第24話 洗脳された者たち

 「え、ば、え……? 箱物を操ってんの……? アンタが、街の誘拐事件の、黒幕!?」

 違う、逆だ。オズベルは直感する。この女は箱物に操られている。暴漢達が、獣達がそうであったように、箱物の能力によって忠実なしもべとされているのだ。

 ただ、その邪悪に染まった表情や、彼女の身体から放たれる禍々しい邪気はイガルガが勘違いしてしまうのも無理がないくらいに強大な狂気に溢れていた。

 もしかしたら、箱物の洗脳が他より根強くなされているのかもしれない。その悪意に満ちた表情を見ているとそうとしか思えない。多くの生き物を平気で殺しそうなその顔は、とても人間のものとは考えられなかった。

「馬鹿な子だね。あたしは我が主の道具に過ぎない。我が主の代わりに人を誘い、後ろを取り、殺す。全ては我が主の意志のままに。勘違いしちゃいけないよ」

 しかし、何か違和感がある。あいつの恰好。どす黒く染まりかけた赤い髪を束ねたおさげ……似合いそうなランスも盾も持たずに身につけられた鎧…………そうか!

 オズベルは気付いた。

「リク高等執筆員! この人……っ」

 興奮のあまり言葉が続かない。それでもリクは悠然と頷いた。

「ああ。ランドが雇った傭兵の特徴に合う」

 そのやり取りを聞いた赤髪は、くくっと笑いを漏らした。

「ランド。ああ、覚えている。覚えているよ。まっすぐで、正直な色男だった。あんまり馬鹿正直が過ぎたせいで騙すのも簡単だったよ。我が主に苦戦して、自分も危ういってのに演技で傷付いて倒れたふりをしているあたしを必死に庇っちゃってさ。今思い出しても笑えてくるよ」

「――ッ」

 瞬間。二つの殺意がナイフと氷のつぶてに込められて赤髪に向かっていった。

「おっと」

 赤髪を襲う凶器は触手に阻まれる。そして赤髪はにぃと口の端を歪めた。

「そうそう。あんたらのことも知ってる。街でいろいろ嗅ぎまわっていた。そうだろう? 我が主はなんだってお見通し。あんたらはここで我が主たちの栄光の礎となるのさ!」

 その言葉が合図だったかのように、突然洞窟が揺れ始める。ネルマやアリが軽く悲鳴を上げる。

 そしてその揺れは天井からぶら下がる糸でぐるぐる巻きにされたミノムシたちを地面に落としす。あまり遠くにあったのと箱物に比べて小さかったせいで手毬ぐらいの大きさかと思っていたがとんでもない。それは人間の子どもか成人の間ぐらい大きさがあった。というより、まさに人間だった。

 地面に落ちた繭たちは簡単にぱっくりと割れ、中からまだ成人していない程度の歳の人間が次々と姿を現した。

「こいつらが何か分かるかい? そう。街から攫ってきた奴らさ! 救うんだろう? 救いたいんだろう? ところがあんたらはこいつらの手によって倒れるのさ。なかなか粋な計らいだろう? 全て我が主の意志だ。感動と共に堕ちるがいい!」

 赤髪の述べた通り、繭を這い出た人間たちはゆっくりとリクたちの方に向き直り、覚束ない足取りで迫ってきた。

「ちょ、ちょっと待ってください! 皆さん! 私たちは王立騎士団の者です! 貴方たちを助けに来たのです! もう箱物を恐れる必要はありません!」

「ムダですよ。森の動物たちみたいに箱物に操られてるんです!」

 慌てた調子で剣を隠しながら説得を試みるフルーナにアリの切羽詰まった声が飛ぶ。

「で、ですが、罪なき民を傷付けるわけには……!」

「なら、操ってる箱物をぶっ飛ばせばいいじゃないっつー話よッ!」

 イガルガが明快な答えに行き着くのと同時にトルが大声で指示し始めた。

「皆、できる限り動き回って! 出てきた人たちは動きが遅い。走ってればそう捕まる相手じゃない! フルーナちゃんはイガルガちゃんに寄ってくる人間を引き付けて詠唱時間を稼いで! イガルガちゃん、強烈な一撃をお願い!」

 その指令は、聞こえはしたのだが全員に困惑をもたらした。敵に聞かれているその作戦に果たして効果はあるのだろうか。

 とはいえ、敵が鈍いのは確かで、各員囲まれないように注意しながら走り出す。間もなくイガルガが魔法を放ったが、いつ敵に追い詰められるかわからない状況に集中できず、いとも簡単に薙ぎ払われた。

 オズベルは時折箱物を狙ってカードを投げ込むが、これもイガルガの魔法と同じように触手で斬られて効果が発動する前に紙くずと化してしまう。トルとの模擬戦を行った時のような弾幕放射を行うにも仲間や操られる民間人が良い具合に邪魔をする。近づけば余裕が生まれるかもしれないが、天井から余裕をもって着地した箱物のバネを見るにある程度近づけば一瞬で間合いを詰められる可能性が高い。それに赤髪の身体能力も不明だ。鎧を着ているので、とてつもなく機敏に動けるということはないだろうが注意しておくに越したことはない。気がかりなことはまだある。森で襲ってきた動物たち、それから街でリクとアリを襲った暴漢たちに違和感を覚えるような挙動がなかったはず。もっと言えばここで追いかけっこを始めた操り人形たちのようにゆったりとした動きではなかったはずなのだ。一体何故?

