女子になっていなかったら死んでたかもしれない?
「……ミアナ」
「ん~。何だかものすごく誤解されてる気がするわ」
料理を運んできたシンの低い声とのんびりしたミアナさんの声が耳を素通りしていく。
先輩は無言のままだからどんな様子かは分からない。
もしかしたら俺と同じ様に頭を抱えているのかもしれない。
だってそうだろう。
先輩は男子の、俺は女子の身体になってなければ、今頃死んでいたかもしれなかったのだから。
シンとミアナさんに案内されて到着した水精の社は、体育館くらいの大きさの乳白色の石で造られた建物だった。
柱や壁には細かな装飾が彫り込まれ、ドアの代わりに青を基調とした複雑な模様の暖簾が部屋の出入り口を仕切っている。
太陽が二つある所為か外は結構暑かったけど、建物の中は石材が温度を吸収しているかのように涼しかった。
建物の三分の二は祈祷場や祭事の際の控室など社としての機能を有する場所で、残りの場所が常在する人間の居住空間。
ただ祭事以外の時はシンとミアナさんの二人しか住んでいないそうだ。
参拝する人が誰もいないのが不思議だったが、寂れた雰囲気がないのはあちこちに水精が漂っているからかもしれない。
暗闇だと人魂と勘違いしそうだけど、まだ周囲が明るいのと水精の楽しそうな笑い声で子供が辺りを駆け回っているように思えたからだろう。
「とりあえずここで休んでてくれ」
建物の説明をしながら俺達を先導するシンがそう言って足を止めたのは、建物の奥にある一室だった。
円形の絨毯が床を覆い、石造りの椅子にも円形の敷物が座布団のように置かれている。椅子はテーブルに配置された四脚の他に壁際に何脚も置かれていた。
反対側の壁には棚があり大きなポットとたくさんのカップが置かれていて、居間というより職場の休憩室といった雰囲気の部屋だ。
勧められるままテーブルの横に荷物を置き、そのまま隣り合った椅子に先輩と座る。
下着を履いていないから制服のスカートに直接尻が乗る様な状態になり、ゴワゴワした感触に背筋が震える。同時に、スカートの持ち主である先輩に対して非常に申し訳なくなった。
ちらっと隣を見るが、先輩はノーパンジャージ状態で椅子に座っているのにその不快感を全く表に出していない。逆に「大丈夫?」と気遣われ、俺は首を縦に振ることしか出来なかった。
スカートの中が見えないように両膝を揃えてその上に両手を乗せて、石造りのテーブルに視線を落とす。
シンとミアナさんの厚意のおかげで一息つけそうだけど、これからのことはどうすればいいのか全く思いつかない。
そもそもどうしてこんなことになったのか。その原因も理由も定かじゃない。
俺と先輩は言うなればとてつもなくスケールのデカい遭難者だ。何しろ世界すら飛び越えている。
むしろここの世界の住人であるシンとミアナさんの方が俺達の状況について知っているかもしれない。
少なくとも精域でシンが俺達のことを『渡界人』と呼ぶ程度には、この世界の人たちは異世界からの来訪者に慣れているみたいだし。
もしかしたら俺と先輩の性別が逆転した事についても、何らかの説明がもらえるかもしれない。
そんな期待と不安で鼓動を速めていると、部屋の入り口に立ったままだったシンが口を開いた。
「俺は料理の続きをやってくる。
ナギサもイズミも空腹なら用意……しても問題ないよな、ミアナ?」
何故か俺達への問いが、後半からミアナさんへと対象を変える。
あれか、もしかして二人分しか材料がないとか?
「あのっ、お気遣いな」
「ん~。多分大丈夫。
二人には先にお茶でも飲んでもらうから。
何かあったらすぐに呼ぶし」
反射的に俺の口から出た断りの言葉は、棚の前でカップを取り出していたミアナさんの声に遮られてしまった。
その内容が予想と違うことが気になったが、ミアナさんの言葉に頷いたシンがもう一度問いかけてきた。
「二人とも空腹か?」
「かなり、とっても腹ぺこです」
「……俺も先輩と同じく、です」
部活帰りだった俺の腹は、危機的状況を脱したことによりさっきから素直に食料を要求していた。先輩も同じ様な状態だったんだろう。
それでも会ったばかりのシン達にそこまで甘えていいのか躊躇したが、先輩のストレートな言葉に俺の胃袋も同意する。
「わかった。すぐに用意しよう」
シンは表情を変えることなく俺達の言葉を受け止めると、礼を言う間もなく立ち去ってしまった。
「さぁ、まずはお茶にしましょう~」
にこにこ微笑みながらポットとカップをテーブルに置いたミアナさんが俺達の向かいに座ると、慣れた手つきで赤っぽい茶葉をポットに入れる。
そして、
『水精ちゃん、お湯をお願い』
笑みを絶やさぬまま何もないところから熱湯を生み出して、ポットに注ぐ。
「ひゃっ」
当たり前のように現実離れした術を見せられて、俺の肩が勝手にびくりと揺れる。
でも先輩はもう慣れたのか、驚くどころか手を叩いて喜んでいた。
「すごいすごい。コンロいらずだ」
「こんろ、って何かしら?」
「火を出す道具です。台所によく設置されている道具で、煮炊きに利用します」
「道具で火を生むの?
