突拍子もない救助要請をしてしまった 1

 現状の把握。


 先輩の言葉に、俺の頭の中で先程の非現実的な考えが甦る。

 

 『異世界』


 何がきっかけかわからないけど、俺達は部活の帰り道に住んでいた世界から足を踏み外して異なる世界に落っこちてしまったのではないか、という我ながら馬鹿じゃないかと思う考えだ。

 でも、次元を超えるレベルのことがなければ、俺と先輩の性別が逆転したことに説明がつかない気がする。

 ……仮に異世界に迷い込んだことが事実としても、それで性別が逆転したことの説明にならないのはひとまず気付かない振りで自分を騙すことにして。

 俺はとりあえずこの仮説を先輩に伝えることにした。

「さっきちらっと思ったんですけど」

 着替えの仕上げに互いの靴を交換しながら、俺は口を開く。さっきまで踏みつぶされていた先輩の革靴の踵部分を生き返らせて履いてみると、今の俺には少しサイズが大きかったが、つま先で何度か地面を叩くことで馴染ませる。

 先輩も同様に俺の靴を慣らす様に片足ずつ爪先で地面を叩きながら、「何を?」と首を傾げた。

「えっと……ここって『日本』じゃないのかも、って」

 言いながら辺りを見回すけど、その景色は目を覚ましてから変わっていない。

 大理石のような床は相変わらず蒼い輝きを呼吸のように明滅させていて、同じ様な光り方をする柱や壁を凝視したけれど、扉や階段は見つからない。上を見上げても暗闇に包まれてどこに天井があるのか答えをくれなかった。

 最後に俺の正面にいる先輩で視線を止めると同じように周囲を見回していた先輩と目が合った。

「つまり?」

「ぶっちゃけますと、自分達がいたのとは別の世界に来ているんじゃないかな、と。

 ほら、ああいう光る物体X(笑い声付き)とかいますし」

 なるべく意識の外に置いていたけど、大小様々な光球はさっきから変わらず楽しそうに辺りを漂っている。

 こいつらの存在も『ここが異世界かもしれない』という俺の考えの後押しになっていた。

「あー……」

 俺の発言に、先輩も再び視線をそこかしこに移して光球を追う。その声が納得からでたのか呆れからでたのかは、判断がつかなかった。

「確かに、あの子たちの存在はファンタジックだし、言いたいことはわかるけど。

 でもいせかい、異世界……か」

 何度も舌に馴染ませるように『異世界』という単語を繰り返されて、俺の頬が熱くなる。

「やっぱ馬鹿みたいな考えですよね」

 先輩の反応に、段々自分のライトノベル的思考回路が恥ずかしくなってきて俯いてしまう。

 すると先輩が慌てて両手を左右に振ってくれた。

「ちがうちがう。馬鹿にしたわけじゃないよ。

 あれでしょ、児童文学とかにある『タンス開いたら異世界でした』とか『トンネルを抜けるとそこは異世界でした』的な」

「二つ目は何か違う気がしますけど……まぁそんな感じで」

「うん、了解了解。

 でも、私達はタンスも開けてないしトンネルも抜けてないよ。

 もし異世界に来ちゃったんなら、何がきっかけだったんだろうね?」

「きっかけ、かどうかは確証ないですけど」

 先輩の疑問に俺は前置きをつけて、きっかけと思わしき出来事を口にする。 

「俺の記憶だと、帰り道に水たまり踏んだらそのまま落とし穴に落ちたみたいになって、目を覚ましたらこの場所でした。

 ……しかも、その、俺も先輩も」

 その先は言葉に出来ず、俺は借りたスカートを握った。履きなれないその筒状の布の通気性に、ノーパン状態の中が見えないか不安でついつい手で固定してしまう。

 どうしても思考が自分の身体の異変に向いてしまい、本来真っ先に考えるべきであろう5W1Hの主軸がぶれるのが自分でも分かる。

 さっき、先輩は「お互い自分の身に起きた異変は一度置いておくとして」と言っていたが、やっぱりどうしても置くことはできない。

 そんな俺の葛藤に気付いているのかいないのか、先輩はあっさりと「性別が逆転しちゃったね」と代わりに俺の話の終わりを結ぶ。

 続けて、

「私も依澄君と同じ水たまりを踏んだことは覚えているよ。

 落とし穴に落ちたみたいな感覚も確かにした。

 そこから意識がなくなって、目が覚めて……っとそうだった」

 俺の記憶と答え合わせをする様に話していた先輩が、何かを思い出したかのか、声を上げると革鞄からスマホを取り出す。

「そういえば、依澄君より少しだけ早く目を覚ましたから、その時これで色々確認しようとしたんだ。 

 でも見事に圏外だった。というか、水に濡れて壊れたのか時間も止まったまま動かなくてさ」

 そう言いながらこちらに見える様に画面の上を何度か撫でるけど、先輩の言う通り見事に無反応だった。

「あっ、じゃあ俺のケータイで確認してみます! 一応防水機能付きですから多少濡れても壊れてないはずなんで!」

 だけど、先輩の言葉と見せられたスマホのおかげで文明の利器の存在を思い出し、俺も自分のガラケーを探す。が、制服のズボンのポケットに入っていたはずのそれはどこにもいなかった。

