第4話 模擬戦(中) 怒れる平原 静かなる山
「どーします? わたしってば、今のを見てしまったらもう、まるで勝てる気がしないんですけど。なんですかあれ、ニンジャか何かですか? 目で追うだけで精一杯でしたよ」
トルとの模擬戦を終えたフルーナが戻ってくると、大袈裟に苦しそうな顔を作ってアリが呻いた。ネルマ、オズベルが共に黙っているとやがてイガルガが軽くため息を吐いた。
「わぁったわよ。アタシがいくわ。あの女、フルーナとは相性が良かったかもしれないけど魔法が相手なら打つ手ないかもしんないし」
「じゃー、お願いします。がっつり活躍してきちゃってください」
「イガルガさん、御武運を!」
「が、がんばってくださぃ……」
「任せてちょうだい」
アリ、フルーナ、ネルマの声援にイガルガが背を向けたまま手を振る。
「……………………」
そしてその背中をやはり無言のまま見送るオズベル。
「オっズベっルさんっ。どうしたんですか? そんなにむつかしい顔しちゃって。何か考え事ですか?」
その様子に気付いたのか、イガルガの戦闘が行われようとしている傍らでアリがリズミカルに声をかけてきた。
ちらりとアリを一瞥した後に、オズベルは軽く頷いた。
「ええ。トル書記員の戦闘スタイルから、リク高等執筆員のそれも推測しようとしていたの」
「ええっ! そんなことできるんですか?」
アリが目を丸くして驚くとオズベルはほんのり得意げに説明を始める。
「よく考えてみて、リク高等執筆員とトル書記員は遥か北にある図書館からここまで二人でやってきたのよ。さっきシルファングと出会ったのと同じように道中で魔物に襲われないとも限らない。そうなれば有事の際にバランスの取れた構成である必要が出てくるのよ。つまり、トル書記員とリク高等執筆員は戦闘スタイルが対極に近くなくてはならないの」
「えーと、なんでですか?」
「例えば、魔法には弱いけど表皮が固くて刃の通らない魔物と遭遇した際、二人ともフルーナのような剣士タイプだと打つ手がなくなってしまうでしょ?」
「なーるほど! じゃあ、トルさんは魔法を使ってなかったんで、リクさんは魔法使いタイプってことですね」
「そういうこと。けど、ただの魔法使いじゃないのは確かね」
「と、言いますと?」
「トル書記員の体術はかなりのものだったけど、受け身……格闘技というよりは護身術寄りだったのはわかる?」
「あー……。確かにカウンターみたいな感じで倒されちゃってましたね、フルーナさん」
「となると……トル書記員は物理面に置いては攻撃タイプというよりは防御タイプだってわけ。つまり、リク高等執筆員が単なる魔法タイプだったならば物理攻撃に不安の残るペアということになる……。だから、防御型であるトル書記員の代わりに、リク高等執筆員が物理攻撃を担っている可能性も出てくるのよ」
「魔法使いなのに、物理攻撃ですか……ハッ!? わたしってば、わかってしまいましたっ。さては魔法剣士ですね?」
「ええ。確かに自己付与型のエンチャンターの可能もあるけど……見て、あの野暮ったい服装。とてもじゃないけれど前線で駆け回るには適してないわ」
オズベルとアリは揃って試合の審判をしているリクの方を見やる。白を基調とした軍服に似たデザインの服は、厚い生地を使っている上にいくつかのアクセサリや腰に巻いた鞄のせいでずいぶんと重鈍とした雰囲気を醸し出していた。
「じゃー、戦うときにはキャストオフ! っていうのはどうでしょう?」
「シルファングとの臨戦時に彼はあの恰好のままだったから考えにくいわね」
あれが彼の計画の一部であり、オズベルたちが駆け付けることを確信していたならば不自然とは言い切れないが、オズベルたちが御者の悲鳴やシルファングの遠吠えを聞き逃したり、間に合わなかったりする可能性も十分にあった。リクはあの服装でベストパフォーマンスを発揮できるということだ。
「むーむむ……それじゃあいったいどういうことなんでしょう……」
手詰まりと言った様子でアリが唸り始めた頃。
「タイムアップ! 時間切れにより、トルの勝利だ」
リクの声が高らかに試合終了を宣言した。
「むきぃいいいいッ」
見れば、取り立てて息を乱しているでもなく汗を流しているでもない不完全燃焼そうなイガルガが悔しそうに声を上げながら地団駄を踏んでいた。
「わ、見逃しちゃいましたね」
不味いことになったというようにアリが口元を触るが、オズベルにとっては想定通りの結果だった。
もともと今回の試合は接近戦が要となるため、魔法使いにとって厳しい形式だ。加えてイガルガの勝気な性格から、攻守の選択の際にどちらを選ぶかは明白。あとは詠唱をトルが投げナイフで妨害し続ければ勝手に時間切れになってしまうというわけだ。
それをイガルガに助言しなかったのは、言ったところで彼女が一層むきになることが分かっていたからだ。それなら余計なことを言って冷静さを欠かすべきではない。どちらにせよ、結果は変わらなかったようだが。
「次! 早くしろ!」
