第25話 お前だったのか

 「後退支援お願い!」

 倒れそうになるリクを支えたトルの声で、いつの間にか一か所に集まっていたオズベル達は慌てて駆けだして箱物を牽制する動きを見せる。ただ、箱物は追撃してくるつもりは無さそうだった。

「フルーナ、ネルマ、行って! イガルガは魔法準備、アリはイガルガの横で直線粘着糸の警戒!」

 また網を作られてはかなわないとオズベルはフルーナを差し向けた。そんな彼女たち後衛とすれ違ったところでトルは腰を下ろしてリクを座らせた。

「リクさんどうしたんですか?」

「魔力切れね。氷山に竜巻に睡眠の三連魔法を繰り出したんだもの。当然のことだわ」

「違う」

 心配そうなアリと解説するオズベルと違い、箱物の方を向いたままリクを振り返らないイガルガが口を挟む。

「確かに三連魔法は大量の魔力を消費するけど、そこのウンコ垂れ垂れクソ眼鏡はアイスバーグチップを、タイミング計るために発動保留した上、目を開けたまま無理やり制御して、そんでも形にして、トルネードを早口詠唱して、スリープに至っては不詠唱で使ったのよ」

「えーと……?」

 意味が分かってないアリにオズベルは再度説明のために口を開く。

「詠唱を唱えるとき、句末を延ばして発動のタイミングをわざと遅らせる発動保留。目を開けたまま余計な情報で脳に負荷がかけての詠唱。早口な詠唱による不安定な魔力の制御。最後に不詠唱だけど、これは詠唱自体を行わないこと。どれも魔力を余計に消費するアグレッシブな行為よ。それを立て続けに行ったら誰だって魔力切れを起こすわね」

「そうなんですか……それはまた、随分無茶を……」

「向こうが一網打尽にしようとしたから一網打尽にし返したんでしょ。ったく、バカじゃないのッ」

 無神経なイガルガの台詞にひやひやとさせられながらオズベルとアリはトルを振り返ったが、トルは全く気にしていない様子だった。それどころか膝枕したリクの頭を優しく撫でながら「そうだよね。頑張ってくれたんだよね」などと言っている。

 見てはいけないものを見たような気まずさに襲われて二人は箱物の方に向き直った。

 さて、後方で奇妙な空気が場を支配している中、ネルマは恐ろしさに震えていた。

 怖い。怖い。怖い。なんで、なんで私がこんな恐ろしい思いをしなくちゃいけないの?

 自分よりさらに前で箱物と剣を交わしているフルーナが同じ人間だとはとても思えない。

 自分の何十倍も体重があるような相手に一歩も退かず、四本の触手を巧みに捌き、時折放たれる糸を華麗にかわし、一太刀、また一太刀と攻撃を加えていく姿はもはや美しさすら覚える。

 自分にはあんな風に戦うことはできない。ただ盾を構えてじっと耐えることしかできない。まるで亀のよう。ああ、なんて自分は卑怯な人間なんだ。自分さえ良ければそれでいいのだろうか。鶴が舞い踊るような彼女とは大違い。

 自分が鶴になれるとは思っていないし、なりたいとも思わない。あんな風に化け物と戦うぐらいなら亀のまま甲羅に籠っていたい。死んでしまったらもうあとには何も残らないのだから。

 それでも、逃げ出すわけにはいかない。逃げたらきっと皆が迷惑する。

 皆のために自分を殺す自己犠牲の精神が自分にとって唯一の安らぎなのだ。

 だけど、やっぱり、彼女と自分の何が違うのか比べてしまう。きっと考えるだけ無駄なのかもしれない。だって答えは既に出ているのだから。

 背負うもの、そして積み重ねてきたものの差だ。

 自分は毎日涙を流して、嫌で嫌で仕方がないけれど、他にどうしようもないからと訓練を受けてきた身だ。対して彼女は、いつまでもどこまでも限りなく果てしなく登り詰めようという気概に溢れている。できるとあらば太陽にだって平気で戦いを挑むだろう。飽くなきまでの向上心がそこにはあるのだ。