「ない、なんでだ? カバンに入れた覚えもないしどこかに落ちてるとかぁああっ!?」

 焦りから思わず這いつくばって探そうとして、揺れる胸の重さと股間を撫でる空気の動きで即座に中断して立ち上がる。

 そんな俺の奇行に目をつぶってくれたのか元から気にしていないのか、先輩は何かを思い出す様に視線を上に向けていた。

「私の記憶が確かなら、ここに来る直前に依澄君は『電話がきた』ってポケットから出してたよ」

「あっ!」

 先輩の言葉にすっぽ抜けていた記憶のピースが元の場所にはまり込む。

 水たまりを踏む直前、俺はメールと区別して設定しているマナーモードの振動で電話が来たことに気付いて、先輩に断りを入れつつガラケーの通話ボタンを押したことが。

 その相手は、

「……それ、恵理奈からの電話をでした」

 一学年下の妹からだった。どうせ『コンビニで○○買って帰ってきて』みたいなパシリ的な内容だったに違いない。わざわざ先輩に一言断ってまでとるような用件じゃなかっただろう。

 それなのに、ケータイを耳にあてることに気をとられて水たまりを避けきれなかった。先輩も俺の電話に気を取られて足元がおろそかになったから、水たまりを踏んでしまった。

 そして、先輩と一緒に水たまりを踏んだ瞬間、こんなところにこんなわけのわからない状態で途方に暮れている結果になっている。

 水たまりを踏んだのが原因だとまだはっきりしていないけど、他にきっかけが思い当たらない。

 もし恵理奈から電話が来なかったら、俺達は水たまりを踏まなかった可能性は高い。そうしたら、俺達は今頃互いの家に帰ってきていたかもしれない。

 

 ……あの電話の所為で――


「なら少しは安心だね」

「え?」

 俺の心に湧き上がる黒い感情。

 でもそれを先輩の明るい声が、瞬時に吹き飛ばした。

「せ、先輩、安心って何がですか?」

 現状にあまりに似合わない『安心』という言葉への戸惑いが隠せない俺に、

「ん? いや、根拠のない仮説だけど」

 先輩はそう言いながら人差し指を立てる。

「ここが異世界かどうかはひとまず置いといて、少なくとも今いる場所がさっきまで歩いていた場所から異なる場所なことは間違いないよね。

 で、通話中だった依澄君のケータイはここにはない。

 なら、そのケータイは道路に放置されたままの可能性もある。

 そうしたら恵理奈ちゃんも電話の向こうで異変に気付いて、親御さんや警察に連絡してくれているかもしれない――って思ってさ。

 私たちの異常事態が発生した直後に、それを第三者が知ったなら何らかの救助が期待できるでしょ。

 だから大丈夫大丈夫。

 とりあえず依澄君のケータイがないのは明るい情報だよ」

 一気に説明するとにっこりと笑う。気休めではない、本心からの言葉だとわかる先輩の笑顔に、俺は息を飲んだ。

「…………」

 なんという楽観的な考え。

 でもそれがとても先輩らしくて、俺は止まっていた息を短く吐くと「そうですね」と先輩につられて上がった口角のまま同意する。

 先輩が自分で言った通り、何の根拠もない、希望的観測と願望だらけの仮説。

 けれど同じ無根拠でも、原因を妹に押し付けようとしていた俺よりよっぽど建設的な考えだ。


 ――すまん、恵理奈。もし無事に家に帰れたらいくらでもパシられるから勘弁してくれ。


 情けなく卑しい考えを持ちかけた自分の不甲斐なさを心の中で妹に謝罪する。

 続けて、もし先輩の言う通り俺のケータイが道路に放置された状態になっているなら何とか俺達の異変に気付いて対処してくれ、というヘルプコールを妹に念じた。

 恵理奈だけではなく、父親や母親、もう一人の年の離れた妹に一人暮らしをしている兄、演劇部の部員、クラスメイト。

 次々に浮かんでくる人物に向かって心の中で救助を願っていると――

「……あ、れ?」


 気付いたら、俺の両目から涙があふれて一筋頬を流れていった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る