第8話 密会ミッドナイト

 リクについてやってきたのはどうやら彼の部屋らしかった。この拠点へ来た際にちらっと間取りを確認した限り一番広いこの個室には、おそらく自分たちの部屋にはないであろう高価そうな家具がいくつも置いてあり、若干顔をしかめられた。

 いったい何の用だろう、と蝋燭に火を灯すリクの背を見つめながらオズベルは考える。

 まっさきに思い浮かんだのは、騎士団でもいくらかあった、下衆な用だった。

 男の上司に女の部下が二人きりで呼ばれるといったら下心が伴っていることが多い。

 用がまさしくそれだった場合、オズベルは相手が上司であろうがなんであろうが丁重にお断りし、それでも退かないようならその場で無慈悲な制裁を加えてきた。

 己の立場を利用して女性を手籠めにしようとする輩がオズベルは一番嫌いだった。

 このリクという男もそうなのだろうか?

 座れ、と椅子を勧めた眼鏡の男をオズベルはじっと観察する。出会って一日も経っていないが、この男はいままで“用事”を頼んできた騎士団上官たちがそうであったように高慢な性格であった。自らの力を信じ込み、なんでも思い通りになると思っている。だから可能性は充分にある。

 ただ、それならそれで不可解な点もある。

 何故自分なのかということだ。

 フルーナはきめ細やかな金髪で、すらりと背が高く、女性らしい身体の凹凸を持っている。間違いなくメンバーの中で最も美麗であったが……まあ、特殊な事情のせいで避けられても納得できる。

 だが、胸の大きさや御しやすさならネルマが呼ばれるだろうし、単純な可愛らしさや人懐っこさならアリ、失礼な話だが平坦な体つきが好みならイガルガが呼ばれるだろう。

 ただ、ネルマは泣いてわめいてでいろいろ台無しになりそうだし、アリもどこかガードの固さみたいなものを感じる。イガルガに至っては血管ブチ切れて魔法でこの家屋をぶっ飛ばしかねない。

 そんなわけで一番静かにことを進めたい場合に限り自分が呼ばれるかもしれない。と、オズベルは結論付けた。

 ただ、どんな甘い誘惑があろうと、どんな苛烈な脅しがあろうと、身体を許すつもりは微塵もなかった。それどころか静寂を拠り所に自分を選んだのだとしたら、それが大きな失策であることを、身を持って体験させてやろうなどと考えていた。

 しかし……ともすれば、特別調査隊にはいられなくなるし、また修科を追い出されるかもしれないとオズベルは少し憂鬱になった。

 上官たちに制裁を加えるに度に、オズベルは修科を転属させられていた。それが、先の自己紹介での『今は』にかかるわけである。

 新設されて月日の浅い戦術科では上官が女性だったのもあって、他に比べれば長続きしてたのにな……。

 そんなオズベルの心中を知るべくもないリクは、なんとも淡白な声色でテーブルの向かいに座ったオズベルに尋ねた。

「で、どこまで気付いた」

「…………え?」

 前触れもなくなされた質問に、オズベルは間抜けな返事をしてしまう。

 そんな様子を見てリクは目を閉じてため息を吐いた。

「なんだ。どうやら買いかぶりだったようだな。帰っていいぞ、引き留めて悪かったな」

 その言い方にカチンと来た。実は特設部隊の中の誰よりもプライドの高いオズベルはそれを傷つけられた半面で、なにくそと脳細胞をフル稼働して出題された問題の解明にかかる。

 これまでの記憶から呼び起こされたのは疑問に思ったことの数々。それらに関連する気付いた事柄を掘り起こすと同時に、あることにひらめき、今のリクの台詞から疑問が一気に解消されていった。

 自身の潜在能力が引き出されるように感じながらオズベルは問題の答えを見つけ出した。それはものの5秒の出来事であった。

「いえ、今の質問でやっと確信に変わりました」

「ほう」

 自信ありげにまっすぐと見つめるオズベルにリクは興味深げに目を細めた。

「これまでのリク高等執筆員の行動は、隊員の仲を取り持つためのものだったんですね」

「…………」

 静寂が部屋を支配する。それが先を促しているのだと気付いたオズベルは根拠を並べ始める。

「最初に疑問に思ったのはシルファングと交戦したときでした。箱物は普通、一か所に一つの箱、一つの箱に一体しか入っていない。つまり、群れをなしていることなど通常では考えられません。引き付け合う特性があったとしても、あの数はあまりにも多かった。明らかに第三者による介入のもと集められたと考える他ありません。すなわち、どうにかして図書館が意図的に用意したものだった。数ある箱物の中からシルファングを選んだのは、遠吠えで我々を呼び寄せる可能性があり、かつ数が集まっても対処できる程度の力であったから。……もちろん、用意に容易いなどの理由があったのかもしれませんが」

