第27話 箱物の最期
「ランド……さぁん………………」
オズベルは、広間にたどり着いたとき、アリが真っ先にランドに駆け寄ったことを思い出した。それは騎士団員として倒れている人間を放っておけなかった故の行動ではなかったのだ。
そもそも、アリは騎士団員ですらなかったのだ。
魔法研究というのは往々にして大きな事故が起きやすい。イルカデルトという街で起こった大規模な実験の失敗の末、孤児となったアリ、もといアールはランドに拾われて彼の助手として生きてきた。それはきっと彼女にとって幸せな毎日だったのだろう。それが今回の箱物の任務でもろくも崩れ去る。
どういう経緯かは推測しきれないけれど、ランドたちは箱物に敗れ、深い傷を負ったランドは自分を犠牲にアールを逃がそうとした。しかしアールは逃げ切ることができず、それどころかランドを人質に後に続いてやってくる調査団のスパイをやらされることになってしまったのだろう。
アリ=ウォーカー名義の騎士団の籍を設けたのが誰かとか、何故ランドが敗れるに至ったのかとか、気になるところは山ほどあったけれど、今この瞬間、オズベルはただただアリに同情することしかできなかった。
「泣くな!」
だから、リクが怒鳴り散らすようにアリに叫びかけたときは、なんてひどい人なんだろうとも思った。
「前を向け! 敵を見据えろ! 守りたいものがあるのならなッ!」
「…………はい。……はいっ!」
けれど、アリはそんなリクの言葉に、袖で涙を拭って応えると、再び弓を引き絞ってフルーナのいる方角に向けた。
思わず何をするつもりか尋ねそうになるが、アールの背中はなんだか異様な威圧感に溢れていてとても声をかけることなどできなかった。
「いっけぇええ!」
悲痛な、絞り出すような掛け声とともにアリは弦を力強く開放した。そこから放たれた矢が空気を切り裂きながら飛んでいった。そうして行き着いたのは、箱物の触手の一本だった。
「ぐぉおおおおおおおおん」
ここで、赤髪ではなく箱物本体が初めて自身の声で咆哮する。
触手の一本を根元から断ち切られるとあっという間にフルーナの猛攻を防ぎきれなくなる。
「――っ」
フルーナが二本の触手と足を三本切り落とすと箱物はバランスを崩しながら激しく身をよじらせ、赤髪が背中から落ちた。
「はぁ!」
すかさずフルーナが赤髪に躍りかかり剣の柄頭を首の後ろに強かに打ち付ける。すると赤髪はふっと意識を失ってその場に崩れ落ちて、同時に未だ拘束されていた者たちに自由が取り戻された。
「あれ……? 動く……」
「あんで急に?」
ネルマとイガルガは不思議そうな声を出したけれど、オズベルは既に気付いていた。
さっき赤髪はフルーナが拘束から抜け出した時に自分の術が破られるなんて、と言っていた。けれど赤髪は箱物に関することは我が主が……我が主の……といった具合に必ず自分の力や手柄でないことを強調していた。それに、リクがアリに刺されたあと膝を折っていた。だがいくらダメージを受けたからといって、糸によって拘束されていたのなら力が抜けて倒れることなどできないはず。
つまり、本当は赤髪による麻痺と幻覚を重ねがけされた状態を、あたかも箱物の能力による拘束だと思い込まされていたのだ。
錯覚系統の状態異常は精神が衰弱している相手にはとても効きやすい。強大な箱物の力による大逆転を演出されて追い詰められた自分たちは、まんまと赤髪の術中に嵌ってしまったというわけだ。
思えば獣たちに襲われた直後に氷の塔の幻覚を見せたのも赤髪だっただろう。
確か、赤髪はランドに傭兵として雇われていたらしいという情報があった。おそらくランドは確信がないながらも箱物の洗脳能力とそれが解呪魔法によって打ち消されることに勘付いたのだ。
ネルマ曰く、バッドステータスについて教わる者は、その過程の中で付与と治療も学ぶとのこと。ネルマは対抗法を一部習得しているだけとのことだが、赤髪は両方のエキスパートと広告されていてランドの目に留まり、雇われることになったのだろう。しかし、赤髪はそのときには既に箱物の洗脳を受けていて、箱物との戦いの中でランドを裏切り彼らを敗北へと陥れたのだ。
おそらく、これこそがランド敗北の真相だろう。
「リク!」
自由を取り戻したトルがリクに駆け寄った。
「大丈夫っ? いま……今、手当てするから……ッ」
アリの横でしゃがみ込むリクに、ボロボロと涙を流しながら寄り添うトルを見ていると、オズベルは何故だか胸の奥がちりちりと焼けるような気持ちになった。けれど今はそのことについて思案している場合ではない。
もはや状勢は完全にこちらに傾いた。操られていた者たちは解放し、赤髪はフルーナが昏倒させた。そして箱物はフルーナに対して防戦一方だが動き回ることでなんとか生きながらえている状態だ。ここで間違いなく箱物を仕留めてしまわなければ。
オズベルはケープをはためかせてその下から右腕を突き出し、周りの者に指示を飛ばし始めた。
「フルーナ、できる限り敵の足止めを! アリは後退阻止、フルーナから離れようとした箱物を弓矢で牽制して!」
「……承知しました!」
「はい!」
「イガルガは最高火力の魔法を叩きこんで! ネルマは万が一にもイガルガが攻撃されないように護衛を!」
