現実逃避をはじめる前に現実逃避が終わった
立っている先輩の手には、俺の渡したジャージの入ったビニール製の巾着袋。
座り込んだままの俺の手には、先輩から受け取ったミニスカドレス。
そこで俺達の動きは止まってしまった。
「どうしようか。順番に相手の着替えのサポートする?」
右手で濡れた髪を払う先輩。腰まであるからか、いつまでも毛先から水滴が落ちて床に波紋を広げている。
そう。ここの床は数センチ程の水が張っていて、普通に着替えようとしたら今手にしている着替えも濡れてしまう可能性が高い。
「いや、サポートって何するんですか」
「相手が服を脱ぐまで代わりに着替えを持って待機してるとか。
……あー、でもズボンに着替えるんだから結局床についちゃうな。私の場合」
「俺だってこんな物体Xを着るのはじめてだから、床に接触させないで着替える自信ないです」
というより、ここまで魔改造された服を破かずに着替える自信がない。
この際濡れたままでも構わないから、着替えること自体をやめたい。
そんなことを思っていたら、先輩の持つ巾着袋が俺に急接近してきた。
「とりあえず上を全部脱ぎながら考えるから、ちょっとこれ持ってて」
「へっ? は!?」
ポン、とミニスカドレスの上に乗せられた巾着袋から先輩に視線を移すと、躊躇ゼロの勢いでブレザーのボタンを外す姿が目に飛び込んできた。
「すごいすごい! ボタンを外すごとに生じる開放感がハンパない!
いやいや、ホックは軟弱だったけどボタンは強い子だったからすごくきつかったんだよね」
嬉しそうに先輩はブレザーを脱ぎ、ブラウスのボタンも次々外していく。
そこまで見て俺は我に返ると慌てて先輩に背中を向けた。
いくら今自分が男になっているからって、いきなり脱がないで欲しい!
恥じらいっ、異性に対する恥じらいはどこにやったんですか先輩。
あと、スカートのホックが弱い子だったわけではないと思う。先輩の胸は大きかったから普段からブラウスのボタンの方も慣れていたんだろう。巨乳からの重圧に。
そんなことを考えつつも、俺は先輩に背中を向けたまま声を張り上げた。
「先輩っ、いくら何でも羞恥心がなさすぎです!」
「あ、ごめん。
依澄君しかいないし、男の身体だから上半身の裸ならセーフだと思ってた。
でもある意味アウトだったね」
バサバサバサリ、と重い衣擦れの音に混じって「うわ、私の下着姿ヤバ過ぎ……」と先輩のドン引き感あふれる声が聞こえてくる。
その言葉につい『現在の先輩』の下着姿を想像してしまい、背中を向けたまま「だろうな」と同意してしまった。
男の胸板を締め付けるブラジャーと男の股間に食い込む女子のパンツ。
ヤバイですむ格好じゃあないだろう。
「って、先輩どこまで脱ぐつもりですか!?」
「ん? いま全裸」
「全裸!?」
羞恥心はもう先輩の中から消滅したらしい。
俺が今振り向いたらどうするつもりなんだろう。もちろんそんな気はないけど。
「だってパンツもきついし。
っと……よし。
一応ブラウス腰に巻いてたから振り返っても大丈夫だけど、出来ればそのまま目をつぶって欲しいな。
じゃあ悪いけどジャージ借りるね」
「えっあっはい」
ポンポンと投げかけられる言葉に反射的に目を閉じると、俺の持つビニール製の巾着袋から中身を取り出されるのが重みと音で伝わってきた。
再び衣擦れの音が辺りに響く。どうやら先輩は自分の持っていたタオルで身体を拭いているらしく、それっぽい音も耳に入ってきた。
何となく慣れ親しんだ女子の姿の先輩が身体を拭いているのを想像してしまい、頬が熱くなる。
だから先輩が「あっ」と何かに気付いた様に声を上げても気に留めることはなかった。
しばらくして、
「おまたせ」
先輩のその言葉に目を開けて振り返ると、俺のジャージを着た見慣れないイケメン姿の先輩が立っていた。
何故か上半身は裸のままなので一瞬焦ったが、あれだけ大きくて柔らかかった山脈は引き締まった大平原に変わっていたので何とか直視できる。
先輩はジャージの下だけ履いていて、上着の方は右手に持っていた。左腕にはさっきまで先輩の腰に纏わりついていたスカートがかけられている。どう着たのかジャージのズボンは裾の部分が少し濡れているだけで、髪もゴムで無造作にひとまとめにされていた。
それでも何となくカッコいいオーラが溢れ出ているのが先輩らしい。
そんな先輩がいつもとは違う抑揚のない声で俺に話しかけてきた。
「いずみくん、さきにあやまっておきます」
「? なにをですか?」
「わたしはいま、ノーパンでいずみくんのジャージをはいています」
「えっ!?
