第18話 もりのゆかいなおともだち
最初に気付いたのはネルマだった。最後尾であるにもかかわらず彼女以外の者が気付かなかったのは、前方の者たちの意識が通り過ぎてからそれが姿を現したからだろう。つまり、それが現れたのは彼らの右斜め後方だった。
「あ、ウサギさんです……!」
「え? どこ?」
「どこどこどこどこ太鼓だドン! イェイ!」
最初のように十秒やそこらで停止の合図が出されることもなく、淡々と時折進行方向が変えられるだけの探索に飽きを感じていた頃だったためか、喜色を帯びたネルマの声に女性たちが一斉に振り返る。ちなみに、アリが何となしに言ったギャグは完全に無視された。
「ほら、あそこです……!」
ネルマの指さした方角に視線を送ると、耳をピンと立てた黄土色をベースに腹毛が白い野兎が茂みの陰からひょっこり顔をのぞかせていた。
「ひゃーっ、ドワーフウサギじゃないですかぁ~」
「そういった種類のウサギなのですか?」
「あによ、随分と好奇心旺盛じゃない」
「確かに狩りの対象のはずなのに人間に対する警戒心が薄いわね」
突如出現した小さな野獣を黄色い声で歓迎する女性陣。
「能天気ども、お前らの脳みそはウサギよりも小さいのか」
対照的に棘のある言葉遣いで呼びかけるリクの声に、全員がムッとした表情でリクの方を振り返る。だが当のリクは彼女たちを見ていなければウサギの方も見ていなかった。
「囲まれているぞ」
彼の視線はリクたちを取り囲むように現れた獣たち全てに向けられていた。
現れた獣たちは、鹿、狼、熊、鳥、猪、蛇などなどバラエティ豊かであったが、さすがにその異様な光景に歓喜する者はいなかった。ウサギは表情に乏しいために気付かなかったが他の獣たちは一様に殺気だって威嚇行動をとっているのだ。
「愉快な森の仲間たちのお出迎え……ってわけじゃーなさそうね。あによ、アタシたちが森を荒らしにきたとか思ってんの?」
イガルガが毒づくのと同時にそれぞれが自分の得物を抜き、互いに背を向け合った。
「っていうか、え、不味くないですか?」
以前街で暴漢達に追いかけられた記憶を蘇ったのか顔を青くしたアリがリクにすがるような視線を送る。この間と違うのは、今度は逃げ込めるような路地など存在せず、また獣たちは人間に比べれば圧倒的に足が速く、一瞬だけ足元をすくって逃げ果せるなど不可能に等しいということだった。
「そ、そういえば……なんで動物たちがここに……? 木こりの人たちの話じゃ、全然いないはずじゃ……」
確かにネルマの言う通り、C班の聞き込み結果によると西の森には生き物が全く姿を現さなくなっていたはずだった。とっさに思いつくのは虚偽の証言をされていた可能性だが、オズベルには真実が見えていた。
箱物は人間だけじゃなく、動物の心も操る。
考えてみれば人間を操れるのに動物が操れない道理がない。あるとすれば、言語能力がないために言語による催眠が通じない可能性だが、そもそも箱物には言語を用いるだけの知能があるのか、あったとして何を以ってヒト基準の言語と断定するのか。考えるだけ時間の無駄だった。
「私が敵を引き付けますので以前のように範囲魔法を」
シルファングと戦った時のことを指してフルーナが提言するがリクとオズベルが同時に待ったをかける。
「囲まれている現状でお前が隊列を離れればネルマだけで四方の敵を阻まなければならないだろうが」
当然。そんなことは不可能である。シルファングと戦った時は正面から敵と向かい合ったからこそあのような戦術をとることができたのだ。いくらフルーナが敵を翻弄しても間違いなく後方に被害が出る。
「ひ、広場の時みたいにリクさんが魔法で吹き飛ばすわけにはいかないんですか?」
続いて問うたアリにはオズベルが説明する。
「よく見て、前列に出ている獣たちの後ろにも控えがいるわ。半径30メートルぐらいに及ぶ拡散魔法じゃないと魔法が終わった隙を突かれるわ」
「しかもそんだけの威力で拡散魔法を使うなら、敵味方選り分けて攻撃するなんてほぼムリね」
オズベルの言葉を補足したのはイガルガだった。つまり、拡散魔法を使えばおおよその敵は蹴散らせるが術者の味方も巻き込んでしまう。それ以外の魔法では消耗戦を強いられて頭数の少ない自分たちが不利になるということだった。
「それにしても、向かってきませんね」
「固まっていれば防衛戦に充分な戦力だと感じ取っているんだろうな。繰り返すが勝手に前に出るなよ。奴らはこちらが不用意に行動することで隙が生じるのを待っているんだ。もしそうなれば近接戦闘の行えない奴はひとたまりもない」
「承知しました」
諭すようにリクが言うとフルーナも神妙な顔つきで了解する。現在敵が距離を置いているのは、一斉に襲い掛かったとしても各員が各方向の敵に対応できるぎりぎりの人数で固まっているからだ。もし勝手な行動を取れば、自分は良くてもアリやイガルガが傷つくと言われれば責任感の強いフルーナは動くわけにはいかなかった。
