第5話 模擬戦(下) 能天気な道化 不承の策士

 オズベルがネルマに笑わされている一方で、広場の中心では攻めを選択したアリが試合開始と同時に矢を弓にかけるところだった。その矢じりには特に安全対策がなされていない。フルーナよろしく、まさか模擬戦が行われるとは思っていなかったがために用意がないのだ。

 それでも金属でできた矢じりをそのままむき出しにしているのは単にリクから許可が下りたからである。

 なめられている。自分では万に一つもトルに一撃入れることができないと確信されている。

 そうは思ってもアリ自身、トルに勝つ未来が見えていないのだから仕方がない。なので、せめてテキトーに矢を放つのだった。

「……」

 風を切って向かってくる矢をトルはふわりとかわし、また奇妙な踊りを始めた。蛇が緩急を付けながら蛇行するような動きだ。前進も後退もしていないけれど。

 ……おや?

 自分が最初の矢を構えるのと同時に踊りが始まった時には、なにやらおちょくられているのかとも思ったが、どうもそんな感じではない。

 今しがた躱された矢はなかなかに際どいところをかすめていった。少なくとも、からかうのが目的ならそんな余裕を見せている場合ではないだろうと思えるほどには。

 アリは、戦場に立った経験がほとんどない。だから、自覚がなかったのだ。弓矢というものはなかなかに厄介な武器だということに。

 なにしろ、弓を離れた矢は、ほぼ加速の間を無くして最高速へと達し、その速度は人が走るよりはもちろん、人が突き出した細剣や投げたナイフより早いのだ。

 放たれた第二の刺客をまたもぎりぎりで避けたトルを見てアリは理解、そして確信する。

「これは……」

 トルに勝てる…………可能性がゼロじゃないっっ!

 アリは直ちに先の二度の攻防を思い返し、そして一瞬のうちに計算し終えた。

 この距離では、自分が弓矢を撃ってトルのもとへ到達するよりもトルが反応し身を躱す方が速い。ならば近づけばいい。しかし近づくのもまた容易ではない。トルは相変わらず妙な動きを続けていて今は離れているので微々たる誤差にしかならないが、近づけば近づくほど狙いを定めにくくなる。その上、あまり近づきすぎれば反撃に打って出られる可能性もある。近接戦闘になれば、専門職であるフルーナやネルマがあれだったのだから、自分などひとたまりもないだろう。

 なので、近すぎず、遠すぎず、絶好の射程距離に身を置く他ない。そしてそのポイントは、矢の速度、トルの反射速度、トルの走行速度、それらを統合して15.6メートル地点以外にない。それが、アリの導き出した計算結果だった。

 大して学に自信のないアリのテキトーな、あくまで直感的な推測に過ぎなかったが、これが案外と妥当な計算結果であった。

 だからこそ、20メートル離れた開始線から、引いて4.4メートル。6歩ないし5歩でも届くくらいの距離ならば気軽に詰めていいだろうなどと、アリは考えてしまった。

 迂闊だった。油断していた。等様々な心情的な要因が列挙されるだろう。

 アリは

 矢をつがえずに足を踏み出した。

 一歩、二歩、

 三歩の足が上がったところで、トルの目つきが変わった。例の気取らせない羽毛のような足取りで一気に最高速まで達する。

「………………………………うえへへぇッッ!?」

 トルから目を離していなかったにもかかわらず、“走っている”とアリが気付いた時には二人の距離は5メートルとなかった。奇しくもネルマが判断を強いられたのと同じ距離だったが、来るとわかっていた場合と、驚愕と共にその時を迎えるのには精神状態に雲泥の差があった。