「……それで?」

「次に、リク高等執筆員の執拗なまでの挑発です。一時は、模擬戦を実施に導き我々の戦闘能力を測るため、実施が決まってからは不自然さを残さないためかとも思いましたが、もっと先を見据えた行動だったんですね。リク高等執筆員が騎士団側の敵対心を集めることで、結果として私たちはほとんど初対面だというのに“リク高等執筆員が憎い”という形で心を一つにしました。ネガティブなやり方ですが、プラスな感情で誘導するよりも確実で手っ取り早い。ちなみに、先のシルファングの件と併せて、あらかじめ戦闘スタイルや性格をある程度知った有利な模擬戦を行い、完勝することで上下関係を明確にする意図もあったかと思われます」

 しゃべり続けて乾いた唇を濡らし直す。ただ濡らし直しただけではなく、話す内容を整理する時間稼ぎでもあった。

「そしてリク高等執筆員に対するトル書記員の度重なる反抗。これは、今後への布石です。この度の任務で、前任の箱の調査担当者の行方が分かり、且つ復帰が可能だった場合、部隊はその方に引き継がれるのではないですか? 私たちが騎士団から派遣された本当の目的は、今回の箱物調査や担当者の捜索だけではなく、以降も出現する箱の調査に協力させること。そして担当者が復帰した際、司令官として立場の重なるリク高等執筆員は別の任務へと配属され、特設部隊は前調査担当者とトル書記員に引率されることになる。先のリク高等執筆員への敵対心が募る一方で、我々をかばうトルさんは相対的に信頼を集める。こうすることで、リク高等執筆員が退任された場合に、図書館側と騎士団側の間の確執が取り除かれ、その後の調査活動も円滑に進められるというわけです。リク高等執筆員が汚れ役を引き受けることで、結果として特別調査隊は結束するんです」

 オズベルが話を終えてからも、リクはしばらく黙り込んでいた。

 話を夢中になっている内にいつの間にか目を閉じていたので、よもや寝ているのではないだろうなと思い始めた頃になってその口が開かれた。

「ま、だいたい正解だ」

 ほっと息を吐くのと同時に、オズベルはじわりじわりとしたり顔になる。なんとも憎たらしい表情にリクは顔をしかめた。

「ふふ、ふふふ」

「何を笑っているんだ。キモいぞ」

 ついには笑い出したオズベルを辛らつな言葉を襲うが、大して堪えた様子もなく咳払いをして表情を取り繕うだけだった。

「ああ、そうだ……。一つ忘れてました」

 その言葉にリクは反応を示した。

 そもそも、なぜリクは自分に裏事情を把握させるような真似をするのだろう。「正解」と言われたからには間違っていなかったようだ。だが、内容からして騎士団側の人間に知られるのは不都合なのではないだろうか。その疑問の答えにオズベルはたどり着いていた。

「リク高等執筆員は、これらの情報をあえてばらまき、気付く者がいるか試していたんですね」

「……………………」

 じっとりとした沈黙が二人の間に流れた。

 失言だっただろうか。そこまで考えてはいなかったのだろうか。考えすぎだったのだろうか。などオズベルが不安を覚えた頃、ようやくリクはふっ、と唇の端を吊り上げ笑って見せた。そしてその口が言葉を紡ぐ。

「オズベル、お前は優秀だな」

 お前は優秀だ。それだけで、その言葉だけで、オズベルは顔の筋肉がふにゃっと緩み、身体にぼぉっと熱が灯って、心はぎゅっと満たされるのを感じた。

 冷静で、聡明で、気高いつもりのオズベルだったが、この時だけは、まるで幼子のように溢れる感情を止めることができなかった。

 嬉しかった。

 自分はこの瞬間をどれだけ待ち望んだだろうか。

 ずっと、オズベルは誰かに認められたかった。自分の力を。自分の頭脳を。自分の戦術を。けれど騎士団ではついに一度もなかった。

 口先だけだったり、優しさからだったり、下心を持った連中に言われることはあった。そんなセリフを、欠片の遠慮もなく、鬼のように他人を貶すこの男に言われた。自分は認められたのだ。

