第26話 裏切り者とリクの企み
まるで拡声魔法を使用しているかのように広間中に響き渡った声に、皆がしんと静まり返った。
フルーナまでもが、一度箱物から距離を置いて背後をうかがう。全員が二人に注目していた。
「な、なんですか……? リクさん。ていうか、魔力切れで倒れてたはずじゃ……」
アリの掠れた声が洞窟の岩に溶けていく。対するリクは感動の見受けられない冷たいガラスのような瞳でアリを見据えている。
「確かに魔力切れは起こしたさ。だがこの通り全快した」
信じられないとでもいうようにアリが首を振る。
「それよりもお前だ。今、お前は何をしようとしていた?」
「何って、そりゃあ……」
乾燥しきった口の中からどうにか唾液を絞り出して喉を潤してアリは喘ぐように言った。
「箱物を――」
「俺には、オズベルを矢で射ようとしていたように見えたんだがな」
遮るようにとんでもないことを言ったリクにしばらく二の句が継げなかった。だが振り返って険しい顔つきのオズベルを見るとアリは慌てて頭を振った。
「そ、そんなわけないじゃないですか! どうしてわたしがオズベルさんを狙わなきゃいけないんですか!」
「お前が箱物から送り込まれたスパイだからだ」
「っ!」
「スパイ!? アリがッ!?」
心底驚いた様子でイガルガ声を荒げる。それを無視したリクが誰かに問われる前にその根拠を語り始める。
「スパイがいる可能性についてはお前たちと合流する前から考えていた。ランドの奴だって腐っても万全図書館の執筆員だ。箱物に単純な戦力負けでやられるとは思えなかったからな。となると何者かによる妨害があった可能性が視野に入るのは当然のことだ。その時点から俺はトル以外の全員に敵である可能性を念頭に行動してきた」
「も、もしかして……それで、あんな嫌なことばかり私たちに……?」
「いいや。それはお前らがゴミだからだ。俺は能力のある者にはそれなりの態度で接する」
恐る恐る口を挟んだネルマに辛辣な答えが返ってくる。
「そうした理由で俺は箱の調査を行う中で自分たちの中にいるスパイを探していた。いるとしたら一人か二人。それ以上はいても意味がないからな。その中である程度目星をつけた頃、その段階で可能性が薄かったオズベルとトルに協力させて誰がスパイであるかを探る会議を行った」
「そこでアリがスパイだってことになったわけ?」
イガルガのとっとと結論を言えと言わんばかりの台詞に首を振る。
「会議の結果怪しいのはネルマとアリ、逆にフルーナとイガルガは可能性が低いという結論に至った。ただ、怪しいとはいえ証拠はなく確定ではない。だから今日、森の探索を行ったときにお前たちの動向を注意深く監視した。そのときに……アリ。お前は自ら箱物の能力について言及したな。それは俺たちが先の会議で見当を付けたのとほぼ同じ意見だった」
「それで箱物の能力を知っていたアリさんがスパイだということに……? しかし、スパイならば、箱物の情報を漏らすようなことをするのはおかしくはありませんか?」
「順当に考えればその通りだ。だが、俺は三人で行った会議の場で議事録を取ると言って別のことを紙に書いて二人に伝えておいた」
「……!」
アリが小さく身じろぎすると、リクは嫌らしく笑みを浮かべた。
「俺たちの会議の結果を前提に動いた奴がスパイだ、とな。つまり、盗聴の可能性を疑っていたのさ。調査隊に身を置かせるだけでは物足りず、俺たちの会話を盗み知ろうとした際に自分からスパイだと名乗り出るよう仕向けたわけだ。ひいては、怪しいと思われていたが、会議以降は怪しくないと思わせる行動に走った奴がスパイということになる。怪しい奴が怪しいままだったり、怪しくない奴が怪しくなったりすることはあったが、後になって怪しくないという評価に変わったのはお前だけだったんだよ。アリ」