 まったく心の準備ができていなかったことも手伝い、アリはこの期に及んでまだ矢を抜こうとしてもたつくなどどという愚行を犯し、あっという間に地面に組み伏せられた。

「ぐえぇっ」

「勝負あり。アリ転倒により、トルの勝利だ」

 蛙の鳴き声のようなアリの悲鳴と共に審判が下される。

「…………いや、転倒っていうか完全に潰されてるんですけど」

「あはは……いや、ごめんね」

「あ、どもです」

 決着するとトルはすぐにアリの上からどいて手を差し出してくれた。

「うぅ……ナイムネがさらにぺちゃんこりんに……」

 トルに立ち上がらせてもらって、両手を自身の胸部に当てながら自陣に帰るアリを真っ先に迎えたのはオズベルだった。

「…………」

 しかし彼女は何を言うでもなくただ佇んでいた。

「す、すみません……」

 自分の不注意を怒られると思ったアリは先に謝罪の言葉を発する。けれど、それはもうオズベルにとっては些細なことだった。

「まあ……見てなさい」

 一言、そう言うと。オズベルはグリーンの襟付きケープをはためかせて戦場へと向かっていった。

「ぐわ、かっこいいなー」

 聞こえるか聞こえないかぐらいのアリのつぶやきを背に受けながら、開始線にたどり着いたオズベルはリクを一瞥して告げる。

「守りでお願いします」

「…………」

 リクは返事をせずにトルに目を向けて、トルもまた黙ったまま深く目を瞑る。

 そうして伝達が済むとリクは例の小枝を拾いあげる。

「それじゃあ、この枝が地面に着いたら試合開始だ」

 リクは少なくとも自身にとってはこれで最後となる文句を唱えて、枝を放り投げた。

 くるくると回転しながら放物線を描く枝が、あとどれぐらいで地面に到達するかおおよその見当をつけると、オズベルは目を切った。そしてその双眸をそのままトルへと向ける。

 既に作戦は整った。勝算はある。

 アリは放心しつつもオズベルの助言通り“どんな強固な守りも通用しない”トルに対して攻めを選択した。にもかかわらず、助言したオズベル自身が守りを選択したのは、自分たちの実力がかなり拮抗していると感じていたからだ。

 この勝負は時の運で決まるか、もしくは時間切れで終わる。ひいては、相手に一撃加えるか転倒させるかという勝利条件の有利不利を捨ててでも時間切れで勝利となる守り側を選択したほうが良いと判断したのだ。

 ただ、それでもやはりトルを相手に受け身に回るのは得策ではない。かといって負けん気強く攻め込んでもいけない。今までの戦い……特にネルマ戦、フルーナ戦では顕著に表れていたが、トルは相手が行動方針をどちらかに傾ければ、それを利用して倒しにかかってくる。

 となれば、攻撃と防御のバランスが鍵となる。そこに一片の揺らぎを見せてもならない。

 しかし、たった一人で常に攻守のバランスを完璧に保ち続けるなど不可能に等しい。身一つでそんなことができるのはオズベルの知る限り、騎士団長ぐらいのものだ。

 だが幸い。オズベルは擬似的にそのバランスをとる手段を持っていた。

 というより、それこそがカードという武器の長所であった。

 枝が地面に突き刺さるのと同時に、オズベルは勢いよくケープを跳ね上げ、下で備えていた8枚のカードを器用に投げ込んだ。そして間髪入れずにケープの内側にしまっているカードを取り出しては投げる、投げる、投げる。

 流水のごとき滑らかな動きで投げられるカードは綿密な計算と繊細なコントロールで上下左右に投げ分けられる。しかもそれは角度をつけたり、回転を加えたりされることで軌道が変化し、様々な方向から絶え間なくトルに襲い掛かった。

「…………ッ」

 トルはその鍛え上げられた動体視力でカードの表に描かれた効果印を読み取ろうとしたが、すぐに追いつけなくなった。そんなことをしている場合じゃなくなったのだ。

 しかも読み取りが可能だった最初の八枚すら、内五枚はスカカード、何の効果もないものであり、残りの三枚は裏側がトルに向けられていた。

 今回に限らず世間一般的に、模擬戦ではカード本体やそれに込められた効果はもちろん、スカカードですら身体に当たれば有効打や転倒を通り越して致命傷と見なされる。その場が模擬戦であるがために、仕方なく危険なカードの使用を避けなければならないカード使いへの配慮だった。

