第20話 明暗を分かつ
探索の間、オズベルは今日これまでに得た情報を整理していた。特に、誰が箱物に操られているスパイであるかという件に関して。
まずフルーナについて、さりげなくだが話題や話の流れを変える発言が多くなっている気がする。もちろん気のせいの可能性もあるが、そういった発言だけが印象に残ってしまわないようにするために普段の発言も増加しているようにも感じる。要するに前日までよりおしゃべりになった。それが積極的に情報の撹乱を行っているように見えるのだ。戦闘が終わった後、誰よりも早く氷の幻影に気付いたのも引っかかる。彼女はそんなに視野の広いタイプだっただろうか。
イガルガは完全に普段通りだ。言動の原理があまりにもぶれないのでまるでそういう役に徹しているのではないかと逆に疑ってしまいたくなる。もちろん昨日今日で人格が変わる方がおかしいので怪しいと思ってしまうのは間違っているが。意外だったのはプレゼントと称してリクが髪留めを贈った際のやりとりだ。てっきりぶん投げて突っ返すかと思ったが、思いのほかまんざらでもない様子だった。単に贈られた理由が正論であったからだろうか。あれでイガルガは間違っていること、正しいことの判別にかなり聡い。それが特定の人間に対する嫌悪のせいで歪んでしまっているが。それにしても結局髪留めはどうしたのだろうか。着用していないが返したのだろうか。それともポケットにしまったのだろうか。直後の幻影騒動のせいでうやむやになってしまった。
ネルマは相変わらず発言が少ない。一点、幻影騒ぎの際に妨害魔法について言及するという目立ち方をしたが詳しく話したのはリクが尋ねたからだ。ただ、質問を誘ったのは彼女が詳細を知っている発言をしたからだ。普段当たり障りのない言動ばかりをしているのに何故あの時だけ自分を前面に出したのだろうか。もちろん、独り言のような口調だったけれど、それが聞こえたのはあれが初めてだったと思う。
注目のアリは昨晩の陰口の立ち聞きしてしまった事実を隠そうとしているらしかった。明るく、ちょっとおどけた調子の言動は以前と変わりないように見えるし、とっさのときには立ち聞きのことも本気で忘れているようだ。ただ、リクに対しては時折思い出したように控えめな、引っ込み思案の少女のようになってしまう。そして、最大級に気になる発言があった。彼女自ら箱物に関する言及があったのだ。箱物が氷の幻影でオズベル達を惑わすために動物たちをけしかけたのは、自分がオズベルにリクが氷結魔法を使った理由を言及させたせいだ、と。こちらはアリに言われる前からその可能性について気付いていたし、いよいよアリがスパイであることを確定したもののように扱おうと考えていた。しかし、アリがそれを自ら指摘したことで、逆説的に彼女が潔白であることを示しているように思えた。もちろんそれだけでこれまでの疑念全てを覆すわけにはいかないが、問題の発言の直後、箱物の能力が洗脳であるのではという考えを示した。これはリクやオズベルが会議の際に共有した考えであり、おおよそ間違いない事柄だ。そして、手品師が自らそのタネを明かしたりしないように、箱物や箱物の配下がその能力を自分から告白するはずはない。その考え方に当てはめるとアリはスパイでないのかもしれない。
要約するならば、フルーナは若干怪しくなり、イガルガは疑う余地なし。ネルマへの疑いは濃いまま変わらず、アリは疑いがやや晴れた。以上が、今日これまでの各人を観察した結果ということになる。
「………………」
これではっきりとした。誰がスパイなのか。
オズベルは感情をこめすぎて気取られてしまわないよう注意しながらその人物を見据えた。彼女が、彼女こそが、箱物の支配を受けている私たちの中に紛れ込んだスパイ。とても信じられないが、他の答えはない。
そのときだった。
「おや、あれは……」
先頭のフルーナが前方に現れたそれを発見して声を上げた。
