第17話 ところで、嗅ぐって、味わうって何するんですか?(挨拶)

 「あれは報告書というよりは日記だ」

「日記……ですか?」

 ネルマが朝食を採りに食堂を訪れたため中断されたリクとオズベルの会話が再開されたのは案外とすぐのことだった。

 時間が経ち、皆が集合すると――トルは仕掛けた空中機動の仕掛けを回収するのに時間がかかり遅刻した――リクの口から本日の予定が発表された。それは昨日の成果報告の場でも話された西の森探索を行う班と、捜索隊員への聞き込み並びに赤髪傭兵に関する情報収集を行う班の二手に分かれて行動を取るというものだった。メンバーの配分は、後者にトル。前者にそれ以外とのこと。イガルガを初めとするいくらかの者たちがトルの分担が重い、可哀想だと抗議したが、全く受け付けられなかった。

 結局、大丈夫、心配いらないと言うトルのフォローもあり西の森探索を行うことになったトル以外の者たちは、出発の前に街へ各自必要なものの調達に赴いたのだった。

「ああ。『○月×日、晴れ。今日は山で調査を行った。成果なし。○月○日、曇り。今日は川で調査を行った。箱物の被害の痕跡を発見。内容は別途送る』なんて具合に、あったことを端的に記しているだけだった」

 役職が違うため各員が一度ばらけたところを見計らってオズベルが近づくと、リクがそんなことを言った。

「けれど、下手に脚色された文章になるよりはいいんじゃないですか?」

「そうだな。基本的なことすらわかっていない馬鹿は執筆員まで上がれないだろう」

 オズベルの言葉にリクも一度は頷いた。

「だがこれでは全く情報量が足りない。見て、聞いて、嗅いで、触れて、味わって、五感全てで感じた情報を送ることで、その場にあった全てを客観に共有させることができ、さらに主観が気付けなかったことに気付くこともある。妄想空想を書き連ねられるのは困るが、執筆員が自分の感じたことを全て書き記すことで、そこに矛盾が生じても矛盾にも何かしらの意味があると裏付けられるんだ。そして、どんなに複雑に入り組んだ内容や多大な情報が送られてきたとしても司書員たちにはそれを処理できるだけの技量がある」

 まるで司書員の立場に立ったような意見にオズベルが目をしばたかせると、それを見てリクは付け加える。

「司書員の知人がいるもんでな。奴らは皆そんなことを言う」

「そうですか」

 会話が終わるとオズベルはリクに挨拶を無視されながら、自分の装備を整えに目当ての店に向かった。

 やがて全員が待ち合わせ場所に帰ってくると、いよいよ街を出発することになった。西の森へ行くにはまず北と南にある門のどちらかから街を囲う壁の外へ出なければならず、町長邸から借りた資料で便の良し悪しをあらかじめ確認しておいたリクは一同を先導して南門をくぐった。南は北と違い大きな街へ通じる道がほとんど無く、旅商など他の通行者が少なかったため手続きがすぐに済んだ。

「お~いッ、あーんでさっきから森に入ってかないのよぉ~ッ」

 門を通過してから三十分ほど経っただろうか。しびれを切らしたようにイガルガが不満の声を上げた。

 彼女の訴えはこうだ。自分たちは西の森を散策することで箱物に通じる手がかり……具体的には隠れるのに適した地形や、既に開かれて中身が空になった箱を探すうもりだったはず。それがどうして舐めるように街の外壁に沿って歩いているのか。街の目と鼻の先に箱物が隠れていることなんてないはずなのに。

 イガルガの言うことももっともである。もしこんな街のすぐ近くに箱物の存在する証拠があれば、とっくに他の人間に発見されているはずで、ひいては街の住人が神隠しだと思い込んでいることに説明がつかない。

 ただ、昨晩リクやトルとの話し合いで箱物が操作対象に心を操ることが可能であるかもしれないと知っていたオズベルは壁沿いに箱物がいる可能性も十分にあると踏んでいた。たとえ発見されたとしても洗脳してしまえばなかったことにできるからだ。

「…………」

 そこまで考えてオズベルは突然背筋が寒くなった。昨日は捜索隊だけが箱物に遭遇して心を操られているという話になったけれど、もし箱物が街に襲来していたとしたら? もしそうだとしてもこれまでの出来事に何の矛盾も生まれない。箱物の決めた方針に全ての住人が従っているならば集めた情報に矛盾がある方がおかしいのだから。

 そして、もしこの仮説が正しかった場合、箱物の力量は人間が数人で立ち向かうにはあまりに強大過ぎることになる。ゲインの街は数ある街の中でもかなり大きな部類だ。それを全く支配してしまえるのはとんでもないエネルギーが備わっていることの証拠になる。それに立ち向かうのは指一本で暴れ馬の突進を止めるようなものだ。無謀すぎる。