 とてつもなく、嬉しかった。

「お前には有事の際の騎士団メンバーへの指揮を任せる。それから奴らの動向を監視し、定期的に俺に報告しろ」

「……わかりました。内部密偵ですね」

「ああ。そうなるな」

 単純な話だが、先ほどの言葉だけでオズベルはリク=グランドロフという人物をすっかり信用していた。

 この男は、力がある。少なくとも、事実を捻じ曲げずにとらえ、それを認める力がある。それは簡単なことではない。人は僻み、妬む生き物だ。心も体も強くなければ、そんな余裕は生まれない。

 自分を優秀だと認めてくれたこの男もそれ以上に優秀なのだ。

 故にオズベルはリクの言葉を素直に聞き入れた。同時に、会話の質も落とす必要がないので言葉少なくともあっと言う間に意思が通じる。

「とりあえず今は、特設部隊はリク高等執筆員を良く思っていない、リク高等執筆員は特設部隊をひどく見下している、トル書記員は二者間の緩衝材、橋渡し役。この形を維持する方針で、もし特設部隊に異質な動きがあれば、私がリク高等執筆員に報告するか、誘導して状況を修正する、ということですね」

「ああ」

 齟齬が生じてないか確認作業だけ済ませると、リクは壁の時計を見やる。

「……今日のところはここまでだ。用があったらいつでも来い。こちらから呼ぶ場合もあるだろうからそのときはただちに応じろ。いいな」

「はい」

 オズベルは椅子から立ち上がると、静かに一礼し部屋を出ていこうとする。

「「ああ、そうだ」」

 その背中をリクが呼び止めるのと、扉の前でオズベルが振り返るのは同時だった。

「このことは他言無用だ」

「わかっています」

 当然リクがお先にどうぞー、などというわけがなく一方的に用件を述べるが、それでもオズベルは気にしたふうではなかった。

 そしてリクの用が済んだのを確認した後、オズベルはそわそわと落ち着きを失う。

「えっと、訊きたいことがあるのですが」

「…………」

「リク高等執筆員は、わざとわかりやすいぐらいに悪口を放っていたわけですが、そうなると、本当は心優しい人物だったりするんですか?」

 僅かに考えるような沈黙があった後にリクはなんでもない口調で言った。

「……適材適所という言葉を知っているか?」

「ああ……やっぱり」

 自らの愚問を苦笑する。そしてまもなくそこから苦みを取り除く。

「……ありがとうございます」

 満面の笑みを残して、オズベルは部屋を出ていった。

「…………むかつく顔だな」

 まるで人生で初めて母親に褒められたかのような、そんな笑顔だった。

 リクは悪態をつくものの、その顔に少なくとも不快感は無い。

 何はともあれ、リクの計画通りだった。

 いくら自分がヘイトを集め、人の良いトルに忠誠心を抱かせたとしても、それだけで調査隊全体を掌握するには不安が残る。そこでリクは特設部隊のメンツの一人を自分の駒にすることで隙を無くすことにした。

 当初はフルーナとオズベルのどちらを手駒にするかで迷った。フルーナは単純な戦闘能力でいえばもっとも秀でていたし強さは人を惹きつけるという。一方オズベルは戦術科ということもあり知略に富むタイプであることがはっきりしていたからだ。

 熟考した後、自己紹介をはじめとするオズベルの台詞に秘められた、過去に関する情報を鋭敏に察知したリクは彼女に狙いを絞った。そしてその他の彼女の言動と併せて、彼女のプライドの高さと、それと同じぐらい強い承認欲求を読み取り、それを成就させることにより、ある程度の信用を勝ち得たのであった。

 もくろみがうまくいったことの喜びを噛み締めたいところだが、リクとて人間である。いいかげん眠気に襲われ始めた。

 日の出すら近づいてきた窓の外が見える位置まで椅子を移動させると、ぐっと目を瞑って脳を休めるのだった。

 リクの部屋は、建物の玄関から庭、敷地の入口までが一望できる位置にあった。

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