「箱物が“糸”に関係する能力を持っているってことも分かってたよ。音……つまり盗聴能力は糸電話。生き物を操る能力はマリオネット。どっちも糸が関係してるからね。もちろん、物理的に糸がその役割を果たしてるわけじゃなくて、あくまで箱物が魔力か何かで作る糸に盗聴と洗脳の効果が付属してるんだよね。街を飛び回ったときに建物と建物の間に張ってあった糸を見つけたとき、盗聴されてるっていうリクの推測が当たってると確信したよ」
話を引き継いだトルの口を閉じると広間には静寂が返ってきた。わざわざそんな無駄話をしたのはもちろん、詠唱時間を稼ぐためだった。
「悪いが貴様の傀儡。奪わせてもらうぞ」
その台詞に赤髪やアリが息を飲んだがもう遅い。リクはゆっくりと息を吸って魔法名を告げた。
「『――ディスペル』」
すると、洞窟全体が緑色の淡い光で満たされる。黄色い煌めきが眠れる民衆やアリの身体に触れると儚い光を灯してはその中に溶け込んでいく。
ディスペルは解除魔法だった。ありとあらゆる状態異常、バッドステータス、グッドステータスを打ち消し対象を正常状態へと戻す魔法。
「ぐっ、く、あぁあああぁああ!?」
箱物の背中では赤髪がもだえ苦しみ始める。強烈な洗脳が解けるにあたり精神に多大なダメージを与えているのだろう。見れば眠れる民たちも悶え苦しんでいる。
「貴様の洗脳が魔法的なものでディスペルによって解けるということは、俺たちが森を歩いている間に、トルに解呪のカードを捜索隊の隊長に使わせたことすでに判明していた。手駒が一つ失われたことに気が付かなかったか?」
「ぐ、ぐぐ……く、くくく……」
「……何がおかしい」
苦しみながらも笑いを漏らし始めた赤髪にリクが顔をしかめる。
「くかか……確かにあんたは我が主の企ての多くを看破した。けどな、我が主もまたあんたの企みをお見通しだったのさ!」
赤髪がそう言った途端、箱物は大きく身体を震わせて赤髪を宙に放り出すとその身体に口からはいた糸を巻き付け、大きな顎で一息に飲み込んだ。ネルマが軽く悲鳴を上げるのも束の間、箱物はもう一度身体を震わせ赤髪を真上に吐き出した。再び箱物の背中に舞い降りた赤髪は平気そうな表情に戻っていた。その様子に、誰もが洗脳し直されたことを察した。
「ちぃっ」と舌打ちしてリクが再びディスペルを使うか赤髪を箱物から遠ざけるか判断するまでの間に、赤髪は何事もなかったかのように両手両足を大きく広げて壮大に大見得を切った。
「さあ、みなさん、お待ちかね! 我が主の洗脳、盗聴に次ぐ、三つ目の力。『拘束』のお披露目だ」
まるでそれが合図だったかのようだ。
「えっ!?」
誰ともなく悲鳴を上げる。
「身体が……ッ」
「動きません……!」
赤髪の言葉と同時に、リクたちは全員首から下を一ミリたりとも、指一本として動かすことができなくなった。
「何……? どうして……!?」
必死に身体を動かそうと力を込めるオズベルに、次第に見えてくるものがあった。
「これは……糸!?」
オズベルの身体は様々な方角から伸びてくる銀色の糸に絡みつかれていた。拘束は決して厳しいもののように見えないのに身体が動かないのは、やはり箱物の糸には魔法的な効果が付属しているからだろうか。
誰も微動だにできない中でネルマはこんな奥の手があったから箱物は余裕の表情でどっしりと構えてフルーナと戦っていたのかと妙に納得していた。本来恐怖を覚えなければならないはずなのに、どこか慣れたように冷静でいられる自分がひどく薄情に思えてならなかった。
「そんな、でも、いつの間に……!?」