「皆さん。洞窟です」
彼女の言った通り、見えてきたのは洞窟だった。生い茂る木々に囲まれている大地が突然そこだけ隆起して、黄土色の地面を露出させている。
一旦停止して、リクは地図を何度も見返して相当する記述がないことを確認すると、周囲を警戒しながら隊を洞窟に近付けた。
「確かに、洞窟のようだな……」
声が反響して中にいる者を刺激しないように顔を入り口から背けてリクが言う。彼の言う通り、真っ暗な空洞は地中に潜り込むように長く続いていて、ただの穴ぼこでないことがわかる。
「地図にも書かれていませんし、ここが箱物の潜伏地点でしょうか」
ちなみに現在地については、氷の塔の騒ぎでリクがはっきりと把握していることを確認したのでとりあえずは疑う必要がない。
「…………ああ、間違いない」
暗闇を睨みつけるようにしていたリクが断定したのでオズベルは息を飲んだ。
覚えている限り、リクが物事に関して確定したふうに話したことはほとんどない。もちろん事実についてはその通りに述べるし、おおよそ方針というか前提を敷いて話を進めることもある。ただ、前提を用いるのは話が可能性線を飛びまくってこんがらがるのを防ぐためだろうし、敢えて別の可能性があることを示唆して、思い込みをさけることもある。
つまり何が言いたいかというと、リクが間違いないと言う以上本当にここに箱物がいる。もしくは他の者に箱物がいると思わせたい。あるいは箱物がいると言わなければならない状況にあるかのどれかということだ。
これが二人きりで話していたのならばリクがどの意図で発言しているのか容易に分かるだろう。リクがオズベルの思考レベルに合わせて話すからだ。なので、オズベルは安心して自分の直感に基づき、箱物がここにいるのだと信じただろう。だがこの場には他のメンバーもいる。ということは、いると思わせたいだけの可能性も出てくる。ただまあ、どちらにしてもオズベルは箱物がここにいると信じた行動を取ればいいのだが。
「やっぱし西の森に隠れてやがったのね……! よーっし、行くわよ……ッ」
緊張から若干声の上擦るイガルガが安易に足を勧めようとするのを、リクは襟首を捕まえて引き留めた。
「馬鹿かお前は。今すぐ突撃する奴があるか」
「あによ。まさかいったん引きあげるなんて言うんじゃないでしょうねぇッ」
「その通りだ」
「ふざけんなっ! アタシらがのんびりしてる間に何かあったらどうすんのよ!?」
憤るイガルガに話にならないというようにため息をついてリクはオズベルを振り返る。
「オズベル。洞窟探索で注意すべき点は何だ」
「明かりの確保。退路の確保。万全な兵糧物資の準備です。特に構造が分からない洞窟に入る際には観測器具なども必要です。迷ってしまってどちらが出口かわからなくなったら一巻の終わりを意味しますから」
察しがいいとは言えないイガルガもそれが自分の主張に対するリクの答えであることぐらいはわかった。眉間にしわを寄せて歯を食いしばりながら、不快感を露わにリクのことを睨みつける。
「アンタ……知り合いが箱物にやられたかもしんないんじゃないの?」
前任の担当者はどうやらリクとトルの知り合いであるらしいから、そのことを突き付ければリクの心を揺さぶることができるんじゃないかと思ったらしい。もちろんそんなわけはなかった。
リクは一際冷酷な表情で小柄なイガルガの目前に佇み、光宿らぬ双眸で見下ろした。
「阿呆だな」
たった一言だった。けれど、その一言にリクの言いたいことは全て集約されていた。お前の主張は危険を全く顧みない無鉄砲の極みだ。議論するにも至らない。正当性がどちらにあるかなど明白だ。全てのイガルガの意見を一蹴する一言だった。
イガルガはそんなリクに心底軽蔑したような視線を浴びせながら舌打ちをすると他のメンバーを振り返った。
「ねえ、アンタ達はどう思う?」
聞いたところでどうなるわけでもないのに、と思いながらオズベルは真っ先に首を振った。