 この洞窟の中だから? 意味が分からない。

 箱物の干渉が強いほど動きが遅い? それだと赤髪な流暢な言葉遣いに説明がつかない。

 ぐるぐる糸の中で洗脳がなされていてまだ途中の状態? 他の傀儡を使えや。

「……違うな」

 やむを得ず遅いのではない。もっと何か戦略的な意図があるはずだ。遅い動きである必要があるんだ。トロいからこそ起きている現象に目を向けるんだ。

 オズベルはふと足を止めた。

 止まった……?

 オズベルが立ち止ると、追ってきていた民間人たちはぐだぐだとその場で踊り続けるだけで一定以上に距離を詰めてこなかった。

 逃げていたのは何故? 捕まらないためだ。――戦わず逃げる理由は何だ? 相手が箱物に操られているだけの人間で、攻撃する訳にはいかないからだ。――どうして攻撃する訳にはいかない? 彼ら民間人を傷付けるのは騎士の名折れ、不名誉につながるからだ。――命の危機が迫っているのだろう? まだそれほど危険な状態じゃない。――何故危険な状態じゃない? 敵が遅いから。――なら敵が早かったら? 捕まらないために攻撃しなければならなくなる。――攻撃して彼らが倒れれば敵はどうなる? 手駒が減る。――困る? 困る。

 立ち止ったのに襲ってこないのは、攻撃をされて手駒が減ると困るから……!

 オズベルは背筋を掛ける寒気に身震いした。

 手駒が減って困るのは当然のことだが、巧く動かせば多少手駒が減ったところでオズベルたちをとらえることは充分に可能だろう。吸着糸を不意に飛ばせばいいのだから。しかし箱物も赤髪も落下地点に陣取って悠然と構えているだけで何もしていない。いや、違う。しているのだ。手駒の消費を最小限にオズベル達を捕まえるための準備を。

 一度、一瞬、一撃で一網打尽にするための準備を。

 リクが天井の網を全部切り削がずに天井に残したのは、網が降ってきて自分たちの上に被されば身動きができなくなるからだ。しかも箱物の糸は箱物の体外に出ても吸着性が自在だ。

 となれば網が降ってきて被されば一気に全員が捕らえられることになる。そしてそもそも網を作ったのは箱物だ。

 つまり、導き出される答えはただ一つ。

 こちらが攻撃できない民間人をけしかけて時間稼ぎと囮をさせている隙に、体内で糸を網状に形成しそれを放出することで手駒を一切失うことなく勝利しようとしている。

 まずい。

 まずいまずい。何とかしなければ。

 ど、どうする? 伝達? 攻撃? 防御? 包囲? 予防? 脱出? 交渉? 逃走?

 様々な選択肢がオズベルの頭を駆け巡る。そのせいで、判断が遅れた。なまじ選択肢が多いことは決断力を低下させる。

 突如箱物がガパッと顎を開いて斜め上に向ける。その口から発射された弾は空中でみるみる内に解かれて、あっという間に広間全体を覆うほどの大きさの網となりオズベル達の頭上に降ってきた。

「あ、あぁ……」

 皆が立ち止って見上げている。オズベルは完全に頭が真っ白になっていた。気付くのが遅すぎたのだ。せめて追いかけっこが始まってすぐに気付いていればまだ冷静に対応策を講じられたかもしれない。事態が訪れてから思考、判断、行動を起こすのは不可能に近い。

 雨が降ってから傘を取り出したのでは濡れてしまう。

 だから、この男は、リク=グランドロフは――

「『――アイスバーグチップッッ!!』」

 隊員への指示もトルに任せている間に整えた詠唱をタイミングよく完成させた。

 魔法が発動されると低い地鳴りがして、リクの足元から先のとがったバカでかい氷の柱が突き出した。それは落ちてくる箱物の網を絡めとり、そのままめり込む勢いで天井に縫い付けた。

「…………ちっ、忘れてたよ。無声詠唱が使えるんだったね。あんた」

 角度的に氷山の一角が突き刺さった天井の真下にいた赤髪は、ぼろぼろと崩れ落ちる小粒の石つぶてに打たれながら苦々し気に顔を歪める。

「アラクネ……捕獲網形成所要時間、150秒毎平方メートル。射程は要検証」

 応えるリクは答えていない。取ったデータを魔導図書に書き記して余裕を見せつけている。命名済ませるオマケ付きだ。

 それでカッと頭に血が上ったのだろう。

「やっちまいなぁぁッ!」

 赤髪が怒号を鳴らすと洗脳の民衆たちは一斉にリクを目掛けて走り出した。完全にオズベル達のことは無視している。

「は、走れんかい!」

 イガルガが驚きと戸惑いの入り混じったツッコミを入れる。

「た……助け、ないと……」

「いえ、ネルマさん。大丈夫ですよ。アレは」

 アリが思い出すような遠い目をする。

「前に、見たことがあります」

 リクの隣にはいつの間にかトルが立っていた。彼女は、先駆けてリクに躍りかかった敵を掌底やひじ打ち、回し蹴りで跳ね飛ばす。一発一発に威力は無く、リクに触れさせないようにしているようだった。そうして約4秒時間を稼いだ。

「もういいぞ」

 リクが不敵に微笑みながら、どこか優しげな声色で告げるとトルは構えたままリクの背後に回り背中合わせになる。

 そしてリクはおもむろに右腕を振りかざして、

「『――トルネード』」

 そう唱えた。

 途端にリクの右腕を支柱に巻き起こった旋風が敵を一気に押しのけて次々と転ばせていった。いや、それだけじゃない。

「『――スリープ』」

 そのまま辺りに転がる者たちの一帯に睡眠魔法を放った。起き上がろうとしていた者たちもこてんこてんと夢の世界へと旅立っていく。すると何故か術者であるはずのリクも力が抜けたように膝を折った。

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