身体も心も柔らかい人との出会い 2
「あら、ごめんなさい」
何で胸に思い切り顔を埋めた俺が謝られているのだろう。
むしろ俺の方が土下座して許しを請わなければならないだろうと、慌てて女性から離れ――
「ん~、でも丁度いいかしら。
悪いけど、もう少しこのまま我慢してね」
「んぐっ」
離れようとしたら逆に強く抱き締められて、温かさと柔らかさの享受が続行される。
え? この男の夢みたいな状態って我慢すべきものなの?
混乱する俺の耳元で『水精ちゃん、お願い~』とのんびりした声が囁かれる。
「隣のお兄さんも。片方の手を貸してもらいますね」
その言葉と共に腰に回されていた女性の右腕が離れたが、左手は俺の後頭部を押さえたまま。
下手に動くと顔面で女性の胸を揉みまくることになりそうで、背中を軽く叩いたりするくらいしか抵抗らしい抵抗が出来ない。
「むぐ……っ」
「……こんな感じでいいですか?」
「はい~。
少しだけこうして手を握らせて下さいね」
「あ、はい」
「ふぇんぱい、ふぇるぷ!」
何故か素直に女性の言う事を聞いているらしい先輩に、息が苦しくなってきた俺は必死に助けを求める。
さっき水中にいた時は空気に包まれて呼吸が出来ていたのに、今地上にいるはずなのに胸の谷間に顔を包まれて呼吸が困難になっていた。
気持ちいいけど苦しい、そんな矛盾に襲われる。
というか、何で俺はこんな目に遭ってるんだろう。
「――はい、おしまい。
…………ん~、これなら問題ないかしら」
先輩の手を離したらしい女性は何か呟いていたけど、それを疑問に思う余裕すらない。
「ふっ……ぐっ……」
「ミアナ。辛そうだからイズミを解放した方がいい」
バタバタと手を振り回すとシンの声が、ミアナという名前らしい女性を窘めてくれた。
「あら、ごめんなさい」
さっきと全く同じ謝罪の言葉。
けど今度は拘束が緩み、俺の後頭部が解放される。
「ぷはっ」
勢いよく顔を上げた俺は、荒くなった息を必死に整えた。
興奮したからじゃない、純粋に息が苦しかったからだ。ドキドキしてるけど興奮まではいっていない。
「顔真っ赤。そんなに苦しかった?」
そんな俺の顔を至近距離で覗き込んでくる女性――ミアナさんの青い瞳と視線が合った。
ふわふわした淡い水色の髪を背中の長さで揃えた二十歳ぐらいの綺麗な人で、何となくマシュマロを連想させるふんわりした雰囲気の持ち主。
今の俺より少し高いくらいの身長で、ぽっちゃりとまではいかないけど全体的に丸みを帯びた身体を飾り布が幾つも巻き付いた薄青の足首まであるワンピースで包んでいる。
飾り布って言っても模様があるわけじゃなく、襟元や腰、袖から伸びた布をリボンやベルトの代わりにしているみたいだ。
そしてこげ茶色の編み上げサンダルを履いた足元は、水面に少し沈んでいた。
ん? 水面?
「うわ!?」
そこで漸く俺は、自分も足が踝まで水に浸かった状態で立っていることに気付いた。
「あらあら」
慣れ親しんだ物理法則とはまるっきり反する状態に、咄嗟に身体がミアナさんに縋りついてしまう。
「大丈夫よ~。水精ちゃんにお願いしてるから」
柔らかい腕が再び俺に巻き付いて、ぽんぽんと背中をあやすように叩かれる。さっきとは違い、顔ではなく俺の膨らんだ胸が彼女の大きな胸とぶつかるかたちになった。
ぽよん、と俺とミアナさんの胸が互いの柔らかさを主張し合い、その感触に自分が何をしでかしたのか気付く。
「むむむ胸っ、すみません!」
「ん~?」
俺の絶叫に、ミアナさんが不思議そうに首を傾げた。
やばい。これは完全に俺のことは女子だと思われている。
慌ててミアナさんから離れ、思いっきり頭を下げた。
「スミマセンすみませんスミマセン!」
なんかもう申し訳なくて謝罪の言葉しか口から出ない。
「え~、謝られるようなことされてないわよ?」
いや、しちゃったんです。
「スミマセンすみ」
「ん~、何だかよくわからないけど」
のんびりした声が俺の言葉を遮り、下げた頭が優しく撫でられる。
「あなたの謝罪は確かに受け止めたわ。
だから、あなたがそのことに関してこれ以上謝ることはないの。それでいい?」
「や、でも」
「それでいい?」
「は、はい……」
重ねられた確認の言葉に、俺は顔を上げると罪悪感に蓋をしながら頷いた。
後で説明する機会があったら、その時また謝ろう。
って、今の一部始終を先輩に見られてた!
「先輩! あのっ、今のはですね」
女子の身体を利用したと思われたくなくて、俺は先輩に弁明しようとする。
「……先輩?」
でも先輩は俺の方を見ておらず、同じ様に水面に立った状態で、ある一点を見据えていた。
それにつられる様に、俺は周囲に視線を巡らせる。
俺と先輩、シンにミアナさんは数十メートルくらいの広さの湖の中心に立っていた。
湖の周りは木々が乱立していて、右に視線を向けると枝葉の間から石造りの神殿みたいな建物が見える。
あれがシンの言っていた水精の社なのかもしれない。
先輩はその逆、左手の上空を見ていた。俺も先輩に倣ってそれを視界に映す。
「えっ」
先輩が見ていたのは、水中から飛び出した時俺の視界に入った太陽。傾きかけた太陽が、赤みがかった空で輝いている。
それと、すぐ近くに遠くの山々に半分くらい姿を隠した夕陽だった。
「太陽が、ふたつ……」
さっきは気付かなかった。一瞬だったし、普通一つ太陽を目にしたら二つ目を探そうなんてしない。
だって、太陽が二つあるなんて思いもしないじゃないか。
「やっぱり、やっぱり地球じゃないんだね」
噛みしめるように先輩が呟く。
「…………」
俺も黙って二つの太陽を見つめ続けた。
――精霊を目にした。その精霊の力を借りる術も見たし今も体感している。
それらは確かに『ここが異世界だ』と俺達に示してきた。
でも、二つの太陽はそれらを遥かに凌駕する勢いで、俺達がいる場所が『違う世界』だという事実を突きつけてきた。
「うそだろ……」
はじめて見聞きするものより、慣れ親しんだものが異なることの方が精神に与える衝撃が強い、と思い知らされる。きっと先輩もその衝撃を受け止めきれなくて、さっきから静かだったんだ。
「すごい、すごいなぁ。紫外線が強そう」
「真っ先にそんな感想がでる先輩の方がすごいと思います」
違った。少なくとも先輩は俺と違ってもう受け入れようとしている。
「――とりあえず、社に戻ろう。料理が途中のままだ。よかったらイズミ達も食べてくれ」
「そうね~。お話しなきゃいけないことが山ほどあるし」
先輩につられて衝撃から立ち直っていると、シンが淡々とミアナさんが明るい声で提案してくれた。
「……すみません、お邪魔します」
「ありがとうございます。お言葉に甘させてもらいます」
何時の間にか水面から水精たちも湧き出て、笑い声を上げながら辺りを漂い出す。
異世界に来て早々、助けてもらってばかりだ。
でも、右も左もわからない状態で救いの手を差し伸べてくれるのは、とてもありがたい。
シンとミアナさんに先導されて、俺と先輩は社に向かって湖面を踏みしめた。
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