな、これ」

 湯船には蛇口も何もない。

 もしかしたらこの世界には水道自体ないのかもしれない。

 ミアナさんの様に水精に頼めば、俺にもお湯を出してくれるのだろうか?

「いやでも、原理が分からないから無理にやろうとしない方がいいよな」

 そもそも違う世界の人間の頼みなんて聞いてくれるとは思えないし。

 ……お湯を使いすぎたことは後で謝ろう。

 そう心に決めると、気を取り直してつま先から湯船に浸かる。

 お湯が減っているから肩まで浸かる為に上半身を傾ける。

「……あ~~」

 足を伸ばして湯船に寄り掛かると自然と声が喉から溢れた。

 やばい。すごく気持ちがいい。

 緊張の連続で強張っていた身体がお湯の温かさにほぐれていく。その心地よさが、一時自分の置かれている状況を忘れさせた。

 浮力ってすごい。胸が大分楽になった。

「広いなぁ」

 家の風呂よりずっと広い浴槽を独り占めなんて、かなり贅沢だ。

 考えてみたら、一人で風呂に入るのも随分と久しぶりだった。

 下の妹の夏奈はまだ小さいから小学校に入学するまで一人で風呂に入らせないようにしているのだけど、何故かいつも俺と入りたがる。

 結果、俺は夏奈がはしゃいで転んだりのぼせて湯船の中に倒れたりしないように面倒を見ながら風呂に入ることが多かった。

 この話をすると一部から『変態』の称号を与えられそうになるが、俺は実の妹に欲情する趣味はない。

 大体、ちょっと目を離すと「潜水艦ごっこ」と称して湯船に沈んだり、洗い場で踊って滑って転びそうになったりする幼児のパワフルさに、母親ももう一人の妹である恵理奈も夏奈から指名がない限り積極的に一緒に入ろうとしない。けど夏奈を一人で風呂に入れるのも危険極まりないと言う事で、指名率ナンバーワンの俺が風呂場のライフセーバーになっていたんだ。

「……でも、そっか。夏奈の風呂の面倒を見ずにすむのか。

 というか、もう二度と会えな……って今はそういうことは考えない!」

 バシャシャシャッ

 深く考えると悲観的になるばかりで解決の糸口が掴めない事は確かだから、顔にお湯をぶっかけて思考を無理やり止める。

 そのまま繰り返し顔を洗っていると昨日から何度も聞いた笑い声が浴室内に響き、驚きで肩がはねた。

「わっ!?」

 慌てて乱暴に顔を手で拭って目を開くと、目の前に手のひらサイズの水精が浮かんでいた。

 女子だったら裸を見られて恥ずかしがるのかもしれないけど、女子の身体でも俺は男だし、そもそも水精に『覗き』なんて概念はないだろう。

 特に身体を隠さないまま、俺は首を傾げた。

「あれ? さっきまではいなかったよな」

 思わず問いかけると、律儀に輝きを強くして肯定する水精。でも重ねて「どうした?」と聞いてもそれに対する反応はなかった。

 だけど、

「ん?」

 肌で感じるお湯の水位が明らかに変化していく。

「え、ちょっ、ええええぇ!?」

 あっという間に、湯船の縁いっぱいまでお湯が満ちていった。

 お湯を見て水精を見てお湯を見ようとして水精を二度見する。

「えー……っと」

 まさかの自動給湯。

 多分ミアナさんが頼んでくれたんだろうけど、至れり尽くせり過ぎないか?

 戸惑いつつも、俺は水精に向かってぺこっと軽く頭を下げた。

「ありがとう」

 元の世界だったら一々給湯器に礼を言ったりしないけど、謎だらけとは言え生命体っぽい反応を示す水精にはつい人に対する態度をとってしまう。

 人っていうか幼児を相手にしてる気分だけど。

 夏奈が俺の指示通りに給湯器のボタンを操作した時も「ありがとな」って言ってたし、その延長だ。感謝しているのは事実だし。

 すると水精は昨日みたいにキャーキャー言いながら辺りを飛び回りはしなかったが、その場で照れくさそうに震える……ってこれホントに照れてるのか?

「だ、大丈夫か? まさか力尽きたりしないよな? 

 そもそもお前らの動力源って何? ファンタジックに魔力とか?」

 手の平サイズの身体でその数百倍の量のお湯を生み出した水精が急に心配になって、色々質問を投げかける。

 すると前半の質問には輝きを強くして肯定したけど、後半の質問には反応がなかった。さっきもだけど、もしかしたらイエスノーで答えにくい質問には反応しないのかもしれない。

「まぁ、大丈夫ならいいけど」

 半ば自分に言い聞かせる様に呟くと、俺は再び湯船に寄り掛かった。さっきより楽に肩までお湯に浸かれて気持ちいい。

 水精はふよふよと辺りを漂った後天井近くまで浮かんで行った。それを何となく目で追っていたけど、心地よさに瞼が落ちてくる。そのまま目を閉じていると、水精の笑い声が再び浴室内に響きはじめた。

 楽しそうな笑い声は、夏奈の声を連想させる。

 だからだろうか、自然と口が開いて気が付いたら歌いはじめていた。

「I MY 曖昧 そんなじぶんに~バイバイ♪」 

 夏奈と一緒に風呂に入るとほぼ毎回歌わされた歌。

 幼女向けの変身少女アニメのオープニング曲だ。

 歌っているのはアニメの主人公を演じている女性声優だから、技術がどうだと語る前に男の俺が歌うとそれはもう聞くに堪えない代物となる。なのに何が楽しいのか夏奈は『歌って歌って』と歌うまで離してくれないので、毎日の様に風呂場で野太い歌声が響くことになった。最初は恥ずかしかったけど、最近はもう慣れた。

 なので、お湯の心地よさと水精の笑い声に、ついいつもの調子で歌いはじめてしまう。

 しかも自宅のより広い浴室で音がよく反響するから、気持ちよくなってきた。

「はっきり きっぱり 時には決める I(愛)を信じて進もう~」

 サビの高音パートも難なく歌えて、女子になった自分の声域の高さを改めて認識する。

 それに男の声では上手く歌えなかったけど女子の状態で歌ってみたら、大分ましな歌になっている気がする。まぁ、あくまで気がするだけだろうけど。

 夏奈に聞かせたらどんな反応をするだろう。

 そんな事を考えながら一番を歌い終える。

 続けて二番に突入――しようとしたところで、

「歌上手いね! 依澄君」

 脱衣所からいきなり先輩の声が飛び込んできて、心臓が止まりそうになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る