第1話 最悪とまでは言わないけれど、まあ悪い出会い
……………………
…………
……
「……きて、起きて……リク」
自身を呼ぶ声にリクは瞼を開く。
「トル……。どうかしたか」
デフォルトで不機嫌そうな声を出すリクの更に不機嫌そうな寝起きの声に、布製のつば無し帽をかぶり長い黒髪で右目を隠した女性は首を振って答える。
「どうもしてないけど、リクったら眠っているのになんだかため息をついていたから」
「ああ。夢を見ていた。この間、ブレイグ国王に協力要請を提出したときのな」
寝覚めを襲う鈍痛に顔をしかめ再びため息を吐いたリクの姿に、なんとなく事情を察したのかトルは苦笑いを浮かべる。
「あはは……なにかあったんだ」
「別に。いつも通りだったさ。いつも通り、下らない国王だった」
こんなことを王室関係者の前で言えば不敬罪で打ち首になりかねないが、揺れる馬車の中にはリクたち二人しかいない。そしてトルはリクの毒言に苦笑さえするものの、わざわざそれをとがめるような真似はしなかった。
「無事かな、ランドさん」
代わりに、人に聞かれたら危うい話題から逃れるようにポツリと呟くと、リクは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「それを確かめに行くんだろうが」
「そうだけどぉ……」
楽観的な意見を言ってもらいたかったトルは、至極真っ当な返答に口を尖らせる。
ランドは、リクやトルと同じ図書館の職員で、“箱”の調査のために大陸各地を回っていた。そんな彼から図書館本部への定時連絡が途絶えて今日で四日。二人はランドとその助手の行方を突き止めるために、彼から最後に連絡のあった地点へと向かっているのだった。
――“箱”がこの世界に現れたのはちょうど一年前。どこからともなく現れた大小さまざまな立方体群。その中には、かつて人類が見たことも無いような怪物たちが入っていた。彼らは箱から飛び出しては人類に多大な被害をもたらしていくが、その規模は人一人を殺すものから、街一つを崩壊させるものまで様々であった。ただ、箱の正面と思しき部分には必ず二桁の数字が描かれており、同じ数字の中には同種の怪物が入っていた。図書館は己が誇る全知の冠のもとに、全ての箱の中身を知るべく、調査活動を行っているのだった。
「……あの悪運の強い野郎が、そう簡単にくたばるわけがないだろう」
「リク……」
拗ねたトルに対するフォローか、それとも本当にそう思っているのか乱暴な言葉ながらもランドの死を否定するリクにトルは一瞬目を見開いた後にふっと表情を和らげた。
「あ、そういえば、もう間もなく目的地点だって御者さんが言ってたよっ。そろそろ準備しなくっちゃね?」
あっさり気分が高揚したトルはふと思い出した御者からの言伝を伝えた。すると、リクの仏頂面にもようやく微かな笑みが宿る。
「そうだな。…………まあ、今更することなんてないが」
「え? それってどういう――」
トルがリクの意味深な言葉を訊き返そうとしたその時だった。
「わぁああああああーーーッ」
急停車と、外からの悲鳴が重なる。瞬間、リクはすっと目を細めて馬車の外に視線を向け、トルは御者台の方に身を乗り出した。
「リク!」
「ああ」
息の合った呼応を経て、二人は揃って馬車の外に飛び出す。
「どうかしましたか!」
「あ……あぁ……」
冷たく乾いた地面に着地したトルが語気を鋭く尋ねると、運転手は青ざめた顔でトルを振り返り、御者台の上から進行方向を指し示した。
「あれは……!」
トルが驚きに目を見開く。
白い箱。
これ以上ないほどに純白な。
1メートル程の大きさの立方体が、山積みになっている。
個数は十二。その全てに76という数字が黒く刻まれていた。
まさしく“箱”そのものだった。
「76番ってことは……『シルファング』だね。でも、あんなにたくさん……っ」
呟くトルの声は僅かにうわずっていた。
無理もない。いくら箱の中身が既知のもので未開放とはいえ、その数はあまりにも多い。もしも、これらが一斉に開かれてしまったら、トルとリクたった二人で相手をするには多勢に無勢だ。
今すぐこの場を離れて本部に連絡する? ううん、全部一気に開くとは思えないし箱と箱を引き離しておけば、なんとかなるかも……。
しかしそんなトルの思索もむなしく、間もなく箱に描かれた数字が一斉に眩しく発光し始めた。それは箱の中身が放たれてしまう合図だった。
「箱が……開くっ!」
思わずトルが声を上げるのと同時に、箱が微かに震え、その天井が次々とぶっ飛ばされた。
中から飛び出るようにしてぞくぞくと姿を現したのは、全身を銀色の毛で覆う、狼によく似た三本足の怪物たちだった。輝く宝石のような瞳が、今は無数の黄色い点となって森の深める宵闇の向こうで光っていた。