トルの慌てふためいた声が聞こえる。見ればリクも驚愕に目を見開いていた。
ただ、リクは動けないことに驚いていたのではない。
リクは、大きく口を開いて赤黒い液体を吐き出した。
「ぐっ…………がッ」
リクの背中を突き抜ける焼けるような感触。
もちろん炎にさらされているわけではない。
「リク……っ」
「ど、どうして……!?」
トルの悲痛な声とオズベルの焦燥にかられた声が交差する。
「アリ…………ッ」
ぎりぎりと歯を食いしばりながらリクは背中を振り返った。そこに立っていたのはリクの背にナイフを突き立てるサイドテールが可愛らしい少女だった。
「ごめん……なさい……」
消え入りそうな声で呟きながら手にしたナイフを深く押し込みながらねじり込む。
「――――ッ」
叫ぶのを懸命に堪えようとしているのか、口を全開にしたまま一切の音声を発さずにリクは大きく開かれた瞼に瞳を揺らす。身体を強張らせてはいるが動けないため抵抗する気配すら見せない。
「あ、アンタ……ディスペルで、洗脳が解けたんじゃ……?」
アリはイガルガの問いに答えるように顔を上げ、その勢いでナイフを引っこ抜く。その拍子にリクが片膝を突く。
あれ? とオズベルは何か違和感を覚えた。
アリが何と言うべきか迷う素振りを見せていると代わりに赤髪が得意そうに返答する。
「そのお嬢ちゃんは初めから操られてなんかいないのさ」
「はぁ!? だったら、なんでスパイなんか……ッ」
「あんたらに教える義理はないね。第一あんたらはここで死ぬのさ。仲間だと思っていた奴の手によって殺されるのさ。知ったところで何の意味も無いだろう?」
「………………!」
死ぬ。その言葉がいよいよ現実感を帯びて忍び寄っていることがわかったのか、イガルガは顔を青ざめさせながら押し黙った。
「やれ」
赤髪の指示でアリはナイフを片手に動けないイガルガたちの元へと歩み出す。
リクは刺された。まだ死んではいないけれど、このままでは時間の問題だ。
自分たちは一歩も歩くことができないが、アリは一歩一歩確実に歩みを進めている。明るく元気な少女の足音が、今は死神の笑い声にしか聞こえない。
気が付けば、皆が瞳に涙を溜めて小さく震えていた。騎士団に所属しているとはいえ、死ぬにはまだ早すぎる若い女性たち。無抵抗のまま迎える死に完全に怯えてしまったのだ。
ただ一人、フルーナを除いて。
「はぁぁぁぁぁあああああああああああ!」
フルーナは決して恐慌状態に陥ったのではなかった。全神経を集中させ、気合いの限りを込めて拘束を解こうと抗っていた。
アリが驚いたような顔をして歩む方向を変える。どうやら、殺すべき順序というものに修正が行われたらしい。
「フルーナさん。……やっぱり、あなたはすごい人です」
アールが何の感慨もない声色でそう言う。けれど、フルーナの耳には届いていない。彼女は深い深い悔しさに奥歯を噛みしめていた。
……私だ。私が箱物に隙を与えたせいで拘束の発動を許してしまった。
「こんなときでも、これっぽっちも諦めた感じがない」
何をしているのでしょう。違う、なぜ何もしていないのでしょう。
「だから、次は、あなたの番です」
これまで、私は何を成し遂げたでしょうか?
「ごめんなさい。わたしの、我がままのために」
オズベルさんは総合的に私たちを導いてくださいました。
イガルガさんは西の森でリクさんと協力して獣たちを倒してくださいました。
ネルマさんは私が気兼ねなく前線で戦えるようにいつだってバックアップをしてくださいました。
トルさんはいつも私たちを気遣ってくださいました。
アリさんは皆が笑っていられるように楽しいお話を聞かせてくださいました。
それなのに、私は何一つ恩返し出来ていない。
私は………………っ!