「さっきも言った通り、洞窟には襲い掛かってくる生き物以外にもたくさんの危険がある。そんな場所に軽率に足を踏み入れることに賛成はできないわ」
「ですが、イガルガさんのおっしゃったように、慎重になりすぎるが故に時間をかけてしまい、被害が拡大することは避けたいところです」
フルーナはどちらかといえばイガルガ寄りの意見のようだ。特にまだ発言のない二人の内、アリが「わたしはちょっとわからないかなぁ」と前置きをしてから言葉を紡いだ。
「だって、その、何と言いますか。ほら、イガルガさんの言うこともリクさんの言うことも一理あるわけですし……準備も半端に洞窟へ入るリスクも、新しい被害が出るリスクもどっちも無視できないかなぁ、と……」
話す途中で一瞬リクに目を向けすぐに反らした様子を見るに、アリはおそらくイガルガに賛成のようだ。ただ、リクの反感を買うのを恐れて、よく言えば気を遣って主張を棄権したようだ。しかし普段から明暗を濁していたためか、そんなアリの心境に気付く者は少なかった。
とにかく、これで賛成と反対と無効票が二対二対一だ。別に多数決をとっているわけでもないが、イガルガの問い詰めるような視線がネルマに注がれた。
きっとここでもネルマはしどろもどろになって返答に窮するだろう。しかしネルマはそんなオズベルの予想を裏切り、まっすぐイガルガを見つめ返して淀みなくしゃべり始めた。
「私は、このまま進むのには反対です。このまま進んで、私が死んで、それで誰かを救えるのなら、それでも良いです。でも、そうじゃありません。もし箱物を止めるのに失敗すれば、私より、もっと多くの人が不幸になってしまうんです。だから、失敗するわけにはいかないから、私は、賛成できません」
誰もが息を飲んだ。ネルマがそんな風に自分の意見をはっきりと述べたことにはもちろん、イガルガとフルーナは己の浅はかさに、オズベルは己の怠慢に気付かされたのだ。
自分たちは失敗ができない。たとえ失敗したとしてもリクがしくじったことを知った図書館が後続の職員を送り込み、いつかは箱物の討伐を果たすだろう。だがそれまで犠牲は増えるばかりだ。出直すまでに出るかもわからない一人二人の犠牲者のために、多くの人間を犠牲にするリスクを冒すわけにはいかないのだ。多くのために少なきを見捨てるのか、と反論することはできただろう。というより無意識にそういう思いがあったために一端退去することに反対していたのだろう。ただ、それでも、自分たちの盲点を突かれたイガルガたちは気分的に圧倒された。
オズベルはそのことに気付いていた。多き少なきの犠牲の問題は初めから当然のように念頭にあった。ただ、リクを盲信するあまり、彼の正当性は揺るがないのだから自分はそれに賛同するだけという考え方になってしまっていた。その上、リクとの言葉少ななやり取りに慣れてしまいはっきりと述べるべきことを述べる重要性を見失っていた。これを怠慢と言わずに何だと言うのか。イガルガもフルーナもきちんと彼女らの主張を受け止めたうえで説得すれば意見を翻してくれる人間だ。リクがそうしないのはきちんとした理由がある。信頼を失うことが未来につながるのだ。ならば彼女らを説得するのは自分の仕事だったのではないのか。
オズベルは悔しくなって人知れず歯噛みした。
「……わぁったわよ。明日。明日こそ、こん中に突入するわよ」
観念したようにため息を吐いて手をひらっと振ったイガルガにリクはそれこそ大きなため息を吐いた。
「何を言っているんだお前は」
「は? どういう意味よ。……まさか、もっと時間をかけるつもりじゃないでしょーね?」
イガルガの目つきが険しくなるが、リクは全く意に介した様子も無く言ってのける。
「洞窟に入る準備にそんな時間がかかるわけがないだろう。洞窟の攻略は今晩決行する」
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