第16話 それが明日の生死を分ける。と思えば辛くない
目を覚ましたオズベルは食堂へと訪れた。集合時刻にはまだあったが妙に目がさえてしまったのだ。
「あれ、リク高等執筆員?」
「……」
食堂の扉を開けると、テーブルに対して半身となって椅子に腰かけたリクの姿が目に入った。ちらと視線を向けるだけの挨拶でリクは手元に視線を落とす。そこには辞典大の本が片手で支えられていて、どうやらそれを読んでいたらしかった。
「随分早いですね……」
昨日リクが集合時間ぎりぎりに食堂に来たことを思い出したオズベルがそう感想を述べるも、リクは無言のまま、視線も動かさずに、それが返事だとでも言うように微動だにしなかった。
「…………」
つい流れで同じテーブルに腰かけてしまったが、どうにもお呼びでない様子にオズベルは自分なりに考え事を始めた。先の、昨日と今日とでリクの食堂にいるタイミングが違う理由について思いを巡らせる。
昨日、リクが時間と同時に姿を現したのはおそらく支配者のカリスマを意識したのだろう。
人の上に立つ者の器というのは二種類あって、皆が認め尊敬し協力する頼れるお兄さんタイプと、恐怖と束縛によって束ねる独裁者タイプだ。当然、リクは前者ではない。
その独裁者であることの認知に重要なのは、自然体を見せないことだ。談笑したり、口元に食べかすがついていたりしないこと。同じ人の子だと思わせない徹底的な親近感の排除こそが独裁者を畏怖の対象たらしめるのだ。
そして独裁者と言うものは総じて反感を買うことが多い。つまり彼の演じる支配者のカリスマは敵対心を稼ごうという根本にある目的意識に基づいた行動なのだ。
しかし今朝、彼はそんなことを差し置いてこの食堂にいる。差し当たっては食堂にいることで何かしらの目的を達成しようとしているのだ。
真っ先に思い浮かぶのは、待ち合わせ、あるいは待ち伏せをしている可能性だ。
昨日の会議では人知れずフルーナと接触していたことを臭わせていたし、今回もそれと同じようなものを求めてこの場にいるのかもしれない。しかし今この場にはリク以外と自分以外の人間はいない。
一応オズベルは身をかがめて死角となっているテーブルの下に何者かが隠れていないか確認してみるが、やはり誰の影も見当たらなかった。次に何気なく腰を上げて厨房を覗きに向かう。
「……いないか」
そこにも誰かがいるということはなく、無駄足を踏んだ形でオズベルは元の椅子まで戻る。
つまり、対象は現時刻以降に姿を現すということだ。
ではその対象はいったい誰なのだろう。
一瞬、自分である可能性が頭をよぎったけれど、そうなればいまだ事態の進展ないことに説明がつかない。
そもそも、たまたま早くに目が覚めなければ最初にリクのいる食堂に来ていたのは自分でなかった可能性の方が高い。ともすれば次に可能性が高いのはフルーナかトルだ。
早朝から鍛錬を行っているフルーナ、そして今朝はその監視に就いているトル。どちらの方が早く食堂に訪れるかは不明だったが、ここで一つオズベルは推理する。
リクという男は実に計画性の強い男だ。つまり会う相手、場所、タイミングなどを綿密に図っている可能性が高い。そしてその策略はトルに対してはおそらく必要ないだろう。どういった関係かまでは定かではないが、彼らには単なる同僚以上の非常に深い絆が感じられる。
すなわち、食堂というロケーションで偶然出会うというシチュエーションが必要なのはフルーナ、仮に違ったとして、それでもやはり騎士団側のメンバーということになる。
「…………」
そこまで推理してからオズベルは自分がこの場にいることが、リクにとって不都合極まりないのではないかと思い始めた。
追い出されないことに疑問を感じないことも無いけれど、もしオズベルが食堂を出る際に対象と鉢合わせたら、身構える暇を与えてしまう。
そのリスクと天秤にかけた結果、自分がここにいることを容認したのかもしれない。一言も発さず黙っているのがその証拠だ。
途端にオズベルは心の平穏を失い、そわそわと落ち着かなくなる。そして遂に食堂を後にしようと立ち上がった。もし誰かと鉢合わせたならそのときはそのときでうまく言い訳しよう、自分ならきっとうまくできるなどと考えながら。
「おい」
しかしそんなオズベルにリクは棘のある声で呼びかけた。
「……何ですか?」
努めて平静を装って返事をすると、苛立ちを隠さないリクの言葉が返ってくる。
「視界の端でうろちょろするな。大人しく座っていろ」
「す、すいません」
思いがけず退席を阻まれてオズベルは浮かせた腰を再び落とす。
そうか、先ほどまでの自分の推理は見当違いだったのか。
リクは本を読みたいがために食堂にいるのだ。おそらくは徹夜で読み続けていて、眠気を覚ますための飲み物を入れに食堂までやってきた。そして自室に戻る時間すら惜しんで集合場所である食堂に留まって本を読み続けているのだ。別に誰かと会うつもりではなく、むしろ誰かと会わない方が彼にとっては都合が良かったわけだ。