――「己が騎士の誇りにかけて」
――「ああ。お前の力、この俺に見せてみろ」
いつか交わしたリクとの会話がフルーナの脳裏をよぎる。
「あ、あああ…………」
心の奥深くから込み上げる熱い何か。
「……! おい、はやくそいつをっ」
それは、闘志。灼熱の、溢れる闘志がフルーナの瞳に湛える。
「あ゙ぁあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ッッッ」
空間を揺るがすような雄叫びは箱物が天井から降り立った時よりも全てを震わせる。
――動く。
私の名はフルーナ=エドア。これまで、恥ずかしい鍛え方などしてきたつもりはありませんが、それ以上に、私には誰にも負けない武器があるのです。
――手が、足が、動く。
それは気力。決して折れないめげない諦めない不屈の心構えこそが、私を騎士たらしめているのです。
なんでしょう、こんな糸くずで私が抑えられると思ったのですか。
「うぁああああああああああああああああああッッッッッ」
傍から見たその光景は、地獄に囚われた女神が自らの枷を無理やり断ち切ったかのようだった。それもただの女神ではない。戦神。退かない負けない無敵の戦士だ。
「馬鹿な……っっ」
まさかの事態に赤髪は慌てふためく。
「あたしの術が、破られるなんて……」
自由を取り戻したフルーナはすぐ近くまで歩みを進めていたアリには目もくれずに箱物に向かって駆けだした。
稲妻の如き疾駆に反応が遅れるも、箱物の触手がすんでのところでフルーナの斬撃を受け止める。
しかしフルーナは動きを止めない。
息をもつかせぬ勢いで連続して斬撃と刺突を繰り出して箱物を攻め立てる。
「終わらせます! 私が、終わらせてみせます……!」
連打、連打、連打に次ぐ連打が豪雨のように降り注ぐ。
「く、くたばって、たまるかぁあ……ッ。こ、のッ、何をぼさっと見ている。この女を、止めろ……ッ」
あまりの衝撃に呆けていたアリが慌ててナイフから弓へと持ち変えて、フルーナの背中を狙おうとする。
しかし、その目の前に立ちふさがる男がいた。
「駄目っ、リクっ!」
「リク高等執筆員っ」
リクだった。アリが時間を無駄にしている間に必死に追いすがったのだった。彼の進んだ道には血の跡が点々と続いている。
「邪魔……ですよ」
憎々し気に顔色を曇らせながら恨みがましそうにアリが唸る。
「邪魔をしているんだ」
血の気が失せた顔のリクがせせら笑う。
「どいてください。ナイフの次は矢をねじ込まれたいんですか。死んじゃいますよ」
「そんなに深くなかった……。手加減したんだろう」
「な、何を根拠に――」
「イルカデルトを探索中、女の子を発見。ひどく衰弱していたため保護する。目が覚めない」
「…………え?」
突然リクが全く脈絡の無い話を始めたのでアリは面食らったように瞬きをした。
「イルカデルトを離れて三日。少女が目を覚ます。事態がうまく呑み込めないようで非常に混乱していたがしばらく対話を続けるうちに落ち着きを取り戻す。名を尋ねるとアールと名乗った。恐らくイルカデルトで発生した召喚魔法研究所爆発事故の被災者である。記憶が混濁しているようだった」
アールという名が出るとアリはハッと息を吐いたようだった。それでもリクは構うことなく言葉を続ける。
「アールは弓矢の扱いがうまい。サイドテールに髪をまとめるのが好きらしい。料理は苦手のようだ。今晩の夕食は黒焦げ焼き魚だった」
聞いていたオズベルはそれが誰かの日記であることに気付いた。一体誰の……いや、その答えは簡単だ。ランドだ。リクは今朝読んでいたランドの一節をそらんじているのだ。けれど、一体何故……。
「僕とオリテルの推薦で仮免許ながらもアールは晴れて図書館職員になった。僕らの養子にならないかと誘ったが断られた。懐いてくれていると思ったのだが。残念」
「うっ……く」
そのとき、アリが嗚咽を漏らした。必死に、何かが溢れそうになるのを堪えているかのようだった。そこでオズベルはようやく全てを理解した。
そうか、そうだったんだ……。
「ゲインの街の近くで箱物の目撃情報があったらしい。番号も不明で危険な任務だったので置いていきたかったけれどアールもついてきてくれることになった。オリテルが産休のため一人になる僕を心配してくれたらしい。本当に優しい子だ」
アリはもう涙を隠そうとしていなかった。止めどなく零れ落ちる滴がくしゃくしゃに歪んだアリの頬を濡らしていく。
「もう、ちからがはいらない アールはにげきれただろか ばこものはきっとつかっている だからぼくらを…… アールをたすけてやってくれ オリテル リク カイト クウマ トル たのむ アールを」
「ランド……さん…………」
アリは弦を引く腕の力を弱め、矢じりを下げた。そしてどうしようも無いほどに情けない顔で適当に横たえられているランドの方を振り返った。
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