「どうしました? なんか思いつめた感じの顔してますけど」

 仮説に穴が見つけられないオズベルがパニックに陥りそうになった時、不意にころころとした声が聞こえ我に返った。見ればそこにはオズベルの顔を覗き込むアリの姿があって、それを見た瞬間オズベルの頭に、はっきりとした光明が差しこんだ。

 箱物は失踪事件の対象に若者以下の子どもを集中的に選ぶ。もっと言及するなら目の前にいるアリと同年代かそれより下の。選ぶその理由が何かまではわからないけれど、街にはまだ条件にあてはまる人間がたくさんいる。それはつまり、箱物は街全域を手中に収め切れていないということだ。

 まだ街が完全な敵の支配下になっていないということ。そして箱物が山の噴火や津波のように強大過ぎる力の持ち主ではないことを悟ったオズベルはなんとか心を落ち着けることができた。そしてアリに向かって静かに首を振る。

「何でもないわ。ただちょっと忘れ物を思い出して」

「ありゃりゃ、それってなくちゃまずいものですか?」

「いいえ、大丈夫。けれど、リク高等執筆員に報告したらまた皮肉言われちゃうから内緒にしてね」

「了解ですっ」

 右手の先をビシッと額付近に持っていくよくわからない動作をするアリの朗らかな顔にオズベルは後ろめたさを感じて目を伏せる。この優しくて気遣いのできる少女を自分は嵌めて傷付けたのだ。

 しかしそんな心中を計り知るよしのないアリはオズベルの動作を首肯と同義であるものと捉えたらしかった。

「いやぁ~、実はですね。わたしも昨日忘れ物をしちゃったんですよ。と言ってもオズベルさんと違ってそれが致命的なもので……まあ武器なんですけど。それでどうにもリクさんに嫌われちゃったみたいです」

 てへりてへりと頭を掻くアリにオズベルは再び動揺を引き起こされる。世間話の範疇を決して超えてはいないはずのアリの言葉の一つ一つが自分を責め立てているかのように感じられたのだ。思い返されるのは昨日の盗み聞きをさせた件だ。

 ああ、もしもアリが箱物のスパイでなかったら、そのときは必ず謝ろう。

 たとえアリがスパイであったとしてもオズベルがアリにした仕打ちはそのこととは別の理由から来たものだったので、アリがスパイであろうとなかろうと、謝ろうと思うならば謝るべきなのだが、アリが現段階でもっとも疑わしい存在であるために、心理的にそのことには気付かなかった。

 オズベルが人知れず心の中をかき乱されていると、遂にリクが足を止めた。

「この辺りか」

 地図を開いて現在地を確認する彼らがたどり着いたのは南門と北門両方から同程度距離のある地点で、それはすなわち街の真西に位置していた。

「ここから探索を始めるのですね」

 うかがうように言うフルーナを、先のイガルガに対してもそうしたように全く無視してリクは街の外壁とは反対側を振り返る。

 そこには十歩も行かないうちから生い茂る針葉樹林があった。うっそうと生い茂るそれは他の生物が姿を消したことで生の営みのバランスが崩れたのか、何やら不気味な荒廃感を醸し出していた。それがあたかも森に潜む箱物の発するどす黒い瘴気であるかのように感じられる。

 それは皆が感じることだったのかアリやフルーナ、ネルマはごくりと唾を飲みこみ、イガルガやオズベルは黙ったまま森を睨みつけるように目を細める。

 ただもちろん、リクが森の方を見やったのはそんな雰囲気を確認するためではなかった。

 空を見上げると樹齢の高い樹々たちは総じて天を衝くかの如く背を伸ばしていて、その高さは外壁に追いつけ追い越せとするかのようだった。もちろん距離があるために枝から飛び移って壁の内側に侵入することは不可能だが、高さに関してだけは条件を満たしていた。

「行くぞ。準備しろ」

 リクの号令らしからぬ号令により彼女らは隊列を組む。先頭を前衛職でアタッカーのフルーナが単独で行き、その後ろを後衛職のイガルガとアリ、指揮官のオズベルとリクと続く。しんがりを務めるのは盾を背負ったネルマである。前後どちらから会敵しても前衛職がふんばりもう一端にいる前衛職が駆け付ける時間を稼ぎ、バックアタックだった場合はその間に後衛職と指揮官も位置を入れ替わるというものだ。左右から敵が襲ってきた場合はもちろん前衛職が間隔を狭めながら前進、後衛職以下が後退する。

 隊列の前後に前衛職を置くのは一見戦闘のたびにどちらかが走らなければならない分無駄に感じるが、標的が定まっている進軍ならともかく、どこから敵が現れるかわからない場合はこの陣形で進むことが好ましいとされている。進軍速度や広角にわたる索敵に自信があるならばこの限りではないが、徒歩である上に少数のリクたちにはもとより選択肢がなかった。