いや、虚空からお湯を生み出してポットに注ぐ方が絶対すごいです。
そう思っても口には出せない。出すタイミングを掴めない。
会ったばかりだというのに、先輩とミアナさんは親し気に言葉を交わしている。
ふんわりしたマシュマロみたいな雰囲気を持つ美人のミアナさんと現在イケメンだけど元は美少女の先輩の会話に混じれる男がいたら、そいつはコミュ力マックスだ。
そして俺のコミュ力はあまり高い方ではないから、自然と二人の会話の聞き役になっていた。
「このお茶は何て言うんですか?」
「アネ茶っていうのよ。この辺りで一番飲まれているお茶でね。ちょっと甘いけどそれが美味しいの」
「へぇ、甘いんですね。楽しみ」
「ナギサくんは甘いのが好きなのかしら?」
「あ、呼び捨てでいいですよ。そうですね、好きです」
「なら気に入ってもらえると嬉しいわ。
イズミちゃんも甘いのは好き?」
「へっ? あっ、えっと、ふ、普通です。すみません」
「ふふっ、別に謝る必要なんてないのに。
――そろそろいいかしら」
そう言うと、ミアナさんがポットを傾けてそれぞれのカップにお茶を注ぐ。
紅茶よりも鮮やかな紅色の液体がカップに満たされて、ふんわりと甘さの混じる匂いが辺りの空気を温めた。
「はい、どうぞ~」
「あ、ありがとうございます」
「キレイな色にいい匂いですね。いただきます」
俺と先輩は目の前に置かれたカップに手を伸ばす。
先輩は猫舌だから何度か息を吹きかけてから、俺はそのままごくりと喉に流した。
ミアナさんが言った通り、確かに甘味があるがほのかに感じる程度だ。
紅茶に砂糖一杯入れたよりも甘さは控えめだと思う。
お茶というわりに渋さもなく、とても飲みやすい。
そのまま半分くらい一気に飲んでからカップをテーブルに置くと、ミアナさんがニコニコしながら問いかけてきた。
「お味はどうかしら」
美味しいです、と答えようとしたけどミアナさんの言葉はまだ続きがあった。
「まずかったら『ぺっ』ってしていいからね」
どれだけまずくても出されたお茶にそんなリアクションする人間はいないと思う。
「いやいやそんなことしませんって。美味しいです、とても」
先輩の言葉に俺もこくこく頷く。
「そう、よかった~」
俺達の答えにミアナさんは笑顔を崩さないまま自分もアネ茶を口にする。
けどすぐにカップをテーブルに戻したと思ったら、
「大丈夫だとは思うけど、もしちょっとでも体調に変化があったらすぐに『ゲ~』って出しちゃっていいからね。
言い忘れてたけどわたし医術の心得が多少あるから、この後も身体に異変があったらすぐに相談してくれると助かるわ。
我慢は絶対ダメよ。手遅れになっちゃうから」
のんびりとした口調は変えないまま、聞き捨てならない事ばかり言ってきた。
「へっ?」
何でいきなりそんなこと言い出したのかわからずぽかんと口を開けた俺の隣で、先輩がその頭の回転の速さで質問を生み出す。
「それって、私達が違う世界の人間――渡界人だからですか?」
「ええ、そうよ」
先輩の問いにミアナさんが頷く。
「渡界人だと味覚が合わない場合があるってことですか?」
「ん~、ちょっと違うかな」
先程のミアナさんの「まずかったら『ぺっ』してね」発言から導き出した俺の問いに、ミアナさんが眉を下げた。見当違いな発言をしてしまった恥ずかしさに俺の顔が急速に熱くなる。
「――あのね、ちょっと言い辛いんだけどね」
ミアナさんはそのまま申し訳なさそうな表情で、俺達を見つめる。
「隠してても仕方ないから今言っちゃうけど、渡界人――違う世界から来た人たちってあなた達の他にも何人かいたの。
だけど――」
「…………」
何でだろう。嫌な予感がして冷汗がでてきた。
「渡界人はほとんどの人が亡くなった状態で発見されるか、生きたまま保護されても数日から数年でやっぱり亡くなってるの。
細かい説明は省くけど、息ができなかったり食べるものが合わなかったりが主な原因と言われているわ。
……違う世界の人たちだから、この世界に身体が適応しなかったみたい」
「…………」
あ、ダメだ。気が遠くなってきた。
「あっでもね。あなた達は大丈夫よ。
さっき湖で水精ちゃんに診てもらったけどわたし達と同じ身体のつくりだって保証してくれたから。
きっとあなた達の世界とわたし達の世界は似ている世界なのね」
「…………」
慌てながらも俺達を安心させようとしてか、ミアナさんが少しだけ早口になる。
だけど、無理だ。許容オーバーだ。
だって、この世界は俺達の世界と似ても似つかない。
まだ精域のある湖とこの社しか知らないけど、それだけでも元の世界と差異だらけだ。
太陽は二つある、精霊なんて存在がいる、その精霊の力で物理法則を無視しまくる。
どれも俺達のいた世界では有り得ないものばかり。
俺達の身体すら、元の世界の姿とはかけ離れている。
つまり、もし元の世界の身体のままこの世界に迷い込んできていたら。
俺は男のままで、先輩は女子のままだったら。
他の渡界人のように、即死か後日死か徐々死か分からないけど命を落としていたかもしれない。
でもそれじゃあ、まるでそれを防ぐ為に俺達の身体が変化したみたいじゃないか。
「まじでか……」
もうどこから考え始めたらいいのか分からなくなって、俺は頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
「えっとイズミちゃん、大丈夫。あなた達は大丈夫だから、ね。
お茶が美味しく飲めたんだからご飯も美味しく食べれるわよ」
そんな俺に驚いたミアナさんが懸命に慰めてくれたけど、それらは俺の耳を素通りしていく。
そこへ、
「……ミアナ」
「ん~。何だかものすごく誤解されている気がするわ」
料理を運んできたシンの低い声が混ざった。
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