魔導図書館は箱の中身を知っている

逆場貴之

第1章 「アラクネ」 全27話+2

プロローグ 国王への伝え

 大理石の床を踏み鳴らす音が王宮の廊下に響いていた。

 音の主は壁にかかる無数の蝋燭の明かりに眼鏡のレンズを照らされながら、淡々とした足取りで歩みを進めていく。

 やがて見えてきたのは鮮やかな朱色の扉。その両脇には鎧を着こんだ騎士団兵が槍を片手に立っていた。

「何者だ。名を名乗れ」

 彼らの前で立ち止まった眼鏡の男に一方の兵士が槍を向けると、男は伏していた瞼を持ちあげ、光宿らぬ双眸で兵士たちを捉えながら口を開いた。

「……王属万全図書館所属。高等執筆員のリク=グランドロフだ。ブレイグ国王陛下に依頼された案件についての報告のために参上した」

「……よし。通れ」

 兵士の台詞の内側に込められた微かな敵意に怯むことなく、むしろ全く気付いていないかのような平然とした面持ちで、リクは赤い扉を押し開け中へと入っていった。

 扉の向こうにあったのは小さな村ならすっぽりと収まってしまいそうなほど大きな広間だった。そこに敷かれた長い長い赤絨毯の彼方の檀上で、玉座に腰かける白髪の老人がゆっくりと髭を揺らす。

「来たか。遥か北方より、よく足を運んでくれた」

 低く、威厳を感じさせる声はよく響く。

「恐縮です」

 歓迎の言葉に対して、リクの返答の声はあまりに無感動なものであったが、国王は別段気に障った様子もなかった。

「して、例のものは?」

「ここに」

 リクが仏頂面のまま軍服によく似たデザインをした上着のポケットから書簡を取り出して示すと、玉座の斜め後ろに控えていた側近が瞬く間にリクの目の前に現れる。書簡を手渡すと、彼は深くかぶったフードの下で一言二言ぼそぼそと呟いて魔法陣を召喚し、書簡をそれにかざした。

「よさんか。図書館がわしに刃を向けるなどありえない。お前のしていることは、彼らへの侮辱行為に他ならん」

 途端にその行動を咎める国王の言葉に、側近は罠探知の魔法陣を消し、リクに一礼して主の下へと帰っていった。

 国王は側近が帰ってくるなり待ちきれない様子で書簡を受け取って、早速内容に目を走らせる。

「ふむ……ふむ……ほほぉ」

 読み進めるにつれ、国王の顔は明るさを濃くさせていく。

「……あの」

「おお、すまんな。もう下がって良いぞ。ご苦労だった」

 リクの声に、彼がまだそこにいることを思い出した国王は顔を上げて告げる。しかしリクが扉を振り返ることはなく、逆にまっすぐと国王を見据え口を開くのだった。

「本日は陛下のご依頼の件で参上しましたが、図書館は現在、どうしても陛下のお力を借りたい案件を抱えており、その伝えを私に託しました。どうか拝聴いただけないでしょうか」

「無礼なッ。そのようなことはあらかじめ申請し、正当な手続きを以って――」

「まあまあ、そう興奮するでない」

 憤りを見せる側近をなだめつつ、国王は書簡を横の机に置き、再びリクに真摯な眼差しを向ける。

「とはいえ、本来わしとの謁見はジャティスの言う通り正式な手順を要する。ここで言伝を聴いてはきちんと順番を待っている者たちに示しがつかん。わかるな?」

「はい」

 神妙な顔でリクが頷くと、国王は考え込むように髭をいじり始めた。

「ところで、今回の依頼で提出する書類はこれだけかね? もう一式、渡すのを忘れていたなんてことはないかね?」

「はい。実は、この度の依頼でお渡ししなければならない書類が、まだ存在することを失念しておりました」

「ふっ、そうか。ではいただくとするかの」

「へ、陛下!」

 わざとらしいやり取りに再び声を上げる側近に、国王は怪訝な顔を向けた。

「どうした。早く取りに行ってこんか。あれは、わしの依頼で用意してもらったものだぞ。受け取らぬ理由は露ほどもないはずだ」

「………………」

 国王の言葉に側近は不服そうに黙り込む。それでも再び瞬転魔法を使い、書簡を受け取りに向かった。

「さて、これで今度こそ用は済んだはずだ。ご苦労だったな、リク高等執筆員」

「失礼します」

 受け渡しが済むと、リクは一礼の後に踵を返し、そのまま部屋を後にした。

「わははははっ。さぁ! 宴じゃ、宴の準備じゃ! カレン殿に招待状を送り、国中の苺を取り寄せるのじゃ!」

 扉が閉まった途端、抑えていたものが溢れ出すように盛り上がる国王の声が聞こえ、それまでずっと感動を見せなかったリクの表情に変化をもたらす。

 面食らった顔でゆっくりと扉を振り返ると、扉の脇の兵士たちと視線がぶつかる。彼らも何か言いたげな顔をしていたが、相手が国王なだけあってそれを口にするわけにもいかず、ため息も内心に留められるのだった。

 呑気なもんだ、とリクは内心毒づく。

 国王の依頼は、カレンという名の舞踏みのプロフィール調査だった。なんでも、国王は彼女の大ファンらしく、趣味や休日の過ごし方、好きな異性のタイプなど……いい歳をしたおっさん、それも子持ちが、知ってどうするんだとツッコミを入れたくなるような事柄を、大陸最大の調査機関にして、全知と比喩される程の知識を溜めこむ『図書館』に調べさせたのだった。

明らかな権力の乱用であった。

 しかし、こういった下らない依頼をこなしていく裏でさっきのように助力や融通を利かせてもらっていることも確かだった。もしかすると今回の依頼は、現在この大陸に及んでいる脅威を重く見た国王の、図書館に助力を請う機会を与えるためのアプローチだったのかもしれない。

「待っててね~カレンちゅわぁ~ん。ムフォフォフォフォ」

「…………」

 微かな期待を裏切る声に再びこぼれそうになったため息を咳払いでごまかして、リクは王宮の廊下を淡々とした足取りで帰っていった。

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