「あ、オズベル。アンタ離脱系のカードとか持ってないの?」
「あるにはけれど二枚しかないわ」
イガルガが思い出したようにこの場から安全に退却できる効果を封じ込めたカードがないか尋ねるも、オズベルの返答は明るいものではなかった。一枚が、自分が窮地に陥った際に脱出する用。もう一枚が、脱出した先でもピンチになった際や負傷者を連れて離脱すべきときなどの緊急用だと語る。
もっとたくさんそろえておけば全員脱出することができたわけだが、それをあてにするのもおかしいし、カードは使ったら使ったきりの消耗品であるにもかかわらず作成に特別な技術を要するためその販売価格は凄いことになっている。その中でも一際希少な長距転移系統のカードを、予備も含めて所持していることを褒めるべきだ。
「じゃあアンタは? 離脱系の魔法。使えないの?」
敢えて名指ししないということはリクを指名しての発言だということは皆も理解しているため、この男ならあるいはという期待も入り混じった沈黙をなして返事を待った。
「有り得ない希望を夢見てないで現実を見ろ」
暗に不可能だと示すリクに「役に立たないわねぇッ」とイガルガは悪態をつくが、もしこの人数を一度にまとめて瞬転させるレベルの魔法が使えるとしたら三大国家全てから軍隊への加入を特別待遇の上で要請されるだろう。戦の際に少人数とはいえ精鋭達をいきなり相手本陣に放り込めると考えればその戦略的価値がうかがえるだろう。
そんなわけでどうにもすることができず、このままではいつ敵が襲ってくるかわからない緊張からじわじわと疲弊していったところを狙われてしまうだろう。
「ならお前はせいぜい役に立つところを見せてみろ」
「はぇ?」
そこでリクは作戦を皆に聞こえる程度の声で述べ始めた。
「イガルガ、お前の最大火力の拡散魔法はなんだ」
「…………放電だけど」
身体を起点にして周囲に強烈な電撃を放つ魔法だ。
「それを撃て。全力でな」
リクの放った言葉にイガルガは目を丸くした。
「はあ!? アンタ、さっきの話聞いてなかったのッ? そんなことしたらアタシ以外全員ただじゃすまないわよッ!?」
「安心しろ。エリアシールドを使う」
「んなっ、え、エリアシールド!? 使えんの!? アンタがッ!?」
驚きのあまり言葉を詰まらせながらイガルガが訊き返す。
「エリアシールド……って何ですか?」
「名前からわかると思うけど範囲防御魔法よ。防御魔法の中でもかなり高等な、ね」
アリの疑問に対していやに淡白な声色で解説するオズベルだが、それは決して平凡なありふれた魔法だからではない。書物に存在していたという事実だけが載っているところしか見たことがなかったために衝撃を受け流しがちになってしまったのだ。
ただ、書物でしか見たことがないと言っても、それが超高難易で伝説クラスの魔法だという話ではない。その例え方で言うなら超古典で化石クラスの魔法というのが防御魔法の実態なのだ。
先の戦争時代、人間が魔法を操る力は未熟であった。故に今のような爆発的な火力で強烈な一撃を繰り出すような魔法が戦場で振るわれることはなく、魔法と言えば、後方から単体攻撃か支援を行うものであった。そのため、今でさえ前衛が詠唱時間を稼ぐような戦い方が戦術の一つとして数えられるようになったが、当時は体力を疲労させたものが後ろに退いて魔法を使う。魔力を使い果たしたものが前に出て白兵戦というのが組織的な魔法使いの運用方法だった。
そのため、前線にも出なくてはいけない魔法使いは近接戦闘の訓練をしていたが、ごく一部の運動嫌いや怠け者、あるいは生に執着の強い者たちが魔力を使った防御方法を作り出した。それが防御魔法である。
ただ、それは先述の魔法使いが前後線を行ったり来たりする戦術をとる上で、後方に下がった際に既に魔力を消耗した状態で攻撃・支援を行うことになる。その上、重大な欠点が複数個も見つかったため上官たちは防御魔法を禁じた。
さらに現代では魔法の属性に関する研究が進み、硬質な物体を出現させることができるようになり、該当する属性が扱えれば習得の容易いそちらの方が魔法における主な防御方法とされてしまったため、防御魔法はあらゆる学びの場から姿を消していたのだ。
そのため、現代に防御魔法を復活させようとするなら古書の中でも特異な存在である一兵士の日記などをいくつも紐といてようやく足がかりを得ることができると言ったところなのだ。少し……いや、かなりマニアックな所業と言える。
さすがは図書館職員、と感心すると同時にオズベルはそれと同じぐらい引いた。
「イガルガが詠唱を始めたら奴らは反応して攻勢に打って出るだろう。その間は三角防衛を取る。一角がネルマ、二角がフルーナ、三角がアリだ。オズベルはネルマとアリを重点的に全方位の補助をしろ。できるかぎり敵を寄せ付けるな。イガルガの詠唱が終わるタイミングで防衛線を放棄してネルマのもとへ集まれ。そこでエリアシールドを展開する。拒否は認めない。代案、質問はあるか」