リクが声を荒げたところでオズベルとアリは互いに視線を交わす。リクのスタイルは未だ見当がついていない。故にオズベルとしては、自身はもちろん、まだ攻め手に色を付けられるアリではなく、盾で防御するしかないネルマに出てもらいたいところだった。
しかし、ここまでフルーナ、イガルガと自ら参加を表明したこともあり、流れができてしまっている。一度作られた流れを変えるには何かしらのアクションが必要なのだが……。
「ネルマさん。良かったら先行きます?」
「え……?」
オズベルがなんと声をかけるべきか迷っていると、アリがそぉっとネルマにすり寄って耳打ちした。
「いやぁ、このままだとトリは誰だ~? みたいな、すんごいプレッシャーかかるパターンになっちゃいますよ。オズベルさんはわたしが説得しときますんで、今のうちに」
「え、あ、は、はい……じゃあ、お先に失礼します……」
「どぞどぞ、次はわたしが出ますんで、そのときはオズベルさんにフォロー、よろしく頼みます」
戸惑うネルマを、によによと笑いかけながら手を振って送り出すアリ。完全にお為ごかしだったが、思惑通り進んだこと、そしてその手並みにオズベルは素直に感心した。
何度も言うように自分たちはこれから共に戦う仲間なのだ。リクのように相手の反感を買うのは得策ではない。しかし、これまでのいくらかの場面で臆病であることが想像に難くないネルマに戦闘を促す行為はどうしても押し付けた感が残ってしまう。ひいてはネルマからの好感度を損なう恐れがあった。それが自分のような指揮官タイプならなおさら。
アリはそんな懸念を鋭敏に察知し、自らが代わりとなって、気遣った体でネルマを促したのだ。
弓使いの少女は、案外と機転の利く人物のようだ。そうオズベルは心のメモに書き留めた。
「攻めと守り、どちらを選ぶ」
「え、えっと、それじゃあ……守りで、お願いしますぅ……」
問いただす口調にやはりおっかなびっくりした調子でネルマが答えると、リクはトルに視線を向けトルもそれに応えるように頷いた。
「……この木の枝が地面に着いたら試合開始だ」
三度目となる開幕の台詞を唱えるリク。
「これでトルさんが反撃以外の攻め方ができるのか見れますね」
「ええ」
イガルガ戦の行われていたさっきまでとは打って変わって、観戦の邪魔にならないようにぽそりと声をかけてきたアリに、改めてその気遣いの良さを認めつつオズベルは頷いた。この試合の重要性を理解しているのだ。
そしていよいよリクの放った枝が地面に突き刺さり、それと同時にトルが駆け出した。
速かった。トルの走りは確かに速かった……がそれは、フルーナの鋭い走りとは正反対の柔らかい走りだった。まるで羽毛が風に吹かれて飛んでいくように、油断していると走り出したことにすら気が付かないような、巧みな走りだった。
「…………?」
しかし、それを待ち受けるネルマは、同時に戦場の横ではオズベルも、そんなトルの走りに疑問を抱くのだった。
まっすぐ?
トルはネルマとの距離を何の工夫を凝らすでもなく、ただただ最短で詰めてきていた。
トルの走りは速いが、フルーナに比べれば最高速で圧倒的に劣っている。故に、フェイントなりナイフなりで盾を揺らしにくるに違いない。開幕直後にトルが走り出すのを見て二人はそう予想していたのだ。だがしかし、ここまでトルは愚直なまでに直進していた。もはや距離は5メートルもない。逡巡しているうちに一刻の猶予すら切り捨てられた。
決めるしかない。防御体勢を。
大盾は本来、片方の手に持って敵の攻撃を完全にシャットアウトし、もう一方の手に持った槍などの武器で隙を突く戦い方をするための武具であった。しかし、戦争の時代を経たことでその用途は複数並べることで何もないところに即席の壁を作るものへと変化していた。
そしてそれは現代の王立騎士団にも受け継がれている。
ネルマの所属する盾術科で教えているのは作った壁に穴をあけないための強靭な足腰と鋼の心の作り方。いわば石になるための術だった。あとはせいぜい、戦線を押し上げるための号令に合わせた一定速度での進行と、薄い壁でも場を持たせるために多少の後退をいとわない防御の仕方ぐらいのもの。
故にネルマは大盾のポテンシャルを引き出しきれていない上に、一対一という状況においては素人同然の対応力しか持ち合わせていなかった。
ただ、ネルマは完全には希望を捨てていなかった。
前の二人とは違い、もともとトルと自分の間には相当な実力差があることを自覚していたネルマはたとえ大盾の扱い方を心得ていたとしても同じ様にしていただろう。
トルの行動を予測する。
体当たり、右に、左に、フェイント、トルがどんな動きをするか予測して、それに沿った防御体勢を取ることで何とかやり過ごすことはできないか、そう考えたのだ。
予測すると言えば聞こえはいいが、それは全くの山勘、でたらめ、悪あがきでしかない。
しかし、極端に臆病なネルマは、自分を守るためにどうすればいいのか、本能的に悟るのだった。
だからこそ、
ネルマはトルが飛び上がるのに合わせて盾を掲げることができた。