「わぁーったわ!」
「わ、わかりましたぁ」
各々が各々の役割を果たすべく、オズベルの指示に従って動き出す。オズベルは二、三歩さがって不測の事態を対処するべく辺りに気を巡らせた。
そして、スッと目を閉じたイガルガがゆっくりと深呼吸をする。そうして拘束によって激しく乱された精神状態を落ち着けると、滑らかな口振りで詠唱を始めた。
「『唸れ
轟け
喚きを散らせ
今こそ怒れる雷帝の審判の時なり
大気を震わす一線の波動となりて
我らが繁栄の途を塞ぐ大罪の全てを食い破れ
全ては矛の為に 全ては誇りの為に――」
イガルガがカッと目を見開くと、強烈な一撃が来ることを察知したのか箱物が一際大きく咆哮した。もはやバーサク状態であるフルーナと精神を研ぎ澄ましたイガルガが怯むことはなかったが、ネルマとオズベルとアリは、一瞬だけ身を固くした。
その隙を突くように箱物は不用意に最後の触手を突き出すことで囮としフルーナに切断させ、自分は後方へ大きく跳ねて洞窟の壁面にへばり付いた。そしてカサカサと上下左右に動き回り始めた。
「っ、狙いが定まんないッ」
イガルガが苦し気に呻く。
「壁はそんなに丈夫じゃない。すぐに落ちるわ!」
「だ、ダメ……そんな、待てないっつのー……ッ」
魔法の発動保留は魔力を消費する。自身の魔力の全てを注ぎ込んだ一撃故にもう余裕がないとイガルガは言った。
どうする。オズベルの額を汗が伝う。
高さを取られたらフルーナには手出しできない。この距離ではカードも届かない。アリの矢もイガルガの魔法同様に標的が動き回っている以上当てにはできない。
くそ、勝負を急いでイガルガに最高火力を使わせるんじゃなかった。私のミスだ……! イガルガが魔法を撃ち損じたら箱物は慎重に足場を作ってもう降りてこない。イガルガの魔力が回復を待っている間に箱物が完全にフリーになる。そうしたらまた投網が放たれる。ミノムシやリクの氷山などの障害物がない今度こそ全員が捕らえられてしまう。考えろ、何か、何か手があるはずだ……!
「『彼の知は耳也 彼の知は目也――」
不意に聞こえてきた声にオズベルは振り返った。
そんな。あんなに血を流していたのに……!
そこにはトルに支えられながらも両足でしっかりと立つリクの姿があった。
「智は剣となり 知は盾となる――」
彼はゆっくりと言葉を紡ぐ。繊細な美術品を扱うような慎重な言葉つきで。
思えば、リクがきちんと詠唱しているのを聞いたのは初めてだったかもしれない。防御魔法のときは本来の用途から短期詠唱でも整えられるようにできているために例外的に発声していたが、それ以外の場面ではリクはほぼ全ての場面で無声詠唱を用いていた。
「汝の広めし呪縛の全て その身に還せ――」
それだけ、この魔法が大技だということか。
「――リライブッッッ』」
吐き散らすようにリクが魔法名を告げると、リクと箱物の間に一筋の光が走った。その光に繋がれた途端、箱物はびくりと痙攣してその場に停止した。
「今だよ、やって!」
トルの声が、もはや限界を迎え腕に電気をほとばしらせていたイガルガを即座に動かした。
人差し指と中指を立てて矛先とし、そこに電撃が集中する。
イガルガが叫んだ。
「――サンダぁあああーボルトォオッッ』!」
まっすぐ箱物に向けられた矛先から、耳をつんざくような轟音と共に幅1メートルはあろうかという太い稲妻が物凄い勢いで発せられた。雷光に乗り損ねた電撃がバチバチと周りの空気を焦がしながら追随していく。そして雷電は何かに縛られたように動けない箱物に間もなく直撃した。
油を焼いたような電撃音が広間中を反響してまるで自分が鍋の底にいるような錯覚が起きる。
「ご、ごげげぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃがががああああああああ」
それに負けないぐらいの箱物の断末魔がオズベルたちの耳にも届いた。
雷電が己の全てを使って箱物を焼き尽くすと、箱物はふっと力が抜けた様子で壁から落下した。
「や、やったん……ですか……?」
ネルマが恐る恐る尋ねる。
「まだ、少し息があります」
最も近いフルーナが油断せず剣を構えた状態でそう答えた。ならば自分がカードで安全圏から止めを刺そうと、オズベルが足を踏み出そうしたそのとき、焼け焦げて煙を上げる箱物の身体から、白い光のようなものが浮かび上がった。
弱弱しく瞬く光は、今にも消えてしまいそうだ。
「アア、ソウカ…………」
オズベルは耳を疑った。口をきいた……?
「……ト、オワ……ルノ、カ……………………」
そう言ったきり、光は溶けるように消えてしまった。
「あによ……今の……」
「わかりません……。けれど、もう箱物は息絶えたようです」
フルーナの言う通り、もはや箱物はピクリとも動かなかった。完全に絶命していることがわかると、大きな音を立てて盾を落としたネルマがへなへなとへたり込んで号泣し始めた。
安堵の涙を流す彼女に、他の者たちもようやくこの戦いが終わったことを実感するのだった。
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