あ、あー……そうなりますよね」
一瞬ぎょっとしたが、さっき「パンツもきつい」と言っていたから仕方がないことだ。
「緊急事態ですし、気にしませんよ」
そうだ。今はあり得ない現実に直面しているんだから、そんなことを気にしている場合じゃない。
という俺の認識は甘かった。
「それだけじゃないです」
「え?」
「いずみくん、きみはさっきズボンと下着がずりおちたよね」
「……はい」
「つまり、きみもノーパンになる可能性が高いということです」
「は!?
――ま、まぁ、確かにそうかもしれませんね」
「でも私が提供できるのは、君の持っているドレスとこの制服のスカートだけです」
「…………」
「スカート、だけです」
「…………」
「……ごめんね」
「まじですかぁぁぁっ」
俺の絶叫が虚しく辺りに響いた。
先輩の下半身を覆うのは俺のジャージのズボン。上半身は何も着ていない。
俺の上半身はだぼだぼになった自分のジャージ。下半身を覆うのは、先輩の履いてた制服のスカート……。
こんな俺達の共通点はノーパンであるということ。
洒落にならない。特に俺が。
先輩が俺を気遣ってジャージの上を譲ってくれたのは嬉しいけど、濡れたブラウスを脱いで直接着ているせいで、主に胸の部分が擦れて非常に落ち着かない。
それでも下半身の落ち着きのなさに比べたら可愛いものだが。
結局、スカートの丈の長さからミニスカドレスではなく、先輩の制服のスカートを借りて履くことになった。女子になって背が縮んだ俺の膝下までの長さがある先輩のスカートは、絞りに絞ったおかげであまり水分を感じさせない。ありがたいことに、ホックがなくてもファスナーを上げただけでウエストからずり落ちないでくれている。
実は俺が絶叫した直後、先輩が「そうだ! あれがあった!」とカバンの中からスパッツを取り出してくれた。けど、部活の時に履いていたと聞いて俺は悩んだ末にスパッツを借りるのを断った。
使用済みだからきたない、なんてそんな事もちろん思っていない。ただ俺には太腿の半分くらいの長さのスパッツは、ボクサーパンツ――下着の一種にしか見えなかったのだ。
恥ずかしくてとてもじゃないが借りることなんて出来なかった。
さっきまで男だった俺に、先輩の下着(に錯覚するようなスパッツ)を履く勇気は微塵もない。
スカートですら、足を通す時に手が震える程緊張したのだから。
だから悪あがきで自分のトランクスを履いたままでいられるようあれこれ試したのだが、ここまでゆるゆるだと何をやっても「三歩歩けばパンツがずり落ちる」という結果にしかならなかった。
その間ずっと目を閉じて待っていてくれた先輩に申し訳なかったが、結局無駄な時間を経てノーパンの二人組が爆誕することとなった。
さすがに
とはいえ、初めて履いたスカートはズボンと違い風通しがよすぎて、少し身動きするだけで微風を股間に感じてしまい、その度に背筋が震え瞳に涙が浮かんできた。
「どうしてこうなった……」
堪えきれず、俺の意識は現実から全力で逃げ出すべく遠くへ走り出そうとする。
けれど、
「じゃあ、そろそろ現状の把握に努めようか」
真剣味を帯びた先輩のその言葉に、目を反らしつつあったもう一つの『現実』を見つめる時が来たことを知った。
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