「そんな……全部一気に解放されるなんて」
狭い箱から解き放たれたことへの歓びか、それとも何か別の理由があるのか、激しく興奮した様子のシルファングたちは腹の底から雄叫びをあげ、どろりとした涎を飛ばす。その迫力にトルは額に汗を浮かべる。
そしてシルファングたちはリクたちの姿を認めると、ゆっくりと身体を彼らの方に向け、姿勢を低くした。
「来るぞ」
「うん……!」
「ひ、ひぃいいいい」
リクが不敵に微笑み、トルがスッと身構え、御者が情けない悲鳴を上げ、シルファングたちが一斉にとびかかろうとした。
「――――」
その時、一陣の風がリクたちとシルファングの間を翔けた。
風に当たられた先頭のシルファングが悲鳴を上げ吹っ飛んでいく。誰もがその風を目で追った。
そして、風の去った後には女が一人、細身の剣を振り下ろした姿勢で佇んでいた。
風の余韻が彼女の長くて細やかな金髪を揺らす。
トルが「え」と短く声を漏らす。
束の間、呆気にとられていたシルファングたちは仲間を攻撃された怒りから標的を変え、細剣の女に向かって飛びかかる。しかしそれを今度は、鋭く飛来した紙切れが遮った。
紙切れたちは、シルファングの体に触れた途端に発火したり、氷の柱を形成したりして攻撃していく。
「おい! 斬撃と、氷と風の魔法は効果が薄い。炎か雷、あるいは眼球に向けた刺突で攻撃しろ」
「わかりました」
トルがまだ事態を把握しきれない中、リクは腕組みするほどの余裕を見せながら、魔法を封じ込めた紙切れ――カードの飛んできた方角に向けて乱暴に声を投げかけた。それにつられるようにトルは返答のあった方に顔を向ける。
「あなたたちは……一体?」
「ブレイグ国立騎士団特設部隊――」
そこには四つの人の影が、先ほどの金髪の女を含めれば五人。
「貴方がたを助けに参りました」
武器を携え立っていた。
「ふっ。お前たちが騎士団の寄越した連中というわけか。そういえば待ち合わせ場所はこの辺りだったな」
依然臨戦中だというのにリクは全く余裕を崩さない。
「え? それじゃあリクがブレイグ国王にお願いしに行ったのって、騎士団の兵隊を貸してもらうことだったの?」
トルの問いに対してリクは悠然と頷く。そして再び、よく通る声で突如現れた助っ人に向かって呼びかける。
「よし。この場はお前たちに任せる。騎士団なんたら部隊とやらの実力を見せてみろ」
「……わかりました」
挑発めいたリクの言葉に、カードを投げた女は軽く頷くと、ケープをはためかせてその下から右腕を突き出し、周りの者に指示を飛ばし始めた。
「イガルガっ、炎系前方範囲魔法威力4以上を! フルーナはイガルガの詠唱終了まで敵を引き付けて! カウントを取るわ!」
「わぁったわ」
「承知しました!」
「アリはイガルガの隣でフルーナの援護を! ネルマはフルーナがこぼした敵をブロック!」
「はいっ」
「わ、わかりましたぁ」
他の四人がそれぞれ指示に見合った陣形を整えるのを見て、ケープの女は二歩下がる。
そうして一人は前線でシルファングの攻撃を剣戟で躱しながら圧倒し、一人はその隙を突こうとする敵を弓矢で牽制、一人は狙いを変えて向かってくる敵を大きな盾で阻み、一人は瞼を閉じて、右手の人差し指を地面に向けて声高に詠唱を始めた。
「『解き放たれる無限の紅 打ち滅ぼされる亡者の魂 下界の果てに眠りし根底の渦よ 我が呼び声に応え 仇為すものに灼熱の終焉を――」
「カウント! 1、2!」
詠唱が終わるタイミングを見計らい、ケープが声を張って数を唱える。それに合わせて細剣は大きく跳ねてその場から退き、盾はシールドバッシュで敵を一塊の状態に近付ける。そして、詠唱者がカッと目を見開いた。
「――ベバーネッドエンド』」
最後に句末である魔法名が告げられると、彼女の立てた人差し指から赤黒い水滴が滴って地面に染み込んでいった。すると辺りに異変が起こる。地面が細かく揺れたかと思うと突然ドロドロとぬかるみ、染み出たマグマが月に向けて勢いよく噴射された。轟音と共にシルファングたちが次々とマグマの柱に飲み込まれ、黒い塊になって空へと打ち上げられていく。
「!」
これにはその場にいた術者以外の全員が驚いた。もちろんその威力に驚いた者もいたが、少なくともリクと、ケープは違った。
「降ってくるわよ! 総員退避ッ」
その言葉で見た目の豪快さに見惚れていた者たちも我に返り、重力に身を任せた高熱の液体から逃れるべく走り出す。
豪雨の如くマグマが降り注いだ後、誰一人として負傷者はいなかったが、馬車の持ち主である御者だけはドロドロになった馬車の前でさめざめと泣いていた。
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