「おお」とギャラリーから歓声が上がる。それほどまでに完璧なタイミングだった。
自身の身体を一ミリたりともトルに覗かせない。このまま後ろに着地されようとも身体を反転させることで微塵の隙も生まれない。それはまるで予知していたと言っても過言でないレベルの……。そう、予知していたと言っても過言でないレベルの、トルの動きだった。
――トッ
トルが前方宙返りをしてネルマの持ち上げた大盾の上に着地する音が簡素に鳴った。
そこはネルマが盾を支える軸としていた腕と重なる場所、おおよそ重心と違わぬ位置だった。
「~~~っ!」
まさか背後ではなく自分の上に着地されるとは思っていなかったネルマは、驚きで目を見開き、盾の上でしゃがみ込む格好になったトルと、視線を覗き穴越しに交差させる。
ドガぁッッ。バネが弾けるように身体を伸ばしてネルマの盾を蹴りつけたトルの身体がとんぼ返りするように跳ねる。
「ひゃあっ」
悲鳴を上げながらも、のけぞった身体を戻そうとするネルマだったが、大盾の重量に、蹴りつけられた衝撃、更には自分自身直前まで盾を持ちあげる方向に力を働かせていたことが相まって、諸手を盾と一緒に月へ向けて掲げる体勢で硬直を強いられた。
そして無防備となったところへナイフが二本投げ込まれる。狙いは、わざと勢いそのままに倒れ込まれたとしても的が動かない足首。
果たして、ナイフは両方とも狙った場所に命中。
「勝負あり。ネルマ被ダメージにより、トルの勝利だ」
ネルマの敗北が決定した。
「あうぅぅ……」
「お疲れさま」
完敗を喫し涙目で落ち込むネルマの肩をトルが優しく叩く。その額には汗一つない。
「いや、いやいやいや……いやいやいやいやいや…………」
静まり返った観衆の中で次の挑戦者であるアリだけが壊れた楽器のように同じ音を繰り返す。
「無理ですよねっ、絶対。わたしにどうこうできる次元じゃないですよ、これは。もう、完全に」
どうしても自信がないらしく……まあそれも無理はないか、とオズベルは思いながら、完全に呑まれてしまった様子のアリに声をかけた。
「落ち着いて。今のは一応、誘導された結果でもあったのよ」
「誘導、ですか……?」
半信半疑で訊き返すアリに頷いて見せる。
「最初の試合、フルーナは直線的にトル書記員に向かっていったでしょ? その再現だったのよ。まっすぐ向かってくるトル書記員にフルーナの残像を見てしまったネルマは、まんまと盾を釣り上げられちゃったってこと」
もっとも、ネルマの動きは見事だった。相手が相手でなければ満点を与えても良いぐらいに。それだけの反応をネルマがすることも計算済みだったのかと思うと、なおのこと頭が痛いが。
「な、なるほど」
分かったのか分かってないのか、分かったからこそなのか、引きつった笑みで曖昧な返事をするアリにこれ以上プレッシャーを与えるべきではないと思い、オズベルは最後に一言だけ添えて解説を終える。
「トル書記員にはどんなに強固な守りも通用しないかもしれないわね」
それはもちろん物理面に限った話だし、むしろこれでトルとの戦い方ははっきりした。そんなつもりで放った一言だったのだが、アリは悟りに達したような晴れ晴れとした顔で応えると、開始線に向かって歩いて行った。
………………しまった。
「ちょ、ちょっと――」
オズベルはかける言葉を誤ったことに気付き慌てて訂正をしようとするも、突如その前にネルマが立ちふさがった。いや、立ちふさがったというにはあまりに控えめで、うっかり暴れ馬の前に飛び出てしまったぐらいのおっかなびっくりした様子であった。
「な、何?」
まさかこの人物だけは誰かの行く手を遮るなんて真似は出来ないだろうと思っていた相手にそのまさかをされて、面食らったオズベルはうまく言葉が浮かばない。
「え……と」
何故か言葉が出てこないのはネルマも同じようで、今になって話題を探しているようだった。
「ぃ、……いい天気……ですねぇ」
「は?」
「ごごごめんなさいぃっ」
天気……? 確かに雨は降っていないが、こんな夜更けに天気が良いも悪いもないだろう。いや、星月が広場を照らしてくれているおかげで、飴玉サイズのライトボール一つで真夜中の模擬戦に照明が足りているのだから良い天気なのだろうか。けれど、それに何の意味が……、とそこまで考えたところで合点がいった。
――「どぞどぞ、次はわたしが出ますんで、そのときはオズベルさんにフォロー頼みます」
アリの台詞を思い出される。つまり、ネルマは律儀にもアリとの約束を守ろうとしているのだ。その健気さにオズベルは思わず噴き出した。
「……?」
依然として時間を稼ごうと(?)どうでもいい話を途切れ途切れ紡いでいたネルマは不思議そうにオズベルの顔色を窺う。
「ああ、ごめんごめん。大丈夫よ、ラストは私がやるから」
朗らかな表情でオズベルが告げると、ネルマは心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。
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