第23話 床ドン
まずは箱物を天井から引きずり降ろさなければならない。でないと剣による攻撃しかできないフルーナはもちろん、投げナイフやカードも届かないだろうからトルや自分は手も足も出ない。それほど天井は高い。
となるとリクかイガルガの魔法で撃ち落としてもらうしかない。
「リク高等執筆員!」
「わかっている。敵は遠い、速攻性を優先させろ! トル! 頼む!」
流石、話が早い。そればかりかリクは頼むの一言でトルを呼び寄せ目の前に立たせて壁にする。リクの思考の早さと、トルのリクとの一体感が自分と他の騎士団メンバーにもあればいいけれど、そうでないことは昼間ネルマに教わった。自分たちはまだあのステージじゃない。きちんと言葉にしなければ。皆に指示を出すのは自分の仕事だ。
「全員そのまま距離を開けて警戒して! イガルガはちょっと後ろに出てきて電撃を箱物に向けて撃ち込んで! 叩き落さなきゃ勝負にもならない。その間は私が糸から守るわ」
「了解!」
皆一斉に返事をするが、アリだけはランドをそばで彼を庇うように立っていて動きがぎこちない。ランドは息をしているのだろうか? しているからこそ、守ろうとしているのかもしれない。
考えている間に箱物が二度目の吸着糸攻撃を放った。真っすぐに迫りくる糸をフルーナたちは躱す。オズベルとトルはスカカードや投げナイフで糸を受け護衛対象を守る。
「…………」
「『――エレキショックッ』」
箱物が糸を回収するすきを狙ってリクとイガルガがそれぞれ風と雷の属性の魔法で反撃する。しかしリクの放った風の鎌は、頭胸部の背から生える4本の触手で巧みに刻まれて霧散し、イガルガの電撃は垂れ下がっている糸の一本に当たって揺らしただけで箱物まで届かなかった。
「よく狙え!」
「うっさいッ」
「……イガルガ」
リクの怒号に怒鳴り返すイガルガを振り返り、オズベルは真面目な声色で彼女の名前を呼んだ。するとイガルガは悔しいような、悲しいような、怒ったような顔で眉を歪ませ、唇を噛む。
「……次が、来るわよッ」
突き放すような言葉遣いでオズベルに前を向かせる。だからオズベルには後ろのイガルガが見えなくなった。糸を見極めるためにオズベルがイガルガを後方に連れ出していたため、誰もがイガルガに背を向けている。
「………………」
イガルガは、そっと、自分のポケットに手を突っ込んで、それを握って、引き抜いた。そうして、鬱陶しい前髪をまとめて右に掻き上げて、取り出したそれを……銀色の髪留めを使って押さえつけた。
視界をちらつくものが一切なくなった。ああ、どうしてこれまで髪を切らずにいたんだろう。いっそ丸坊主にしていたならこんな複雑な思いをしなかったのに。
悔しさとか……恥ずかしさとか、いろんな気持ちを全部かなぐり捨てて、イガルガは瞼を閉じた。さっきまでリクにもらった……無理やり渡された髪留めを握っていた空っぽの握り拳を顔の前に引き寄せて意識を集中させる。
「『揺るがせ 引き裂け 打ち砕け――エレキショック!』」
目を見開いて撃ち込んだ電撃は先ほどよりも威力が増したようだった。普段イガルガが放つような鈍いものではなく目が細めたくなるような眩い光を発しながら、一直線に箱物へと向かっていった。
「…………」
これは当たる。しかも普段より幾分か威力が高まっている。イガルガは自然とため息を漏らしていた。特に何かを意識していたわけではなかった。ただ、今の魔法は会心の出来だった。それだけだった。
しかし、そんなイガルガの渾身の一撃を、箱物は触手をぴったりくっつけ一本の槍のようにして電撃を迎え受ける。電撃は巨大な矛の先端にぶつかると割れたように四方に弾けて分散されてしまった。
「そ、そんな……」
エレキショックはなにもイガルガの使える魔法の中で最高火力を誇るというわけではない。ただ、箱物を天井から落とすつもりで撃った、それも過去最高の出来だった魔法をいとも簡単に防がれてしまいイガルガはショックを隠せなかった。けれど、何の成果も出さなかったわけではない。
リクはこれまでの試行で並みの威力の魔法では距離もあるせいで簡単に防御されてしまうことを悟った。故に、今度は一撃の威力を高める……なんてことはしなかった。威力の高い魔法を使えば、あっという間に魔力を消費する。それはどう考えても得策ではない。今の目的はただ奴を天井から降ろすだけ。となれば、奴を天井にいられなくしてしまえばいい。
奴はどうやって天井に引っついている? どうやってその巨体を支えている?