 『やらなきゃならない』私が『やってやろう』なんて、思えるわけないよ……。

 そもそも彼女とは境遇が全く違うのだ。恨めしいまでとはいかないまでも、羨ましくてしょうがなかった。

 そんな羨望の眼差しでフルーナの一挙手一投足に注目していたからだろうか。ネルマは気付いた。

「動いてない……?」

 いや、フルーナは動いている。時には回り、時には跳び、四本の触手を翻弄するように動き続けている。けれど、その舞台、戦闘領域が前にも後ろにも微動だにしていないのだ。何故か。それは箱物が移動していないからだ。

 おかしい。これだけ両者が肉薄しているのに、前後の駆け引きが全くないというのは不自然だ。

 ネルマはもっぱら防御専門だが、だからこそわかることがある。

 圧力が強大なときは多少なりとも後ずさりして衝撃を逃がすし、余裕があるときは戦線を押し上げて有利な状況を作ろうとする。前衛の戦闘領域は一秒一秒で目まぐるしく変化するものなのだ。

「じゃあ……なんで動かないの……?」

 可能性のある状況は三つある。一つは、実力がまったく拮抗している場合。二つ目は、どちらかにとても余裕があり、かつ戦線を上げる必要がない場合。最後は両方とも戦っているふりをしている場合。

「まさか……まさか、ね」

 ネルマはさっきから一歩も動いていないというのに一筋の汗を垂らした。


「…………」

 ――増援はない。しばらく待っても民間人みたいな操り人形が現れてこないのを見て、オズベルさんはそう判断したらしかった。

 そこでようやく箱物を攻撃範囲に捕らえるべく、イガルガさんを伴って足を前に進めた。

「トル書記員とアリはその場で待機。リク高等執筆員の回復を待ってください」

 遠くからそう指示する声が聞こえてくる。思わず笑みを浮かべてしまった。誰にも見られているわけがないとわかっていても奥歯を食いしばって頬の筋肉を引き締める。ちらと振り返ると彼らの姿が見える。やっぱり気付いた様子はない。トルさんはリクさんにつきっきりで全く動こうとしていない。もはや何の障害でもないだろう。

 リクさんが戦闘不能に陥ったのは大きかった。あの人からはこちらが何をするつもりなのか見通されるような絶対的な実力差があるように感じていた。例え箱物と同時に挑みかかったとしても簡単にねじ伏せられてしまうような気がしてならない。そういう意味では彼が倒れているの今は絶好のチャンスだ。むしろこの機会を逃せば次はないと思った方がいい。

「残念でしたね……」

 あなたの敗因は、仲間を守ろうとしたこと。いや、仲間だなんて思ってないかもしれない。駒? 手下? 何にせよ。仲間だなんて思っていると思わない方がいい。

「だって……じゃないと」

 自分はこれから、その仲間を裏切ることになるのだ。

 そんなの、悲しすぎる。また間違ってしまったことになる。もう二度とあんな思いをしないために箱物の言うことに従っているのに、同じ過ちを繰り返してしまったことになる。

「違う。間違って、ない」

 自分を奮い立たせるように呟いて愛用の得物を握る手に力を込める。

 皆、自分が反旗を翻すなんて思っていないだろう。ごめんなさい。一瞬で全員を仕留めることは不可能だけど、箱物と同時に動き出せば、戦力が著しく損なわせることはできるはず。そうなれば後は強引に叩き潰すことができる。

 遠くは箱物に任せて、近くから仕留めていけばいいだろう。合図は決めていないけれど、きっとこちらの動きに合わせてくれるだろう。

「ごめんなさい」

 どう考えたって許されることではないけれど、謝らずにはいられない。

 ゆっくりと武器を攻撃に備える。

 ごめんなさい。リクさん。ごめんなさい。トルさん。ごめんなさい。ネルマさん。ごめんなさい。イガルガさん。ごめんなさい。オズベルさん。

 ごめんなさい。

 フルーナさん。

 そのとき、限界まで引き絞った弓矢の弦を後ろから延びてきた手に捕まれた。

「そこまでだ。アリ」

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