一度口をつぐんで誰も口を挟まないことを確認するとリクは鋭い声で「用意、始め!」と叫んだ。
「『拒絶 拒絶 拒絶する 我は全てを拒絶する 無も悪も正義も神も 我は全てを憎んでいる。全て全てに牙をむく――」
拳を握り前傾姿勢で踏ん張るような姿勢になったイガルガが詠唱を始めると予想していた通り、獣たちが飛び上がるように迫りくる。ただ、全員が全員突撃の一手を打つのではなく、ある程度間をあけてから時間差で駆けだす者、距離を保ったまま動かない者もいた。
ネルマ、フルーナ、アリはリクの指示通り三つ方向をそれぞれ分担することでこれを向かい撃った。とはいえ、敵を殲滅できるだけの力を持っているのはフルーナだけで、アリは向かってくる獣たちの三分の一に弓矢を放って足止め、ネルマは迫りくる敵の一部を阻む壁としかなっていなかった。これをオズベルが背後から様々なカードを投げ込むことでフォローする。その手際は良く敵の打倒ではなく、時間稼ぎという作戦の本質をはっきりと理解した敵を寄せ付けないためのものだった。
「今だ! 走れッ!」
風が吹き、炎がうねり、リクの喚声が飛び、石柱が降ってくる戦場でイガルガは詠唱の最期の一句、魔法名を唱えようとしていた。
「――ディぃぃス チャーぁああああああああっっジ』」
溜めの長い絶叫がイガルガの気合いのほどを表し、比例するように彼女の身体はバチバチと火花を散らす強烈な電気の衣を纏っていく。こうなってはもう獣たちはイガルガに触れられなかった。
最後にもう一撃だけ放って敵を弾き飛ばしたフルーナたちはネルマに向かって走り寄る。
「固まれ! 範囲は広くない」
リクが怒鳴るような声を浴びせる。そう。防御魔法の欠点の一つはその効果範囲の狭さだった。もともと個人用として開発したからということもあるが、魔法剣戟全てから身を守ることのできるほどの魔力を一定以上の質で、それを密集させるのだ。広範囲を守ろうとすればするほど膨大な魔力が必要となる。
「馬鹿が、俺を囲むように並べ! それから少し屈め! 境界にいたら肉が削げるぞッ!」
その脅し文句で乙女たちはぎゅうと隙間なくリクに密着する。フルーナはリクの右膝元で寄り添うように座り込み、アリは背後からえいやっとリクの腰に抱きつき、ネルマはリクの正面で頭を抱えて丸くなり、オズベルはリクの左側面に背中を向けて寄りかかるようにしゃがんだ。
間もなく「くぁっっ」という声と共にイガルガが握りこぶしを解き、目いっぱい仰け反ると眩い閃光と共に放たれた電気が空気を焦がしながら四方八方に飛散する。
「『万事より我が身を護れ――エリアシールド』」
迫りくる電撃がリクたちに触れてしまう直前、薄く虹色の瞬きを見せる光の膜がドーム状に形をなして出現し、その雷の脅威からリクたちを救った。
辺りでは暴れ狂う雷撃に捕らえられた獣たちが悲鳴を上げながらばたばたと倒れ込んでいく。
「く……ッ」
電気と光がぶつかる度に激しいブラッシュ音と発光が沸き起こる。十秒程経過したころ、リクの顔に苦悶の表情が浮かんだ。
「…………」
その頬に一筋の汗が伝うのをみたオズベルは防御魔法のもう一つの欠点を思い出す。
防御魔法は防いだ打撃、斬撃、刺突、魔法の種類にかかわらず、その衝撃と同等の魔力を失うことになるのだ。
一見するとイガルガの魔力量がリクの魔力量を遥かに上回っているように感じるかもしれないがそれは間違いで、魔法における攻撃というものは消費する魔力とそこで生じる衝撃が完全に異なっている。つまり魔力消費効率が良いのだ。対する防御魔法は魔力効率など存在しない受動的な魔法なので、攻撃側が消費する魔力を数倍などにした威力がそのまま防御側の消費魔力となるのだ。
例えるなら体重と助走で生まれた威力の体当たりを、壁に寄りかかった状態で受け止めるのと同じだ。踏ん張って対抗することも後ろに跳んで衝撃を逃がすこともできずに真っ向から喰らうしかないのだ。
そしてイガルガはこの消費魔力に魔力効率を乗算した、魔法威力に関して魔術科トップクラスなのであった。
これには流石のリクでも限界寸前なのだとオズベルは悟った。励まそうかとも思ったが、おそらくリクは感覚で魔法制御するイガルガとは対照的な理論派だ。下手なことをして集中を乱せばエリアシールドが解けてしまうかもしれない。
しかし、それからすぐにイガルガの放電が止んだことで、ハラハラしていたオズベルの焦る思いも杞憂に終わった。
エリアシールドを解いたリクはしがみついているアリを振り払いオズベルを押しのけると、そちらに進み出て片膝をついた。
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