答えは簡単だ。奴は天井に張り巡らされた網目状の糸につかまっているのだ。洞窟の天井に直接足を掛ければ体重を支え切れずに岩が崩れてしまう。だからあちらこちらに支点を作り負担を分散させた糸につかまって落ちないように工夫しているのだ。
要するに、足場となっている天井の糸をどうにかしてしまえば奴は天井にいられなくなる。
最初にイガルガが逸らした電撃で雷魔法は衝撃を吸収されてしまうことが分かった。ひいては一過性の強い魔法では無効化される可能性が高い。しかしそれならば逆に持続性に優れた氷や土の魔法ならあの糸にも通用するかもしれない。
リクは逡巡の後に自身の使える氷・土属性の乱発魔法の中で、氷柱の魔法が最も効率が良いと判断した。視線を走らせ天井を巡る糸の岩肌に張り付いている末端部分の数と位置を確認する。そのまま一つも声を発せずに詠唱を完了する。
瞬間的にリクが息を止め身体に力を込めると魔法が発動し、彼の上空にいくつもの氷柱が出現する。億劫そうにしながらリクが右手に握ったペンを指揮棒のように振ると、氷柱の大群は一斉に先端を様々な方向に回転させ、弾かれるように飛び出した。
その内のいくつか、自分に向かってくる氷柱を箱物は触手を操り叩き落したが、それは囮。まんまと足止めを食っている間にその他の氷柱が天井に接着する糸を次々と断ち切っていく。
五分の三ほどの支えを失うと、途端に天井の網は主の重さに耐えきれなくなって傾いた。
「――ッ」
取り返しのつかないほどの勢いがついてしまう前に箱物は糸から離れた。その巨体が空中で反転して床に落下してくる。
「下がれ!」
リクが叫ぶが早いか、皆、箱物の着地点から急いで遠のく。
箱物は八本の足で落下の衝撃を和らげるが、それでも轟音が広間を響き渡り、激しい土煙が上がった。
壁や天井の岩がわずかに崩れて降り注ぐ。
「油断するなよ! 狙われてるかもしれないぞ!」
リクの言葉に先頭に立つフルーナは特に懸命に目を凝らした。しかし黄砂の霧の向こうから白の直線が飛び出てくることはなく、代わりに声が聞こえてきた。――声?
「痛~っ。全く、何するんだい」
ひどく場違いな呑気そうな声。声が紡ぐのは人間の言葉だった。テレパシーで脳に直接流れ込んでくるのではない。間違いなく声帯から流れる振動が空気を伝い耳に届いた。
これが箱物の声? けれど、あまりにイメージとかけ離れている。もしも声を上げられるとしたら獰猛で野太い、山男を想わせる声、あるいは、コウモリが発する超音波を彷彿とさせるようなキンキン声を勝手にイメージしていた。
だが聞こえてきた声はハスキーな女声。盗賊の女親分、歴戦の女傭兵、とにかく“姉御”という呼称がしっくりくるような、そんな声だった。
「しゃ、しゃべったッ!?」
イガルガが驚くのも無理はない。今回に限らずこれまで箱物が言語を用いる様子が確認されたことは一度も無い。人の言葉を理解せず、本能の赴くままに破壊の限りを尽くす殺戮兵器だからこそ、戦いの避けられない危険な生き物とされていたのだ。知能があるのなら交渉の余地がある。交渉できるのなら被害を抑えることができるかもしれない。これまでの人類の箱物観を根本から揺るがす衝撃の新事実だったのだ。
しかし煙の中の声はおかしそうに笑った。
「何を驚くことがあるんだ。しゃべるのは当たり前じゃないか。だってあたしは人間なんだからさ」
「――え」
やがて、箱物が床に降り立った余韻は消え失せて、霧は綺麗に晴れていく。そしてそこに姿を現したのは、いつの間に現れたのか、箱物の、蜘蛛の背にあぐらをかいて戯れるように触手を撫でる女だった。
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