「方角真西。進行始め!」

 次に騎士団流の号令を発したリクに一同は一瞬戸惑う素振りを見せるが、それよりも早く体が動き出す。特に、普段団体行動訓練に対して真剣に臨んでいたフルーナやネルマははっきりとスイッチが切り替わった。また、纏う空気が変わった二人に挟まれることで、間にいる者たちの顔もすぐに引き締まっていく。

「よーっし、絶対に見つけてやるわよ~!」

「全体、止まれ!」

 イガルガは昂った心の表れとして咆哮したがそれと同時にリクの停止がかかり、彼女に同調する思いだったリク以外の全員がつんのめった。それは進行の号令があってから十秒もしないうちの出来事だった。

「あ、アンタね……おちょくってんの? そうでしょッ? そうなのよねぇッ!?」

 盛大に気合いをそがれる形となったイガルガが牙をむくように唸りながらリクに詰め寄る。

「そんなわけないといいな」

 リクはどこ吹く風で他人事のように言うが、騎士団の習性を利用した嫌がらせにオズベルを含む全員が激しい疲労を感じることとなった。

 喚き散らすイガルガを無視してリクは適当な樹木の前まで歩み寄るとスッと目を閉じた。その様子に気付いたオズベルがイガルガに静かにするように告げる。ストレスを爆発させていたイガルガも魔法使いなだけあって流石に察するところがあり、口をつぐむだけでなく、どうかしたのかと声を掛けようとするフルーナを制止するまで至った。

 そうして辺りは風が木の葉を撫でるだけの静寂に包まれる。

 時は短く、リクは瞼を開いた。そして両手を樹木の根元へかざす。するとどうだろう、乾燥するような、ひび割れるような音と共に樹木の表面が氷で覆われ始める。

 徐々に加速する氷の侵攻に合わせるようにリクはかざした手を樹木の頂へと掲げていく。

「うわぁ~……」

 いよいよ樹木のてっぺんまでが氷のオブジェと化すとネルマとアリが揃って感嘆の声を漏らした。

「ふぅ……」

「……あによ、それだけ?」

 リクが一息つくように溜め息を吐くとフフンと鼻を鳴らしイガルガが挑発的な台詞をかける。だがリクはそれに振り返らずにまた目を閉じた。

「え……」

 戸惑うようにイガルガが声を漏らすのも無視してリクは再び間をおいて目を見開く。すると先ほどと同じように根元から氷の層が樹木を覆っていく。ただ一つ違うのは既に一枚かぶせた氷の上にもう一度氷を造り上げているという点だ。そのため、最初より所要時間が多かったけれど、無事氷の鎧が増築された。

「えっと……」

 呆気にとられた面々の中、アリが誰にともなく尋ねる。

「なぜゆえ今、二回に分けて氷の牢獄を?」

「高さが足らなかったからリフォームしただけだ」

 リク自らアリの疑問に答えるとその声で気を取り戻したイガルガがやっぱり鼻を鳴らす。

「あによ、見た目でかいだけの造形魔法で魔力アピール? 木で体積稼いでるし、セッコいわねぇッ」

「そうだ。でかさが欲しかったからな。無駄な魔力を消耗するような間抜け極まりないことはしない」

「だ、誰が間抜けですってぇッ!?」

「それについては言及していないだろう。ものの例えだ。……そう、例えだ。誰とは言っていない」

 リクがいやらしくイガルガをからかっている中、会話の輪から放り出されたアリはオズベルに解説を求めた。

「で、なんでまたリクさんは急に氷のオブジェを?」

「おそらくは目印じゃないかしら。……二度に分けて作った理由はわからないけれど」

 この森の木々の背が高いため何かしらのトラブルで方角を見失った際の保険ではないかとオズベルは言う。そこで改めてリクの造り上げた凍り付けの樹木を見上げると、確かに周りの樹と比べて一際ノッポになっていて、確かにこれなら遠くでも目立つだろうとアリは納得した。

「目測を見誤ったからではないのですか?」

 リフォームの理由についてフルーナが横からリクの言葉を意味合いだけだが繰り返すと、オズベルは難しい顔で「本当にそうかしら」と呟く。

 リクに対する評価が無条件に高くなってしまっているオズベルは、些細なことだが、些細なことだからこそ、リクがそんなミスを犯すはずないと疑っていた。

「よし、それじゃあ改めて出発といくか」

「待たんかコラ、話はまだ終わってないわよッ」

 言い争いに一方的に終止符を打たれたらしいイガルガは抗議の声を上げるも、他のメンバーが大人しく隊列を組み直していくのを見ると、時折リクの方を振り返り睨みつけながらも渋々と配置に戻った。

「方角はさっきと一緒だ。進め」

 今度の号令は形式ぶったものではなく、いまいち気合いに欠ける脱力気味な彼女らに先ほどのような堅苦しさは戻ってこなかった。

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