現在は自分の出現により集中力をそがれたわけだが、一言言えば邪魔にならないように気をつけるわけだから問題ない。ネルマは最初から大人しくしているだろうし、イガルガは互いに無視する状態になる。アリは昨晩盗み聞きさせた内容が内容なので万が一にもリクと二人きりになる可能性を避けてギリギリまでやってこないだろう。トルやフルーナが返ってくる時間帯になるまで読書を続けるつもりなのだろう。
そうなると今度は、リクが何をそんなに熱心に読んでいるのか気になった。
僅かに頭を傾けて表紙を見るけれど題名は書かれていない。しかし、その特徴的な表紙が正体を明かしてくれた。
「何を読んでいるのかと思ったら、魔導図書だったんですか」
魔導図書というのは、王属万全図書館の扱っている特殊な書籍のことで、複雑な魔導律を組み合わせることで複数の別個体である本の中身を共有している。
これを用いて、王属万全図書館では、一冊の本で図書館の保有する全ての知識を閲覧することができるし、魔導図書へ書き込みを行えば新たな情報を他の魔導図書を持つ職員にリアルタイムで知らせることも可能なのだ。
ただ、個々で閲覧許可されている領域が違っていたり、書き込みは一度本部へと転送され司書員の検閲の結果適切かつ有意義であると判断されたものだけが全体に反映されたりと、内容の公開・質には細心の注意が払われているため、述べたようなパフォーマンスを発揮できている個体はほとんど存在しない。
魔導図書への書き込みは執筆員、高等執筆員の仕事であり、執筆員は先に言ったように司書員に検閲してもらわなければ書き込みを全体に反映させることができないが、高等執筆員の書き込みは検閲を通さずとも反映される。
書記員の役割は調査の際に結果をメモに残すことで、それは執筆員、高等執筆員が書き込みを行う際の資料になる。
記録員は調査メモを自らの判断で作成することを許されず、執筆員たちが要求した事柄だけメモに残す。
補佐員は本部にて司書員の雑用を行うが、現場にて雑務を行う人員が不足していると思われた際は調整のため投入されることもある。
見習員は司書員の下で雑用を行いながら足りていない基礎知識を身に着ける。司書員に熟したと認められることで補佐員となって現場に出る機会を待つことができるようになる。何を以って熟したとされるのかは司書員のさじ加減だが。
職員の人事や魔導図書の整理を行う司書員よりも更に上にあるのが、王属万全図書館の最高位、オルヒュドエ館長である。固有名詞が用いられるのは館長の席が一つしか存在しないからだ。
魔導図書に記される全ての知識を把握し、理解し、活用できるオルヒュドエ館長は先代達がそうであったように魔導図書を束ねる魔導律の核を担っている。そこに比喩はなく彼が死ねば魔導律は解け、魔導図書がその効力を失う。図書館の“全知”はオルヒュドエ館長によって支えられているのだ。もっとも、万が一、彼が急逝してしまった場合は後継者候補たちが三日とかからず修復できるようになってはいるらしいが……。詳しいことは職員ですらないオズベルには分からない。
さて、高等執筆員であるリクは書き込みに関してこそ執筆員とは一線を画す権利を持っているけれど、閲覧に関しては司書員から許可が下りて転送された内容しか読むことができない。
リクがどの程度の閲覧権限をもらっているのかはわからないけれど、この男のことだから手の届く範囲は網羅しているのではないかと考えたオズベルは、最近送られ、すぐにでも必要な情報に目を通しているのだという推測に行き着いた。でなければ徹夜してまで読みふける必要がない。
そしてオズベルにはその内容に心当たりがあった。
「……俺は、ランドの奴の活動記録に鍵があると思っている」
ちょうど思い至ったのと同じタイミングで口を開いたリクに、オズベルはいささか戸惑いを隠せなかった。けれど、何とか気を取り直し、努めて平静な声で返答する。
「やはり、箱物について重要な記載がありましたか?」
「箱物……?」
「違うんですか?」
不思議そうに片眉を吊り上げるリクに尋ねると、やがて短い嘆息が返ってくる。
「そんな重要な事柄が書かれていたら俺がわざわざ読み返さずとも、事前に上から通達を受けている」
「確かに……そうですね」
それなら何がそんなに気になっているのかと視線で問うと、
「まだ何かこれといった確信を得てはいない。ただ一つ言えることがあるとすれば……」
「あるとすれば……?」
「……奴は、ひどく筆不精だということだ」
そう言って、リクは再び、今度は深く溜め息をついて本と閉じた。同時に食堂の扉が開かれて二人の会話はそこまでとなった。
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