 印の見えなかったカードのうち二つが電網と小竜巻を起こし、トルは慌てて身をかわす。が、すぐにまた狙いすまされたカードたち向かってきて、それから逃れようと無理な体勢で回転する。何度もそんな動きを繰り返させられる。

 トルはこれほどまでに洗練されたカードの弾幕は見たことがなかった。

 カードを操る人口の絶対数が少ないのもあるが、それ以上に、鍛錬を、努力をしてきた者の動きだった。それも、思考停止してただがむしゃらにしてきたものではない。考え、必要な動きを割り出し、効率化されている。手を、足を、身体を最大限に利用している。見事だと思った。

 しかし悲しいかな、人間の腕はたった二本。どんなにうまく使っても、まったく本当に追い詰め、どうしようもなく完全に死角を無くすことなどできはしない。

 トルは見つける。視界を埋め尽くす紙吹雪にあるいくつかの穴を。

 その穴目掛けてトルはナイフを投げ込んだ。

 が、それもすぐに対応される。フルーナ戦で投げたよりいくらか鋭く放ったつもりだったけれど、たやすくカードとかち合わされて炎上しながら沈んでいく。その後も二度、三度と試みるも自分に害なす範囲のものだけを的確に潰していく様は熟練のスナイパーのようだった。

 一方そのスナイパーは体感的に残り時間がもう二十秒も無いことを予感して、気を一層引き締めたところだった。

 当然のことだが、ケープの下に収納しているカードには限りがある。けれど、トルならば、こちらが時間いっぱい弾切れを起こさないどころか、次のリクとの戦いまで見越したペース配分をしていることぐらいわかっているだろう。そうなれば、投げナイフぐらいしか遠距離攻撃手段の無い自分が勝つには、強引に攻め込むしかない、と考えるはずだ。

 ここで敢えて、どうしても空いてしまう穴を若干広げてやる。それこそ、一か八か強引に突撃したくなる程度に。

 すると案の定、トルはオズベルが空けた隙間に身体を滑り込ませ走り出した。

魔法の余波には判定はないので、どうしても邪魔なものだけをナイフで早々に発動させ、直撃にだけ気をつけて駆け抜けてくる。

 それをオズベルは、あたかも勢いに押されているかのような装いで待ち受ける。

 そして、二人の距離が限りなくゼロに近付いた瞬間、トルの目の前から突如としてオズベルの姿が掻き消えた。

 傍観していた者たちも、一瞬で霧のように消え失せたその現象に驚愕した反応を見せる。

 しかし、オズベルは全くいなくなってしまったわけではなかった。消えた直後、開始線の2メートル上空に姿を現した。ただそれは、先ほどまでオズベル自身が立っていたところより2メートルではなく、トルが初めにいた地点の2メートル上空だった。

 カードは、何も攻撃魔法だけを封じ込めているわけではない。ペアでの発動が必須である交差のカードには、二地点を一瞬にして移動する瞬転魔法の入口と出口が印されている。

 制限時間はもうゼロに等しい。かなり高価な出費をしてしまったけれど、きっちり勝利を収めることができた。

 着地して、勝利を確信しながら立ち上がったオズベルは、その一瞬、目を大きく見開いた。

 迫るナイフ。まっすぐにみぞおちへ向かって飛んでくるそれをオズベルは避けることができない。

「――――ッ」

 後退もおぼつかない両足、せめてもの抵抗として身体を弓なりに屈曲させるも、果たしてナイフはオズベルの身体をとらえるのだった。

 どてっ、と間の抜けた音を立ててそのまましりもちをついたオズベルは、呆然としながらも状況を確認する。

 自分は、確かに初手に放った竜巻にのせて宙を舞わせた出口の方の交差カードのもとへ瞬間移動をした。そんな自分を着地直後に襲ったナイフは間違いなくトルのもの。そしてナイフはくるくると回転しているわけでも、山なりに飛んできたわけでもない。となると、角度からしても一瞬前に入口カードを使用した地点に到達したトルから放たれたものであり、直前の突進の中でカードと衝突して弾かれたナイフに事故を引き起こしたわけではない。

 私が消えたのを見て、瞬転魔法に思い至り、それが初手の八枚に含まれていたことを悟り、振り返るなりナイフを投じたっていうの……?

 自身の導き出した結論にオズベルは、顔を青ざめさせると同時に、きしむ音が聞こえそうなほどに強く歯噛みした。そして悔しさをこらえるように首を垂らす。

 自分の立てた作戦が完璧だという慢心と、作戦を完遂したことで勝った思い込んだことによる油断。それ以外は、満点だったと思う。

 たった二つ。けれど、そのたった二つだけで、敗因を形成するのには充分である。

 こんな……、こんなの……

 こんなの勝ったなんて言えない。

「タイムアップ。時間切れにより、オズベルの勝利だ」

「………………え?」

 試合の模様を唖然とした面持ちで見ていた者たちは、思いがけないリクの言葉に疑問符を並べる。

「あ、やっぱり?」

「…………」

 しかし、対戦者である二人は各々それを自覚していたようだった。

 トルは困ったように帽子の上から頭をかいて、オズベルはうつむいたまま立ち上がる。

「で……でも、オズベルさん、今ナイフが当たった気がするんですけど」

 やっとの思いでアリが尋ねると、リクは短く息を吐いて述べる。

「トルの投げたナイフがオズベルに当たるより前に制限時間が切れた。それだけだ」

 リクの言葉を咀嚼して、飲み込まれるのには時間がかかった。アリ、ネルマ、フルーナ、イガルガは互いに顔を見合わせる。そして一斉に沸いた。

「やったぁ! すごい、すごいですオズベルさんっ!」

「わ、わ、わ、わぁ…………」

「お見事です! ああっ、月並みな言葉しか出ませんが、お見事です!」

「よくやったわ! 次はあの眼鏡の番ね~ッ。ぎったんぎったんにしてやんなさいよッ! アタシたちを馬鹿にした代償をきっちり払わせてやんのよ!」

「…………ッ」

 思い思いの言葉で帰ってきたオズベルを歓迎する彼女らに、オズベルは顔を上げることなく声を上げた。

「やめて!」

 突然の悲痛な声に、周囲は一気に静まり返った。カードやナイフの残骸を片付けていたトルや、おいあっちにも落ちてるぞ、と手伝いもせずに急かしていたリクも視線を引き寄せられる。

「あんなの……納得できないわよ」

 悔しそうに顔を歪めて声を震わせるオズベルに、特設部隊はハッとする。

「今の勝負、もし模擬戦じゃなかったら……いいえ、そもそも特殊な形式じゃなかったら負けたのは私だった」

「な、なぁに言ってんのよ。互いに了解してその特殊なルールで始めたんだから、そのルールの中で勝ったんなら、そりゃアンタの勝ちよ」

 取りなすように言うイガルガの言葉ももっともだったが、それでもオズベルは頑なだった。

「そうかもしれない。けど、そんなの認めたくない。私は自分の策に自信を持って、完遂した。なのに、それを上回られたのよ。それって、本当に勝ったって言える……?」

 さっきはなんとか反論できたイガルガ含め、今度こそ全員が押し黙る。

 オズベルは戦術科に所属している。本来の戦略策士の役割から多少なりとも外れているとはいえ、そんな彼女が自分で立てた戦術を破られるということが、自分にとってどういうことなのか。置き換えるのは容易だった。

 だからこそ、オズベルの気持ちが痛いほどわかってしまい、結果として誰もオズベルを止めることができなくなってしまった。

「リク高等執筆員……」

 オズベルは沈鬱な表情で眼鏡の青年を振り返る。青年は相変わらずの鉄仮面っぷりで無言のまま先を促した。

「あなたとの二回戦ですが、辞退させていただきます」

「不戦敗になるが良いんだな?」

「………………はい」

 こうして、真夜中の激闘は幕を閉じた。

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